NEW POST

【禅宗文化と城郭建築のインテリア】禅宗に関わる用語と代表的な城郭について解説します【日本のインテリアの歴史④】

狩野永徳 唐獅子図

 

 

こんにちは、しけたむです。

 

 

この記事では

 

  • 「スティーブ・ジョブスも触発された禅の精神について学びたい。」
  • 「寺社仏閣だけではなく、城郭建築にも興味がある。」

 

 

という方に向けて

 

 

禅宗文化と城郭建築のインテリアについて分かりやすく画像付きで解説していきます。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
禅宗と聞いても馴染みが無い人も多いかもですが、実は日本人の生活にとっても大きな影響を与えている文化なんですにゃ。禅についてはとっても奥が深いので、まずはインテリアコーディネーター資格試験で出る範囲だけ覚えればいいですにゃあ〜

 

 

 

 

禅宗(ぜんしゅう)文化のインテリア

そもそも『禅』ってなんですか?

禅 ZEN 枯山水

 

 

皆様は『禅』とは何か、ご存知でしょうか。

 

 

 

禅という言葉について馴染みがあるのは『坐禅(座禅)』ですね。

 

 

 

 

坐禅とは坐(すわ)って行う瞑想のことで、『禅』という言葉は『坐禅』の略語として同じ意味を持ちます。

 

 

 

 

それにしても、「禅ってなに?」と聞かれると、おそらく返す言葉に窮してしまうのではないでしょうか。

 

 

 

 

という言葉は、仏教用語として『心が動揺することのなくなった状態』を意味する サンスクリット語「ध्यान( dhyāna、ディヤナ)」の音写(聞こえた音をそのまま日本語に当てはめること)である禅那(ぜんな)が略されて『禅』となったと伝えられています。

 

 

 

 

そして日本において、坐禅修行を主とする仏教宗派のこと禅宗という総称で呼んでいるのです。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
『禅宗』という宗派があるわけではないことに注意にゃ。坐禅修行を行う宗派の総称のことにゃから、イチゴやリンゴを『果物』と総称するのと同じことですにゃあ〜

 

 

 

日本の禅宗には、臨済宗(りんざいしゅう)、曹洞宗(そうとうしゅう)、黄檗宗(おうばくしゅう)という3つの宗派があります。

 

 

 

 

禅宗では宗派ごとの違いはありますが『経典を重視せず、座禅や師匠との問答などの修行を通し、自らの仏性を自覚する』ことを目指しています。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
自らの仏性・・・ナンタルカにはちょっと難しいにゃあ〜・・・

 

 

禅の起源

出典:Quora Who is Bodhidharma and what did he do?

▲日本で有名な縁起物の『だるま』はインド人の『菩提達磨(ぼだいだるま)』がモチーフとなっている

 

 

禅の起源は古代中国にさかのぼります。

 

 

 

禅の始祖は『菩提達磨(ぼだいだるま)』というインド人の仏教僧です。

 

 

 

 

サンスクリット語の『ボーディ・ダルマ』という名前を音写(※)したのが菩提達磨であり、ダルマとは『法』を意味する言葉です。

(※ある言語の語音を、他の言語の文字で書きうつすこと)

 

 

 

 

菩提達磨は5世紀から6世紀の人で、中国に渡り『釈迦』の弟子として禅を体系化して広めました。

 

 

 

 

達磨によって伝えられた禅はやがて鎌倉時代の日本にも伝わり、室町時代には禅宗文化が武士層を中心として大きなムーブメントとなります。

 

 

 

 

既出の書院造や、枯山水の庭絵画や茶道などの芸道まで、現代に通じる日本文化のあらゆるものがこの禅宗の影響を受けています。

 

 

 

▼禅宗が影響を与えた茶室のインテリアはこちら!▼

千利休 侘茶
【茶室のインテリア】千利休で有名な侘茶の歴史と茶室の建築について画像を使って解説します【日本のインテリアの歴史⑤】この記事では千利休で有名な茶室のインテリアについてわかりやすく解説しています。 中国から茶が伝わり、村田珠光や武野紹鷗によって広められた歴史や、茶室で使用されるエレメントについて学習しましょう。インテリアコーディネーター、建築士などの資格勉強、歴史の勉強にも最適。ぜひご活用下さい。...

 

 

 

 

ジョブスも虜になった『禅』

ジョブス 禅 Zen出典:ニッポンドットコム

 

 

日本のインテリアについて学んでいると、ということばがよく登場します。

 

 

 

あのスティーブ・ジョブスも禅の精神に触れ、日本に通い、禅の心について学んだと言われています。

 

 

 

 

生まれた直後に養子に出されたジョブズは、若い頃から精神世界に没頭し、大学を中退した19歳の頃には当時のヒッピーの通過儀礼ともいえるインド放浪に旅立ち、1カ月を過ごします。

 

 

 

 

 

その際に、ジョブスは精神世界に関する書物を読み漁り、最後にジョブズが拠り所としたのが、でした。

スティーブ・ジョブス 禅出典:ニューヨークの遊び方

▲1982年のジョブズの自宅の様子。何でも完璧主義だったジョブズは満足のゆく家具が見つからず、写真のようなガランとした部屋に住んでいた。

 

 

 

ジョブスは坐禅によって自分の中の精神の深層世界まで降りてゆき、普段のモノの見方とは違う、もう一つの別からの視点をキープしようとしました。

 

「自分は一体なにを望むのか。」

 

それを探るのがジョブスの究極のマーケティング・リサーチであり、その為に坐禅を使っていました。

 

 

 

 

 

自分の深いところから来るものを作るから、Apple製品は顧客の深いところを揺さぶる力を持っていたのでした。

スティーブ・ジョブス APPLE出典:The Newyork Times

▲数々の革新的な製品を発表し続けたスティーブ・ジョブス。2007年のiPodイベントにて。

 

 

もともと新しくてスマートなものには目がないアメリカのIT企業は『ジョブズの禅』に触発され、こぞって禅を社員プログラムに取り入れ始めました。

 

 

 

 

膨大な情報の海に溺れかかっていた知的エリートたちは、情報と自分を統御する術を禅に見いだそうとしています。

 

 

 

 

グーグル、インテル、IBM、フェイスブック、そしてその流れは米国防総省、米農務省にも及びます。

マインドフルネス 瞑想出典:Culturia

▲ リーダー育成や社員の能力開発のため、GAFAで導入されるマインドフルネス

 

 

ジョブズによりスタイリッシュなイメージをまとった新たな禅のうねりは、宗教色を排した『マインドフルネス』という名称のもとで欧米に拡散し、日本に逆輸入されています。

 

 

 

禅宗文化のインテリア用語

方丈(ほうじょう)

出典:浄土宗総本山知恩院

▲京都にある浄土宗総本山知恩院の方丈

 

 

方丈(ほうじょう)とは禅宗の長老や導師などの尊い人が住む部屋のことです。

 

 

 

 

「方」には四角形の意味があり、「1丈(約3m)」四方の広さの部屋であったことが、方丈の語源となりました。

 

 

 

 

生活の場である部屋を意味することばなのですが、住職や師匠など人に対しても方丈と呼びます。

 

 

 

 

方丈の中で、坐禅をする部屋を特に室中(しつちゅう)といいます。

 

 

 

 

また、現在の玄関(げんかん)ということばの語源はこの『方丈の出入り口』という意味から来ています。

 

 

 

 

庫裏(くり)

金閣寺 庫裏出典:金閣寺-御朱印

▲1602年創建、1835年に再建された金閣寺の庫裏

 

 

庫裏(くり)とは、寺務所兼台所のことです。

 

 

 

一般的には台所の役目を担っていますが、食堂も庫裏に含まれることが多いです。

 

 

 

 

禅宗寺院の庫院(くいん)から起こったことばで、庫裡とも書かれます。

 

 

 

 

小さな寺院では、本堂に方丈庫裏を合わせて構成されています。

 

 

 

 

眠蔵(みんぞう、めんぞう)

眠蔵出典:関西の巡礼地

▲京都大徳寺にある眠蔵は1964年の改修工事で1502年の創建当初の姿に復元された

 

 

眠蔵(みんぞう)とは、寝室のことです。

 

 

 

家具をしまっておく納戸のことも眠蔵と呼ばれ、寝室が納戸と隣接していることも多くあります。

 

 

 

 

一般的には寝るだけのスペースなので、広くはありません。

 

 

 

眠蔵は、眠堂(めんどう)といわれることもあります。

 

 

 

 

曲彔(きょくろく)

 

曲ろく、交椅出典:精選版 日本国語大辞典/きょくろく

 

 

曲彔(きょくろく)とは、僧が法事の際や法会などで座る椅子です。

 

 

 

 

鎌倉時代に中国の宋から伝来したもので、背もたれが大きく曲がっている独特の形状をしています。

 

 

 

 

曲彔ということばは曲彔木(きょくろくぎの略で、『木を削(はつ)る(そぎ落とす)』という意味なので、木を削って曲線をつくった椅子ということになります。

曲碌 仏具出典:お仏壇ちゃんねる

▲僧が法事のときに用いる椅子として、現代でも使われている曲碌。写真は座面が回る回転曲碌。

 

 

脚部がX型に交差したデザインで、折りたたみができるタイプのイスのことを交椅(こうい)とも呼ばれます。

 

 

 

塗装は朱色や黒の漆で塗られ、金具には装飾が施されるものもありました。

 

 

 

 

胡床(あぐら、こしょう)

胡床出典:仏壇屋滝田商店

 

 

胡床(あぐら、こしょう)とは、中国北方の胡国から古墳時代に日本へ伝えられたという、一人用の折りたたみ式の腰掛けで、床几(しょうぎ)とも呼ばれます。

 

 

 

平安時代以降は、貴人の神社参拝・儀式などに使用されています。

 

 

 

 

腰掛け用として儀式に用いられたり、後世には武家が野戦時に用いるほか、鷹狩りでも利用されました。

竹中半兵衛 胡座 床几出典:Wikimedia Commons

▲戦国時代の肖像画では胡床(床几)がよく描かれている『竹中重治(半兵衛)肖像画』

 

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
禅宗の影響として、芸術の分野では水墨画を使った襖絵が主流となったにゃ!画家の雪舟(せっしゅう)さんは水墨画家として有名ですにゃー

 

 

 

将軍の邸宅

足利義満の邸宅

金閣寺 鹿苑寺

▲鎌倉時代、金閣寺が建っている土地には西園寺という寺院と山荘があった

 

 

鎌倉時代から室町時代の将軍の邸宅は、貴族たちが所有していた領地や邸宅を受け継いで住まうことがありました。

 

 

 

 

現在の鹿苑寺(金閣寺)の建っている土地は、鎌倉時代の1224年頃には藤原公経(ふじわらのきんつね)という貴族の土地で、西園寺(さいおんじ)という寺院を建立し、山荘(北山第:きたやまだい)を営んでいました。

 

 

 

 

 

しかし西園寺公経(藤原公経が西園寺建立後、改名)は、後醍醐天皇暗殺の疑いで領地を全部没収された上で処刑されてしまい、その後の1397年に室町幕府の3代将軍足利義満が譲り受けました

足利義満出典:Exhibition Kyushu National museum

▲足利義満は北山山荘(後の鹿苑寺)に金閣寺を建立し、優美で華やかな北山文化を開花させた

 

 

足利義満は手に入れたこの土地で改築と新築を行い、北山山荘(北山殿、北山第)という別荘を造り上げます。

 

 

 

 

北山山荘の規模は御所(足利家の邸宅)に匹敵し、政治中枢のすべてが集約され、公的な行事の場として用いる寝殿のほかに、日常生活に使用される様々な部屋が充実していました。

 

 

 

 

1399年には、金閣寺の初代建物(※)が完成したと推定されます。

(※当時の金閣寺は火事により焼失し、現在の金閣寺は1955年に再建されました。)

 

 

 

 

この北山山荘は足利義満の死後、遺言により禅寺(禅宗のお寺)とされ、義満の法号(戒名)「鹿苑院殿」から鹿苑寺と名付けられ、現在に至ります。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
足利義満が建てた北山山荘の別名『北山殿』の読み方は、『きたやまどの』だにゃ!『きたやまでん』ではにゃいから、気を付けてにゃあ〜

 

 

足利義政の邸宅

銀閣寺 慈照寺▲足利義政が金閣を模して造営した銀閣

 

 

室町幕府の8代将軍足利義政は、1482年より京都の東山に東山山荘東山殿:ひがしやまどの)の造営を初めました。

 

 

 

東山山荘は義政の別荘であり、造営工事は義政の死の直前まで8年にもわたって続けられました。

 

 

 

 

義政自身は東山山荘の完成を待ちきれず、工事開始の翌年である1483年には東山山荘の敷地内に移り住み、書画や茶の湯に親しみながら、風流な隠遁生活を送っていました。

足利義政出典:The japan times

▲義政は北山文化を受け継ぎ、禅宗の影響をより強く受けた簡素で洗練された深みのある東山文化を開花させた

 

 

東山山荘の敷地内には大規模な建物(※)が建ち並び、義政の祖父で第3代将軍足利義満が建てた北山山荘ほどではないですが、ある程度政治的機能も持っていました。

(※現存する当時の建物は、観音堂である銀閣東求堂のみ。)

 

 

▼東求堂について「⁉︎」となったらこちらをどうぞ▼

書院造 慈照寺 東求堂同仁斎
【書院造のインテリア】寝殿造との違いや書院造の特徴を画像で丁寧に解説します【日本のインテリアの歴史③】この記事では書院造のインテリアについてわかりやすく解説しています。 まずは寝殿造との違いについて理解をして、書院造の特徴である用語について覚えましょう。床の間の用語やエレメントについても画像を見ながら確認しましょう。インテリアコーディネーター、建築士などの資格勉強、歴史の勉強にも最適。ぜひご活用下さい。...

 

 

 

1490年、死去した義政を弔うため東山山荘を禅寺に改め、義政の院号(戒名)である『慈照院殿』にちなみ、北山山荘は銀閣寺として有名な慈照寺と名付けられました。

 

 

 

なお、この慈照寺の造営自体が完了したのは義政死去後でした。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
慈照寺に現存している観音殿を「銀閣」と呼びますが、「銀閣寺」とは呼ばないんだにゃ。「銀閣寺」というのは慈照寺全体の通称のことなんだにゃあ〜

 

 

城郭(じょうかく)

代表的な城郭建築

安土城出典:フォートラベル

▲織田信長が滋賀県に築いた『安土城』(1576年)

 

 

城郭とは、いわゆる『』のことです。

 

 

 

そして城は、敵を防ぐために土や石で堅固に築いた建物や設備のことを指します。

 

 

 

 

多くの城郭が建築された安土・桃山時代は、ポルトガルやスペインとの貿易が始まった時期で、西洋文化から大きな刺激を受けた時代でもあります。

 

 

 

 

代表的な城郭建築として、かの有名な織田信長が現在の滋賀県近江八幡市に築いた安土城があります。

安土城 天守閣出典:Medium

▲1992年のスペイン万博にて展示された『安土城天主』。最上部の5階6階を原寸大で復元した。

 

 

安土城は1576年に築城し、地下1階地上6階建て、天主の高さが約32メートルもあり、本格的な天守閣(てんしゅかく)(※)を持つ、極めて独創的なデザインの城郭建築でした。

※天守閣とは

 

城郭の中心にある建物『本丸』の高層にある櫓 (やぐら)のこと。

単に「天守」とも言う。

 

接見(せっけん:偉い人同士で会う)』

物見(ものみ:遠くを見渡す)』

貯蔵

という機能がある。

 

 

 

 

他にも天守閣を持つ城郭として、大阪城姫路城伏見城などがあります。

大阪城

▲1583年に築城された『大阪城』。現在の大阪城は江戸時代に再建されたもの。

 

姫路城

▲1346年に築城された『姫路城』。『白鷺城(はくろじょう)』とも呼ばれ、当時の天守と櫓が現存している。

 

伏見城

▲1592年に築城された『伏見城』。1619年に廃城後、天守は二条城に、その他の建物部分も解体され全国各地の城に吸収された。現在の伏見城は「伏見桃山城キャッスルランド」に建設された鉄筋コンクリート造の模擬天守。

 

 

これらの城内には書院造が用いられることが多く、その内部は金銀の箔を用いた狩野派(かのうは)の障壁画や、欄間や扉の蒔絵や鋳金金具などによって、豪壮、華麗な装飾が隙間なく施されていました。

 

▼書院造・・・ってなんだっけ?な方はこちらから!▼

書院造 慈照寺 東求堂同仁斎
【書院造のインテリア】寝殿造との違いや書院造の特徴を画像で丁寧に解説します【日本のインテリアの歴史③】この記事では書院造のインテリアについてわかりやすく解説しています。 まずは寝殿造との違いについて理解をして、書院造の特徴である用語について覚えましょう。床の間の用語やエレメントについても画像を見ながら確認しましょう。インテリアコーディネーター、建築士などの資格勉強、歴史の勉強にも最適。ぜひご活用下さい。...

 

 

狩野派

狩野元信 琴棋書画図屏風出典:THE MET

▲室町時代の絵師 狩野元信の『琴棋書画図屏風』(16世紀中期)

 

 

狩野派(かのうは)とは日本絵画史上最大の画派で、室町時代中期(15世紀)から江戸時代末期(19世紀)まで

約400年にわたって活動し、常に画壇の中心にあった画家のプロ集団です。

 

 

 

 

親や兄弟などの血族関係を主軸とした画家集団で、約4世紀間の長期にわたって一国の画壇に君臨したという点で、世界的にも稀であり類を見ないものでした。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
それでは、狩野派の代表的な絵師さんをご紹介いたしますにゃ!

 

 

狩野正信(かのうまさのぶ)

狩野正信出典:Ohmi Gallery

▲狩野正信の1400年ごろの作品。無題であった為、オークションの際に『Birds,Trees,Flowers』と付けられた。

 

 

狩野派はまず、室町幕府の御用絵師となった狩野正信(かのうまさのぶ)(1434? – 1530)を始祖とします。

 

 

 

狩野正信は、水墨画を中心とする漢画(中国絵画)大和絵(日本画)を使い分け、その現実的で平明な画風が好まれて、狩野派の基礎を築きました。

 

 

 

狩野元信(かのうもとのぶ)

狩野元信 大仙院花鳥図出典:世界の歴史まっぷ

▲狩野元信の『大仙院花鳥図』

 

 

狩野元信(かのうもとのぶ)(1476 – 1559)は室町時代の絵師で、狩野正信の子です。

 

 

 

父である正信の画風を継承するとともに、漢画(中国の絵画)の画法を整理しつつ大和絵(日本の絵画)の技法を取り入れ、書院造建築の装飾にふさわしい日本的な障壁画様式を確立しました。

 

 

 

狩野永徳(かのうえいとく)

狩野永徳 唐獅子図▲狩野永徳の『唐獅子図』

 

 

狩野永徳(かのうえいとく)(1543 – 1590)は安土桃山時代の絵師で、狩野元信の孫にあたります。

 

 

 

狩野永徳織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍などに絵師として仕えて、安土城や大坂城の障壁画を制作しました。

 

 

 

華麗でダイナミックな表現様式により、狩野派の黄金期をもたらした

日本美術史上もっとも著名な画人の1人です。

 

 

 

狩野探幽(かのうたんゆう)

狩野探幽 桐鳳凰図屛風▲狩野探幽の『桐鳳凰図屛風(きりほうおうずびょうぶ)』は枠に対して余白が多く取られている。

 

 

狩野探幽(かのうたんゆう)(1602年 – 1674年)は江戸時代初期に活躍した絵師で、狩野永徳の孫にあたります。

 

 

 

京都から江戸に本拠を移し、江戸城、二条城などの障壁画制作を指揮しました。

 

 

 

 

狩野探幽の作風は、若い頃は祖父である永徳風の豪壮な画風でしたが、次第に水墨画などを主体とするようになり、枠を意識し余白をたっぷりと取った画風を生み出しました。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
あらゆるジャンルの絵画を手掛けた職業絵師集団としての狩野派は、パトロンであった江戸幕府の終焉とともにその歴史的役目を終えたんだにゃ。狩野派の子孫たちは、それぞれの作風で絵を描き続けている人もいるんにゃ〜

 

 

 

<PR>

▼スウェーデン発、北欧デザインと高音質を兼ね備えたおしゃれなイヤホン▼

 

 

▼喜ばれる出産祝い。布団クリーナー『レイコップ』▼

 

 

 

 

 

お疲れ様でした!

 

 

ここまで読んで頂きありがとうございます。

 

 

わからないことがあれば、お問い合わせからご連絡いただけると嬉しいです!

 

 

次回もお楽しみに!

 

 

 

<PR>

▼コーヒー好きが辿り着く未来型のスマートコーヒーメーカー▼

 

 

▼電源不要の炭酸水メーカー▼

 

▼次回、茶室のインテリアはこちらからどうぞ▼

千利休 侘茶
【茶室のインテリア】千利休で有名な侘茶の歴史と茶室の建築について画像を使って解説します【日本のインテリアの歴史⑤】この記事では千利休で有名な茶室のインテリアについてわかりやすく解説しています。 中国から茶が伝わり、村田珠光や武野紹鷗によって広められた歴史や、茶室で使用されるエレメントについて学習しましょう。インテリアコーディネーター、建築士などの資格勉強、歴史の勉強にも最適。ぜひご活用下さい。...