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【20世紀の動き(3)−2】絶対に覚えておきたいミッドセンチュリーのデザイナー6選・後編【世界のインテリアの歴史⑯】

ダイヤモンドチェア

 

 

こんにちは、しけたむです。

 

 

この記事では

 

  • 「ミッドセンチュリーの有名なデザイナーについてもっと学びたい。」
  • 「椅子を買うならイームズ以外のチェアもいろいろ検討してみたい。」

 

 

という方々に向けて

 

絶対に覚えておきたいアメリカのモダン・デザイナー6選・後編を

 

分かりやすく画像つきでご紹介していきます。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
ミッドセンチュリーの時代の家具デザイナーは、チャールズ&レイ・イームズ以外にも有名な人物が多いですにゃ!暗記するだけでなく、他の人物との関わりを意識して理解すると生きた知識として身につきやすいですにゃあー

 

 

 

 

 

ミッドセンチュリーのアメリカン・デザイナーたち

②エーロ・サーリネン

エーロ・サーリネン出典:The New York Times

 

エーロ・サーリネン(1910 – 1961)は、フィンランド出身でミッドセンチュリーを代表する家具デザイナーとして有名ですが、本業は建築家です。

 

 

 

 

エーロ・サーリネンの父親であるエリエル・サーリネンも有名な建築家で、アール・ヌーボー様式の建築をフィンランドに多く建築し、アメリカへの移住後はアール・デコの超高層ビルデザインに影響を与えた人物です。

 

 

▼覚えていますか?アール・ヌーボーとアール・デコ▼

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エリエル・サーリネンはチャールズ・イームズの人生を変えただけでなく、多くのミッドセンチュリーのデザイナーにも大きな影響を与えた人物としても有名です。

 

 

▼イームズの人生を変えたサーリネン親子はこちらの記事で▼

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建築家エリエル・サーリネンの子、エーロ・サーリネンは13歳のときに家族でアメリカ合衆国に移住します。

 

 

 

その後、ミシガン州の『クランブルック美術学院』で教師をしていた父の講座に学び、在学中にチャールズ・イームズレイ・カイザー(レイ・イームズ)と知り合いました。

 

 

 

 

卒業後、27歳の時に父エリエルと共同で建築設計事務所を設立し、父と共に数々の設計を手がけます。

 

 

 

 

1940年、30歳の時にはチャールズ・イームズとともに、MOMA(ニューヨーク近代美術館)主催の「住宅家具のオーガニックデザイン」コンペに応募し、成型合板を使った椅子、棚、机を出品し6部門中2部門でグランプリを獲得しています。

エーロ・サーリネン MOMA 1940出典:MoMA

▲「住宅家具のオーガニックデザイン」コンペに応募した成形合板のチェア

 

1940 MoMA コンペ出典:MoMA

▲組み合わせによって何通りものパターンを作り出せるキャビネット

 

 

チューリップチェア

チューリップ・チェア出典:FLYMe

 

エーロ・サーリネンは建築家として生涯に多くの名建築を生み出し、アメリカを代表する建築界の巨匠ですが、彼の代表作と聞かれると、やはりチューリップチェアと答える人が多いのではないでしょうか。

 

 

 

 

チューリップチェア1956年にエーロ・サーリネンによりデザインされた椅子の名称で、椅子の形状がチューリップの花に似ていることから名付けられました。

 

 

 

 

アメリカのオフィス家具を扱う企業ノル(Knoll)へ向けてデザインされたもので、当初椅子はダイニングテーブルに合うような椅子としてデザインされました。

TWAフライトセンター チューリップチェア出典:Traveller

▲エーロ・サーリネンがデザインしたTWAフライトセンターのホテルに置かれたチューリップチェア

 

 

材質には基調となるアルミのほか、FRP(ガラス繊維強化プラスチック) がフレームに使用され、クッションには革やファブリックが使われています。

 

 

 

 

発売当時、チューリップチェアは曲線の美しさやFRPという新素材の使い方が時代の最先端を捉えた産業的デザインの典型と位置付けられていましたが、21世期となってもそのデザインが古くなる事はなく、まさに永遠のデザインと言えるでしょう。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
エーロ・サーリネンはシドニーの有名建築『オペラハウス』の建築設計コンペで審査委員をしてたんだにゃ。落選案の中からヨーン・ウツソンの案を強く推して、この案を最終的に優勝させたことでも知られているんだにゃ!

 

 

③ハリー・ベルトイア

ハリー・ベルトイア出典:BelーOeil

 

ハリー・ベルトイア(1915–1978)は、イタリア生まれのアメリカ人デザイナーで彫刻家でもあります。

 

 

 

ベルトイアは15歳の時に兄と共にアメリカのデトロイトに引っ越し、キャス工業高校でアートとデザインについて学び、デトロイト芸術工芸学校でジュエリー作りのスキルを学びました。

 

 

 

 

22歳になったベルトイアは『クランブルック美術学院』で学ぶための奨学金を受け取り、そこでチャールズ・イームズ、レイ・カイザー、フローレンス・ノルらに初めて出会うことになります。

 

 

 

 

その後、クランブルック美術学院で自ら彫金のクラスを設け、そこでジュエリーデザインと金属加工について教えました。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
ちなみにチャールズ&レイ・イームズの結婚指輪はベルトイアによってデザインされたんだにゃ、彼らはこの時とっても仲良しだったんにゃけどにゃあ・・・

 

 

 

ベルトイアが26歳の頃、同僚であったチャールズ&レイ・イームズ夫妻が結婚し、美術学院を退職。拠点をロサンゼルスに移し『レッグ・スプリント』の生産に取り掛かりました。

 

 

▼成形合板を使用したレッグ・スプリントはこちらでご紹介▼

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しばらくすると、レッグ・スプリントが大成功して大忙しだったイームズ夫妻から「一緒に仕事をしないか」と誘いを受けました。ベルトイアはこの誘いを快く引き受け、クランブルック美術学院を退職しロサンゼルスへ向かいます。

 

 

 

 

ここでベルトイアはイームズオフィスのメンバーとして彼らの会社であるエヴァンス社に入社し、成形合板部門として開発に携わり、イームズチェアの開発に大きく貢献する事になります。

イームズ ベルトイア出典:Harry Bertoia Foundation

▲イームズ夫妻が経営していたエヴァンス社では、戦争で使用される航空機の部品の製作も行っていた。翼の部品の前のベルトイア(左から4番目)とイームズオフィスメンバー(1945年頃)

 

 

しかしベルトイアは成形合板を家具使用することに少なからず不満を抱えていたとも言われており、チャールズ&レイ・イームズにこのように語りました。

 

 

「自然の木を強制的にねじ曲げて成形すること自体、不自然であり無益なことだ。」 

 

 

彼はジュエリーアーティストであり、彫刻家。
彼なりの理念や美学があったわけです。

 

 

 

また、チャールズ&レイ・イームズが1945年より多くの家具を世に発表するのですが、共に開発に携わったベルトイアのクレジット(名前)をどこにも掲載しませんでした。

 

 

 

 

そして翌年の1946年、ベルトイアはチャールズ&レイ・イームズらと決裂し、エヴァンス社から去ります・・・。

 

 

 

 

1950年、ベルトイアはクランブルック美術学院で共に学んだフローレンス・ノルとともに仕事をするために、アメリカ北東部のペンシルバニア州へ移り住みました。

 

 

 

 

フローレンス・ノルは、チャールズ&レイ・イームズらの家具を製造しているハーマン・ミラー社のライバルでもあるKnoll(ノル)のデザイナーであり、後の社長となる人物だったのです。

フローレンス・ノル出典:The Architect’s Newspaper

▲クランブルック美術学院で学んだフローレンス・ノルは、アメリカの建築家、家具デザイナーで起業家。オフィスデザインに革命をもたらし、オフィスインテリアにモダニズムデザインをもたらした。

 

 

フローレンス・ノルはクランブルック美術学院時代にベルトイアの作品を見て彼の才能に惚れ込んでいて、イームズの会社を去ったと聞いて、すぐにオファーを出しました。

 

 

 

 

ノルはベルトイアのセンスとデザインを完全に信頼していたので

 

「ここ(Knoll)ではベルトイアが何でも自由にデザインしていいわよ。おもしろいことがあったら報告だけすればいいから。」

 

と、なんでも許可して働きやすい場所を提供しました。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
お気づきかも知れませんが、このクランブルック美術学院からは世界を変えた偉大な巨匠がたくさん輩出されたんだにゃ!だからクランブルック美術学院は『アメリカのバウハウス』とも呼ばれているんだにゃあ〜

 

 

▼バウハウス?ならこちらの記事からどうぞ!▼

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ダイヤモンドチェア

ダイヤモンドチェア出典:名作家具とデザインの話

 

そんな中、1952年にベルトイアチェアコレクションのひとつであり、傑作として名を残すダイヤモンドチェアをKnollから発表しました。

 

 

 

 

ベルトイアはスチールワイヤーで作られたこのチェアを

 

「これは空気でできたチェアなんだ。だから全ての空間はこの椅子をすり抜けちまう。」

 

と語り、金属彫刻家のベルトイアらしい作品となりました。

ダイヤモンドチェア ハイバック出典:Knoll

▲ダイヤモンドチェアにはハイバックタイプとオットマンもデザインされた。このハイバックタイプは見た目が鳥のように見えることから「バードチェア」とも呼ばれた。クッションは着脱可能。

 

 

ハリー・ベルトイアによる一連のワイヤーチェアは1952年にKnollのニューヨークにあるショールームに展示され、デザインに優れたチェアは発売時から人気が高く、上々な滑り出しとなりましたが、ここで大きな問題が発生しました。

 

 

 

 

なんと、チャールズ&レイ・イームズが1951年に発表したチェア『イームズワイヤーチェア(DKR)』にそのデザインが酷似しており、特許を侵害しているとハーマンミラー社から訴えられてしまったのです。

DKR イームズ ワイヤーチェア出典:VNTG

▲ハーマンミラー社から販売されていた『イームズワイヤーチェア(DKR)』

 

 

それもそのはず、イームズワイヤーチェアはベルトイアがイームズオフィス在籍時の功績により開発され、製品化に至ったものだったのです。

 

 

 

 

皮肉な運命ですが、Knollとハーマンミラーは裁判で徹底的に争いましたが、Knoll側が敗訴「ハーマンミラーがKnollにワイヤーチェアを作るライセンスを与える」という形となりました。

 

 

 

しかしハリー・ベルトイアによる一連のワイヤーチェアは、ミッドセンチュリーモダンデザインを代表する傑作チェアのひとつとして、現在もKnollで作り続けられています。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
裁判後、ベルトイアは2度と家具製作は行わなかったんだにゃ・・・。でもエーロ・サーリネンに依頼されて金属彫刻を作ったり、金属アーティストとして充実した余生を過ごしたんだにゃ〜

 

④ジョージ・ナカシマ

ジョージ・ナカシマ出典:DocPlayer.net

 

ジョージ・ナカシマ1905 – 1990)は、正式名はジョージ・カツトシ・ナカシマ で日本名は中島 勝寿、アメリカの建築家であり、家具デザイナーです。

 

 

 

アメリカのシアトルの雄大な自然の中で育ったナカシマは、18歳の時にワシントン大学で林学について2年間学んだ後、建築学に転向して学び、24歳の時にハーバード大学大学院、その後マサチューセッツ工科大学で建築について学びました。

 

 

 

28歳の時に世界一周の旅に出て最初に渡ったパリで、ル・コルビュジェのスイス館が建設中で、ナカシマは新しい建築表現を見極めるために毎週のようにコルビジェの建設現場を見学しました。

パリ スイス館出典:DIVISARE

▲ジョージ・ナカシマの通ったパリにあるスイス館。ル・コルビュジェの主張した『新しい建築の5つの要点(近代建築の5原則)』が体現されている。

 

 

▼ル・コルビュジェの近代建築の5原則を再確認!▼

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翌年の1934年、ナカシマはパリを発ち日本にやってきて、帝国ホテル本館の建設の際にフランク・ロイド・ライトと来日したアントニン・レイモンド(レーモンド)の建築事務所に入所します。

 

 

 

当時、同僚には前川國男吉村順三がいました。

 

 

▼アントニン・レイモンド、前川國男、吉村順三はこちらの記事で▼

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レイモンドの事務所では、軽井沢聖パウロカトリック教会(長野県軽井沢町)の設計と家具を担当し、大工の手仕事による素朴でロマンティシズム溢れる作品を残しました。

軽井沢聖パウロ協会出典:Livedoor blog

▲鉄筋コンクリートの外壁と丸太の柱が使用されたポーチを持つ『軽井沢聖パウロカトリック教会』(1935年)

 

聖パウロカトリック教会出典:Wikimedia Commons

▲この教会のために作られた椅子は丸太を利用したシンプルなもので、後に誕生するナカシマの傑作家具を予見するものとなった

 

 

1941年、ナカシマが36歳の時に、多くの建築家が次々と新しい建築を試みていた西海岸の建築事情を知るため、カルフォルニアまで視察旅行にでかけました。

 

 

 

しかしそこで見た西海岸の建築は、ナカシマを失望させるもので、この体験をきっかけに建築家という職業に批判的になり、木工家具作家への道を目指すことになります。

 

 

 

そのときのことを、ナカシマは次のように回想しています。

フランク・ロイド・ライトの仕事が、私を特に失望させた。確かに、使われた形態は興味深く、世界の建築界に対して刺激的効果はあると思ったが、しかし、建築物の構造や骨組みは、どうにも不適当で、また労働者の技能も偽者であると思った。私は、私が初めから終わりまですべてを統合できる、何か新しい職業を探し出さねばならないと思った。そして私は、私の生涯の仕事として、木工作業を選ぶ決心をした。

出典:ジョージ・ナカシマと桂教会聖堂

 

 

1942年、太平洋戦争開戦により日系人強制収容のため家族とともに抑留されてしまいますが、ここで日系二世の熟練した大工と知り合い、基本的な木工技術の知識を得ることができました。

 

 

 

1943年、アントニン・レイモンドがナカシマ一家の身元引受人となってくれたことからアメリカ北東部のペンシルバニア州へと移住することができ、そこの農場で働きながら木工家具作家としての活動を本格的に開始します。

 

 

 

また、この土地はかつてシェーカー(シェイカー)教徒たちが開拓した場所であり、ナカシマはシェーカーの生き方や家具・工芸に大きな影響を受けました

 

 

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ナカシマチェア

 

ナカシマチェア出典:hive

 

そして1946年、ナカシマ41歳の時にKnollから量産向けの椅子『ナカシマチェア』を発表しました。

 

 

 

ナカシマストレートチェアとも呼ばれ、伝統的なウィンザーチェアに対するモダニズムによるアプローチが行われています。

 

 

 

ナカシマチェアは、自然で光沢のない仕上げと木目模様が特徴でアメリカンウォールナットヒッコリー(ウォルナットと同じクルミ科の木材)で製作されています。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
ナカシマチェアは、ウィンザーチェアやシェイカー家具からの影響も感じる優しくて素朴なチェアなんだにゃあ〜

 

 

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ラウンジアームチェア

ラウンジ アームチェア出典:桜製作所

 

1964年、61歳になっていたナカシマは、インドへ向かう途中で来日し、彫刻家・流政之(ながれまさゆき)の招きで香川県高松市の工房を訪ねます。

 

 

 

アメリカで木工作家としての道を歩みだしたナカシマが戦後はじめて日本を訪れるのは実に24年ぶりで、当時アメリカではすでに名声を得ていましたが日本ではまだ「新建築」などの雑誌で何度か紹介されていただけでした。

 

 

 

この時にナカシマは、彫刻家・流を中心に結成された高松の職人たちのグループ「讃岐民具連(さぬきみんぐれん)」の活動に賛同して、メンバーに加わります。

 

 

 

讃岐民具連とは、職人の技を生かしたプロダクトを高松から発信しようとする運動で、木工、石工、瓦、漆などの職人が参加していました。

 

 

 

これを機に、高松の桜製作所でナカシマ・チェアの製作がはじまり、1968年には日本での初めての本格的な展示会ラウンジアームチェアなどの家具を発表し、ナカシマは木工作家として日本でも注目されるようになりました。

 

 

 

その後は日本での展覧会も回を重ね、85歳で亡くなるまで精力的に活躍をしました。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
高松市の桜製作所では、現在もジョージ・ナカシマの家具を制作していて、納品まで何ヶ月も待つほどの人気なんですにゃ! 

 

 

⑤イサム・ノグチ

イサム・ノグチ出典:FASION HEADLINE

 

イサム・ノグチ1904 – 1988)は、ロサンゼルス生まれの日系アメリカ人で彫刻家、造園家、インテリアデザイナーです。

 

 

 

ノグチは3歳の頃に来日し、神奈川県にある茅ヶ崎市や横浜市で幼少を過ごし、14歳で単身アメリカへ帰国、インディアナ州の母親の知人宅で寄宿しながら高校へ通っていました。

 

 

 

高校卒業後、ノグチは19歳でニューヨークへ移りコロンビア大学医学部に入学し、日本から帰米してきた母とともに暮らすようになります。

 

 

 

そこでノグチは医学部に在籍しつつ、夜間には美術学校の夜間彫刻クラスに通い、入学してすぐに才能を発揮して、初の個展を開催しました。

 

 

 

ノグチは23歳の時に奨学金を得てパリに留学し、20世紀を代表する偉大な彫刻家『コンスタンティン・ブランクーシ』に師事してアシスタントを務めますが、1年後に奨学金の延長が認められずニューヨークに戻り、自身のアトリエを構えます。

ブランクーシ 彫刻 アトリエ出典:美術と歴史の旅にでかける

▲コンスタンティン・ブランクーシは、ルーマニア出身の20世紀を代表する独創的な彫刻家。抽象彫刻界に決定的な影響を与え、ミニマル・アートの先駆的作品を残した。写真はパリにある『アトリエ・ブランクーシ』。

 

 

その後、ノグチは第二次世界大戦が始まるまで日本やアメリカで個展を開催するなど活動します。

 

 

 

第二次世界大戦の勃発に伴い在米日系人の強制収容が行われ、アリゾナ州の日系人強制収容所に拘留されますが、芸術家仲間であるフランク・ロイド・ライトらの嘆願書により出所、その後はニューヨークにアトリエを構えました。

 

 

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ノグチ・テーブル

 

イサム・ノグチ コーヒーテーブル出典:MoMA

 

終戦後の1947年、ノグチはジョージ・ネルソンの依頼でノグチ・テーブルをデザインしました。

 

 

 

ノグチ・テーブルのデザインには、ノグチの現代彫刻に見られる生物を思わせるような有機的なイメージが反映されています。

 

 

 

彫刻のようなフォルムと日常的な機能性を見事に調和させたこの作品は、イサム・ノグチの最も有名で代表的なデザインのひとつです。

 

 

 

あかり(AKARI)

AKARI アカリ イサム・ノグチ出典:絵綴り

 

1950年、ノグチは46歳の時に再来日し、銀座三越で個展を開き、この時に日本では著名な建築家であるアントニン・レイモンド、丹下健三、谷口吉郎らと知りあいました。

 

 

 

翌年の来日の際には、岐阜市長の依頼で岐阜提灯をモチーフにした「あかり (AKARI)」シリーズのデザインを開始します。

 

 

 

日本の伝統産業である提灯産業は戦後の復興とともに電灯が普及したため低迷の一途を辿り、当時の市長が提灯産業の活性化のためにノグチに協力を求めたのです。

 

 

 

ノグチは提灯工場(現・株式会社オゼキ)を見学し、製作工程や材料について理解したその晩、さっそくデザインを起こし、10数種類ほどの試作をおこないました。

イサム・ノグチ あかり出典:Noguchi shop

▲イサム・ノグチと当時の株式会社オゼキの社長

 

その後も度々岐阜に向かい新作に取り組んだノグチのあかりシリーズは、200種類以上にものぼります

 

 

 

イサム・ノグチは、竹のフレーム手漉(す)きの和紙を通して暖かな光を放ち、日本の伝統的な素材を使用してモダンなデザインを家庭にもたらしました

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
ノグチさんは「家を建てるのに必要なのは部屋、畳、そしてあかりだけだ。」とよく言っていたそうだにゃ〜

 

⑥フィリップ・ジョンソン

フィリップ・ジョンソン出典:Phaidon

 

フィリップ・ジョンソン(1906 – 2005)は、アメリカのモダニズムを代表する建築家です。

 

 

 

ジョンソンはハーバード大学で哲学を専攻し、在学中に弁護士の父から譲られた株が高騰し、巨額の富を手にしました。卒業後はヨーロッパを巡り、古典建築及び近代建築に触れます。

 

 

 

 

1932年、26歳の若さでニューヨーク近代美術館(MoMA)の初代建築部長(キュレーター)となり、近代建築の紹介と評価の確立に大きな足跡を残しました。

 

 

 

 

1940年、34歳になったジョンソンは評論活動に飽き足らず、自ら建築家となることを決意して、かつて卒業したハーバード大学の今度は建築学部大学院に入学し、ヴァルター・グロピウスマルセル・ブロイヤーらに建築学を学びました。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
ジョンソンは第二次世界大戦終結後、またもやMoMAのキュレーターに返り咲くんだにゃ!

 

 

▼フィリップ・ジョンソンが師事したヴァルター・グロピウス、マルセル・ブロイヤーはこちらから▼

デ・ステイル
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ガラスの家

ガラスの家出典:DIVISARE

 

フィリップ・ジョンソンの建築家としてのデビュー作はガラスの家」(1949年)とよばれるコネティカット州に建築した自邸で、ミース・ファン・デル・ローエのファンズワース邸を思わせるような、プライペートも何も無いような建築でした。

 

 

 

▼ミース・ファン・デル・ローエとファンズワース邸もこちらの記事から▼

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ガラスの家は、時代としてはガラスや鋼鉄などを住宅設計における産業資材とした初期の例であり、ジョンソンはこのガラスの家に58年間も住み続けました。

ガラスの家 近影出典:DIVISARE

 

 

 

ちなみに美術評論家であり彼の長年のパートナーであったデービッド(デヴィッド)・ホイットニーも一緒に住んでいましたが、周囲は全てジョンソンの父親の遺産で購入した土地であるため、生活を覗き見されるようなことはありませんでした。

フィリップジョンソン デイヴィッドホイットニー出典:Christy MacLEAR

▲フィリップ・ジョンソン(左)とデヴィッド・ホイットニー(右)は生涯連れ添った

 

 

また1949年の完成以来、建物と装飾は元のデザインから変わっていません。

 

 

 

家具のほとんどは、1930年にミース・ファン・デル・ローエによって設計されたジョンソンのニューヨークのアパートからのものでしたし、さらにミースはジョンソンのために今では有名なデザインのデイベッドを特別にデザインしました。

ガラスの家 インテリア出典:DIVISARE

▲このガラスの家には寝室が無く、敷地内の別の場所で寝ていたそう

 

ガラスの家 デイベッド出典:DIVISARE

▲左にあるカウチがジョンソンの為にミース・ファン・デル・ローエがデザインしたデイベッド

 

 

AT&Tビル

AT&Tビル出典:Archdaily

 

AT&Tビルはニューヨーク州マンハッタンに1978年に着工し、1984年に完成した超高層ビルで、フィリップ・ジョンソンの他にパートナーのジョン・バーギーが設計を担当しています。

 

 

 

 

『AT&T』とは、ビル完成当時の所有者であるアメリカ企業の名称で、現在は550 マディソン・アベニューという名称になっていて、旧名は『ソニー・タワー』『ソニー・ビルディング』とも呼ばれていました。

 

 

 

 

 

1984年の完成当時、特徴的で装飾的なビルの最上部が議論の的となりました。

 

 

 

 

それはこのビルの最上部が、18世期の有名なイギリス人デザイナー『トーマス・チッペンデール』がデザインした家具に酷似していたからです。

トーマス・チッペンデール 本棚出典:Incollect

▲18世期のチッペンデール様式の本棚。頂部の装飾は確かに・・・似ている

 

ナンタルカ
ナンタルカ
「チッペンデール!」なんて言って笑いものにする人もいたらしいにゃ!ちょーっとだけ、似てるかも知れにゃいけど・・・ひどいにゃ!

 

▼トーマス・チッペンデール?となったらこちらから!▼

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また、エントランスには約七階分もの高さを持つ壮大なアーチ状の装飾がデザインされています。

このように構造としても機能としても無意味な装飾をデザインすることは、合理的で機能主義的だった近代モダニズム建築には見られないものでした。

AT&Tビル エントランス出典:dazeens

▲7階分もの高さがある壮大なアーチ状のエントランスはポスト・モダンを象徴するデザイン

 

 

フィリップ・ジョンソンはビルにデザイン性や装飾性を与えることで、味気のない機能主義や純粋に効率的な設計を求めたモダニズム建築に対して疑問を投げかけました

 

 

 

 

このような1980年代を中心に流行した「合理的で機能主義的となった近代モダニズム建築に対しその反動として現れた装飾性、折衷性、過剰性などの回復を目指した建築のこと」ポスト・モダン建築といいます。

 

 

 

 

当初は、ポスト・モダニズムという語で使われましたが、のちにポスト・モダンという呼び方で定着しています。

 

 

 

 

AT&Tビルが世間一般に与えた影響は、世界全体のポストモダン建築運動を正当化するものと見なされています。

 

 

 

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お疲れ様でした!

 

前編・後編に渡り、ここまで読んで頂きありがとうございます。

 

 

分かりにくい点やお気づきのことがあれば、メールでご連絡頂けましたら幸いです。

 

 

では、次回もお楽しみに。

 

 

 

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