こんにちは、しけたむです!
この記事では
- 「古代の神殿など、古い建築に興味がある。」
- 「古代エジプトと古代ギリシャの建築・・・違いがわからない。」
という皆様へ向けて、古代ギリシャの建築様式について画像で解説します。
古代ギリシャとは?
出典:Hotels.com
▲アテナイのアクロポリスの上に建てられた『パルテノン神殿』(紀元前438年完工)。アクロポリスとは「小高い丘」を意味する。
古代ギリシャ(ギリシア)とは、20万〜40万年前という太古にギリシャの地に人類が住み着いた石器時代から、紀元前146年に古代ローマに支配されるまでの長い時代を指します。
古代ギリシャの都市国家は「ポリス」と呼ばれ、エジプト文明に遅れて紀元前500年頃から本格的な繁栄がはじまり、ポリスのひとつである「アテナイ(ギリシャの首都アテネの古名)」を首都として科学・哲学・芸術・文芸・建築、民主主義などの数々の遺産を残しました。
出典:そういち総研
▲エジプトから地中海をはさんで北西、ヨーロッパ南東部のバルカン半島南端の地域にアテネやスパルタなどのおもな都市国家があり、ここを「ギリシャ本土」と呼ぶ。ギリシャ本土からみて東側のエーゲ海を渡った先にはアナトリア(今のトルコ)があり、西側の地中海を渡った先にはローマがある。
古代ギリシャはイラク、シリア、トルコやエジプトなどの西アジアの中心的な地域に比べると文明の発展は遅れていました。
現在のイラクにあたる地域では紀元前3,500年頃にシュメール人による最古の文明『メソポタミア文明』がおこりましたし、エジプト地域では紀元前3,100年頃には『エジプト文明』がすでに栄えていました。
古代ギリシャ人たちは、先行する西アジアの文明やエジプト文明に学びながら自分たちの文明を築いてきたのです。
出典:Brewminate
▲古代ギリシャのポリス『アテナイ(アテネ)』での建築風景。建築作業には奴隷、もしくは「メトイコイ」と呼ばれる外国人が使役された。
古代ギリシャの建築とその特徴
出典:トリップドットコム
▲ギリシャの首都アテネの南方約60kmにあるスーニオン岬の突端に建つ『ポセイドン神殿』は、海の守護神ポセイドンを祀る古代ギリシャの代表的神殿。紀元前480年に建設が始まり、建設途中にペルシャ戦争の被害を受けて倒壊するも、紀元前444年ごろに現在残っている神殿が完成された。
古代ギリシャの建築様式は、遅くとも紀元前8世紀初期には完成されていたと言われています。
当時の神殿建築には木材が使用されていた為、この頃の神殿は現存していません。
その後、紀元前6世紀中期頃には建築材料として次第に石が用いられるようになります。
出典:Picturesque Peloponnese
▲『ヘラ神殿』はギリシャ神話の女王ヘラに捧げられた古代ギリシア神殿で、オリンピアで最も古く由緒ある寺院。オリンピック聖火はこの寺院の祭壇で灯されている。紀元前590年頃の建設当初はオーク材が用いられていたが、徐々に石に置き換えられた。
古代ギリシャ建築は紀元前5〜4世紀頃に全盛期を迎え、『パルテノン神殿(後述)』をはじめとした多くの神殿建築が建てられました。
またアーチやトンネルの活用など工学的な進歩も見られましたが、その後古代ギリシャ建築は領土とともに古代ローマ帝国に飲み込まれ、紀元前1世紀以降はローマ建築に受け継がれました。
▲古代ギリシャの都市『オリンピア』にある古代競技場の通路。現在は朽ち果てているが、アーチ状に積まれた石材が奥へと続き、トンネルとなっていた。ここを抜けると古代オリンピックが行われた競技場がある。
この『古代ギリシャ〜古代ローマの建築』は後世の人々から「古典(こてん)」、または「クラシック」と呼ばれ、学ぶべき建築の規範として様々な時代の建築家たちによって模倣され続けました。
モデュルス
古代ギリシャ建築では、柱の長さや柱間の距離、神殿全体の高さなどの建築寸法を決める際に、基準となる寸法である「モジュール」からの比例関係が用いられていました。
当時の古代ギリシャではモジュールのことを「モデュルス(モドゥルス)」と呼び、基準寸法であるモデュルスには「神殿の柱の基部(きぶ:根元の部分)の直径」が使用されました。
このようなモジュールの概念は、オリンピアにある『ゼウス神殿』から用いられるようになったと言われています。
▲『ゼウス神殿』はアクロポリスの東側にある神殿で、オリュンポス十二神の最高神ゼウスを祀っていた。紀元前6世紀に建設が始まったが、建設の中断があり完成は2世紀のローマ帝国期に成し遂げられる。ギリシャからローマ帝国期までを通じて建てられた神殿の中で、この神殿は最大規模だった。
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オーダー
オーダーとは、古代ギリシャ期から古代ローマ期にかけて建築の柱に施された定形化された装飾方法のことで、古代ギリシャ建築の神殿にはドリス式、イオニア式、コリント式のいずれかのオーダーが使用されています。
オーダーは独立した「円柱」と水平材の梁(はり)である「エンタブラチュア」の秩序ある組み合わせで構成されていて、オーダーの種類によってこの組み合わせもデザインも決まっていたため、彫刻家が自由にデザインすることなどは出来ませんでした。
出典:Ameba
▲オーダーによる柱とエンタブラチュアの組み合わせ。エンタブラチュアはさらにアーキトレーブ、フリーズ、コーニスの3つの部分に分かれ、オーダーの種類や柱の高さによって大きさが異なる。
オーダーは古代ギリシャが古代ローマ帝国に支配された後にも建築され続けましたが、次第に重要性を失い、ローマ帝国が東西に分裂してからの様式(ビザンチン様式)では、早い段階で消失しました。
しかしその後の歴史の中で、幾度もこのオーダーを使用した古典建築が見直され、ヨーロッパを代表する重要な建築装飾として現代に至るまで使用され続けています。
▼ビザンチン様式って何なん?てかたはこちら▼
ドリス(ドーリス、ドーリア)式オーダー
▲古代ギリシャの最高峰の技術で建築された『パルテノン神殿』のドリス式オーダーは「古代建築物でありながら伝説的な美しさを持つ」とまで言われ、歴代建築家の規範として研究の対象であり続けた。
ドリス式(ドーリス式、ドーリア式)オーダーはギリシャ建築で最も古いオーダーであると同時に、最もシンプルで力強い形状をしたオーダーです。
柱頭の装飾が少なく、柱は太く、上部に向かうにしたがって細くなり、『エンタシス(柱の中央部の膨らみ)』が顕著に現れています。
出典:Flickr
▲現存する最も古い古代ギリシャ建築であるオリンポスの『ヘラ神殿』のドリス式オーダー。建設当初は木造のドリス式オーダーであったと言われ、木造での建設時期は紀元前1096年とかなり古い。
▲アクロポリス(アクロコリントス)にそびえる『アポロ神殿』。紀元前540年頃に完成したもので、典型的な初期ドリス式オーダー。柱が太く、柱頭の広がりがとても大きいのが特徴。
イオニア式オーダー
出展:Artstation
▲古代ギリシャの首都アテネのアクロポリスにある『エレクテイオン神殿』のイオニア式オーダー。紀元前5世紀末に完成したイオニア式建築の代表作であり傑作。
イオニア式オーダーは、紀元前6世紀半ばにイオニア人と呼ばれるイオニア地方(現在のトルコ)に植民した民族が作り始めたオーダーで、紀元前5世紀にはギリシャ本土でも用いられるようになりました。
柱頭に2つの渦巻き型装飾であるヴォリュートが組み合わされたオーダーです。
ローマ帝国の建築家はドリス式とイオニア式の2つのオーダーのデザインを比較して、
「ドリス式は頑健な男性の身体のプロポーションを有するが如く、イオニア式はより繊細な女性の体のプロポーションを有するが如く」
と、例えました。
出典:Renaissance
▲アテネのアクロポリスに立つ神殿『エレクテイオン』は純白の大理石で建造され、オーダーには現代に残るよりはるかに豪華な装飾が施されていた。
出典:smarthistory
▲『エレクテイオン』のイオニア式オーダー近影
▲イオニア地方ディディマに建つ『アポロ神殿』は紀元前560~550年頃建てられたイオニア式オーダーを持つ神殿。紀元前494年に破壊され、紀元前313年再建に着手するも完成に至らず現在に至る。
▲『アポロ神殿』近影。黒くなっているのは紀元前494年、イオニアの反乱でペルシャ軍が放火した際の焦げ跡。
コリント式オーダー
▲『ゼウス神殿』はアテネのアクロポリスの東側にある神殿で、オリンポス十二神の中の最高神であるゼウスに捧げられた神殿。紀元前6世紀に建設が始まったが、最大級の規模であった神殿の完成は700年後の2世紀、ローマ帝国の時代であった。
コリント式オーダーはドリス式、イオニア式に比べてやや細い柱とアカンサスの葉がかたどられた装飾的な柱頭を特徴とするオーダーです。
出典:BUCCELLATI
▲アカンサスは大型の常緑多年草で地中海沿岸原産のギリシャの国花。アザミに似た形の葉を持ち、古来から建築物や内装などの装飾のモチーフとして頻繁に使用される。
コリント式という名は、古代ギリシャの都市国家(ポリス)のひとつである「コリントス」に由来すると考えられています。
コリント式の柱頭はイオニア式の柱頭にあるヴォリュートの装飾を豊かにした発展型であると考えられていて、コリント式柱頭をよく見るとアカンサスの葉の中にサイズが小さくなったヴォリュートがあるのが分かります。
出典:Expedia
▲何度も工事が中断された『ゼウス神殿』は、当初ドリス式だったオーダーが途中でコリント式に変更された。アクロポリスの上にあるパルテノン神殿が遠くに見える。
出典:Athens Key
▲古代ギリシャ建築で使用されている様々なデザインのコリント式オーダーのスケッチ
このように古典建築の源流とも言えるようなギリシャ建築でしたが、実はヨーロッパでは18世紀に古代ギリシャの遺構が発見されるまで、その存在は歴史から忘れ去られていたため誰も知りませんでした。
出典:DAI Blogs
▲1877年の『フィリペイオン』(写真手前の円形建築物)と『ヘラ神殿』(写真奥の長方形の神殿)の発掘現場。古代ギリシャの都市オリンピアにあるフィリペイオンは当時の王(フィリッポス2世)が戦に勝利した記念にゼウス神に献納するために建築したものと言われる。
ちなみに、古代エジプトの神殿建築でも古代ギリシャで用いられていたオーダーのような円柱が見られますが、この円柱は「オーダー」とは呼ばれません。
オーダーと呼ばれるものは「ドリス式、イオニア式、コリント式」の3つの他に、のちに古代ローマ建築で追加される「コンポジット式、トスカナ式」を加えた5つのことを挿します。
出典:福高寿禄会
▲エジプト・ルクソール近郊にある『カルナック神殿』の巨大な円柱。この円柱が古代ギリシャのオーダーへ与えた影響については明確になっていない。
▼古代ローマ建築で追加されたオーダーはこちら▼
古代ギリシャの代表建築
パルテノン神殿
▲アテナイのアクロポリスにあるパルテノン神殿は、16kmも離れたペンテリコンという山から大理石を切り出して使用されている。何世紀にもわたり地震、火事、戦争、爆発、略奪に耐えてボロボロになった神殿は、現在では修復工事が進行中。
ギリシャ建築を語る上で外せないのは、アテナイ(ギリシャの首都アテネの古名)のパルテノン神殿で、アテナイの守護神であるギリシャ神話の女神アテーナーを祀る神殿です。
紀元前447年に建設が始まり、紀元前438年に完工、装飾工事はその後紀元前431年まで続けられました。
出典:Pinterest
▲アクロポリスの入り口は西側(写真下)にあり、「プロピュライア」と呼ばれる大きな門から入る。パルテノン神殿はアクロポリスのほぼ中央に建てられていて、神殿の北側(写真左)にはイオニア式オーダーが使用されている『エレクテイオン神殿』がある。
出典:The British Museum
▲パルテノン神殿の当時の想像図。プロピュライアを通りパルテノン神殿へ向かう人々。
パルテノン神殿は古代ギリシャ建築の象徴であり、当時の様子を現代に伝える最も重要な建造物と見なされていて、芸術的な彫刻もギリシャ美術の傑作です。
世界的な文化遺産として、1987年に世界遺産に登録されています。
出典:History
▲パルテノン神殿の完成当時の想像図。大理石には細かな装飾が施されていた。
パルテノン神殿が建設される前、この地には『古パルテノン』と呼ばれる今は無き女神アテーナーを祀った神殿が建っていましたが、紀元前480年のペルシア戦争にて破壊されたため、現在のパルテノン神殿が再建されたのでした。
破壊された古パルテノンの遺構の一部は、パルテノン神殿の一部として使用されています。
出典:History
▲完成当時のパルテノン神殿の想像図。内部には巨大な女神アテーナーの像が祀られていたが、現在は紛失して行方知れずとなっている。
その後時代が流れると、6世紀にはキリスト教に取り込まれてキリスト教の聖堂となったり、15世期にはオスマン帝国(現在のトルコのあたりから起こったイスラム教の大帝国でギリシャやローマ帝国も占領された)の占領によりモスク(イスラム教の礼拝堂)へと変えられたりするなど、祀られる神も時代とともに変わりました。
そして17世期、オスマン帝国によって「火薬庫」として使われていたパルテノン神殿は、ヨーロッパからの攻撃を受けて爆発炎上し、貴重な神殿建築や彫刻などはひどい損傷を受けてしまいます。
19世期になるとオスマン帝国の了承を得た(と言い張る)イギリスの伯爵「第7代エルギン伯爵トーマス・ブルース」は、ぼろぼろになったパルテノン神殿から焼け残った彫刻類を取り外して大量にイギリスに持ち去り、ロンドンの『大英博物館』に売却してしまいました。
売却されたパルテノン神殿の大理石の美術品は、現在も『パルテノン・マーブル(エルギン・マーブル)』の名で大英博物館に展示されています。
出典:The British Museum
▲大英博物館に展示されているパルテノン・マーブルの美術品。ギリシャは返却を要求していますが、現在も返却交渉は継続中だとか。
古代ギリシャの住宅建築
▲裕福な家には寝室、奴隷部屋、作業室、台所、浴室、貯蔵室などがあり、男女で生活スペースが分けられていた。『Andron(アンドロン)』は男性専用部屋で、男性をもてなす為にも使用された。
古代ギリシャの住宅は煉瓦造り、壁は漆喰(しっくい)塗りが一般的で、裕福な市民の家には「中庭(なかにわ)」を中心として住居が造られ、2階建ての住居もみられました。
中庭は裕福な住宅の象徴であり、特に女性は1日の多くの時間をそこで過ごします。
裕福な家ではプライベートな「井戸(いど)」を所有することがありましたが、ほとんどの市民は町の共用の井戸から水を得なければなりませんでした。
市民の住宅の建材には日干しレンガや木材が併用され、屋根瓦には泥を固めて乾燥させたものや「テラコッタ(素焼きの焼き物)」が用いられました。
出典:IKO
▲古代ギリシャの粘土の屋根は、平らな部分と湾曲した部分を組み合わせて雨が室内に侵入しにくい造りとしていた。
古代ギリシャの家具
クリスモス
▲古代の遺物に描かれたクリスモス。当時のオリジナルは現代まで残っていない。
クリスモスは、反りのある脚や湾曲した背板を持つ婦人によく使用された椅子のことで、紀元前5世紀ごろに古代ギリシャで流行しました。
クリスモスにはアーム(肘掛け)が無く、前後のレッグは外側に大きく湾曲し、背もたれが座る人を包み込むように大きなカーブを描いているのが特徴です。
古代ギリシャ時代のレリーフや壺などで女性がモチーフになって座っていることが多いため「クリスモスは女性専用」と思われていましたが、実際には権力を持った身分の高い男女が座っていたと推測されています。
出典:danish
▲18世紀ごろに製作されたクリスモスチェア(デンマークデザインミュージアム)
古代ギリシャ人によって広く使用されていたクリスモスは、その洗練されたデザインとシンプルで廃れることのない美しさから、20世紀の家具デザイナーによって現代的にリメイクされています。
▲20世紀の家具デザイナー『T・H・ ロブショーン・ギービングス』が現代的な解釈でデザインした『クリスモスチェア』
ディフロス
▲古代ギリシャの遺物に描かれている折りたたみ式スツール『ディフロス』(紀元前5世紀頃)
ディフロスは、正式名称を『ディフロス・オクラディアス』と呼び、古代ギリシャで用いられた背もたれの無い腰掛けで折りたたみ式のスツールです。
クリスモスと同様に、古代ギリシャ時代のレリーフや壺などで女性がモチーフになって座っていることが多く、やはり権力を持った身分の高い男女が座っていたと推測されています。
▲ディフロスの交差した脚は、よく見ると獣の脚のデザインとなっている(紀元前5世紀頃)
ディフロスは軽くて持ち運びが簡単で、パルテノン神殿でも使用されていたことが確認されています。
このような折りたたみ式のスツールは、古くは古代エジプトで誕生したと推測され、そのデザインは古代ギリシャのディフロスと同じようなX字型のフレーム構造であったと言われています。
後にディフロスのデザインは古代ローマ文明に引き継がれ、ディフロスと同じような折りたたみ式のスツールはヨーロッパに止まらず、中国や日本でも製作されました。
出典:Pinterest
▲1963年に『T・H・ ロブショーン・ギービングス』によってデザインされたディフロス
クリーネ
出典:Pinterest
クリーネは紀元前7世紀頃に古代ギリシャで使用された休息用の寝椅子で、現在のソファの原型とも言われており、ベッドと椅子の中間のような機能を持っていました。
4本の脚部は湾曲したもの、獣の足をモチーフにしたものなどデザインはさまざま。
クッションカバーには革、羊毛、または麻や絹が、クッションの詰め物には羊毛、羽毛、葉、または干し草が使用されていたことが分かっています。
▲クリーネに寝そべる男。すぐ下にはペットの犬、奥には全裸でこちらを見つめる男がいる。
ナンタルカのまとめ
■古代ギリシャの建築とは
(1)古代ギリシャの建築は紀元前5〜4世紀頃に全盛期を迎え、アテナイのアクロポリスにある(①)をはじめとした多くの神殿建築が建てられた。古代ギリシャ〜古代ローマの建築は後世の人々から「(②)」と呼ばれ、学ぶべき建築の規範として様々な時代の建築家たちによって模倣された。
(2)古代ギリシャの建築には様々な建築の寸法に秩序だった比例関係が用いられていて、建築を行う際に用いられる基準寸法を当時は(①)と呼び、神殿の(②)を基準寸法として使用した。
■オーダー
オーダーとは古代ギリシャ期から古代ローマ期にかけて建築の柱に施された定形化された装飾方法のことで、最も古いオーダーで柱の中央部の膨らみである(①)が顕著に現れている(②)式オーダー、柱頭に2つの渦巻き型装飾である(③)が組み合わされた(④)式オーダー、やや細い柱とアカンサスの葉がかたどられた装飾的な柱頭を特徴とする(⑤)式オーダーがある。
■古代ギリシャの家具
古代ギリシャの家具には、紀元前5世紀頃に流行した反りのある脚や湾曲した背板を持つ(①)、折りたたみ式スツールの(②)、紀元前7世紀頃に使用された休息用の寝椅子(③)がある。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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次回もお楽しみに!
▼次回、ローマ文化はこちらから▼