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【古代の様式・前編】エジプト、ギリシャ文化の建築や装飾の特徴とは?画像で徹底解説します【世界のインテリアの歴史①−1】

パルテノン神殿

 

 

こんにちは、しけたむです!

 

この記事では

 

 

  • 「古代の遺跡や建築に興味がある。」
  • 「エジプトとギリシャ・・・違いがわからない。」

 

 

という皆様へ向けて

 

全ての建築や文化の源流である古代エジプトと古代ギリシャの建築様式について画像付きで解説していきます。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
いよいよ世界のインテリア編に突入ですにゃ!日本のインテリアと違って初めて聞くようなカタカナ単語がたくさん出てきますが、ひとつひとつ覚えていくにゃー

 

 

 

 

 

古代エジプトとは?

古代エジプト スフィンクス ピラミッド出典:Salon.com

▲ナイル川中流の西岸に位置する都市『ギザ』にあるスフィンクスとピラミッド

 

 

古代エジプトとは、紀元前5000年ごろからナイル川下流域に発達した古代文明で、紀元前3150年ごろに成立した統一国家のもとで、ピラミッドや神殿が建設され、象形文字が使われ、測量術・暦法などの科学技術を発達させました。

象形文字 ヒエログリフ エジプト出典:WIRED

▲古代エジプト人が使用した象形文字『ヒエログリフ』。4世紀頃まで残っていた読み手がついに絶え、その後は読める人間が居なくなったが、19世紀に研究者が解読し再び読めるようになった。

 

 

古代エジプトは紀元前3150年頃にナルメルという王がエジプトを統一して王朝を成立させてから古代ローマによって滅ぼされるまでの時代を指します。

 

 

 

 

またエジプトのイメージと言えば砂漠地帯であり、厳しい環境に思われがちですが、毎年氾濫を起こすナイル川が肥沃な土壌を下流に運ぶことで豊かな土地と穀物が育まれエジプト文明が栄えました。

エジプト文明 ナイル川出典:マナペディア

▲ナイル川の水源は南部にあるエチオピアで、北の地中海に向かって流れる。上流である南側地域を上エジプト、下流である北側地域を下エジプトと呼ぶ。

 

 

 

古代エジプトの建築と特徴

 

 

このエジプト文明は人類史上最も他の文明に影響を与えた文明と言われ、ナイル川の川岸にスフィンクスやピラミッドなどの巨大な建築物とオベリスクと呼ばれる記念碑がいくつも建造されました。

オベリスク ルクソール Luxor出典:旅狼どっとこむ

▲古代エジプトを代表する神殿『ルクソール』のオベリスク。ルクソール神殿のオベリスクは本来左右2本あったが、右側の1本(高さ22.55メートル)は1819年にフランスに贈られ、現在はパリのコンコルド広場にある。

 

ルクソール神殿出典:Wikimedia Commons

▲ルクソール神殿のオベリスク(第1塔門)から中に入ると『ラムセス2世の中庭(第1中庭)』がある。神殿の構造物は、エジプト南西部から採掘された砂岩が使用された。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
現在、世界に残っている古代オベリスクはぜんぶで30本だけにゃ!エジプトには7本、ローマには13本、残りはフランスやイギリス、中東やアメリカに散ったんにゃあ〜

 

 

 

乾燥地帯のエジプトでは日本と違って森林が育たなかったため、木材は不足気味でした。

 

 

 

このため、古代エジプトで主に用いられていた建築材料は日干しレンガの2つで、石は主に石灰岩砂岩花崗岩が使用されました。 石は主に墓や神殿専用の建材であり、一方でレンガは王宮や要塞、神殿境内や都市を囲う壁、あるいは神殿複合体の中にある補助的な建物を作るために用いられてきました。

エドフ神殿 ホルス神殿 古代エジプト出典:エジプトの旅

『エドフ神殿』はホルス神殿とも呼ばれる、紀元前237年から57年にかけて建造された古代エジプトの神殿。エジプトで最も保存状態の良い神殿のひとつ。

 

エドフ神殿 ホルス神殿 古代エジプト出典:エジプトの旅

▲石に刻まれたホルス神(中央)とオシリス神(左)。神殿に彫刻されたレリーフの多くは、エジプトを支配するために来たキリスト教信者により一部破壊されている。

 

 

 

日干しレンガはアドビ(アドベ)とも呼ばれ、ナイル川から採取した泥を型に流し込み、適度な硬さになるまで熱い太陽の光に晒して乾かした後、建材に用いました。

日干しレンガ出典:自然素材といのちの場/日干しレンガ

▲日干しレンガは古代から現代まで、長く使用されている建材のひとつ。レンガの型枠に土とわらや糞を混ぜたものを詰めて成形し、すぐに型枠から取り外す。数時間乾燥させた後、レンガを縦にして日陰でゆっくりと乾燥させると、ひびが入りにくい。

 

 

 

エジプトの神殿などに見られる石材の柱には、パピルスロータスのつぼみや花ヤシの葉といった植物を写実的に掘り出して表現しているといった特徴が見られます。

パピルス 柱 イシス神殿 フィラエ出典:Wikimedia Commons

▲エジプト南部のアスワンにある『フィラエ神殿』を描いたスケッチ(1838年)。石柱の柱頭にはパピルスロータスのつぼみ、天井にはハゲワシ、柱や壁にはヒエログリフ(エジプト文字)が彫られ、フレスコ画と呼ばれる絵画技法で鮮やかに装飾されていた。

 

 

パピルス 出典:Gardening Know how

パピルスはカヤツリグサ科の大型の多年草で、エジプトでは紙の原料として利用していた

 

 

ロータス 睡蓮出典:CGTN

ロータス睡蓮(スイレン)のこと。古代エジプトでは装飾に用いられたり、信仰の対象ともなっていた。

 

 

パピルス 古代エジプト 石柱出典:THE MET

▲上エジプト東岸にある『カルナック神殿』のパピルスなどいくつかの植物をモチーフとした柱頭(紀元前380〜343年頃)

 

 

古代エジプトの家具

 

ツタンカーメンの黄金の玉座』などの家具は、生活の道具ではなく、権威の象徴としての意味を持っていました。

 

ツタンカーメン 黄金の玉座出典:Desertcart

▲古代エジプト11代目の王『ツタンカーメン(即位BC1336~BC1327)』の墓に収められていた、2000点以上の副葬品の中の一つ

 

 

この黄金の玉座は全体が金箔で装飾され、太陽神に照らされたツタンカーメン王とアンケセナメン王妃が描かれています。

 

 

 

肘掛の先端には、玉座を護るライオンの像が彫刻されています。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
エジプト人は『パン食い人』と呼ばれるほど大量のパンを食べたんにゃ!コムギの他にもオオムギの栽培も盛んだったので、ビールも大量に消費されていたんにゃ。ワインも大人気で貴族だけでなく、市民にも広く飲まれていたんにゃー

 

古代ギリシャとは?

アクロポリス ギリシャ出典:Hotels.com

▲アテナイのアクロポリスの上に建てられた『パルテノン神殿』(紀元前438年完工)。アクロポリスとは「小高い丘」を意味する。

 

 

古代ギリシャ(ギリシア)とは、20万〜40万年前という太古にギリシャの地に人類が住み着いた石器時代から紀元前146年に古代ローマに支配される時代以前までの長い時代を指します。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
ギリシャかギリシアか、という表記の問題はよく聞かれますにゃ。明確な答えはありませんが、現代のニュースなどで報道されるときは「ギリシャ」、歴史などで語られるときは「ギリシア」と表記されるけど、どちらも同じ意味で間違いではないから気にしなくていいですにゃあ〜

 

 

古代ギリシャの都市国家はポリスと呼ばれ、エジプト文明に遅れて紀元前500年頃から本格的な繁栄がはじまり、『アテネ(ギリシャの首都アテネの古名)』を首都として科学・哲学、すぐれた芸術・文芸・建築、民主主義などの遺産を残しました

古代ギリシャ ギリシア 位置出典:そういち総研

▲エジプトから地中海をはさんで北西、ヨーロッパ南東部のバルカン半島南端の地域にアテネやスパルタなどのおもな都市国家があり、ここを「ギリシャ本土」と呼ぶ。ギリシア本土からみて東側のエーゲ海を渡った先にはアナトリア(今のトルコ)があり、西側の地中海を渡った先にはローマがある。

 

 

 

古代ギリシャはイラク・シリア・トルコやエジプトなどの西アジアの中心的な地域に比べると文明の発展は遅れていました

 

 

 

 

現在のイラクにあたる地域では、紀元前3500年前頃にシュメール人による最古の文明『メソポタミア文明』がおこりましたし、紀元前3100年頃には『エジプト文明』がすでに栄えていました。

 

 

 

 

古代ギリシャ人たちは、先行する西アジアの文明に学びながら自分たちの文明を築いてきたのです。

古代ギリシャ 建築 メトイコイ出典:Brewminate

▲古代ギリシャのポリス『アテナイ(アテネ)』での建築風景。建築作業には奴隷、もしくはメトイコイと呼ばれる外国人が使役された。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
すぐれた発見や芸術を残した古代ギリシャ人だって、さいしょは西アジアの模倣からスタートしたのですにゃ〜

 

 

古代ギリシャの建築とその特徴

ポセイドン神殿 古代ギリシア出典:トリップドットコム

▲ギリシャの首都アテネの南方約60kmにあるスーニオン岬の突端に建つ『ポセイドン神殿』は、海の守護神ポセイドンを祀る古代ギリシャの代表的神殿。紀元前480年ごろから建設が始まったが、建設途中にペルシャ戦争の被害を受けて倒壊し、紀元前444年ごろに現在残っている神殿が建設された。

 

 

一般的な古代ギリシャの建築様式は、遅くとも紀元前8世紀初期には完成されていたと言われています。

 

 

当時の神殿建築には木材が使用されていた為、このころの神殿は現存していません。

 

 

 

 

その後、紀元前6世紀中期頃には建築材料として次第にが用いられるようになります。

ヘラ遺跡 オリンピア出典:Picturesque Peloponnese

『ヘラ神殿』はギリシャ神話の女王ヘラに捧げられた古代ギリシア神殿で、オリンピアで最も古く由緒ある寺院。オリンピック聖火はこの寺院の祭壇で灯されている。紀元前590年頃の建設当初はオークを使用した木造だったが、徐々に石に置き換えられた。

 

 

古代ギリシャ建築は紀元前5〜4世紀頃に全盛期を迎え、パルテノン神殿(後述)をはじめとした多くの神殿建築が建てられました。

 

 

 

 

またアーチトンネルの活用など、工学的な進歩も見られましたが、その後古代ギリシャは領土とともにローマ帝国に飲み込まれ、紀元前1世紀以降はローマ建築に受け継がれました

オリンピア 古代競技場出典:Grobal Geography

▲古代ギリシャの都市『オリンピア』にある古代競技場の通路。現在は朽ち果てているが、アーチ状に積まれた石材が奥へと続き、トンネルとなっていた。ここを抜けると古代オリンピックが行われた競技場がある。

 

 

この『古代ギリシャ〜古代ローマの建築』は後世の人々から『古典(クラシック)』と呼ばれ、建築の規範として模倣され続けました

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
建築、インテリアの分野で「古典様式」とか「古典主義」とか言われた場合、指し示されてるのは古代ギリシャと古代ローマの様式や主義のことですにゃあ〜

 

モデュルス

 

 

古代ギリシャ建築の特徴の一つは、柱の直径、高さ、柱と柱の間、そして神殿の高さ、幅、長さの間に、秩序だった比例関係が用いられていることです。

 

 

 

 

このように建築を行う際に用いられる基準寸法がモジュールです。

 

 

 

 

当時の古代ギリシャではモジュールをモデュルス(モドゥルス)と呼び、基準寸法を神殿の柱(オーダー)の直径としていて「1モデュルス、2モデュルス・・・」というように使用していました。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
現代の日本では、家を建てるときのモジュールを畳1枚の大きさと同じ3尺×6尺(910mm×1820mm)という寸法で決めるのが一般的で、これは尺モジュールと呼ばれますにゃ。書院造でも木割(きわり)といった柱の太さの比例関係から寸法を決める手法が用いられていたんですにゃあ〜

 

 

 

このようなモジュールの概念は、オリンピアにあるゼウス神殿から用いられるようになったと言われています。

ゼウス神殿

ゼウス神殿』はアクロポリスの東側にある神殿で、オリュンポス十二神の最高神ゼウスを祀っていた。紀元前6世紀に建設が始まったが、建設の中断があり完成は2世紀のローマ帝国期に成し遂げられる。ギリシャからローマ帝国期までを通じて建てられた神殿の中で、この神殿は最大規模だった。

 

 

オーダー

オーダー

 

オーダーとは、古代ギリシャ〜古代ローマ建築の柱に用いられた柱頭の装飾のことで、古代ギリシャ建築の神殿は、ドーリア式イオニア式コリント式のいずれかを使用して構成されています。

 

 

 

日本語では「柱式(ちゅうしき)」と訳されますが、「オーダー」と呼ぶ方が一般的です。

 

 

 

 

オーダーは古代ギリシャがローマ帝国に支配された後にも建築され続けましたが、次第に重要性を失い、ローマ帝国が東西に分裂してからの様式(ビザンチン様式)では早い段階で一時的に消失しました。

 

 

 

 

しかしその後の歴史の中で何度もこのオーダーを使用した建築が見直され、しばしば復活して重要な建築装飾として現代に至るまで使用され続けています

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
現代ではヨーロッパではもちろん、日本をはじめ世界中でこのオーダーモチーフが使用されているのを見かけるはずだにゃ!古代ギリシャの神殿みたいに実際に建物を支える支柱としてではなく、単なる装飾として建築にくっついているケースが多いにゃあ〜

 

 

ドリス式オーダー

パルテノン神殿出典:Unsplash

▲古代ギリシャの最高峰の技術で建築された『パルテノン神殿』のドリス式オーダーは「古代建築物でありながら伝説的な美しさを持つ」とまで言われ、歴代建築家の規範として研究の対象であり続けた。

 

 

ドリス式(ドーリス式、ドーリア式)オーダーギリシャ建築で最も古いオーダーであると同時に、最もシンプルで力強い形状をしたオーダーです。

 

 

 

 

柱頭の装飾が少なく、柱は太く、上部に向かうにしたがって細くなり、エンタシス(柱の中央部の膨らみ)が顕著に現れています。

ヘラ神殿 ドリス式オーダー出典:Flickr

▲現存する最も古い古代ギリシャ建築であるオリンポスの『ヘラ神殿』のドリス式オーダー。建設当初は木造のドリス式オーダーであったと言われ、木造での建設時期は紀元前1096年とかなり古い。

 

 

アポロ神殿 コリント出典:goodhotels.ru

▲アクロポリス(アクロコリントス)にそびえる『アポロ神殿』。紀元前540年頃に完成したもので、典型的な初期ドリス式オーダー。柱が太く、柱頭の広がりがとても大きいのが特徴。

 

 

イオニア式オーダー

イオニア式 オーダー出展:Artstation

▲古代ギリシャの首都アテネのアクロポリスにある『エレクテイオン神殿』のイオニア式オーダー。紀元前5世紀末に完成したイオニア式建築の代表作であり傑作。

 

 

イオニア式オーダーは、紀元前6世紀半ばにイオニア人と呼ばれるイオニア地方(現在のトルコ)に植民した民族が作り始めたオーダーで、紀元前5世紀にはギリシャ本土でも用いられるようになりました。

 

 

 

 

柱頭に2つの渦巻き型装飾であるヴォリュートが組み合わされたオーダーです。

 

 

 

 

ローマ帝国の建築家はドリス式とイオニア式の2つのオーダーのデザインを比較して、

ドリス式は頑健な男性の身体のプロポーションを有するが如く、イオニア式はより繊細な女性の体のプロポーションを有するが如く

と、例えました。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
イオニア式オーダーの丸みを帯びた優美なデザインを、当時のギリシャ人たちは女性に例えたんだにゃー

 

 

アテネ エレクテイオン出典:Renaissance 

▲アテネのアクロポリスに立つ神殿『エレクテイオン』は純白の大理石で建造され、オーダーには現代に残るよりはるかに豪華な装飾が施されていた。

 

 

イオニア式 エレクテイオン出典:smarthistory

『エレクテイオン』のイオニア式オーダー近影

 

 

アポロ神殿 イオニア式出典:Turkish Archaeological

▲イオニア地方ディディマに建つ『アポロ神殿』は紀元前560~550年頃建てられたイオニア式オーダーを持つ神殿。紀元前494年に破壊され、紀元前313年再建に着手するも完成に至らず現在に至る。

 

 

アポロ神殿 イオニア神殿出典:Turkish Archaeological

『アポロ神殿』近影。黒くなっているのは紀元前494年、イオニアの反乱でペルシャ軍が放火した際の焦げ跡。

 

 

 

コリント式オーダー

コリント式 オーダー ゼウス神殿出展:Wikimedia Commons

ゼウス神殿』はアテネのアクロポリスの東側にある神殿で、オリンポス十二神の中の最高神であるゼウスに捧げられた神殿。紀元前6世紀に建設が始まったが、最大級の規模であった神殿の完成は700年後の2世紀、ローマ帝国の時代であった。

 

 

コリント式オーダードリス式、イオニア式に比べてやや細い柱アカンサスの葉がかたどられた装飾的な柱頭を特徴とするオーダーです。

アカンサス 葉出典:BUCCELLATI

▲アカンサスは大型の常緑多年草で地中海沿岸原産のギリシャの国花。アザミに似た形の葉を持ち、古来から建築物や内装などの装飾のモチーフとして頻繁に使用される。

 

 

コリント式という名は、古代ギリシャの都市国家(ポリス)のひとつである「コリントス」に由来すると考えられています。

 

 

 

 

コリント式の柱頭はイオニア式の柱頭にあるヴォリュートの装飾を豊かにした発展型であると考えられていて、コリント式柱頭をよく見るとアカンサスの葉の中にサイズが小さくなったヴォリュートがあるのが分かります。

ゼウス神殿 コリント式出典:Expedia

▲何度も工事が中断された『ゼウス神殿』は、当初ドリス式だったオーダーが途中でコリント式に変更された。アクロポリスの上にあるパルテノン神殿が遠くに見える。

 

 

コリント式 オーダー ギリシア出典:Athens Key

▲古代ギリシャ建築で使用されている様々なデザインのコリント式オーダーのスケッチ

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
コリント式オーダーが現れたのは古代ギリシャ時代の末期のことで、一般的に用いられるようになったのは次の時代、ローマ文化になってからのことですにゃあ〜

 

 

 

 

このように古典主義建築の源流とも言えるようなギリシャ建築でしたが、実はヨーロッパでは18世紀に古代ギリシャの遺構が発見されるまで、その存在は歴史から忘れ去られていたため誰も知りませんでした。

19世期 古代ギリシア 発掘 ヘラ神殿出典:DAI Blogs

▲1877年の『フィリペイオン』(写真手前の円形建築物)と『ヘラ神殿』(写真奥の長方形の神殿)の発掘現場。古代ギリシャの都市オリンピアにあるフィリペイオンは当時の王(フィリッポス2世)が戦に勝利した記念にゼウス神に献納するために建築したものと言われる。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
つまり、古代ギリシャの遺構が発見される18世紀ごろまでのヨーロッパ人たちの認識では『古代ローマが最も古い文明』ということで、『古典建築=ローマ建築』だったということなんですにゃ!

 

 

また、古代ギリシャの神殿建築古代ギリシャ人たちがゼロから創造した建築様式だと長く信じられてきましたが、さらに過去に存在したエジプト文明の建築様式に似ている部分(オーダーの使用など)も多く、エジプト文明からの影響による関連性については、現在では明確な答えが出ていません。

カルナック神殿 大列柱出典:福高寿禄会

▲古代エジプトの『カルナック神殿』にある134本の大列柱室。巨大な丸柱(オーダー)は古代ギリシャの神殿建築に酷似しており、影響が指摘されている。

 

 

古代ギリシャの代表建築

パルテノン神殿

ギリシャ パルテノン神殿出典:世界建築巡り

▲アテナイのアクロポリスにあるパルテノン神殿は、16km離れたペンテリコンという山から大理石を切り出して使用されている。何世紀にもわたり地震、火事、戦争、爆発、略​​奪に耐えてボロボロになった神殿は、現在では修復工事が進行中。

 

 

ギリシャ建築を語る上で外せないのは、このアテナイ(ギリシャの首都アテネの古名)のパルテノン神殿です。

 

 

 

パルテノン神殿は、古代ギリシャ時代にアテナイのアクロポリスの上に建設された、アテナイの守護神であるギリシャ神話の女神アテーナーを祀る神殿です。紀元前447年に建設が始まり、紀元前438年に完工、装飾工事はその後紀元前431年まで続けられました。

パルテノン神殿出典:Pinterest

▲アクロポリスの入り口は西側(写真下)にあり、プロピュライアと呼ばれる大きな門から入る。パルテノン神殿はアクロポリスのほぼ中央に建てられていて、神殿の北側(写真左)にはイオニア式オーダーが使用されている『エレクテイオン神殿』がある。

 

 

パルテノン神殿 想像図出典:The British Museum

▲パルテノン神殿の当時の想像図(ケイト・モートンによるイラスト)

 

 

パルテノン神殿は古代ギリシャ建築を現代に伝える最も重要な建造物の最高峰と見なされていて、装飾彫刻もギリシャ美術の傑作です。この神殿は古代ギリシャの象徴であり、世界的な文化遺産として世界遺産に登録されています。

パルテノン神殿 復元図出典:History

▲パルテノン神殿の完成当時の想像図。大理石には細かな装飾が施されていた。

 

 

パルテノン神殿が建設される前、この地には『古パルテノン』と呼ばれる今は無き女神アテーナーを祀った神殿がありましたが、紀元前480年のペルシア戦争にて破壊されたため、現在のパルテノン神殿が再建されました。

パルテノン神殿出典:History

▲完成当時のパルテノン神殿の想像図。内部には巨大な女神アテーナーの像が祀られていたが現在は紛失して行方はわからない。

 

 

その後時代が流れ、6世紀にはキリスト教に取り込まれてキリスト教の聖堂となったり、15世期にはオスマン帝国(現在のトルコのあたりから起こったイスラム教の大帝国でギリシャやローマ帝国も占領された)の占領によりモスク(イスラム教の礼拝堂)へと変えられたり、などと祀られる神も時代とともに変わりました。

 

 

 

 

17世期、オスマン帝国によって火薬庫として使われていたパルテノン神殿はヨーロッパからの攻撃によって爆発炎上し、神殿建築や彫刻などはひどい損傷を受けました。

 

 

 

 

19世期になると、オスマン帝国の了承を得た(らしい)イギリスの伯爵(第7代エルギン伯爵トーマス・ブルース)は、パルテノン神殿から焼け残った彫刻類を取り外して大量にイギリスに持ち去り、ロンドンの大英博物館に売却してしまいました。

 

 

 

 

売却されたパルテノン神殿の大理石の美術品は、現在もパルテノン・マーブル(エルギン・マーブル)の名で大英博物館に展示されています。

パルテノン・マーブル 大英博物館出典:The British Museum

▲大英博物館に展示されているパルテノン・マーブルの美術品。現在も返却交渉は継続中。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
ギリシャ政府は盗まれた彫刻の返却をイギリスに求めているのですが、実現には至っていないんですにゃあ〜

 

古代ギリシャの住宅建築

古代ギリシア 住宅出典:Found Ancient Greece

▲裕福な家には寝室、奴隷部屋、作業室、台所、浴室、貯蔵室などがあり、男女で生活スペースが分けられていた。『Andron(アンドロン)』は男性専用部屋で、男性をもてなす為にも使用された。

 

 

 

古代ギリシャの住宅は煉瓦造り、壁は漆喰(しっくい)塗りが一般的で、裕福な市民の家には『中庭』を中心として住居が造られ、2階建ての住居もみられました。

 

 

 

 

中庭は裕福な住宅の象徴であり、特に女性はそこで多くの時間を過ごしました。また、裕福な家にはしばしばプライベートな井戸を所有していましたが、ほとんどの市民たちは町の共用の井戸から水を得なければなりませんでした。

 

 

 

 

また、一般的な人々の住宅は1〜3部屋くらいで、オイルランプを買う余裕がなかったので日の出で目を覚まし、日没で眠りにつきました。

 

 

 

 

市民の住宅の建材には日干しレンガや木材が併用され、屋根瓦には泥を固めて乾燥させたものやテラコッタ(素焼きの焼き物)が用いられました。

古代ギリシア 屋根瓦出典:IKO

▲古代ギリシャの粘土の屋根は、平らな部分と湾曲した部分を組み合わせて雨が室内に侵入しにくい造りとしていた。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
日干しレンガで出来ていた壁は、泥棒が壊して家に侵入することがたびたびあったそうですにゃ!おちおち寝ていられないですにゃあ〜

 

古代ギリシャの家具

クリスモス

クリスモス出典:House Appearl

▲古代の遺物に描かれたクリスモス。当時のオリジナルは現代まで残っていない。

 

 

クリスモスは、反りのある脚や湾曲した背板を持つ婦人によく使用された椅子のことで、紀元前5世紀ごろに古代ギリシャで流行しました。

 

 

 

 

クリスモスにはアーム(肘掛け)が無く、前後のレッグは外側に大きく湾曲し、背もたれが座る人を包み込むように大きなカーブを描いているのが特徴です。

 

 

 

 

古代ギリシャ時代のレリーフや壺などで女性がモチーフになって座っていることが多いため「クリスモスは女性専用」と思われていましたが、実際には権力を持った身分の高い男女が座っていたと推測されています。

クリスモス チェア出典:danish

▲18世紀ごろに製作されたクリスモスチェア(デンマークデザインミュージアム)

 

 

古代ギリシャ人によって広く使用されていたクリスモスは、その洗練されたデザインとシンプルで廃れることのない美しさから、その後のヨーロッパの様々なインテリア様式の時代に幾度も登場し、今日でも古典的なデザインを現代的にリメイクして使用されています。

クリスモス チェア出典:House Appearl

▲20世紀の家具デザイナー『T・H・ ロブショーン・ギービングス』が現代的な解釈でデザインした『クリスモスチェア』

 

 

 

ディフロス

ディフロス出典:Andromeda of sparta

▲古代ギリシャの遺物に描かれている折りたたみ式スツール『ディフロス』(紀元前5世紀頃)

 

 

ディフロスは、正式名称を『ディフロス・オクラディアス』と呼び、古代ギリシャで用いられた背もたれの無い腰掛け折りたたみ式のスツールです。

 

 

 

 

クリスモスと同様に、古代ギリシャ時代のレリーフや壺などで女性がモチーフになって座っていることが多く、やはり権力を持った身分の高い男女が座っていたと推測されています。

ディフロス出典:Andromeda of sparta

▲ディフロスの交差した脚は、よく見ると獣の脚のデザインとなっている(紀元前5世紀頃)

 

 

ディフロスは軽くて持ち運びが簡単で、パルテノン神殿でも使用されていたことが確認されています。

 

 

 

このような折りたたみ式のスツールは、古くは古代エジプトで誕生したと推測され、そのデザインは古代ギリシャのディフロスと同じようなX字型のフレーム構造であったと言われています。

 

 

 

 

後にディフロスのデザインはローマ文化に引き継がれ、ディフロスと同じような折りたたみ式のスツールはヨーロッパに止まらず、中国や日本でも製作されました。

ディフロス出典:Pinterest

▲1963年に『T・H・ ロブショーン・ギービングス』によってデザインされたディフロス

 

 

 

クリーネ

クリーネ出典:Pinterest

 

クリーネは紀元前7世紀頃に古代ギリシャで使用された休息用の寝椅子で、現在のソファの原型とも言われており、ベッドと椅子の中間のような機能を持っていました。

 

 

 

 

クリーネは寝そべって使うために長方形で、4本の脚部は湾曲したもの獣の足をモチーフにしたものなど様々です。

 

 

 

 

クッションカバーについては革、羊毛、または麻や絹などが使用され、詰め物には羊毛、羽毛、葉、または干し草でできていた可能性があります。

 

 

 

 

この時代、一部の上流階級たちは食事を椅子に横たわって摂ることがあった為、このような寝椅子が重宝されました。

クリーネ出典:WIKIMEDIA COMMONS

▲クリーネに寝そべる男。すぐ下にはペットの犬、奥には全裸でこちらを見つめる男がいる。

 

 

 

 

 

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お疲れ様でした。

 

ここまで読んで頂きありがとうございます。

 

わからないことや分かりにくい箇所があれば、ぜひお問い合わせよりご連絡ください。

 

 

次回もお楽しみに!

 

 

 

 

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