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【20世紀の動き(1)】デ・ステイルとバウハウス【世界のインテリアの歴史⑫】

デ・ステイル

 

 

こんにちは、しけたむです。

 

 

この記事では

 

 

  • 「抽象的な造形や絵画に興味がある。」
  • 「デザインの学校に通っていた、もしくは通ってみたい。」

 

 

という方々に向けて

 

 

20世紀に流行したデザイン運動のデ・ステイルや国立造形学校バウハウスについて

分かりやすく画像付きでご紹介していきます。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
20世紀に入ると、オランダでは抽象的な造形への関心が高まり、ドイツでは工芸・美術の総合芸術学校バウハウスが創設されて、近代建築・近代デザインの確立に大きな足跡を残したんにゃ!その動きを見ていくにゃー

 

 

 

 

 

デ・ステイル

デ・ステイル 表紙出典:Wikiwand

▲デ・ステイル(DE STIJL)1922年8月号の表紙

 

 

第一次世界大戦後のオランダでは、幾何学的で抽象的な造形への関心が高まりデ・ステイル(デ・スティル)派の作家が台頭しました。

 

 

デ・ステイル(De Stijl) とは1917年にオランダで創刊された雑誌の名称で、オランダ語で「様式」を意味します。

(英語ではThe style

 

 

 

 

デ・ステイルの理念は、グループの重要なメンバーでもあるピエト・モンドリアンが主張した新造形主義(ネオ・プラスティシズム)と呼ばれるものでした。

 

 

 

 

新造形主義とは言葉で説明すると難しいですが、辞典から抜粋するとこのような意味です。

 

新造形主義とは、いっさいの再現的、偶然的、恣意(しい)的な要素を絵画から追放し、水平、垂直の2線分と、三原色および無彩色の配合によって生命力の根源を暗示する秩序と均衡ある構成を生もうとするものである。

ー日本大百科全書よりー

 

ナンタルカ
ナンタルカ
新造形主義とは建築では無くて、美術の理論なんだにゃ!例えば風景画でお庭の絵を描くときに、庭の木は葉っぱが落ちる位置も向きもランダムで偶然的なものにゃんだけど、それを無視して単純な線だけで表現して、色も赤・青・黄と無彩色だけを使って、抽象的な構成にすることを推したんだにゃあ。

 

 

 

新造形主義を唱えてデ・ステイルに影響を与え、画面を単純な直線構成と赤・青・黄の3色で構成した抽象画で知られ、グループの重要メンバーでもあったピエト・モンドリアンについて学びましょう。

 

 

ピエト・モンドリアン

ピート・モンドリアン出典:Recherche

 

 

ピエト(ピート)・モンドリアンは19世紀末から20世紀のオランダ出身の画家で、本格的な抽象絵画を描いた最初期の画家とされています。

 

 

 

初期には風景画などを描いていたモンドリアンでしたが、次第に抽象画へ移行しました。

 

 

 

有名な『リンゴの樹』の連作を見ると、樹木の形態が単純化され、完全な抽象へと向かう過程が読み取れます。

Evening,red tree出典:Medium

▲ピエト・モンドリアンが1909年に描いた『Evening,red tree』

 

Grey tree出典:Medium

▲同じく1911年に描かれた『Grey tree』

 

リンゴの樹出典:Piet mondrian

▲1912年に描かれた『Apple tree ,Bloosaming』では完全な抽象画となっている

 

 

 

1921年頃になると水平と垂直の直線のみによって分割された画面に、赤・青・黄の三原色のみを用いるというストイックな原則を貫いた一連の作品が生み出されます。

 

 

 

この3原色を組み合わせたカラーはモンドリアン・カラーと呼ばれます。

“Composition with Red, Blue and Yellow”
出典:Pinterest

▲モンドリアンの代表作『赤・青・黄のコンポジション(Composition with Red, Blue and Yellow)(1930)

 

 

 

1965年、フランスのデザイナー『イヴ・サンローラン』はピエト・モンドリアンの作品に着想を得て、モンドリアンルックと呼ばれるワンピースを発表しています。

モンドリアンルック出典:designKULTUR

▲初めてアートをファッションに取り入れたサンローランの『モンドリアンルック』

 

 

 

2013年にはピエト・モンドリアンにインスパイアされたシャネルがモンドリアンカラーの財布をデザインしています。

シャネル モンドリアン 財布出典:SILKY 1WAY

▲シャネルの2013年スプリングコレクション。もちろん即完売だったそう。

 

 

 

デ・ステイルのリーダーをしていたテオ・ファン・ドースブルフは、ピエト・モンドリアンが主張した絵画を重視した新造形主義では無く、建築を重視した垂直と水平だけでなく、対角線を導入した要素主義(エレメンタリズム)を主張していました。

 

 

そのため両者の対立は決定的となり、モンドリアンは1925年にデ・ステイルを脱退してしまいます。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
今でもモンドリアンカラーは建築やインテリアだけじゃにゃく(無く)、ファッション、絵画やプロダクト作品などなど、色んな分野で親しまれているんだにゃ!

 

 

 

 

同じくデ・ステイルを代表するメンバーとして、『赤と青の椅子(レッド・アンド・ブルー)』『ジグザグチェア』『シュレーダー邸』などで知られるヘリット・トーマス・リートフェルトがいます。

 

 

ヘリット・トーマス・リートフェルト

トーマス・リートフェルト出典:idesignWIKI

 

 

ヘリット・トーマス・リートフェルトは、20世紀オランダの建築家、デザイナーです。

 

 

家具職人の父のもとで修業し1911年に自分の家具工場をはじめました。

 

 

 

1918年、ピエト・モンドリアンらとともに芸術運動デ・ステイルに参加します。

 

 

デザイナーとしては赤と青の椅子(レッド・アンド・ブルー)ジグザグチェアが建築家としては、世界遺産にも登録されているシュレーダー邸が有名です。

 

 

赤と青の椅子(レッド・アンド・ブルー)

赤と青の椅子 レッド・アンド・ブルー出典:VNTG

 

 

家具が好きな方なら、誰もが一度は見たことがあるであろう赤と青の椅子(レッド・アンド・ブルー)

 

 

1918年にデザインされたこの椅子は、ヘリット・トーマス・リートフェルトの代表作品です。

 

 

 

デ・ステイルの中心人物であったピエト・モンドリアンの絵画『赤・青・黄のコンポジション(先述)』からインスパイアされ、モンドリアンの新造形主義を三次元へ投影する最初の試みとしてこの赤と青の椅子が製作されました。

 

 

 

現在はイタリアの高級家具メーカーのカッシーナ(Cassina)にて、復刻版が販売されています。

 

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
実はこの赤と青の椅子、1920年ごろまで塗装がされて無くてにゃ、ブナ材で組まれただけの素朴な椅子だったんにゃ。でもデ・ステイルのメンバーからアドバイスがあって、現在のようなカラーリングになったんだにゃ。

 

 

ジグザグチェア

 

ジグザグチェア ZIGZAG出典:Kirkland museum

 

 

ヘリット・トーマス・リートフェルトのもう1つの代表作品ジグザグチェア(ZIG-ZAG)です。

 

 

究極にシンプルな椅子として製作され、多くのデザイナーに多大な影響を与えてきました。

 

モダンなデザインですが、今から80年以上も遡る1934年の作品です。

 

 

 

製作当時はスチールを曲げ加工していたのですが、その後カッシーナの優れた木工技術により、4枚板の組継ぎを隅木(すみぎ)で補強する手法を用いたこの椅子は、一切金属のジョイント類を使用せずに作られています

 

 

繊細な美しいデザインからは想像もできない頑丈さと、座り心地の良さを兼ね備えています。

 

 

 

シュレーダー邸

シュレーダー邸出典:dazeen

 

 

シュレーダー邸は、オランダのユトレヒト市内にあり、1924年にヘリット・トーマス・リートフェルトによって設計された住宅です。

 

 

デ・ステイル建築を代表する作品で、世界遺産に登録されています。

 

 

 

ピエト・モンドリアンの抽象画を建築化したかのような外観で、白・灰の面と黒・赤・黄・青の線によって構成されています。

 

シュレーダー邸出典:dazeen

▲全て直線で構成された室内と家具。

 

 

夫を亡くしたシュレーター夫人と3人の子供たちのために建てられた住宅です。

 

 

鉄筋コンクリート造では高価になるため、壁を漆喰塗りの煉瓦造とし、床と屋根は木造となっています。

 

シュレーダー邸出典:dazeen

▲室内のカラーリングは木を除くと赤、青、黄と無彩色のみ。

 

 

シュレーダー夫人は1985年に亡くなるまで、この邸宅で生活を送りました。

 

 

 

現在では修復が行われ、ミュージアムとして訪問者のために開放されています。

 

シュレーダー邸出典:dazeen

▲レッド・アンド・ブルーが置かれた2階の部屋。赤い床が眩しい。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
シュレーダー邸の設計をシュレーダー夫人から依頼されるまで、リートフェルトは家具のデザインしかしたことが無くて、建物の設計経験が無かったにゃ!でもデ・ステイル運動の熱心な推進者だったシュレーダー夫人の強い希望があって、設計を引き受けたんだにゃ!

 

 

バウハウス

バウハウス BAUHAUS出典:Domus

▲バウハウスのデッサウ校舎。1996年に世界文化遺産に登録された。

 

 

バウハウスは、1919年にヴァルター・グロピウスによってドイツのワイマールで創設された国立造形学校です。

 

 

 

無駄な装飾を廃して合理性を追求するモダニズムの源流となった教育機関で、活動の結果として現代社会のいわゆる「モダン」な製品デザインの基礎を作り上げました。

 

 

 

バウハウスが実際に学校として存在していたのは、1933年にヒトラー率いるナチスからの圧力により3代目の校長を務めていたミース・ファン・デルローエが解散に追い込まれるまでの14年間でしたが、当時他に類を見ない先進的な活動は、現代美術にも大きな影響を与えました。

 

 

ヴァルター・グロピウス

ヴァルター・グロピウス出典:Stiftung Exilmuseum

 

ヴァルター・グロピウスは、モダニズムを代表するドイツの建築家であり、バウハウスの創立者、初代校長でもあります。

(正式名称はヴァルター・アードルフ・ゲオルク・グローピウス。)

 

 

近代建築の四大巨匠ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に)の一人とされます。

 

 

 

グロピウスは若い頃に工科大学で建築を学び、卒業後にペーター・ベーレンスの事務所に入りました。(1908年-1910年)

 

 

このペーター・ベーレンスの事務所での在籍は1908年から1910年の2年間でしたが、ここでミース・ファン・デル・ローエ(後述)と出会っています。

 

 

 

また、ペーター・ベーレンスと同様にグロピウスもドイツ工作連盟に参加しました。

 

 

 

▼ベーレンスとドイツ工作連盟についてはコチラ▼

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1915年にアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデからドイツのワイマールにある工芸学校を託されたのち、1919年に統合され国立バウハウスが開校すると、グロピウスは初代校長となりました。

 

 

 

▼ヴェルデと工芸学校についてはコチラ▼

ミュシャ
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グロピウスは1928年に校長を退いたのち、ドイツで集合住宅の建築を行ったり、イギリスへの亡命を経て、その後アメリカでも超高層ビルの設計に携わりました。

 

 

 

ミース・ファン・デル・ローエ

ミース・ファン・デル・ローエ出典:CONMOTO

 

 

ミース・ファン・デル・ローエはモダニズム建築を代表するドイツ出身の建築家です。

(正式名称はルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ)

 

 

ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三大巨匠、あるいは、ヴァルター・グロピウスを加えて、四大巨匠と呼ばれる建築史に残る巨匠中の巨匠です。

 

 

 

 

Less is more.(より少ないことは、より豊かなこと)「God is in the detail」(神は細部に宿る)という建築業界に携わっている人間では知らない者は居ないくらい有名な言葉を残しました。

 

 

 

 

 

ミースは墓石や暖炉を扱う石職人を父に持ち、若かりし頃は大学で専門的な建築の教育を受けることはなく、職業訓練学校で製図を学びました。

 

 

1908年から1912年まで、ヴァルター・グロピウスと共にペーター・ベーレンスの設計事務所で建築を学びます。

 

 

 

1912年に独立し個人事務所を構えた後は様々な住宅作品を手掛け、1927年にはペーター・ベーレンスヴァルター・グロピウスル・コルビジェブルーノ・タウトらとともにドイツ工作連盟主催のシュトゥットガルト住宅展に参加し、集合住宅を建設しました。

住宅展 ミース出典:BAUHAUS Kooperation

▲シュトゥットガルトの集合住宅。17人の建築家が計21棟の住宅を建築し、ミースは4棟を担当。

 

 

 

1929年のバルセロナ万国博覧会で建設されたドイツ館、バルセロナ・パヴィリオンは鉄とガラスと石で構成された建築で、モダニズムの空間を実現したミースの代表作として有名です。

バルセロナ パビリオン出典:Pinterest

 

バルセロナ・バヴィリオン出典:Utility

 

バルセロナチェア出典:Pinterest

▲バルセロナ・パヴィリオンのためにデザインされたバルセロナ・チェア

 

 

バルセロナ・パヴィリオンのためにミースがデザインしたバルセロナ・チェア(後述)は、モダンデザインの傑作として知られています。

 

 

このパヴィリオンは博覧会終了後に取り壊されましたが、1986年に同じ場所に復元され、現在は『ミース・ファン・デル・ローエ記念館』となっています。

 

 

 

バウハウスの第3代校長を務めたミースは、バウハウス解散後にアメリカに亡命し、1969年に死去するまで精力的に活動を続け、数多くの作品を遺しました。

 

 

MRチェア

MRチェア出典:Smow

 

MRチェアは、1927年のドイツ・シュトゥットガルトの住宅展においてミース・ファン・デル・ローエが発表したチェアです。

 

 

スチールパイプに大きな弧を描くような柔軟性に富んだデザインを施したことで冷たく固いイメージであったスチールパイプを見事に美しい家具に変貌させたことで大きな功績を残しました。

 

 

また、この椅子には片側だけで荷重を支える建築構造のカンチ(カンティ)レバー構造を取り入れ、見た目にも優雅な印象を与え、重力から解放されたような軽快感を生み出すようデザインされています。

 

 

 

バルセロナ・チェア

バルセロナチェア出典:FLYMEe

 

1929年のスペイン・バルセロナ博覧会でドイツ館の設計依頼を受けたミース・ファン・デル・ローエがスペイン国王アルフォンソ13世夫妻のためにオットマンと共にこのバルセロナ・チェアをデザインしました。

 

 

 

このバルセロナ・チェアの最大のポイントは、脚部の『エックス型』のフレームデザインにあります。

 

 

 

通常椅子の脚部は鋼管を垂直に立てて座面を支えるような形状が取られますが、バルセロナチェアはスチールバーを使用して溶接して仕上げることにより、流れるような曲線でエックス型の脚部デザインを実現し、無駄のない完璧なフォルムを生み出しています。

 

 

 

ミースの「God is in the details(神は細部に宿る)」という言葉の通り、細部までこだわり抜いて作り上げられたデザインとなっています。

 

 

 

 

またエックス型のレッグのデザインは古代ギリシャの腰掛であるディフロスをモチーフにしたとも言われています。

 

 

▼古代ギリシャの折りたたみスツール『ディフロス』はコチラの記事から▼

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このバルセロナチェアの大ヒットによって『近代建築の3大巨匠』と呼ばれるミースの建築作品よりも家具デザインとして名声の方が高まってしまっている程です。

 

 

 

バルセロナチェアはMoMA(ニューヨーク近代美術館)にも永久コレクションされています。

 

 

ファンズワース邸

ファンズワース邸 正面 ファンズワース邸 ファンズワース邸

ファンズワース邸出典:Divisare

 

 

ファンズワース邸は、ミース・ヴァン・デル・ローエによって1945年から6年の年月をかけてアメリカイリノイ州に建てられました。

 

 

依頼主はシカゴの有名な腎臓内科医であるエディス・ファンズワースで、彼が週末にバイオリンを弾いたり、詩を翻訳したり、自然を楽しむための隠れ家、別荘でした。

 

 

四方をガラスで囲まれたモダンなファンズワース邸は、ミースの代表的な建築です。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
オフィスビルなどの建築を手掛けることも多かったミースは、柱や壁の少ない広い空間を『可動する間仕切り壁』を使って部屋の大きさを自由に変えることができる『ユニバーサル・スペースと言われる建築空間の概念を初めて作った人なんにゃ!

 

 

マルセル・ブロイヤー

マルセル・ブロイヤー出典:RTF

 

 

マルセル・ブロイヤーはハンガリー出身のモダニズムの建築家であり、家具デザイナーです。

 

 

1920年代、ブロイヤーはバウハウスで学びヴァルター・グロピウスに師事しました。

 

 

 

バウハウスで最も優秀で有名な学生の1人だったブロイヤーは、後にバウハウスの教官(マイスター)となり教鞭を執ることとなります。

 

 

 

バウハウスを退職後、彼はベルリンで個人事務所を開業し、住宅や商業施設のデザインを手掛けました。

 

 

 

この時期に、ブロイヤーはスチールパイプを使用した家具コレクションを設計しました。

ワシリーチェア』、『チェスカチェア』が代表作です。

 

 

ワシリーチェア

ワシリーチェア出典:Amvbiente direct

 

ブロイヤーの最も知られている作品は初めて曲げた金属パイプを使用した『ワシリー・チェア』です。

 

 

このパイプ椅子は1925年自転車のハンドルに着想を得て、画家であるワシリー・カンディンスキーの為にデザインされたチェアです。

 

 

 

この当時、椅子というものは木材を使用して作られる事が一般的でした。

 

 

そこにスチールパイプ(金属)を用いたという事がまず画期的で、まだ工業用の素材であった金属を家具の素材として利用したことで安価に、軽く、そして大量生産が可能な製品へ導く基礎を作りました。

 

 

自転車用の工具を使って簡単に組み立て・分解が可能です。

 

 

 

この作品の後からル・コルビジェミース・ファン・デル・ローエといった世界の大物デザイナーが家具にスチールパイプを使い始めたことを鑑みれば、いかにこのワシリーチェアがデザイン界に与えた功績が大きいかが伺い知れます。

 

 

チェスカチェア

チェスカチェア出典:Hive Modern furniture

 

チェスカチェア1928年にデザインされた、ワシリーチェアと並ぶブロイヤーの代表的な作品です。

 

 

ブロイヤーの娘のフランチェスカにちなんで名付けられました。

 

 

 

カンチレバー構造の名作として様々な利用シーンで使われており、最も有名な金属製チェアの1つにも数えられるほどの作品です。

 

 

 

カンチレバー構造とは『片持ち構造』のことで、通常は4本ある椅子の脚ですが、手前の2本のみで支え、椅子の奥が浮いたような状態になっている構造のことです。

 

 

 

後脚のない構造なので、腰を下ろした時の適度な弾力性によって快適な座り心地を実現していて、一本の屈強なスチールパイプがその荷重を支えています。

 

 

 

 

1930年代に入り、ドイツ国内でナチスが台頭すると、ユダヤ人のマルセル・ブロイヤーはロンドンに移住し、その後アメリカに渡ります。

 

 

ブロイヤーはアメリカでヴァルター・グロピウスの下でハーバード大学のデザイン学部の教授として働きました。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
ブロイヤーはアメリカに渡ってからは建築に専念して、パリのユネスコ本部ニューヨークのホイットニー美術館など、名建築を数多く残しましたにゃー。

 

 

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お疲れ様でした!

 

ここまで読んで頂きありがとうございます。

 

分かりにくい点やお気づきのことがあればメールでご連絡ください!

 

 

では、次回もお楽しみに!

 

 

 

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