どうも、しけたむです。
この記事では
- 「ポンペイという映画に影響されたことがある。」
- 「古代ローマの住宅や使用されていた家具について知りたい!」
という皆様へ向けて、古代ローマ文明の住宅や家具について、画像で解説します。
▼古代ローマの様式・前編はこちらから▼
古代ローマの住宅
ドムス
出典:Pinterest
▲天窓付きの中央広間を持つ古代ローマの都市『ポンペイ』に存在したドムスの復元図
ドムスとはラテン語で「家屋」または「家庭」を意味することばで、古代ローマでは上流階級の市民たちの住宅を指しました。
出典:Pinterest
▲ドムスは古代ローマの主要な都市に広く分布しており、大理石やモザイクタイル、壁にはフレスコ画で鮮やかに飾られていた。英語の「domestic(家庭の)」という単語はこのドムスが語源。
裕福なローマ人たちは都市にあるドムスのほかに、郊外や領地にヴィラと呼ばれる貴族の邸宅・別荘を所有していました。
出典:Pinterest
▲セフォリス(現在の北イスラエル)にある中庭の見えるヴィラで酒宴をするローマ人たち
古代ローマのエリート階級の人々は、ドムスに凝った大理石の装飾を施し、大理石のパネルやドア枠や円柱を使い、高価な絵画や「フレスコ画(※)」で飾りました。
出典:Altmarius
▲西暦79年の火山の噴火で消えた古代ローマの都市『ポンペイ』のフレスコ画で描かれたドムスの壁面
※フレスコ画とは
西洋の壁画などに使われる絵画技法のひとつ。
まず壁に漆喰(しっくい)を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ(新鮮)」である状態、つまり生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で直接描く。
漆喰に含まれる消石灰の主成分「水酸化カルシウム」が空気中の二酸化炭素と反応して結晶化する事で顔料を強力に定着させている。
やり直しが効かないため、高度な計画と技術力を必要とするが、逆に一旦乾くと水に浸けても滲(にじ)まないことで保存に適した方法だった。
フレスコ画はルネサンス期にも盛んに描かれ、ラファエロの『アテネの学堂』やミケランジェロの『最後の審判』などがよく知られている。
▼フレスコ画はこちらで詳しく紹介しています▼
古代ローマの時代はモザイク床も有名で、ヨーロッパ各地から北アフリカ一帯に至るまで広い範囲で発掘されていて、豪華なモザイク床は贅沢なローマ時代のドムスやヴィラを特徴付けています。
モザイクとは、小片を寄せ合わせ埋め込んで、絵や模様を表現する装飾美術の技法のことです。
▲古代ローマ時代のポンペイから出土した『Cave canem”(犬に注意)』と書かれたモザイク床
石、陶磁器、ガラス、貝殻、木などが使用され、建築物の床や壁面、あるいは工芸品の装飾のために施されました。
▲ポンペイから出土したドムスの床に貼られた美しいモザイク。モザイクには石、タイル、ガラスなどが使用された。もともとは単純な幾何学的なモチーフだったが、次第に戦闘シーン、動物、そして識別可能な人間の顔を描くなどモザイク技術が洗練された。モザイクの使用は古代の世界全体に見られるが、ポンペイモザイクの技術の高さは他に類を見ない。
アトリウム
▲19世期に描かれたポンペイのアトリウム想像図
古代ローマのドムスやヴィラでは天窓のある中央広場はアトリウムと呼ばれ、天窓のすぐ下には雨を受ける水盤が設けられ、おしゃべりをする憩いの場として利用されました。
ギリシャ神話では宮殿の水盤のある中庭を「アトリウム」と呼んでいて、そこからラテン語で古代ローマ時代の住居の中庭を意味するようになりました。
現在でいう「アトリエ」の語源にあたるのがこのアトリウムです。
▲ポンペイにあるアトリウムで劇作家と俳優、音楽家たちが劇場で行われる演劇の打ち合わせをしている様子を描いた絵画(1861年作)
またアトリウムの天窓については、古来からイタリア半島に住んでいた民族であるエトルリア人の住居が草葺き屋根で、室内の暖炉の煙を逃がすように屋根の中央に穴が開いていました。
この屋根に開けられた排煙用の天窓がアトリウムにある天窓の起源という説もあります。
▲古代ローマのドムスやヴィラではアトリウムや中庭があるのが常識だった。ポンペイには大通りに面して飲食店や食材店、飲料店、ファストフード店に近い店もあった。
出典:読売新聞
▲2020年、ポンペイで色鮮やかなフレスコ画が描かれた飲食店のカウンターが発掘された。古代ローマのファストフード店というべきもので、カウンター内にはいくつもの窯のようなものが見える。れんが製の調理台の上からは魚や山羊、鴨、カタツムリなどが見つかったことから、シチューやパエリアといった温かい料理とワインが提供されていたという。
出典:www.this-is-italy.com
▲古代ローマ時代の飲食店の様子。ポンペイの遺跡からは当時の居酒屋のメニューも出土し、「お客様へ、私どもは台所に鶏肉、魚、豚、孔雀(くじゃく)などを用意してあります。」と書かれていた。
古代ローマの家具
セラ・クルリス
セラ・クルリスとは古代ローマで使用された折りたたみの椅子で、ローマ帝国の権力者が座ることを許された椅子でした。
最も初期の記録には、紀元前494年の戦争勝利の際、ローマの独裁官にセラ・クルリスが授与されたとの記述が残っていて、紀元前44年にはイングランドの劇作家「シェイクスピア」の書いた政治劇・悲劇である『ジュリアス・シーザー』にも登場しています。
セラ・クルリスは古代ローマで流通していた硬貨や記念碑にもみられました。
出典:MA shops
▲当時流通していた硬貨に描かれていたセラ・クルリス。他にもいくつかの硬貨のデザインに同様の椅子がモチーフになっている。
レクタス
出典:Pinterest
レクタスは富裕層が宴会などで使用した寝椅子です。
古代ローマの遺跡から出土するフレスコ画や絵画、そして後世の画家たちが当時の様子を描いている為、レクタスがどのように使用されていたのかは現代でも伺い知ることができます。
出典:Getty
▲古代ローマの酒宴の様子を描いた油絵。ダイニングに対してレクタスがL字型になるように配置され、左手前側にはオットマンのような家具も使用されている。(ロベルト・ボンピアーニ:19世紀)
同じような寝椅子に古代ギリシャで使用されたクリーネがありますが基本的には同じもので、レクタスはラテン語で「ベッド」の意味、クリーネはギリシャ語で「ソファ」という意味です。
▼古代ギリシャの寝椅子『クリーネ』はこちらから▼
ナンタルカのまとめ
■古代ローマの住宅
(1)古代ローマの住宅には(①)と呼ばれる上流階級の市民たちが住んだ住宅があり、郊外や領地に(②)と呼ばれる貴族の邸宅・別荘を所有している者もいた。それらの建物内には天窓のある中央広場(③)が作られ、天窓のすぐ下には水盤が設けられ、おしゃべりをする憩いの場として利用された。
(2)古代ローマのエリート階級の人々は、住宅に凝った大理石の装飾を施し、高価な絵画や(①)(壁に塗った漆喰の上に直接顔料で描く技法)で飾った。床は小片を寄せ合わせ埋め込んで、絵や模様を表現する装飾美術の技法である(②)が多用された。
■古代ローマの家具
古代ローマの家具では、折りたたみの椅子でローマ帝国の権力者が座ることを許された椅子である(①)が広く知られ、富裕層が宴会などで使用した寝椅子である(②)は富裕層の必須アイテムとして用いられた。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
わからないことや分かりにくい箇所があれば、ぜひお問い合わせよりご連絡ください。
▼次回、ビザンチン文化はこちらから▼