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【中世の様式・後編】ロマネスク文化の建築や装飾、様式について画像で解説します【世界のインテリアの歴史②−2】

タペストリー ロマネスク

 

 

こんにちは、しけたむです!

 

この記事では

 

 

  • 「ロマネスクについて何もわからないから、さくっと概要だけ知りたい。」
  • 「そもそもロマネスクって、ローマとどんな関係があるの?」

 

 

という皆様へ向けて

 

ローマ帝国分裂前後からロマネスクの特徴や起こりについても、画像で解説していきます。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
古代ローマの建築の遺構を研究、流用、模倣して、なんとかかんとかキリスト教会を造りたい想いから生まれたのがロマネスク様式だにゃ!様式の完成まで600年近くかかった彼らの苦労のストーリーを紹介しますにゃあ〜

 

 

 

 

 

ロマネスク文化

ロマネスクの起こり

西ローマ帝国 滅亡出典:Wikimedia Commons

▲ゲルマン人によるローマ略奪(455年頃の様子)『Distruzione』(1836)

 

 

4世期末の395年、キリスト教を採用した強大なローマ帝国は東西に分裂(※)し、東ローマ帝国西ローマ帝国が誕生しました。

(※ゲルマン人という北ヨーロッパから来た民族が、フン族という中国方面から来た強敵に追われてローマ帝国の領土内に逃げ込んできて大混乱に陥った為。『ゲルマン人の大移動』

ゲルマン人 西ローマ帝国出典:旅をする記

▲分裂したローマ帝国は西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂。それぞれの位置は大体このあたり。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
ここまでは前回記事の『ビザンチン文化』で説明した内容の復習ですにゃ!

 

 

▼ビザンチン文化の記事についてはこちらからどうぞ!▼

アヤソフィア ハギア・ソフィア
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とにかくめちゃくちゃに強くて、ゲルマン民族が手も足も出なかった最強の民族『フン族』

 

 

なんとか逃げてきたゲルマン人たちは、ローマ帝国の領土内に入り大規模な略奪を行うなどしたため、ローマ皇帝は帝国の領土内にゲルマン人たちの国をつくることを認めざるを得なくなりました。

フン族 匈奴 出典:Wikimedia Commons

▲フン族を描いた19世期の歴史画。フン族は秦の始皇帝を苦しめて万里の長城建設のきっかけとなった匈奴(きょうど)の子孫とする説がある。

 

 

 

これによりゲルマン人たちはローマ帝国内のそれぞれの場所に自分たちの国を建てたのですが、彼らが建国した場所はほとんど西ローマ帝国の領土内でしたwww

ゲルマン人 西ローマ帝国出典:旅をする記

▲逆に東ローマ帝国の領土はほとんど影響を受けなかった為、その後1000年以上繁栄した

 

 

476年、混乱に陥った西ローマ帝国は弱体化し、ゲルマン出身の傭兵隊長オドアケルによって西ローマ帝国は滅ぼされこのオドアケルがイタリア王となりました。

ゲルマン人 ローマ略奪出典:Wikimedia Commons

▲ゲルマン民族によるローマ略奪(455年)

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
東ローマ帝国はというと、その後ビザンチン帝国って呼ばれて、西アジアの文化をどんどん取り入れビザンチン文化を作って1000年以上も繁栄したんですにゃ!西ローマ帝国は残念でしたが、その跡地から後のロマネスク建築やゴシック建築などが生まれるんだにゃ〜

 

 

東ローマ帝国が無事だった舞台裏ですが、彼らは『軍事力と経済力を高めてゲルマン人の侵入を最小限に食い止めていた』ということは当然あるのですが、実はいくつかのゲルマン部族に対して西ローマ帝国へ行くように計らっていたのでした。

 

 

 

 

こうして西ローマ帝国の消滅後、東ローマ帝国の皇帝が唯一のローマ皇帝として、東西含む全ローマ帝国の統治権を握りました

フォロ・ロマーノ出典:たびこふれ

▲ゲルマン民族によって滅ぼされた西ローマ帝国の遺構は19世紀に発掘され、現在は『フォロ・ロマーノ』と呼ばれローマの有名な観光地となっている。

 

 

ゲルマン民族による西ローマ帝国の滅亡後、ローマ帝国でキリスト教が公認されるとキリスト教会は支配力を増し、各地でキリスト教会堂を建設しようとする動きがありました。

 

 

ゲルマン人は初め、西ローマ帝国の跡地に残っていた建築物を再利用して更なる発展を目指したのですが、もともと文明と触れてこなかったゲルマン人たちにとって、すでに完成されたローマ建築をそのまま受け継ぐことは不可能でした。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
ゲルマン人たちは文字をもたず、都市を知らず、自然を崇拝し、厳しい自然環境のなかで素朴な生活を営んでいた民族らしいんだにゃ。いきなりキリスト教会堂を造ろうと思っても、何もできなかったんだにゃあ〜

 

 

西ローマ帝国に残っていた古典的教養のある建築家や技術に優れた職人はしだいに姿を消しローマ時代の石切場は生産を停止しました。

サン・ペドロ・デ・ラ・ナーベ聖堂 ゲルマン ロマネスク出典:Domus Pucelae

▲スペインにある『サン・ペドロ・デ・ラ・ナーベ聖堂』は、680−711年頃に建設されたキリスト教聖堂。大きな石を採る技術が無かったため、石垣のような外観となっており、まだ小規模な建物しか造れなかった。ゲルマン人たちの苦心した様子が伝わってくる。

 

サン・ペドロ・デ・ラ・ナーベ聖堂 彫刻出典:Domus Pucelae

▲ 同じく『サン・ペドロ・デ・ラ・ナーベ聖堂』の柱に施された子どもが彫ったかのような彫刻。ゲルマン人たちは古代ローマ人たちの技術に見よう見まねで追いつこうと頑張った。

 

 

 

 

・・・結局、ローマ建築を参考にしながらも、ゲルマン民族たちのオリジナルの建築様式を創造・確立するまでに600年もの歳月がかかってしまいました。

 

 

 

 

時間はかかりましたが、11世紀から12世紀ごろに異民族であるゲルマン人たちが苦労してようやく完成させた建築様式がロマネスク(ローマ風のと言う意味)です。

 

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
長々と説明してきましたが、ロマネスク建築は西ローマ帝国の人々が造りあげたローマ建築を参考にしながらも、すでに自分たちのことをローマ人と名乗り始めていたゲルマン民族たちが新しい要素を加えながら創った建築様式なんだにゃあ〜

 

 

▼ローマ人と名乗り出したゲルマン人たちが目指した建築▼

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ロマネスクの代表的建築

ピサ大聖堂

ピサの大聖堂出典:Travel book /ピサの大聖堂

 

 

ピサ大聖堂はイタリアのトスカーナ州、ピサに位置する「ピサのドゥオモ広場」に建てられた、ピサの斜塔があることで有名なロマネスク時代を代表する建築物の一つです。

 

 

 

このピサのドゥオモ広場はピサのアルノ川の河畔に位置する広場で、1987年にユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されています。

 

 

 

 

また、広場にはピサ大聖堂の他に洗礼堂や墓所回廊、そして傾きで有名な鐘塔(通称:ピサの斜塔)があり、これら複数の建築物が集合体として全体的に統一された外観を呈していることから、通称奇跡の広場とも呼ばれています。

ピサ大聖堂 ファサード出典:Wikimedia Commons

▲ピサ大聖堂のファサードは左右対象。色の違う大理石を交互に積み上げることによって、帯のような水平の縞模様になっている。

 

 

大聖堂の建設作業には多くの芸術家と建築家が携わり、1063年から1118年および1261年から1272年と2回に分けて建設されました。

 

 

 

大聖堂の建築には様々な建築技術や装飾手法が施されており、大聖堂を象徴する十字架型平面形ラテン十字形は、合理主義の傑作とも言われています。

ピサ大聖堂 ラテン十字形出典:GEOCHACING

▲バシリカ式のラテン十字形を採用した平面プランのピサ大聖堂

 

ピサ大聖堂 アプス 出典;SHEFALETAYAL

▲ロマネスク建築は石造りの為、重い重量を支える厚い壁が必要だった。その為、壁で屋根を支えるために窓などの開口部が小さいのが特徴である。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
壁が厚く、重苦しい雰囲気のロマネスク建築が、ゴシック建築になると大きく変わってくるんだにゃ!それはまた、次の記事で説明しますにゃあ〜

 

▼窓を大きくする方法を発見したゴシック建築はこちらから▼

ミラノ ドゥオモ
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ロマネスク建築の装飾

ヴォールト天井

ヴォールト ロマネスク 天井出典:ミカオ建築館

▲ロマネスクとゴシックはともにリブヴォールトがあるが、アーチの形が異なる

 

 

ヴォールトとは『アーチ(半円形、円弧状)型の天井』という意味で、ローマ帝国で発展し、キリスト教教会で多用されました。

 

 

 

ロマネスク建築では、巨大なヴォールト天井と、それを支えるための厚い壁小さな開口部が特徴です。

円筒ヴォールト ロマネスク出典:Enthusiastical

円筒ヴォールトヴォールトの最も単純な形態で、トンネルのような形状をしている。フランスの『サン・セルナン教会』(11−13世期建造)

 

 

ロマネスクではトンネル状のアーチである円筒ヴォールトを発展させて、側面からの採光がしやすい、円筒ヴォールトを十字にクロスさせた交差ヴォールトが用いられました。

交差ヴォールト 出典:Serch UW

▲円筒ヴォールトが交差したヴォールト天井を持つイギリスの『ウスター大聖堂』(11世期)

 

 

円筒ヴォールトや交差ヴォールトは古代ローマ建築でも使われましたが、ロマネスクでは技術不足によりヴォールトはやや不安定でした。

 

 

 

そこで肋骨という意味を持つ「リブ」と呼ばれる突起をアーチ状に架け、その上にレンガや石を積むリブヴォールトという天井が開発されました。

リブ・ヴォールト ロマネスク出典:ABBEY OF FONTEVRAULT

▲1119年に建築されたフランスの『フォントヴロー修道院』にあるアーチ状のリブヴォールト天井

 

 

リブヴォールトは不安定だったヴォールトを安定させるという効果以外にも、施工が容易になる天井が崩れにくくなる、崩れても修繕がしやすいという利点があります。

 

 

 

 

その後、ゴシック建築ではこのリブヴォールトのリブの組み方が尖頭アーチとなり、さらに大きな荷重に耐えることができる上に、開口部も大きく開けることが出来るようになるなどの発展が見られます。

 

 

▼発展したゴシック期のヴォールト天井はこちらから!▼

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アーケード

アーケード装飾出典:TABIZINE

▲11世期に建築されたスペインにある『サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院』のアーケード装飾

 

 

アーケードは、柱で支えられる連続したアーチやヴォールトのことで、またそれを用いた通路や歩道を指す言葉でもあります。

 

 

 

ロマネスク建築の一般的な装飾として多用されました。

 

 

 

アーチやヴォールトが横に連続しただけのシンプルな装飾である『アーケード装飾』は、ロマネスクに初めて用いられたというわけではなく、古代から用いられてきた基本的な装飾で、古代ローマ建築において発展を遂げました。

コロッセオ コロッセウム 出典:WIKIDATA

コロッセウム(コロッセオ)』はローマ帝国が西暦80年に建てた円形闘技場で、建設当時の正式名称はフラウィウス円形闘技場。火山灰を利用したローマン・コンクリート製で5万人から8万人が収容できた。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
ロマネスクの建築ではまだ複雑な建築や装飾ができなかった為、シンプルな装飾であるアーケードを多用したとも考えられますにゃ〜

 

 

アーケード装飾はバシリカ式教会修道院に用いられ、やがて開口部では無い、壁の表面に装飾としてアーケードを配置した『ブラインド・アーケード』も出現しました。

ブラインド・アーケード出典:Wikimedia Commons

▲スペインにある『サンタ・マリア・ラ・レアル・デ・サル参事会教会』は12世期に建築された教会で、初期のブラインド・アーケード装飾が見られる。

 

ピサ大聖堂 ブラインド・アーケード出典:Structurae

▲ピサ大聖堂のブラインド・アーケード。正面エントランスのファサードはブラインドでは無い。

 

 

 

タペストリー

タペストリー ロマネスク出典:Britannica

▲1066年のノルマン征服を描いた刺繡が施されたタペストリー。フランスのバイユー大聖堂で見つかった為『バイユーのタペストリー』と呼ばれる。(1070年代製織)

 

 

タペストリーは壁掛けなどに使われる室内装飾用の織物の一種で、タピスリー(フランス語)とも呼ばれます。

 

 

 

日本では、つづれ織り(平織の一種、太い横糸で縦糸を包み込むことで縦糸を見えなくして横糸だけで絵柄を表現する織物)に相当し、クッションカバーや絨毯(じゅうたん)などにも使用されている織り方です。

 

 

 

 

ヨーロッパへは、11世紀に十字軍(※)東方の産物として手織り絨毯(じゅうたん)を持ち帰ったのがタペストリーの始まりとされています。

(※十字軍とは、ヨーロッパ各地のキリスト教徒が中東エリアにあった聖都エルサレムをイスラム教徒のから奪還するために起こした遠征軍のことです。)

 

ナンタルカ
ナンタルカ
こちらの動画はゲルマン民族来襲から、ロマネスク時代とその後のヨーロッパ諸国成立、十字軍のことまでまるわかりにまとめているにゃ!理解を深めたい方はみてほしいにゃあ〜

 

 

 

アジア方面から略奪してきた美しく華やかな手織り絨緞(じゅうたん)を靴で踏むのは忍びなく思い壁にかけたところ「なかなかいけてるじゃん!」となり、部屋の装飾になるだけでなく、壁の隙間風を防ぎ断熱効果が得られることから、その後も壁に掛けて使用されるようになりました。

 

 

 

 

ここからヨーロッパでの需要が高まり、ヨーロッパ内で生産できるつづれ織りのタペストリーが生まれました。

タペストリー 12世期出典:Wga

▲大天使長ミカエルが描かれたタペストリー(12世期中から後期)

 

 

タペストリー 12世期出典:Wga

▲『The Concord of Church and State(政教分離原則)』(12世紀後期)

 

 

装飾的なタペストリーが中世ヨーロッパで隆盛を極めたのは、持ち運びができることが大きな理由のひとつでした。

 

 

 

王たちや貴族たちは屋敷やヴィラ(別荘)や旅先へタペストリーを丸めて持ち運び、到着すると壁に掛けて楽しみ、キリスト教会では特別な日などに聖書の場面を表したタペストリーを取り出して飾りました。

 

 

 

 

寒い冬の時期は、防寒用として熱を逃がさないために城の部屋の壁にタペストリーを飾ることもあり、このような理由からタペストリーは絵画以上に貴重な工芸品として取引されていました。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
ロマネスクのタペストリーは、まだまだお絵かきレベルの粗い織り方だったんにゃ!これから時代が進むにつれて、どんどん緻密で精細な芸術品がヨーロッパから生まれてくるんだにゃあ〜

 

 

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お疲れ様でした。

 

ここまで読んで頂きありがとうございます。

 

 

わからないことや分かりにくい箇所があれば、ぜひお問い合わせよりご連絡ください。

 

 

次回もお楽しみに!

 

 

 

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