こんにちは、しけたむです。
この記事では
- 「ミッドセンチュリーの有名なデザイナーについてもっと学びたい。」
- 「椅子を買うならイームズ以外のチェアもいろいろ検討してみたい。」
という方々に向けて
絶対に覚えておきたいミッドセンチュリーのデザイナー「エーロ・サーリネン」と「ハリー・ベルトイア」について分かりやすく画像で解説します。
ミッドセンチュリーのアメリカン・デザイナーたち
▼ミッドセンチュリー・前編見てないよって方はこちらから▼
②エーロ・サーリネン
出典:The New York Times
エーロ・サーリネン(1910 – 1961)はアメリカで活躍したフィンランド人で、ミッドセンチュリーを代表する家具デザイナー、建築家です。
彼の父親であるエリエル・サーリネンも有名な建築家で、アール・ヌーボー様式の建築をフィンランドに多く建築し、アメリカへの移住後はアール・デコの超高層ビルデザインに影響を与えました。
▼覚えていますか?アール・ヌーボーとアール・デコ▼
エリエル・サーリネンはチャールズ・イームズの人生を変えただけでなく、多くのミッドセンチュリーのデザイナーにも大きな影響を与えた人物としても有名です。
▼イームズの人生を変えたサーリネン親子はこちらの記事で▼
建築家エリエル・サーリネンの子、エーロ・サーリネンは13歳のときに家族でアメリカ合衆国に移住すると、ミシガン州の『クランブルック美術学院』で教師をしていた父の講座に学び、在学中にチャールズ・イームズやレイ・カイザー(レイ・イームズ)と知り合いました。
出典:Knoll
▲クランブルック美術学院時代のエーロ・サーリネン(右)とチャールズ・イームズ(左)
卒業後、27歳の時に父エリエルと共同で建築設計事務所を設立し、父と共に数々の設計を手がけます。
1940年、30歳の時にはチャールズ・イームズとともに、MOMA(ニューヨーク近代美術館)主催の「住宅家具のオーガニックデザイン」コンペに応募し、成型合板を使った椅子、棚、机を出品し6部門中2部門でグランプリを獲得しました。
出典:MoMA
▲「住宅家具のオーガニックデザイン」コンペに応募した成形合板のチェア
出典:MoMA
▲組み合わせによって何通りものパターンを作り出せるキャビネット
チューリップチェア
出典:FLYMe
エーロ・サーリネンは建築家として生涯に多くの名建築を生み出し、アメリカを代表する建築界の巨匠ですが、彼の代表作と聞かれると家具である「チューリップチェア」と答える人が多いのではないでしょうか。
チューリップチェアは1956年にエーロ・サーリネンによりデザインされた椅子の名称で、椅子の形状がチューリップの花に似ていることから名付けられました。
アメリカのオフィス家具を扱う企業『Knoll(ノル)』へ向けてデザインしたもので、「ダイニングテーブルに合うような椅子」というKnoll社からの依頼内容がそのままかたちとなったようなデザインです。
出典:Traveller
▲エーロ・サーリネンがデザインしたTWAフライトセンターのホテルに置かれたチューリップチェア
材質には基調となるアルミのほか、「FRP(ガラス繊維強化プラスチック)(※)」がフレームに使用され、クッションには革やファブリックが使われています。
※FRP(Fiber-Reinforced Plastics)とは
「繊維強化プラスチック」のこと。
Fiber(繊維)でReinforced(強化した)Plastics(プラスチック)の略語。
割れやすいプラスチックにガラス繊維を混入させることで、軽量で強度の高いプラスチックになる。
発売当時、チューリップチェアは曲線の美しさやFRPという新素材の使い方が時代の最先端を捉えた産業的デザインの典型と位置付けられていましたが、21世期となってもそのデザインが古くなる事はなく、まさに永遠のデザインと言えるでしょう。
▲『シドニー・オペラハウス』(1973)の審査委員だったエーロ・サーリネンがヨーン・ウツソンのアイディアを気に入り、最終選考に復活させ強く支持したとされる。
③ハリー・ベルトイア
出典:BelーOeil
ハリー・ベルトイア(1915–1978)は、イタリア生まれのアメリカ人デザイナーで彫刻家でもあります。
ベルトイアは15歳の時に兄と共にアメリカのデトロイトに引っ越し、キャス工業高校でアートとデザインについて学び、デトロイト芸術工芸学校でジュエリー作りのスキルを学びました。
22歳になったベルトイアは『クランブルック美術学院』で学ぶための奨学金を受け取り、そこでチャールズ・イームズ、レイ・カイザー、フローレンス・ノル(Knollの創業者ハンス・ノルの妻でありデザイナー)らに初めて出会うことになります。
出典:Cranbrook
▲クランブルック美術学院でのハリー・ベルトイア(左)とチャールズ・イームス(中央)ら仲間たち(1939年)
その後、クランブルック美術学院で自ら彫金のクラスを設け、そこでジュエリーデザインと金属加工について教えました。
▲クランブルック美術学院で彫金を教えるハリー・ベルトイア(1940年)
ベルトイアが26歳の頃、同僚であったチャールズ&レイ・イームズ夫妻が結婚し、美術学院を退職。拠点をロサンゼルスに移し『レッグ・スプリント』の生産に取り掛かりました。
▼成形合板を使用したレッグ・スプリントはこちらでご紹介▼
しばらくすると、レッグ・スプリントが大成功して大忙しだったイームズ夫妻から「一緒に仕事をしないか」と誘いを受けました。ベルトイアはこの誘いを快く引き受け、クランブルック美術学院を退職しロサンゼルスへ向かいます。
ここでベルトイアはイームズオフィスのメンバーとして彼らの会社であるエヴァンス社に入社し、成形合板部門として開発に携わり、イームズチェアの開発に大きく貢献する事になるのですが・・・。
▲イームズ夫妻が経営していたエヴァンス社では、戦争に使用される航空機の部品の製作も行っていた。翼の部品の前のベルトイア(左から4番目)とイームズオフィスメンバーたち(1945年頃)
しかしベルトイアは成形合板を家具使用することに少なからず不満を抱えていたとも言われており、チャールズ&レイ・イームズにこのように語りました。
「自然の木を強制的にねじ曲げて成形すること自体、不自然であり無益なことだ。」
彼はジュエリーアーティストであり、彫刻家。
彼なりの理念や美学があったわけです。
また、チャールズ&レイ・イームズが1945年より多くの家具を世に発表するのですが、共に開発に携わったベルトイアのクレジット(名前)をどこにも掲載しませんでした。
こんなことがあってからの翌年(1946年)、ベルトイアはチャールズ&レイ・イームズらと決裂し、エヴァンス社から去ります・・・。
1950年、ベルトイアはクランブルック美術学院で共に学んだフローレンス・ノルと共に仕事をするために、アメリカ北東部のペンシルバニア州へ移り住みました。
フローレンス・ノルは、チャールズ&レイ・イームズらの家具を製造している『Herman Millar(ハーマン・ミラー)』のライバルでもある『Knoll(ノル)』のデザイナーであり、後の社長となる人物だったのです。
▲クランブルック美術学院で学んだフローレンス・ノルは、アメリカの建築家、家具デザイナーで起業家。オフィスデザインに革命をもたらし、オフィスインテリアにモダニズムデザインをもたらした。
フローレンス・ノルはクランブルック美術学院時代にベルトイアの作品を見て彼の才能に惚れ込んでいて、イームズの会社を去ったと聞いて、すぐにオファーを出しました。
ノルはベルトイアのセンスとデザインを完全に信頼していたので
「ここ(Knoll)ではベルトイアが何でも自由にデザインしていいわよ。おもしろいことがあったら報告だけすればいいから。」
と、なんでも許可して働きやすい場所を提供しました。
▼バウハウスって何なん?ならこちらから▼
ダイヤモンドチェア
出典:名作家具とデザインの話
そんな中、1952年にベルトイアチェアコレクションのひとつであり、傑作として名を残すダイヤモンドチェアをKnollから発表しました。
ミッドセンチュリーの代表作の一つにも挙げられていて、フレームは1本1本異なる長さのスチールワイヤーを3次元に曲げて、その後ダイヤモンド型に溶接固定されています。
そのスタイリッシュなモダンなデザインから「空気と鋼の彫刻」とも呼ばれています。
ベルトイアはスチールワイヤーで作られたこのチェアを
「これは空気でできたチェアなんだ。だから全ての空間はこの椅子をすり抜けちまう。」
と語り、金属造形に長け、溶接技術に天才的な才能を発揮していた彫刻家のベルトイアらしい作品となりました。
出典:Knoll
▲ダイヤモンドチェアにはハイバックタイプとオットマンもデザインされた。このハイバックタイプは見た目が鳥のように見えることから「バードチェア」とも呼ばれた。クッションは着脱可能。
ハリー・ベルトイアによる一連のワイヤーチェアは1952年にKnollのニューヨークにあるショールームに展示され、デザインに優れたチェアは発売時から人気が高く、上々な滑り出しとなりましたが、ここで大きな問題が発生しました。
なんと、チャールズ&レイ・イームズが1951年に発表したチェア『ワイヤーチェア(DKR)』にそのデザインが酷似しており、特許を侵害しているとハーマンミラーから訴えられてしまったのです。
出典:VNTG
▲ハーマンミラーから販売されていた『ワイヤーチェア(DKR)』
それもそのはず、ワイヤーチェアはベルトイアがイームズオフィス在籍時の功績により開発され、製品化に至ったものだったのです。
ハリー・ベルトイア「おいおい・・・ちょっと待ってくれよ!!」
皮肉な運命ですが、Knollとハーマンミラーは裁判で徹底的に争いましたが、Knoll側が敗訴し「ハーマンミラーがKnollにワイヤーチェアを作るライセンスを与える」という結果となってしまいました。
このようにして、ハリー・ベルトイアによるダイヤモンドチェアはミッドセンチュリーモダンデザインを代表する傑作チェアのひとつとして、現在もKnollで作り続けられています。
ナンタルカのまとめ
■エーロ・サーリネン
エーロ・サーリネンはフィンランド出身の建築家で、チャールズ・イームズとともにミッドセンチュリーのデザイナーとして活躍した。代表的な家具には(①)社のためにデザインした(②)が有名で、材質にはアルミのほかFRPが使用され、クッションには革やファブリックが用いられた。
■ハリー・ベルトイア
ハリー・ベルトイアはイタリア生まれのアメリカ人デザイナー・彫刻家で、一度はチャールズ・イームズとともに働くが決別し、ハーマン・ミラー社のライバルでもあるKnoll社のデザイナー(①)のもとでデザインを行った。代表作にはスチールワイヤーで作られた(②)があるが、権利の問題でハーマン・ミラー社から訴えられた。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
分かりにくい点やお気づきのことがあれば、メールでご連絡頂けましたら幸いです。
では、次回もお楽しみに。
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