こんにちは、しけたむです。
この記事では
- 「スカンジナビアンデザインが分かってきたけど、もっと知りたい。」
- 「アルネ・ヤコブセン・・・知ってるよ。その名前だけは。」
という方々に向けて、
アルネ・ヤコブセンについて分かりやすく画像で解説します。
アルネ・ヤコブセンとは?
出典:Rosendahi Design Icons
アルネ・イミール・ヤコブセン(1902年2月11日 – 1971年3月24日)はデンマークの建築家であり、デザイナーです。
「デンマークデザインの父」と呼ばれ、今日のモダンな北欧デザインの原型を作り上げました。
アルネ・ヤコブセンの少年期〜青年期
アルネ・ヤコブセンは1902年にデンマークの首都「コペンハーゲン」で生まれました。
出典:美術展ナビ
ヤコブセンの父ヨハンは安全ピンやファスナーの卸売業者で、母親のパウリーンは銀行の出納係という、いたって平凡な家庭に育ちます。
少年時代は画家になることを望んでたヤコブセンでしたが、両親からの反対を受けたため19歳で家出をし、客船の旅客係として働き始めましたが船酔いを克服できずにすぐに辞めてしまいました。
出典:ROOM
▲若き日のアルネ・ヤコブセン(右端)。デンマークの著名な建築家の『フレミング・ラッセン』(左端)と、その兄『モーエンス・ラッセン』(左から2番目)。2010年に彼らの孫たちが『by lassen(バイラッセン)』というブランドをスタートさせた。
家出から戻ったヤコブセンに、母親は代わりに建築家の道を選ぶように勧めます。
また、その後ヤコブセンの友人であるフレミング・ラッセン(のちに有名な建築家になる)からも、絵の才能を活かせる建築の道を勧められ、1924年にデンマーク王立美術アカデミーの建築学科にしぶしぶ入学しました。
出典:Belringske
▲デンマーク王立美術アカデミーは1754年に創立されたデンマークの美術学校。絵画、彫刻、建築、写真、映像芸術の教育や研究が行われている。
デンマーク王立美術アカデミーの建築学校に入学したヤコブセンは、デンマークの著名な建築家であるカイ・フィスカーとカイ・ゴットロープに師事して建築について学びました。
また、学生でありながらも1925年に開催されたパリ万国博覧会に出展し、デンマーク・パヴィリオンでの椅子のデザインで銀メダルを獲得しました。
出典:Bukowskis
▲1925年のパリ万国博覧会のデンマーク・パヴィリオンのためにデザインされた『Paris Chair』
また、ヤコブセンはこのパリ万国博覧会で出展されていたル・コルビュジエの建築作品『エスプリ・ヌーボー・パビリオン』の先駆的な美学に大きな衝撃を受けています。
▲ル・コルビュジエが1922年に発表した『エスプリ・ヌーヴォー館』は、集合住宅案の1ユニットだけを取り出した正方形に近いプランの住宅。1階にキッチン、ダイニング、書斎、2階にバス、トイレと客室、寝室があり、吹き抜けになっている広いリビングの大きな窓が印象的である。
▼ヤコブセンが感銘を受けたル・コルビュジエはこちらの記事でご紹介▼
ヤコブセンはアカデミーを卒業する前にドイツにも旅行し、そこではミース・ファン・デル・ローエとヴァルター・グロピウスの合理主義建築に出会いました。
「彼らの建築作品は、アカデミー卒業プロジェクトのデザインに大きな影響を与えてくれたんだ。」
とヤコブセンは後に語り、結果として卒業プロジェクトで金メダルを受賞することとなりました。
▼覚えていますか?ミースとグロピウスの記事はこちら!▼
アルネ・ヤコブセン、建築家として頭角を現す
1927年、ヤコブセンは建築学校を卒業した後、都市建築家のパウル・ホルセンの設計事務所へ入所し、ほどなくして婚約者のマリー・イストラップ・ホルムと結婚しました。
この前後で、マリーの紹介によりポール・ヘニングセン(後の偉大な照明デザイナー)と知り合います。
出典:Louis Poulsen
▲誰もが一度は目にしたことがある(はず)『PHランプシリーズ』を開発した世界的な照明デザイナー
▼ポール・ヘニングセンはこちらの記事でご紹介▼
未来の家
出典:&Tradition
▲未来の家の前で寛ぐアルネ・ヤコブセン(右)とフレミング・ラッセン(左)
1929年、幼少からの友人で建築家となったフレミング・ラッセンと親交を続けていたヤコブセンは「二人でなにかやらないか?」という話で盛り上がっていたところ、ちょうどデンマーク建築家協会が毎年開催している家具展示会『コペンハーゲン家具職人ギルド展』で「未来の家」というコンセプトでの設計コンペを募集していました。
さっそくこのコンペに応募したところ、二人が設計した作品がなんと優勝!
「未来の家」のコンペで2人が設計した作品は、ガラスとコンクリートのらせん状の平らな屋根の家で、自動開閉する車庫や自家用ボートを係留しておく水上ガレージに加
他にも、ほこり吸引機能付きの玄関マットや、
出典:ROOM
▲デンマーク建築家協会が主催したコペンハーゲン家具職人ギルド展「未来の家」コンペでのイメージデッサン(上)と工事途中の写真(下)
ヤコブセン(とラッセン)はすぐに優秀な建築家として認められるようになり、代表的なモダニズム建築家の一人としてデンマーク国内において一躍注目を集めます。
住宅設計の依頼が増え始めたヤコブセンは、同年に個人事務所を設立しました。
ベラヴィスタ集合住宅
1930年代、ヤコブセンはコペンハーゲンの北に位置する海岸沿いの町「ベルヴュー地区」の、リゾート型複合住宅の設計コンペに当選し、『ベラヴィスタ集合住宅』をはじめとする地区一帯のデザインを行いました。
▲1934年に竣工した『ベラヴィスタ集合住宅』は、各戸から海が眺められ日差しを取り込めるように設計されたモダニズム建築の先駆けともいえる作品。
ヤコブセンはベルビュー地区の海岸にある海の監視塔『ライフガードタワー』のデザインも手掛けています。
▲現在は人気の写真スポットになっているベルヴュービーチにある監視塔『ライフガードタワー』
水色と白の横ストライプは、ビーチ施設一体の共通言語になっていて、ビーチバレーのポールにも同じストライプが使用されています。
このほか、売店やアイスクリームスタンド、トイレなどのほか、チケットやグッズのパッケージデザインもヤコブセンのデザインです。
オーフス市庁舎
出典:Nat chard
1939年、ユトランド半島にあるデンマーク第二の都市であるオーフスの市庁舎が、市制500周年を記念して建て替えることとなりました。
新たな市庁舎建設コンペにアルネ・ヤコブセンは同事務所のエリック・ムラーと共に挑み、見事勝ち取ることとなったのですが、そのデザインがあまりにも現代的過ぎて、市民たちから反対の声が上がるという困った事態に。
市民たちに設計案の説明を行うヤコブセンでしたが、「記念碑っぽさを出せ!」などの市民たちからのリクエストに答えて、市のランドマーク的存在となるような時計塔を追加したりと、いくつもの設計変更を余儀なくされ現在のデザインになりました。
出典:Archidaily
▲オーフス市庁舎のメインホールに設けられた螺旋階段と大きな吹き抜け
出典:Lindburg
▲内装材にはデンマーク国内の木材を使用し、外部の自然を内部へ取り組む工夫がされた
また、庁舎内の会議室で使われている家具は、当時ヤコブセンの事務所に所属していた新進気鋭のデザイナー『ハンス・J. ウェグナー』がデザインを手掛けています。
▼ハンス・J・ウェグナーがデザインしたチェアはこちら▼
アルネ・ヤコブセン、亡命する
出典:Faktalink
▲デンマークへ侵攻してきたナチス・ドイツ軍(1940年)
1940年にデンマークがナチス・ドイツによって占領されると、1943年にユダヤ人であったヤコブセンはナチスによる迫害を恐れ、デンマークの事務所から逃げ出し、他のユダヤのデンマーク人たちと一緒に中立国であったスウェーデンへ、なんと小さなボートを漕いで亡命します。
一緒に亡命したデンマーク人の中には照明デザイナーのポール・ヘニングセンもいました。
亡命中は設計活動はほとんど行われず、いつの間にか離婚と再婚を経験していたヤコブセンは二人目の妻ヨハナとテキスタイル・デザインを手がけるなどして2年間を過ごすことになります。
第2次世界大戦が終了するとヤコブセンたちはデンマークへ帰国し、1946年からさっそく様々な建築プロジェクトを再開しました。
1950年代頃からは、後に世界的な評価を得ることになる家具デザインもスタートし、アントチェア、スワンチェアなどの傑作と呼ばれる家具作品はすべてこの時期にデザインされたものです。
アルネ・ヤコブセンは、家具のデザインに於いては「チャールズ&レイ・イームズ」に、建築における理想を追求したデザインと家具までも含めた一貫性に於いては「ミース・ファン・デル・ローエ」に影響を受けたと語っていて、1971年に69歳で逝去するまで、デザイナーとしてでは無く、建築家として精力的に活動を続けました。
出典:Fritz Hansen
アルネ・ヤコブセンの代表的なプロダクト
アント(チェア)
出典:media.liveauctiongroup.net
アントチェアは1952年、自身が建築した製薬会社「Novo Nordisk A/S(ノボノルディスク社)」の社員食堂のためにデザインされたチェアで、正式名称を『アント(蟻)』といい、「アリンコチェア 」という通称で呼ばれるヤコブセン屈指の傑作です。
▲丸い大きなテーブルにできるだけたくさん並べられるように、前が1本後ろが2本という3本脚で設計されたアントチェア。現在は4本脚タイプも販売されている。
アントチェアはチャールズ&レイ・イームズに影響を受けていたヤコブセンが手がけた最初の成形合板の製品です。
背と座が一体化したアリのようなデザインは、試作の過程で背と座のつなぎにヒビや歪みが生じてしまった箇所を左右から取り除いていくうちに、くびれのあるアリのようなデザインになったことから誕生しました。
当時、かなり特徴的なデザインだったアントチェアに対して、製作元の『Fritz Hansen(フリッツ・ハンセン)』では製品化に対して懐疑的な声が上がりました。
しかしヤコブセンは、
「売れ残ったらぜんぶのチェアを俺が買い取るから、とりあえず作ってくれ!」
とフリッツ・ハンセンにお願いをして、なんとか製作されることが決まったそうです。
発売後、アントチェアは薄い成形合板と細いスチールレッグで作られた軽さと、何脚もスタッキング(重ねて収納すること)できる機能性で話題となり、ロングセラー商品となりました。
出典:Connox
▲当初は3本足だったが、足を組むとぐらつく場合があり4本足も製作された。
セブンチェア
出典:Fritz Hansen
セブンチェアは1955年にヤコブセンによって設計された椅子で、「世界で一番売れたスタッキングチェア」とか「セブンチェアを超える椅子は未だに存在しない」とか、色んなキャッチコピーが付けられている、とにかくすごいたくさんの人に愛されているチェアです。
アントチェアのバリエーションのひとつとしてデザインされたため、「アントチェアの後継」とも呼べるチェアで、『フリッツ・ハンセン』によって独占的に生産されています。
セブンチェアは、通常の4本脚を持つ「3107モデル」、キャスター付きのオフィスチェアである「3117モデル」、バースツールの「3187モデル」など、豊富なバリエーションが用意されていることも魅力の一つです。
出典:Fritz Hansen
日本ではあまり知られていませんが、セブンチェアは1963年に写真家ルイス・モーリーが撮影したモデルの「クリスティーン・キーラー」の有名な写真で使用されていたと広く信じられていて、この写真集の出版後にセブンチェアの売り上げが爆発的に増加したそうです。
出典:ArtBasel
▲セブンチェアの背中にハンドホールドカット(持ち手の穴)がある?
しかし、実はこの写真で使用されているチェアは模倣品で全くの別物でした。
キーラーの座っているチェアの背中にはハンドホールドカットがあり、セブンチェアを知っている人が見たら違うことは明白なのですが、ヤコブセンやフリッツ・ハンセン社が訴訟したなどの記録が無いことから、結果的に売り上げにつながった為に黙認したと言われています。
スワン(チェア)
出典:CULT
スワンチェアは、1958年にデンマーク・コペンハーゲンにある『SASロイヤルホテル(現ラディソン・コレクション・ロイヤルホテル)』のためにヤコブセンによってデザインされたチェアです。
「スワンチェア」という名前で有名ですが、正式名称は『スワン(白鳥)』であり、発売時から現在まで、『フリッツ・ハンセン』によって製造されています。
出典:Ultra Swank
▲SASロイヤルホテルに採用されたヤコブセンのチェアの数々。写真右奥は「ドロップチェア」、左手前は「エッグチェア」(写真はSASロイヤルホテル606号室)
スワンチェアのシートには成形合板では無く「硬質発泡ポリウレタン」が使用されていて、すべてが曲線で構成されたフォルムはまるで白鳥のようです。
▼ポリウレタンって何?という方はこちらから▼
このような曲面板からなる構造のことを「シェル構造」といい、「シェル」は直訳すると「貝殻(かいがら)」という意味であることから「貝殻構造」とも呼ばれます。
出典:SUITE NY
▲ヤコブセンはコペンハーゲンの自宅ガレージで、いくつものスワン試作品を作り改良を重ねた。
また、スワンチェアの張り地はファブリックとレザーから選ぶことができて、レッグは回転式のサテン研磨アルミ製のみでバリエーションはありません。
ヤコブセンは、SASロイヤルホテルにスワンチェアを使用しただけでなく、人生最後のプロジェクトとなった『デンマーク国立銀行』にも使用しました。
▲コペンハーゲンの中心地に位置する『デンマーク国立銀行』は、ヤコブセンが死の間際までその設計に尽力し、遺作となった作品。ファサードはノルウェー産の黒大理石とダークカラーのミラーガラスで覆われており、堅牢な印象を与えている。(1978年完成)
出典:Degitalassets.fritzhansen.com
▲『デンマーク国立銀行』に置かれたレザーのスワンチェアとスワンソファ
エッグ(チェア)
出典:Pen Online
エッグチェアは正式には『エッグ(卵)』という名称で、1958年にコペンハーゲンにある『SASロイヤルホテル』のためにスワンチェアと一緒にデザインされたチェアで、『フリッツ・ハンセン』によって製造されています。
ヤコブセンはスワンチェアと同様に、まったく新しい素材である発泡硬質ポリウレタンを用いて、曲線で構成されたシェル構造のデザインに徹底的にこだわりました。
出典:Fritz hansen
▲エッグチェアには足を乗せるフットスツールもデザインされていて、足を乗せてリラックスできる。
ヤコブセンは彫刻家のように、コペンハーゲンの自宅ガレージでワイヤーと石膏を使用して試作を繰り返し、エッグチェアの完璧な曲線フォルムを追及しました。
今日、エッグチェアはヤコブセンの偉業を象徴するアイテムの1つとして、またスカンジナビアンデザインの代表的な作品として世界中で認識されています。
出典:Happy Interior Blog
▲コペンハーゲンにあるフリッツ・ハンセンの工場では、一つ一つ手作業で製作されている。
ちなみにエッグチェアのデザインは、エーロ・サーリネンがデザインした『ウームチェア (Womb chair) 』に影響を受けたものという話は有名ですが、真偽は不明です。
出典:Knoll
▲アルネ・ヤコブセンがエッグチェアをデザインする際、インスピレーションを受けたと言われるエーロ・サーリネンがデザインした『ウームチェア』
▼エーロ・サーリネンってだれだっけ?ならこちらから!▼
ドロップ(チェア)
出典:Fritz hansen
ドロップチェアは1958年、コペンハーゲンの『SASロイヤルホテル』のために『ドロップ(しずく)』という名称でデザインされたチェアです。
スワンチェアやエッグチェアと共にデザインされましたが、ドロップチェアの製造数は同ホテルのためだけの限られたものだったため、ヴィンテージ市場では「幻の銘品」としてめちゃめちゃ高値で取引されてきたことでも有名です。
出典:ワイズカーサ
▲抱擁(ほうよう)の感覚にインスピレーションを得てデザインされたというドロップチェアのフォルムは、動きやすさと快適さを持ち合わせている。
ヤコブセンの隠れたお気に入りだったといわれるドロップチェアは、2014年に初めて『フリッツ・ハンセン』より発売されました。
グランプリチェア
出典:VNTG
グランプリチェアは、1957年にコペンハーゲンのデンマーク工芸博物館において開催された春の展示会で初公開されたチェアで、同年に開催されたイタリア・ミラノの美術展覧会『ミラノ・トリエンナーレ』でグランプリを獲得した為、以来グランプリチェアと呼ばれています。
チェアのレッグはもともと木製でしたが、現在ではスチール材が追加されて2種類から選択できます。
出典:Fritz hansen
▲カラーバリエーションはさまざま。木製のレッグ仕様はスタッキングできない。
シェル(座面の部分)は樹種やカラー、パディング(クッション材)の有り無しなど幅広いバリエーションから選ぶことができます。
一時期は生産を中止していたこともありましたが、2008年に『フリッツ・ハンセン』により復刻されています。
AJ ロイヤル(The AJ Royal)
出典:HLD
▲現在販売されているAJロイヤルのサイズは「φ250」「φ370」「φ500」の3種類、カラーは「ホワイト」「ブラック」の2種類
AJ ロイヤル(AJ Royal)は、ヤコブセンが『SASロイヤルホテル』を設計した際にデザインしたペンダントライトです。
流行や時代に左右されないヤコブセンデザインを象徴するシンプルな半球型のフォルムで、空間をスッキリ美しく演出する機能性にも優れた名作です。
現在販売されているAJロイヤルはアルミ製ですが、当時は銅製で、SASロイヤルホテルのスナックバー、1階のラウンジ、21階のパノラマラウンジに吊り下げられていました。
出典:design NJ
半球型のシェードの照明の場合、下方のみが照らされ上方に光が拡散しないため空間全体が暗くなってしまいますが、 AJロイヤルはシェード内部の光が反射される構造になっており、シェードの上部に設けられたルーバーから優しい光を天井に向けて拡散します。
ナンタルカのまとめ
■アルネ・ヤコブセン
(1)アルネ・ヤコブセンは、1929年にフレミング・ラッセンと共に「(①)」コンペで優勝したことにより、デンマーク国内において一躍注目を集めた。1930年代、コペンハーゲンの北に位置するベルヴュー地区にリゾート型複合住宅を建設するコンペに当選すると、(②)をはじめとする大規模リゾート計画を手がけ、建築家として大きな実績を残した。
(2)家具・照明の分野でもいくつもの傑作を世に送り出したヤコブセンが手掛けた最初の成形合板のチェアである(①)や、「世界で1番売れたスタッキングチェア」とも呼ばれる(②)は名作中の名作。半球型のペンダントライト(③)と、背と座が硬質発泡ポリウレタンによるシェル構造で一体成形されたエッグチェア と(④)は、SASロイヤルホテル(現ラディソン・コレクション・ロイヤルホテル)のためにデザインされた。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
分かりにくい点やお気づきのことがあれば、メールでご連絡頂けましたら幸いです。
では、次回もお楽しみに!
▼次回、北欧デザイナーの続編はこちらから▼