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【20世紀の動き(3)−1】絶対に覚えておきたいミッドセンチュリーのデザイナー6選・前編【世界のインテリアの歴史⑮】

チャールズ&レイ・イームズ

 

 

こんにちは、しけたむです。

 

 

この記事では

 

  • 「ミッドセンチュリーの有名なデザイナーについて学びたい。」
  • 「椅子を買うならイームズのチェアが良い。」

 

 

という方々に向けて

 

絶対に覚えておきたいアメリカのモダン・デザイナー6選・前編を

 

分かりやすく画像つきでご紹介していきます。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
有名過ぎて、インテリアに詳しくなくても聞いたことがある名前のデザイナーばかりだにゃ!誰かに教えたくなるデザイナーの逸話も盛り沢山で、今回もやっていきますにゃあ〜

 

 

 

 

 

ミッドセンチュリーのアメリカン・デザイナーたち

ミッドセンチュリー デザイナー出典:Manhattan home design

▲1961年の『PLAY BOY』7月号の特集記事で掲載されたミッドセンチュリーのデザイナーたち。ジョージ・ネルソン(左端)、エーロ・サーリネン(中央左)、ハリー・ベルトイア(中央右)、チャールズ・イームズ(右から2番目)

 

 

1945年、長く続いた第二次世界大戦が終結します。

 

 

アメリカ合衆国は、戦勝国かつ本土を戦場としなかった国であり、当時の世界経済の半分生産能力と機械施設においては半分以上を保有する世界一の強豪国となりました。

 

 

 

軍需産業が生み出したプライウッド(※1)FRP(※2)などの戦争に使用された新しい技術は、チャールズ・イームズ、エーロ・サーリネン、ジョージ・ネルソンを始めとするアメリカのデザイナーたちによって家具に応用されるようになりました。

 

 

 

(※1:プライウッド『Plywood』は、合板のこと。特に曲面に成型加工した成型合板のことを指します。)

出典:日清グループ

▲合板とは丸太を薄くスライスし、その木目が交差するように奇数枚貼り合わせた板。ベニヤ板とも。

 

プライウッド 成形合板 LCW出典:shopstyle

▲プライウッドを使用した『プライウッド ラウンジチェア ウッドレッグ LCW』(チャールズ&レイ・イームズ)

 

 

 

(※2:FRP(Fiber-Reinforced Plastics)とは、繊維強化プラスチックのことでFiber(繊維)Reinforced(強化した)Plastics(プラスチック)ということです。割れやすいプラスチックにガラス繊維を混入させることで、軽量で強度の高いプラスチックとしています。)

イームズ FRP シェルチェア出典:アーロンチェアの庄交堂

▲『シェルチェア』はチャールズ&レイ・イームズにより、FRPを用いた革新的な大量生産方法を用いて製作された。

 

 

 

第二次世界大戦後、帰還兵たちが家庭を持ち、住宅と家具の需要が増えていったアメリカ国内でこれらの家具は広く受け入れられていきました。

 

 

 

1950年代を中心に、1940~1960年代にデザインされた家具やインテリア、建築物などを総称してミッドセンチュリーと呼びます。

 

 

 

また、ミッドセンチュリーはこの時代自体を指す言葉としても使われています。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
それでは、世界のインテリア史に名を刻む、アメリカのデザイナーたちをご紹介しますにゃ!

 

 

①チャールズ&レイ・イームズ

チャールズ&レイ・イームズ出典:Eames office

▲チャールズ・イームズと妻のレイ・イームズ

 

 

チャールズ・イームズ(チャールズ・オーモンド・イームズ Jr)は、1907年生まれのアメリカ合衆国のデザイナーで、建築家、そして映像作家でもあります。

 

 

 

妻のレイ・イームズと共に、プライウッドFRP金属といった素材を用いて、20世紀における工業製品のデザインに大きな影響を与える作品を残しました。

 

 

 

 

チャールズは12歳の時、写真を趣味にしていた父親が遺した機材を使い写真撮影を始めます。

チャールズ・イームズ 幼少期出典:Eames Office

▲幼少期のチャールズ・イームズとペットと思われるワンちゃんと一緒に

 

 

14歳になると、高校へ通いながら放課後や週末にレイクリード・スチール社で製図工見習いとして勤め、設計や製図の技術を身につけました。

イームズ 1920年出典:Eames Office

▲レイクリード・スチール社でのチャールズ・イームズ(1920年)

 

 

18歳になるとセントルイス・ワシントン大学建築学科へ進むのですが、研究課題として建築家のフランク・ロイド・ライトを取り上げることを教授らに提案し、近代建築に過度に熱をあげ過ぎたことが原因で、退学となってしまったそうです。

イームズ ワシントン大学出典:Eames Office

▲ワシントン大学在学中のイームズ(左端)と友人たち

 

 

▼イームズが熱中したフランク・ロイド・ライトはこちらの記事にて▼

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ナンタルカ
ナンタルカ
チャールズはあまりにフランク・ロイド・ライトを慕い過ぎて、大学側に「ライトの授業を作れー!」と要請したりして、学校側と方針が合わなくなってしまったみたいなんにゃ〜

 

 

 

チャールズは大学在学中に最初の妻であるキャサリン・ウォーマンと出会い、22歳で結婚します。

 

 

 

この前後でチャールズは、セントルイスにあった設計事務所に就職して設計の経験を積んでいました。

 

 

 

新婚旅行でヨーロッパへ訪れ、多くのモダニズム建築に触れたチャールズでしたが、アメリカへの帰国後に待っていたのは、世界恐慌の影響でほとんど仕事の無い現実でした

 

 

 

 

そんな厳しい状況の中、チャールズは23歳の時に建築設計事務所を開設します。

 

 

 

1935年、チャールズが28歳の時に設計した聖メリーズ教会「アーキテクチュアル・フォーラム」という建築雑誌に取り上げられ、それを見た建築家のエリエル・サーリネン(エーロ・サーリネンの父親)がチャールズに手紙を送ったことで二人の交流が始まりました。

聖メアリー教会 イームズ出典:Eames house

▲チャールズ・イームズが28歳の時に設計した『聖メリーズ教会』(アーカンソー州:1935年)

 

 

エリエル・サーリネンはチャールズの人生に多大な影響を与えた人物で、彼の息子のエーロ・サーリネンとはよきパートナーとなり、また無二の親友ともなりました。

 

 

 

1936年、チャールズが29歳の時にエリエルの招待で、イームズは妻子と共にミシガンへ引っ越し「クランブルック美術学院」に奨学生として入学しました。

(この「クランブルック美術学院」では、のちの妻となるレイ・イームズや同じデザイナーのハリー・ベルトイア、ニューヨークの家具メーカー『Knoll(ノル)』フローレンス・ノルらに出会いました。)

 

 

 

翌年には、同校でインダストリアルデザイン学科長として教壇に立ち、教鞭を振るいます。

 

 

 

1940年、チャールズが33歳の時にエーロ・サーリネンとともに、MOMA(ニューヨーク近代美術館)主催の「住宅家具のオーガニックデザイン」コンペに応募しました。

MOMA イームズ出典:名作家具とデザインの話

▲6部門中2部門でグランプリを受賞したチャールズ・イームズの展示ブース

 

 

チャールズとエーロ・サーリネンの作品は、アルヴァ・アールトの開発したプライウッドの新技術を見事に利用し、3次元の立体曲線によって背面と座面、肘掛けを継ぎ目なしで繋いだデザインで、6部門中2部門でグランプリを獲得します。

 

 

 

コンパクトで快適な読書用として開発された「オーガニック チェア」は、「住宅家具のオーガニックデザイン」コンペの一環として、チャールズ・イームズとエーロ・サーリネンによってデザインされました。

オーガニックチェア出典:Vitra

▲オーガニックチェアのシリーズには、背もたれの高い「オーガニック ハイバック」(左)と、テーブルに合わせて使える、座面が高い「オーガニック カンファレンス」(右)がある

 

 

1941年、チャールズが34歳の時に妻のキャサリンと離婚し、クランブルック美術学院に勤務する同僚のレイ・カイザー(レイ・チャールズ)と再婚します。

 

 

 

同年、チャールズはクランブルック美術学院の教職を辞し、その後の生涯にわたる活動拠点となるロサンゼルスへ移り、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー社(アメリカの映画製作会社)の美術部に勤めながら、プライウッドを使った家具の大量生産に取り組み始めます。

 

 

 

その取り組みは家具だけにとどまらず、彫刻作品骨折時に使う添え木や担架飛行機の部品にまでおよび、中でも脚用の添え木レッグ・スプリントは海軍で採用され、第2次世界大戦終了までの間にのべ15万本以上も製造され、「レッグ・スプリント」はイームズの手がけた最初の大量生産品となりました。

レッグスプリント イームズ出典:名作家具とデザインの話

▲レッグ・スプリントは強度が高い上に軽く、成形合板は骨折時の添木として理想的な素材だった

 

ナンタルカ
ナンタルカ
翌年の1942年、レッグスプリントを大量生産するにあたって、イームズ夫妻はプライフォームド・ウッドという会社を設立したんだにゃ!この会社にはイームズ夫妻の友人でデザイナーのハリー・ベルトイアも参加するなど多くの人数で作業をしていたけど、それでも納期に追いつかないほどの注文量だったんだにゃあ〜

 

 

▼イームズといろいろモメたベルトイアの記事はこちら▼

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成形合板を使った製品の大量生産の実現に努める一方で、1942年からはロサンゼルスで発行されていた芸術雑誌「アーツ&アーキテクチャー(arts & architecture)」の編集に加わり、レイ・イームズが表紙のデザイン(※)を手掛けました。

 

 

 

(※1948年以降は、ハーマンミラー(イームズの家具を製造している家具メーカー)』のイームズ家具広告の大部分もレイ・イームズが自らデザインしていました。)

レイ・イームズ 表紙 雑誌出典:Eames office

▲1942年9月号のアーツ&アーキテクチャーの表紙。レイは26回もの表紙デザインに携わった。

 

 

 

イームズプライウッドチェア『DCW』、『LCW』

DCW イームズ出典:twenty twenty one

▲プライウッドで作られているダイニングチェア『DCW』(1945)

 

 

1945年 第二次世界大戦が終わり、チャールズとレイは今までひそかにデザインしていた家具の発表をニューヨークで行います。

 

 

 

この時に、イームズプライウッドチェア『DCW』、『LCW』が披露されました。

 

 

 

DCWは『Dining Chair Wood』、LCWは『Lounge Chair Wood』の略語です。

LCW イームズ プライウッド出典:Wright Auction

▲『LCW』は『DCW』に比べ、座面が低く、背板に体重を預けられる設計になっている

 

 

チャールズとレイが自ら製作した成型合板製造機「カザムマシーン」で試行錯誤して完成させた椅子です。

 

 

 

有機的で複雑な曲面を製作する成型技術によって、身体にフィットする美しいカーブを持つ椅子を完成させました。

 

 

 

背と座を繋ぐ木の脚部との組み合わせが、座ったときの快適さだけでなく、なんとも魅力的なフォルムをつくりあげています。

 

 

 

イームズプライウッドチェア『DCM』、『LCM』

DCM イームズ出典:Brooklyn museum

▲1946年の発売当時、座面の形状から「ポテトチップチェア」とも呼ばれた『DCM』

 

 

『DCW』と『LCW』が発表された翌年の1946年、立て続けに発表されたチェアがイームズプライウッドチェアDCMLCMです。

 

 

 

それぞれ脚部が金属となっている為、『DCM』はDining Chair Metal、『LCM』はLounge Chair Metalの略称で呼ばれました。

 

 

 

適度なしなりのある成形合板の特性に加え、金属製の脚部には天然ゴム製のショックマウントが装着されています。このショックマウントが身体を預けた際に衝撃を吸収し、ラウンジチェアならではの快適な座り心地を実現しています。

LCM イームズ出典:Artsy

▲『LCM』の背面。成形合板と金属の接触箇所に、天然ゴム製のショックマウントが装着されている

 

 

一見木製の固いイメージがするダイニングチェアですが、想像以上に座り心地も快適で長時間でも疲れにくい仕様になっています。

 

 

 

イームズハウス(ケーススタディハウス No.8)

イームズハウス No.8出典:Matt Reardon

▲ロサンゼルスのサンタモニカにあるイームズハウス。現在はチャールズのお孫さんが暮らしている。

 

 

1949年、イームズ夫妻は「アーツ&アーキテクチャー」の雑誌企画である『ケーススタディハウスプログラム』に参加し、自邸であるNo.8を手掛けました。

 

 

 

ロサンゼルスのサンタモニカ近郊の太平洋を見下ろす崖の上に建てられたイームズ邸は、建築費を抑えるため、鉄骨から内装材に至る部材の全てが、アメリカ国内で流通していた既製品によって構成されています。

イームズハウス No.8 リビング出典:Architectural Digest India

▲ケーススタディハウス8として有名になったイームズハウスは、雑誌企画「ケーススタディハウスプログラム」の一環として建てられた約20戸の住宅の内の1つでした。

 

 

イームズハウスは工業化時代の新しい建築のあり方を示すものとして、記念碑的な位置付けをされています。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
1951年には、イームズ・ハウスでイサム・ノグチチャーリ-・チャップリンらを招いた豪華な茶会が開催されたんだにゃ〜

 

 

イームズシェルチェア、イームズシェルアームチェア

シェルチェア イームズ出典:DesignATLarge

▲1950年にハーマンミラー社から販売されたシェルチェア。写真は若かりし日のチャールズ。

 

 

イームズシェルチェアは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が主催した「ローコスト家具デザイン国際コンペ」のためにデザインされた、紛れもなく世界一有名な椅子です。

 

 

 

1948年にイームズ夫妻はこのコンペに出品するため、もともと金属製のシェルチェアを作ろうとしていたようなのですが、なかなかうまくいかなかった際に、FRPと呼ばれるガラス繊維で補強したプラスチック素材に出会います。

 

 

 

 

金属よりも軽く、丈夫でローコストな素材であるFRPを使用して、シェルアームチェア(※)を完成させました。

(※シェルチェアはアームチェアが先に誕生し、その後アームレスチェアが製作されました。)

シェルチェア アーム イームズ出典:MoMA

▲1949年にMoMAのコンペで発表されたイームズシェルアームチェア。脚には様々なバリエーションが考案されていた。

 

1950年の発売当時、イームズシェルチェアは北欧の木の家具に比べてはるかに安価なデザイナーズ家具として、90年代初頭まで多くの家庭や公共施設で使われました。

 

 

 

90年代に入ると、廃棄やリサイクルに手間がかかるFRPは環境に悪影響を及ぼすという考えから製造中止に追い込まれてしまいます。

 

 

 

数年後、イームズシェルチェアはリサイクルしやすい「ポリプロピレン」という樹脂で再登場しました。

 

 

 

さらに現在では、環境に負担の少ないFRPが開発され、ハーマンミラーから購入が可能です。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
イームズシェルチェアはコピー品(リプロダクト)もたくさん存在するにゃ。でもそれだけ真似されるっていうことは、世界一有名なイスである証拠とも言えるんだにゃあ!

 

 

イームズワイヤーチェア(DKR)

ワイヤーチェアDKR出典:g1950

▲ワイヤーチェアのアイディアは、服の型紙をつくるトルソーなどから着想を得たとも言われている。

 

 

イームズワイヤーチェア(DKR)は、シェルチェアがそのまま金属製になったようなデザインが特徴です。

 

 

DKRとは「Dining height K-wire shell Rod wire base」の略称で、シェルチェア発売の翌年、1951年に発売されました。

 

 

スチールワイヤーで製作デザインされたこの椅子の特徴は、スチールの使用を最小限に抑え、実際の重さだけで無く見た目としても軽量にして、大量生産を行えるように出来る限り価格が低くなるようにしました。

 

 

 

イームズ夫妻の初期段階から変わらないコンセプトでもある「最高のデザインを最大多数に最低価格で販売する」が体現されているチェアです。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
このスチールワイヤーでのチェア製作には、一時期イームズと一緒に働いていた金属加工を得意としていたデザイナーハリー・ベルトイアが大きく貢献しているんにゃけど、それはあんまり知られていないんですにゃあ・・・

 

 

ラウンジチェア&オットマン(ELC)

ラウンジチェア イームズ出典:Herman Miller

▲発売当時の価格は約400ドル。フォードの新車が約600ドルだったので、今と変わらず一般家庭には手の出ない富裕層向けのチェアだったと言える。

 

 

ラウンジチェア&オットマンは、1956年に発売されたチェアで正式名称である

「Eames Lounge Chair」の頭文字をとって「ELC」とも表記されます。

 

 

 

イームズ夫妻が座り心地の良いチェアについて思い描いたとき、「一塁手のミットのように温かく包み込むような外見にしたい」ということから、重厚なレザーを使用したまさに包まれるようなデザインのチェアとなりました。

 

 

チェアの座面や背もたれには、全てを包むかのように成形合板が使用されています。

 

 

 

ラウンジチェア&オットマンは、イームズ夫妻が全米のテレビ番組「ホーム」に出演した際に初めて紹介され、たちまちイームズ夫妻とこのチェアは有名になりました。

 

 

 

有名人となったイームズの家具はますます飛ぶように売れるようになりましたが、それでもなお夫妻は、丁寧な仕事と手作りのディテールにこだわり続けました。

 

 

 

現在、プライウッドとレザーを組み合わせたこのラウンジチェア&オットマンは、ミッドセンチュリーを象徴するアイコン的な家具となっています。

 

 

 

アルミナムグループチェア

アルミナム チェア イームズ出典:gr shop

▲5スターベース(5本足)のキャスタータイプのアルミナムグループチェア

 

 

アルミナムグループチェアは、1958年にイームズ夫妻によってデザインされたチェアです。

 

 

もともとはエーロ・サーリネンが設計していた実業家である「J.アーウィン・ミラー」の邸宅に屋外用の上質なチェアがほしいと考え、イームズ夫妻にデザインを依頼しました。

 

 

 

イームズ夫妻は、チェアの脚やフレームにはアルミダイキャストを使用し、シートに防水性能のある合成繊維のメッシュ素材をぴんと張ったチェアをデザインしました。

 

 

 

ハーマンミラー社は1958年に、アルミナムグループチェアの製造を開始します。

アルミナムチェア 1958出典:Herman Miller

▲発表当時のアルミナムグループチェア。室内にはラウンジタイプ、外部には屋外用のメッシュ仕様が置かれている。

 

 

1969年、イームズ夫妻は当初のアルミナムグループチェアのデザインに加えクッションのついたモデルを追加し、現在はキャスター仕様のワーキングチェアタイプラウンジタイプ4本脚のサイドチェアアウトドアタイプなど、多様なバリエーションが用意されています。

 

 

 

終わりに

イームズ夫妻 チャールズ&レイ出典:trove-blog

 

チャールズ&レイ・イームズ事務所は、40年以上(1943-88年)にも渡り、カルフォルニア州ロサンゼルスで活動を続け、ドン・アルビソンやデボラ・サスマンといった有名なデザイナーを輩出しました。

 

 

チャールズ・イームズは、1978年8月21日、故郷セントルイスへの帰省中、心臓発作により71歳で息を引き取ります。

 

 

 

レイ・イームズが息を引き取ったのはそれからちょうど10年後、チャールズと同じ日付の1988年8月21日でした。

 

 

 

2人は現在、セントルイスの墓地に仲良く隣り同士で埋葬されています。

 

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
ミッドセンチュリーのデザイナー6選なのに、1組しか紹介できませんでしたにゃ!でもチャールズ&レイ・イームズの知識は、テストに出ない範囲でも、インテリアコーディネーターにとって当たり前のように知らないと恥ずかしいポイントを紹介したにゃ
!この記事の内容は覚えといて損ないにゃー!!  

 

 

 

 

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お疲れ様でした!

 

ここまで読んで頂きありがとうございます。

 

 

分かりにくい点やお気づきのことがあれば、メールでご連絡頂けましたら幸いです。

 

 

では、次回もお楽しみに。

 

 

 

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