こんにちは、しけたむです。
この記事では「江戸時代の家具や照明に興味がある」、「江戸時代ってどんな家具があったの?」という悩める皆様に向けて、江戸時代の家具や照明について画像で解説します。
- 「江戸時代の家具や照明に興味がある。」
- 「江戸時代ってどんな工芸があったの?」
江戸時代の家具、照明、工芸
近世は家具・日用品が豊富になり、商人をはじめとする庶民層にも広く普及します。
江戸幕府が置かれ一大消費地となった江戸には大工や家具・工芸品の職人が多く住んでいて、質の良い製品が多く作られました。
江戸で作られた収納家具は、継手(つぎて)・仕口(しぐち)という「釘などを使用せず木と木を組み合わせる技法」である『指物(さしもの)』が用いられ、指物を使った家具のことは「指物家具」、もしくは単に「指物」といいます。
出典:北総研
▲継手と仕口の違い。継手は「手を継ぐ」という言葉どうり、短い材を長くするために長さ方向(同じ方向に)に継ぐ技法。仕口はT字型、十字形、L字型に角度をつけて木と木を連結する技法。
出典:藤田商店
▲L字型に連結された仕口が用いられた指物家具
一方、古くから文化の中心地であった京都では、家具においても伝統的な技術が伝えられ、高級な漆塗りの「塗物家具(ぬりものかぐ)」が作られました。
出典:京都の伝統工芸
▲京都の漆塗りは他産地製品には見られない「わび」「さび」といった内面的な深い味わいを備えており大変優雅でもあるので、特に高級品においては他の追随を許さないものとして現在に至っている。
江戸時代に普及した代表的な家具として箪笥(たんす)があげられます。
衣類用のものは17世紀後半、主に武士や上流階級の町民の間で広まり、江戸では火災が多かったためすぐに持ち出しやすい2段重ねの箪笥が広まりました。
出典:1stDibs
▲連結金物を外すと分離して持ち運べる箪笥
衣装箱
葛籠(つづら)
出典:岩井つづら店
葛籠(つづら)とは、もともと「ツヅラフジ」と呼ばれる植物のツルで編んだ蓋つきの籠の一種のことです。
▲ツヅラフジで編まれた葛籠。角には補強材として、古い蚊帳(かや:蚊除けの網)の生地をあてた。
時代とともに「竹」が代用される様になると、竹を編んだ四角い衣装箱を葛籠と呼ぶようになります。
やがて補強のために全体に和紙が貼り込まれ、さらに防腐剤として柿渋(かきしぶ)を塗り、漆(現代ではカシューと呼ばれる合成樹脂塗料が使われることが多い)を塗るという作業が行われ、現代の様な葛籠となりました。
▲現代の一般的な葛籠の構造。葛籠には家紋が入れられることもあった。
出典:江戸ガイド
▲童話『したきりすずめ』に登場する葛籠。『昔噺舌切雀』(1864年) 歌川芳盛
行李(こうり)
出典:府中家具木工資料館
行李(こうり)とは、竹や柳、籐などを編んでつくられた葛籠(つづら)の一種です。
直方体の容器でかぶせ蓋となっていて、葛籠と同じ様に衣装箱として、または文書あるいは日用品を入れるために用いられました。
行李は柔軟性があり蓋が盛り上がるほど多量に入れることができたので、麻縄で結び旅行用の荷物入れ(今で言うスーツケース)などに用いられることもあったそうです。
また、柳の葉で編んだ行李を「柳行李(やなぎこうり)」、竹で編んだ行李は「竹行李(たけごうり)」と呼ばれます。
出典:ひょうご歴史ステーション
▲兵庫県豊岡市の東を流れる円山川には湿地帯が多く「コリヤナギ」が自生していたため、これらを使って柳行李の製作がさかんに行われた。『大日本物産図会(但馬国柳行李製図)』
出典:落語の舞台
▲行李を担いで旅をする一行『東海道五十三次・原』歌川広重画
長持(ながもち)
出典:府中家具木工資料館
長持(ながもち)は、主に近世の日本で用いられた民具の一つで、衣類や寝具の収納に使用された長方形の大型の木箱です。
室町時代以前には収納具として『櫃(ひつ)』が用いられていましたが、時代が進むにつれて調度品や衣類が増え、さらに江戸時代には「木綿(もめん)」が普及したことで布団などの寝具が大型化して、より大型の収納具が必要とされたことで普及するようになりました。
一般的な大きさは、長さ8尺5寸(約174センチメートル)前後、幅と高さは2尺5寸(約75センチメートル)前後と大型で、1人ではとても運ぶことができないので運搬時は太い棹(さお)を使って2人で担ぎます。
移動しやすいように底部に車輪が組み込まれた長持は「車長持(くるまながもち)」と呼ばれました。
▲車長持は江戸で普及したが、明暦3年(1657年)に江戸で発生した明暦の大火で、家々から外へ運び出した車長持が路上にあふれ、人々の避難を妨げるという事態が生じたため、江戸・京都・大阪で使用が禁止された。
▼室町時代以前から使われてきた「櫃」はこちらから!▼
挟箱(はさみばこ)
出典:徳川美術館
▲『牡丹唐草蒔絵挟箱(ぼたんからくさまきえはさみばこ)』貞徳院矩姫(尾張家14代慶勝正室)所用
挟箱(はさみばこ)とは近世の武家の旅行道具で、衣服や身の回りの品を納め、棹(さお)を通して従者に担がせました。
もとは竹を割って、衣服を「挟み」運搬したのが語源とされています。
家格の高い大名やその夫人の行列では、金の家紋を大きく表した覆いをかけ、先頭を行ったことから「金紋先箱(きんもんさきばこ)」とも呼ばれました。
出典:姫路市
▲大名行列での挟箱を持つ物は「挟箱持ち」、「金紋先箱」、「金御紋付対挟箱(きんごもんつきついはさみばこ)」など、いくつかの呼び名があった。
次第に民間にも広まると、町の飛脚などが「飛脚箱(ひきゃくばこ)」として用いるようになり、明治初年には郵便集配や新聞配達にも使われました。
出典:郵政博物館
▲江戸時代に活躍した人間宅急便「飛脚(ひきゃく)」は野を超え山を越え、1日に数十キロの距離を走っていた。暑くなるのでほぼ裸で、ふんどしを締めて爆走した。
道具箱
船箪笥(ふなだんす)
出典:ラフジュ工房
船箪笥(ふなだんす)とは、江戸時代から明治にかけて船に積み込まれて使われた、荒海にも耐えられるよう頑丈な木組みと鉄金具で保護された箪笥のことです。
船の利益は莫大なもので、船主の富と権力の象徴として装飾性の強いものが多く、箪笥を組み立てる指物師と、金具や錠前を作る錠前鍛冶職人、そして漆職人との合作で、完成まで2~3ヶ月もかかりました。
また、内部は水の浸入を防ぐ桐(きり)材で水に浮き、隠し箱が組み込まれ、鍵代わりになるような精巧な細工と工夫で盗難を防いだそうです。
船箪笥には、船の船頭などが船中で使用した衣類用の大型のものと、商売に必要な帳面、金銭、印鑑、筆、硯(すずり)などを収納していた「懸硯 (かけすずり) 」や「帳箱 (ちょうばこ)」 と呼ばれる小型のものがありました。
出典:府中家具木工資料館
▲『懸硯(かけすずり)』は一種の手提げ金庫の様なもので、てっぺんに付いている取手を持って運ぶ。大きな錠前、蝶番で全体を覆い尽くされていて、持主の家紋が付けてあるものもあった。外側は堅い欅(けやき)材が使われ、内部には桐(きり)材の引き出しと隠し箱が仕込まれた。
出典:アンティーク山本商店
▲『帳箱(ちょうばこ)』にはその名の通り、帳簿や筆などの筆記用具などが収納されていた
船箪笥は新潟県の佐渡島が名産地で、その多くは二重底や二重引き出しなどを巧みに使うことで、いくつもの「隠し」のスペースが存在しています。
なかには引き出しに見せかけた扉や底に見せかけた蓋による仕掛けを重ねて、最後に小さな桐箱が現れるというような、非常に複雑なからくり仕掛けのものもありました。
照明器具
行灯・行燈(あんどん)
出典:Japaaan
行灯・行燈(あんどん)は蝋燭(ろうそく)や油脂を燃料とした炎を光源とする照明器具で、持ち運ぶもの、室内に置くもの、壁に掛けるものなど様々な種類があります。
もともとは持ち運ぶものだったため「行灯」の字が当てられ、これを唐音読みして「あんどん」と呼ばれる様になりましたが、携帯用照明は後に「提灯(ちょうちん)」に取って代わられた為、据付型が主流となったようです。
出典:江戸ガイド
▲『提灯(ちょうちん)』は伸縮自在な構造で細い竹でできた枠に紙を貼り、底に蝋燭を立てて光源とした。「提」は手にさげるという意味で、携帯できる灯りを意味し、現代における懐中電灯の役割をするものを呼んだ。『春夕美女の湯かゑ里』(三代歌川国貞 画)
行灯が普及したのは江戸時代のことで、それ以前は台の上に火皿を乗せただけで、風除けのない「灯明皿(とうみょうざら)」が用いられていました。
出典:ひろしまweb博物館
▲『灯明皿(とうみょうざら)』は油を燃料とした照明で、素焼きの皿に麻や綿の紐などを浸して火をつけて使用した。「灯明」とは仏教用語で「仏に捧げる灯火」のことを指し、江戸時代初め頃までは寺社の仏事や神事、武家など上流階級の屋内の灯りといった、限られた場所で使用された。
行灯は竹などで作られた枠に和紙を張った風よけの覆いで四方を囲った空間に油脂を注いだ火皿を置いて、木綿やイグサなどの紐などを浸して火をつけて使用します。
光源に蝋燭を使用するものもありましたが、当時はとても高価だったので、安価な菜種油などの「植物油」が使用されるのが一般的でした。
しかし、庶民にとっては植物油すら高価だったので、さらに安価なイワシ油などの「魚油(ぎょゆ)」が燃料として用いられましたが、とんでもない悪臭が発生するという欠点がありました。
暖房器具
囲炉裏(いろり)
出典:Icotto
囲炉裏(いろり)とは民家などに設けられた炉の一種で、床を四角く切って灰を敷き詰めた場所に薪(まき)や炭で火をつけて暖房や調理に使用されました。
この囲炉裏を囲んで家族や親類たちと食事をしていたことから、コミュニケーションの場としても重要な機能を持っていました。
また囲炉裏の周りには座る場所も決められていて、主人は建物奥側、妻は手前の炊事場に近いところ、などとされていたようです。
囲炉裏は室内で火を起こすので、特に薪を使用した場合は部屋中に煙が充満するので煙たいという弊害があるのですが、部屋中に乾燥した暖かい空気を充満させることによって、建物に使われている柱や梁などの木材に含まれている水分を少なくして「腐食しにくくする」という利点があります。
さらには薪を燃やしたときに発生する煙に含まれる「タール」という成分が、建物の梁や茅葺(かやぶき)屋根、藁(わら)屋根の建材に浸透して「防虫性や防水性を高める」など、建物の耐久性を長くするための隠された効果もあったのです。
▼民家の歴史はこちらで紹介しています▼
長火鉢(ながひばち)
長火鉢(ながひばち)とは木製の箱の中に銅製の炉を収め、脇や下部に引出しをつけて物入れ兼用にした横長の火鉢のことです。
「関東火鉢」、「江戸長火鉢」という呼び名もあり、火鉢部分の右横に「猫板(ねこいた)」とよばれるちょっとした物が置けるスペースがあり、猫板の下に2~3段の引出しが付き、火鉢の下にも横に2つ引出しが並ぶのが一般的です。
出典:ジャパンサーチ
▲長火鉢は湯を沸かして茶をいれるのによく用いられ、引出しには乾燥するので茶筒、煎餅(せんべい)や海苔(のり)など湿気を嫌うものを入れた。『風流相生つくし 稲ぼに蛍』歌川国貞
長火鉢の材質は桜や桐(きり)、また欅(けやき)がその堅さで人気がありました。
また、引き出しが付いている面の反対側に客人を座らせることから、引き出し面の反対側を「表側」として、表面にはその時最も美しいとされる木目(もくめ:木の切り口に見られる、年輪・繊維などから成る模様のような線)の板を使うのが江戸指物師の常識でした。
ナンタルカのまとめ
■江戸時代の家具、照明、工芸
(1)江戸で作られた収納家具は、釘などを使用せず木と木を組み合わせる技法である(①)が用いられた。(①)には、短い材を長くするために長さ方向に継ぐ(②)と、T字型、十字形、L字型のように角度をつけて材を連結する(③)がある。
(2)衣装箱には、もともと「ツヅラフジ」と呼ばれる植物のつるで編んだ蓋つきの籠のことで、やがて竹が代用され、補強のために和紙、防腐剤として柿渋、最後に漆で仕上げられるようになった(①)や、竹や柳、籐などを編んでつくられた(①)の一種である(②)、衣類や寝具の収納に使用された長方形の大型の木箱である(③)、近世の武家の旅行道具で、衣服や身の回りの品を納め、棹を通して従者に担がせた(④)がある。
(3)江戸時代から明治にかけて船に積み込まれて使われた頑丈な木組みと鉄金具で保護された(①)には、手提げ金庫の様な小型で錠前が付けられた(②)や、帳簿や筆などの筆記用具が収納されていた(③)などがある。
(4)照明器具は、竹などで作られた枠に和紙を張った風よけの覆いで四方を囲い、油脂を注いだ火皿を置いて、木綿やイグサなどの紐などを浸して火をつけて使用する(①)が広まった。暖房器具は、木製の箱の中に銅製の炉を収め、脇や下部に引出しをつけて物入れ兼用にした横長の火鉢である(②)が江戸時代中期ごろから普及した。
お疲れ様でした。
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