どうも、しけたむです。
この記事では
- 「ローマのコロッセオを死ぬまでに一度は見てみたい。」
- 「圧倒的な建築技術を持った古代ローマについて、詳しく知りたい。」
という皆様へ向けて
古代ローマの歴史と建築の特徴について画像で解説します。
古代ローマとは?
出典:Britannica
▲イタリアの首都ローマにある円形闘技場『コロッセオ』は古代ローマを代表する建築のひとつ
古代ローマとは、イタリア半島中部(現在のローマあたり)に位置したいくつかの部族からなる、小さな都市国家からはじまって、領土を拡大しながら地中海全域を支配する世界帝国にまでのし上がった国家の総称で、その建国は紀元前753年と言われています。
建国当時の正式国号(国の名前)は『元老院ならびにローマ市民(Senatus Populusque Romanus)』というなんだか長くてややこしい国名でした。
出典:たびこふれ
▲紀元前6世紀頃から293年にかけて国家の政治・経済の中心地であった『フォロ・ロマーノ』は、西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられ、土砂の下に埋もれてしまった。19世期に発掘され、現在はローマでも人気の観光地になっている。
古代ローマが建国された紀元前753年から紀元前509年までの期間の古代ローマは「王政ローマ」と呼ばれ、一人の国王がローマを支配する体制でした。
その後、紀元前509年から紀元前27年までの古代ローマは「共和制ローマ」と呼ばれ、元老院(日本でいう国会のようなもの)と執政官(内閣総理大臣のようなもの)ら政務官(国会議員のようなもの)を中心として、一般ローマ市民の意思も反映されながら民主的な運営が行われるようになります。
▲1888年に描かれた共和制ローマの元老院の想像図
イタリア半島の小さな都市国家だった古代ローマは、この共和制ローマの時代に古代ギリシャを征服(紀元前146年)し、古代エジプトをも滅ぼし(紀元前30年)、地中海の全域に領土を拡大して地中海世界を支配する世界帝国までになりました。
▲古代ローマの建国から滅亡までの支配領土を示すマップ(マイナス表記は紀元前)
世界帝国まで上り詰めて絶好調に見えた古代ローマの快進撃の裏で、共和制ローマが衰退した原因は古代ローマ軍の中核をなしていた「農民たち」でした。
農民たちは度重なる古代ローマの征服戦争により農地から引き離され困窮していましたが、国の中枢で実権を握る元老院のお偉いさん方は、この困窮し没落した農民たちを助けずに私腹を肥し続けます。
この状況を打開するために、共和制ローマの政治家であり軍人のガイウス・ユリウス・カエサルを筆頭とした困窮農民を助けようとする派閥と元老院が対立し、紀元前49年から内戦がはじまりました。(ローマ内戦)
出典:Medium
▲古代エジプトの女王であるクレオパトラ7世との間に子を作るなどやりたい放題やったカエサルは、「賽は投げられた」という言葉を残したことで有名。
紀元前45年、カエサルは元老院を打ち倒しますが、王になる野心を疑ったカエサルの腹心であり元老院側の生き残りでもあったブルータス(カエサルの愛人の息子)によって暗殺されてしまいます。
▲カエサルが最も愛していた愛人の息子であるブルータスが暗殺の首謀者と知り、死の直前に「ブルータス、お前もか」と叫んだ場面。「カエサルの死」(1804年)
その後の紀元前27年、カエサルの遺言状により相続人に指名されたカエサル・アウグストゥス(カエサルの養子)がローマ帝国の初代皇帝となり、「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」がようやく実現されました。
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ローマ建築の特徴
古代ギリシャを支配し、その文化をも継承した古代ローマ帝国。
古代エジプトをも含む地中海全域を制覇した紀元前1世紀から、ローマ帝国が東西に分裂して西ローマ帝国が滅亡する紀元前5世紀ごろまでのローマを中心として栄えた文化をローマ文化といいます。
ローマの詩人(ホラティウス)は、このような言葉を残しました。
「征服されたギリシャ人は、野蛮な征服者(ローマ人)をとりこにした(Graecia capta ferum victorem cepit)」
なにやら意味不明な言葉です。
これは、古代ローマは古代ギリシャを征服して属州として支配しましたが、文化においては偉大なギリシャ文化の模倣にすぎないことをローマ人として認めた言葉であるとされています。
▲紀元前2世紀ごろローマに建てられた『ポルトゥヌス神殿』は古代ギリシャの神殿建築の技術を利用(模倣)したもの。
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古代ローマにおいて古代ギリシャからの影響は特に強いものでしたが、それらを取り入れた上で、古代ローマ人たちは古代ギリシャの文化や技術を発展させてゆきます。
古代ギリシャ人たちの高度な建築技術は、もともと神々を奉る神殿を建築するために生み出されましたが、古代ローマ人たちは円形闘技場(コロッセオ)、浴場施設(テルマエ)や劇場などの娯楽施設にギリシャの神殿建築の技術を応用しました。
出典:TOA Waters
▲古代ローマの公衆浴場は「テルマエ」と呼ばれ、多くの都市に少なくとも1つの公衆浴場が存在した。古代ローマ人は1日のうち数時間をそこで過ごし、社交場としても利用されていた。
しかしその後、古代ローマ人たちはコンクリート、精密に構築された上下水道、水道を架けるためのアーチ、建築物の天井を覆うヴォールト、ドーム、橋などの土木・建築工学を発展させるなど、後世に計り知れない影響を与えました。
アーチ
出典:BEST LIFE
▲スペインにある『セゴビアの水道橋』は古代ローマを代表するアーチ構造を持つ建築物。この橋の特徴はまさに細長く高いところで、高さは地上30メートルあるが、幅はたったの2.4メートルしかない。このあまりの大きさから「悪魔の橋」とも呼ばれている。
アーチとは半円形に弧を描いた梁(はり)のことで、古代ローマの建築ではトンネル、橋、建物の入り口などに頻繁に用いられました。
石やレンガなどのブロック状の材料を組み合わせて積み上げる構造を組積造(そせきぞう)と言い、古代ローマのアーチはこの組積造で造られています。
また、古代ローマのアーチ形状は半円形(半円アーチ)となっていて、アーチを構成する石の数が、必ず奇数個となります。
奇数個となるのはアーチの頂上に「キーストーン」と呼ばれる石を差し込む為で、この石はアーチが崩れないように全体を締める役割がありました。
出典:福岡大学工学部建築学科
▲キーストーンは「要石(かなめいし)」、「楔石(くさびいし)」とも呼ばれ、頂上であることを示すと同時にアーチが崩れないように締める役目を持つ。
アーチについて過去に遡ると、古代エジプトや古代ギリシャでもアーチは使用されていたのですが、それほど多用されることはなく、規模の小さいものや横からの力で崩れる心配の少ない地下や半地下の建造物などにほぼ限定されていました。
出典:トリップドットコム
▲古代ギリシャの都市『オリンピア』にある古代競技場のアーチ構造の通路。通路の左右の壁は土で固められているため、横からの力により崩れる心配が無い。
古代ローマ人はアーチの技術を洗練させて、地上で、しかも大型のアーチ構造を持つ建築物を次々に完成させたのです。
コロッセオ(コロッセウム)
出典:Britannica
コロッセオ(コロッセウム)は西暦80年に造られた円形闘技場で、半円アーチが用いられた古代ローマを代表する建築物です。
各地から3万人以上の奴隷が集められて西暦70年に着工すると、わずか10年ほどで完成させました。
コロッセオでは娯楽施設として剣闘士同士の闘いや、猛獣との闘いなどが盛んに行われたほか、キリスト教迫害の時代には多くのキリスト教徒が猛獣の爪牙(そうが)にかかって殉教するなど、処刑の場としても使われていたのは有名な話です。
▲19世期に描かれたコロッセオでのキリスト教徒の公開処刑『キリスト教殉教者の最後の祈り』。地下には手動のエレベーターのような装置があり、猛獣たちを地下の檻から闘技場へ直接放った。
コロッセオは4階建てで、円形闘技場に入るアーチは全周で80箇所あり、そのうち皇帝用のアーチや剣闘士入場専用アーチを除く76のアーチには番号が付けられています。
これは入場券にアーチの番号が記されていて、観客が混乱せずに入場できるようにするためのものだったそうです。
出典:UnSplash
▲オーダーは各階で様式が異なり、1階はドリス式、2階はイオニア式、3階はコリント式になっている。壁面の穴は戦傷の痕ではなく、建設および補修時の足場用の木材を挿入するための穴だとか。
また、コロッセオにはローマン・コンクリートが使用されていることも大きな特徴です。
ローマン・コンクリートとは、コンクリートに「火山灰(かざんばい)」を配合することにより、強度が数千年保つと言われているコンクリートのことです。
一般的なコンクリートは、二酸化炭素や塩害(えんがい:海水や塩分の多い風による害)によってしだいに強度を失っていくため、現代のコンクリート建造物の寿命はおよそ50年から100年程度と言われています。
古代ローマ帝国の遺跡を調査した東北大学の久田真(ひさだまこと)教授は、火山灰が配合されることでコンクリートが緻密になり、劣化の原因となる二酸化炭素や塩分の染み込みを妨いでコンクリートの寿命を長くしていると推測しています。
出典:Nephi code
▲ローマン・コンクリートの断面。不要になった古いレンガを細かく砕いて混ぜられていることから、現代のコンクリート同様に骨材(こつざい)の再利用が行われていたと考えられる。骨材はコンクリートが固まる際に起こる発熱や、収縮を抑える効果がある。
実際に火山灰をまぜたローマン・コンクリートは、通常のコンクリートに比べて二酸化炭素が鉄筋に到達するまでの期間が約1.7倍、塩分が到達するまでの期間が約1.2倍にそれぞれ延長されることが、実験で証明されています。
ガール水道橋(ポン・デュ・ガール)
出典:Unsplash
ポン・デュ・ガール(ガール水道橋)は、フランス南部・ガール県のガルドン川に架かる水道橋で、水源地である「ユゼス」から当時「ネマウスス」と呼ばれていた『ニーム』という町までの導水路として西暦50年頃に建設され、約6世紀に渡って飲料水を運ぶために使われました。
近くの石切り場で取られた石灰岩で作られたガール水道橋は、ガルドン川に渡って掛かる全長360メートルの巨大なものです。
橋は3層から成り立ち、6つの大きなアーチからなる最下層、若干サイズの小さな11のアーチからなる中層、35の小さなアーチが並ぶ最上層からできています。
出典:Unsplash
▲ガルドン川に架かるガール水道橋の3層のアーチは上に行くほど幅が狭くなっている。全体の高さはガルドン川の最低水位から49メートル。
ポンプのないこの時代、水を運ぶには高いところから低いところへ水を流すために水路に高低差をつける必要があり、水源地から街までの距離は約50km、高低差は17mほどしかなく、1kmあたり平均34cmという勾配をつけて水が流れるよう設計しなければなりませんでした。
その水路における難所が川。そこで建造されたのが、16階建てのビルに匹敵する高さ49mの三層構造の水道橋、ポン・デュ・ガールです。
この高度な建築技術により、水路はポンプを用いずに1日に2万立方メートルもの水を供給することを可能にしました。
出典:EBARA
▲ガール水道橋の平均斜度は1kmあたり34cmで、ポン・デュ・ガール上流ではもっとも傾斜を大きくしている。それはこの橋の高さを出来る限り低く抑えようとしたためであった。
出典:Unsplash
▲ガール水道橋の橋脚はすぐ下を流れるガルドン川が氾濫しても倒壊しないように、水圧を分散させるため先端を尖らせたような形状になっている。この形状により、2002年にフランスを襲った大水害でも壊れることはなかった。
ヴォールト
出典:CIE470
▲ブルガリアにある古代ローマ時代に建築された『プロヴディフの円形闘技場』の円筒ヴォールト
ヴォールトとは、アーチを平行に押し出したかまぼこ型のトンネルのような形状を特徴とする天井様式および建築構造の総称で、日本語では穹窿(きゅうりゅう)と訳されます。
ヴォールトにはいろんな種類がありますが、基本的なトンネル形状のヴォールトは円筒ヴォールトと呼ばれます。
▲コロッセオ内にある円筒ヴォールトの通路。床や壁には一面に大理石が貼られていたが、6世紀以降の古代末期には次第に闘技場として使用されなくなり、中世になると大理石は剥がされて他の建築物に流用された。
円筒ヴォールトと同じようなトンネル状の天井は古代エジプト、古代ギリシアなどにもすでに存在していたことが知られていますが、倉庫や下水道や墓廟の入口など小規模であったり、構造もローマ時代とは異なっていました。
▲紀元前15世期ごろの古代エジプト遺跡から見つかった半円アーチ状の天井を持つ空間。天井は大きな2つの石で支え合っているのみで、すでに左の石はズレて落下の危険がある。一見形状は似ているが、アーチ構造となっていないためヴォールト天井とは呼べない。
出典:トリップドットコム
▲古代ギリシャの都市『オリンピア』にある古代競技場のアーチ構造の通路。崩れ落ちてしまっているが、当時はアーチが奥まで続いた円筒ヴォールトとなっていた。
ドーム
▲西暦128年に建造された『パンテオン』のドームは、ローマン・コンクリートが使用された世界最大のドーム建築だった。『Interior of the Pantheon, Rome』(1734年)
ドームとは、「丸屋根」もしくは「クーポラ」とも呼ばれる建築における屋根の形状のことで、半球形をした屋根のことです。
■ドームとドゥオモの違い
ドーム(Dome)は英語で、「半球形の丸屋根、丸天井、丸屋根状態のもの」を指す。
ドゥオーモ(Duomo)はイタリア語で、「町の一番重要な教会」を指す。
どちらの言葉も、もともとはラテン語の「ドムス(Domus)」という「家」を意味する言葉から由来していて、それがイタリアで「ドゥオーモ 」が「神の家=教会」を指すようになった。
また、イタリアでは「丸屋根」のことを「クーポラ(cupola)」と言うことから、ドームと同じ意味として使われている。
ドームは、アーチのてっぺんを中心として水平にくるくると回転させた形状をしていて、じつは構造的にもアーチとかなり類似しています。
出典:ミカオ建築館
ドームの荷重は、ドームの壁面に沿って下部に伝えられるため、外部から屋根を支える支柱や壁が不要である場合が多いので、大空間を覆う屋根として適しています。
古代ローマ人たちはドーム建造に木、石、煉瓦、陶器、コンクリートなどを用い、ローマで最大のドームである『パンテオン』(後述)のドームにはローマン・コンクリートが用いられました。
パンテオン
出典:Unsplash
▲『パンテオン』はギリシア語で「すべての神々」という意味
パンテオンはローマ市内のマルス広場に建造された神殿で、「様々なローマ神を奉る神殿」として建造されました。
最初のパンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによってローマの神々を奉る神殿として建造されましたが、西暦80年に落雷による火事で焼失してしまいます。
2代目のパンテオンは118年から128年、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建されました。
現在、ローマで見ることが出来るのはこの再建されたパンテオンで、ファサードには亡きアグリッパに敬意を表し 『M. AGRIPPA L. F. COS TERTIUM FECIT』と彫られていて、これは「ルキウスの息子のマルクス・アグリッパが、3度目のコンスル(執政官:ローマの長)の際に建造)」という意味になります。
出典:Unsplash
▲北側ファサード、12.5メーターの巨大なコリント式オーダー上部に「AGRIPPA」の文字が見える
パンテオンの建物は、深さ4.5mのローマン・コンクリート基礎の上部に直径43.2mの円堂(ロトンダ)があり、その上にドームが載った構造で、壁の厚みはドームを支えるために6mにも達します。
出典:古代ローマライブラリー
▲ロトンダとは「円形建築」のこと、ポルティコ(ポルチコ)とは「建物の玄関に導くように付けられる、柱や壁で支えられた屋根のあるポーチ」のことで、現在も使われる「ポーチ」の語源。
床からドーム頂部までの高さは直径と同じ43.2mで、頂上部分には「オクルス(ラテン語で「目」の意味)」と呼ばれる明かり採りの開口部があり、雨が降っても排水路を通って排水されるようになっています。
出典:Unsplash
▲オクルスから降り込んできた雨水は、パンテオンの床に開けられた小さな穴から排水される仕組みになっている。古代ローマ人たちは「建築物にとって水は敵」と心得ていた。
ローマの神々が信仰されていたパンテオンでしたが、608年頃にはキリスト教の聖堂となり、破壊されることなく今日までその姿が残りました。
ローマ建築のオーダー
▲ローマ建築で使用されたオーダーは左から「トスカナ式」、「ドリス式」、「イオニア式」、「コリント式」、「コンポジット式」の5種類で2種類が追加された。
古代ギリシャ人たちは3つのオーダーである「ドリス式」、「イオニア式」、「コリント式」を発展させてきました。
古代ギリシャの建築技術を継承した古代ローマでの建築には、今までの3種類のオーダーに加え、2種類のオーダー「トスカナ式」と「コンポジット式」が加えられます。
▼オーダーについてのおさらいはこちらから▼
トスカナ式オーダー
出典:Thought Co
トスカナ式オーダーは、紀元前8世紀頃にイタリア中央部に現れた民族エトルリア人が創造したエトルリア建築に起源を発するといわれるオーダーです。
ドリス式オーダーとよく似たシンプルな柱頭はほとんど同じデザインですが、多くのドリス式オーダーに見られるフルーティングと呼ばれる柱の溝彫りが無く、つるっとしたボディをしているのが特徴です。
出典:ミカオ建築館
▲多くのドリス式はフルーティングと呼ばれる「溝彫り」があるのに対し、トスカナ式はドリス式の簡易型にも見えるように溝が無く、全体的にシンプルなデザイン。
コンポジット式オーダー
出典:ICAA
▲アカンサスの葉の装飾の上に大きなヴォリュート(渦巻装飾)がつけられたコンポジット式オーダー
コンポジット式オーダーは、イオニア式とコリント式のオーダーを合体させたようなオーダーで、最も装飾性が強いオーダーです。
コンポジットとは「混合式」を意味していて、柱頭の上にイオニア式の渦巻模様(ヴォリュート)、下にはコリント式のアカンサスの葉の装飾が見られます。
▲トルコにある『ケルスス図書館』(西暦130年頃完成)のファサードにあるコンポジット式オーダー。ローマ帝国における現存する唯一の図書館の遺構で、19世期に発見されるまで廃墟と化していた。このケルスス図書館のファサード以外は木造だったため、全て火事により失われている。
出典:7k Today
▲西暦82年、ローマのフォロ・ロマーナに建設された『ティトゥスの凱旋門』は古代ローマ時代の凱旋門で、損傷が激しいものの当時のコンポジット式オーダーを残す貴重な遺産。有名なパリのエトワール凱旋門の建築の際には、このティトゥスの凱旋門が参考にされた。
出典:Pixabay
▲損傷が激しいものの、当時の姿を現在に残す貴重な遺構
古代ギリシャから使用されていたコリント式オーダーもアカンサスの葉を使用した装飾ですので、コリント式かコンポジット式かで迷うことがあるかもしれませんが、コリント式の渦巻きは細く小さいのが特徴です。
出典:Athens Key
▲古代ギリシャ建築で使用されていた一般的なコリント式オーダー。コンポジット式と比べるとこの渦巻きは植物的で、細く小さく、そして数が多い。
ナンタルカのまとめ
■古代ローマの建築
(1)ローマ文化は基本的にはギリシャ文化の継承だが、建築地においてはコロッセオでも使用されている(①)の発明、石や煉瓦を曲線上に積み上げた(②)を原型としたトンネル型の天井(③)や、(④)とも呼ばれるドームなど、革新的な発明が見られた。
(2)古代ローマでは今までにない大型建造物が建築されている。闘技場であるコロッセオはもちろん、ローマで最大のドームを持つ(①)や、フランスのガルドン川に架かる水道橋である(②)が有名である。
■古代ローマのオーダー
古代ローマ文化のオーダーはギリシャ文化で用いられた3種に加えて、フルーティングの無いシンプルなデザインが特徴の(①)式オーダーと、イオニア式とコリント式を組み合わせた様な(②)式オーダーが加わった。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
わからないことや分かりにくい箇所があれば、ぜひお問い合わせよりご連絡ください。
それでは、次回もお楽しみに!
▼次回、古代ローマの様式・後編はこちらから!▼