こんにちは、しけたむです。
この記事では
- 「書院造って聞いたことはあるけど、説明はできない。」
- 「和室が好きなので、和室について詳しくなりたい。」
という方に向けて
書院造のインテリアについて分かりやすく画像で解説します。
書院造って何? 〜寝殿造との違い〜
出典:Pinterest /慈照寺 東求堂 同仁斎
鎌倉時代から安土桃山時代にかけて支配階級が貴族から武士へと変化すると、建物の様式も貴族の住まいである寝殿造(しんでんづくり)から『書院造(しょいんづくり)』へと変化していきました。
『書院造(しょいんづくり)』とは
室町時代から安土桃山時代ごろにかけて大成した「日本の古典的な住宅形式」の一つ。
武士たちを中心とした住宅形式で、平安時代の貴族の住宅形式だった寝殿造から発展し、日常の生活機能を充足するために変化や改良が加えられたもの。
▼平安時代の用語についてのおさらいはこちらから▼
- 建物の一体化:渡殿(わたどの:寝殿と他の建物をつなぐ廊下)を廃して、寝殿と対屋(たいのや:主人の妻子が住む建物)をひとつの建物に。各部屋への移動が容易となりました。
- 間仕切り壁の追加:障子や襖をご利用頂けるようになり、屏障具(へいしょうぐ:間仕切りや目隠しとして用いられる調度品)だけでは寒いというご意見に対応しました。雨対策として、雨戸(あまど)も設置しました。
- 調度品の造り付けに対応:置き型だった調度品を建物内に固定化しました。しつらえの手間を軽減しました。
- 板の間から座敷(ざしき)へグレードアップ:板の間に置いていただけの畳から、畳を敷き詰めた畳敷きのお部屋をご用意しました。ごゆっくりお寛ぎ下さい。
そもそも「書院」という言葉は「書斎のある居間」という意味です。
書院造は平安時代の貴族の住宅様式「寝殿造」をもとに、鎌倉時代に入ると「武家造(ぶけづくり)」と呼ばれる武士のための簡素な住まいに変化しました。
鎌倉時代後期になると、武家造は「書斎のある居間」を持つ武士の住まいとして、「書院造」へと更なる発展を見せます。
出典:田辺泰「日本住宅発達系統図」
▲変形寝殿造は覚えなくてOK。寝殿造→武家造→書院造と言う流れだけ頭に入れましょう。
書院造が武士の住まいとして発展した理由は、武士が貴族に代わって勢力を持ったことと、武士が勢力を拡大する上で重要な仕事のひとつである「争いごとの調停や交渉活動」を書斎のある居間、つまり「書院」で行っていたことが挙げられます。
ハレ(晴)とケ(褻)
武士が交渉活動を行う公的な(パブリックな)空間は「ハレ(晴)」の場と呼ばれ、「書斎のある居間」として武士の住まいに広く設けられた。
対照的に、日常生活が営まれる私的な(プライベートな)空間は「ケ(褻)」の場と呼ばれ、ハレの場と区別された。
書院がまだ誕生する前のこと。
寝殿造から書院造への変換期に「集会を行う所」のことは「会所(かいしょ)」と呼ばれていました。
出典:江戸小紋空間デザイン
▲会所とは「居間」であるため、日常生活が営まれる「ケの場」としても、交渉活動などを行う「ハレの場」としても使われた。
会所には人が集まったり、接客を行う場所なので客人をもてなすために(見せびらかすために)工芸品や調度品などの美術品で飾られました。
時代を経てそれらは建物に固定化されて・・・
- 「書院(付書院)」
- 「床の間」
- 「棚」
を基本とする座敷飾り(後述)に発展し、会所が「書院」と呼ばれるようになったのです。
また寝殿造のコンセプトは「自然との調和」という華やかなものでしたが、書院造では庭園に池を作って楽しむということは無くなり、かなり質素なものとなりました。
この時代に誕生したのが『枯山水(かれさんすい)』という水のない日本庭園様式です。
出典:あばうと京都/龍安寺方丈庭園
▲京都の『龍安寺』にある枯山水の庭園
▼枯山水は、こちらの記事で紹介しています▼
出典:国立国会図書館
▲部屋の周りに畳を置いた『追い回し』。畳は板の間の上に直接置かれているだけ。
書院造の構成要素とは
▲座敷飾りには実際に飾られている置物だけではなく、作り付けられた床や棚のことも含まれる。
書院造は床の間や棚、書院と呼ばれる机などで構成されていて、これら床の間やその周囲の棚、書院などに加えて、床の間に飾られた掛け軸や燭台(しょくだい)、花瓶(かびん、けびょう)などを総称して「座敷飾り(ざしきかざり)」と呼びます。
書院造はまずこの座敷飾りを覚えよう!
床の間(とこのま)
出典:小学館/日本大百科全書(ニッポニカ)
日本人なら誰もが一度は見たことがあるであろう床の間(とこのま)。
床の間とは、座敷の壁面に設けられた絵画や生け花を観賞するための場所で、床(ゆか)を一段高くして、正面の壁には掛軸(かけじく)を掛け、床(とこ)の上に花瓶・置物などを飾ります。
ちなみに「床の間」という呼び方はじつは俗称で、正式な呼び方は「床(とこ)」になります。
床の間にも様々な形式やデザインの違いはありますが、基本的な床の間は畳が敷いてある高さより「床框(とこがまち)」の高さだけ1段高くしています。
出典:ゲイナンハウス
▲赤い丸で囲われた部分が床框。床框が無く、一段高くしていないフラットな床は『踏み込み床』と呼ばれる。
1段高くなったところは「床板(とこいた)」という木の板を敷いたり、「床畳(とこだたみ)」と呼ばれる畳を敷くこともあります。
出典:島内たたみ店
▲床の間に敷かれた床畳
また、下のイラストのような
床框を付け、床を高くして床畳を敷き、上部には落掛(おとしがけ)、床柱を立てて、床の脇に違い棚や付書院を備える。
・・・とした床の間の組み合わせを、「正式な床の間の形式である」という意味から
『本床(ほんどこ)』と呼ばれます。
出典:大和ハウス
▲正式な床の間の形式である「本床」
本床とは、もともと禅宗の座臥具(ざがぐ)であった置き畳から発展したものでした。
▼禅宗については次回記事で解説!▼
座臥具(ざがぐ)とは座る時に使う道具のことで、置き畳や円座、倚子がこれにあたります。
▼座臥具については前回の記事で解説してます▼
まだ床の間がない時代には、和室の正面の壁には禅宗の影響から仏画(ぶつが)などが掛けられていて、その前に『三具足(みつぐそく)』と呼ばれる礼拝用の3点セットを置いて礼拝していました。
礼拝用3点セットは、『花瓶(かびん:※)』と『香炉(こうろ)』と『燭台(しょくだい)』です。
(※華瓶(けびょう)ともいいます。)
出典:精選版 日本国語大辞典
▲仏画の前に置かれた三具足と押板
この3点セットを置いていた卓(前机)が『押板(おしいた)』です。
三具足を押板の上に置いて行われていた礼拝は次第に慣習化され、
「じゃあもっと礼拝しやすいようにしっかり作ろうや!」
となり、造り付けの床の間へ発展してゆきました。
このような禅宗で用いられた押板から派生した造り付けの床を『押板床(おしいたどこ)』といいます。
出典:国立国会図書館
▲〔上〕壁に掛けた仏画の前に置いた卓(前机)が床の間の起源。卓の上には三具足(香炉、花瓶、燭台)を置いた。〔下〕やがて卓が造り付けの床(押板床)になる。『慕帰絵詞』(部分)
このような押板床は最も古い床の形式ですが、江戸時代以降は用いられなくなり、逆に畳床を使用した本床が江戸時代の座敷で普及されるようになります。
違い棚(ちがいだな)
出典:小学館 デジタル大辞泉
違い棚(ちがいだな)とは、2枚の棚板を左右から互い違いに吊った棚で、カジュアルな物置では無く、茶碗などの美術品や工芸品を飾るようなディスプレイ用の棚として用いられました。
江戸時代になると客人の好みに合わせて、違い棚に置き物を自由に乗せ替えることもあったそうです。
また、2枚の棚板を上下でつないでいる束(つか)は、海老束(えびづか)と呼ばれます。
付書院(つけしょいん)
出典:ノスタルジックジャパン
▲床の間の横に設けられた付書院は、出文机(だしふづくえ)が原型とされる。
付書院(つけしょいん)とは、床の間の側面に外側へ張り出した部分を設け、明かりを取り入れることのできる障子(しょうじ)である「明障子・明り障子(あかりしょうじ)」(※)とその下に板をつけて、机のように作った場所のことです。
※明障子・明り障子(あかりしょうじ)とは
木の枠の片面に和紙を張った採光のできる障子のこと。
現代で一般的に「障子」と呼ばれるものは、この明障子のことを指します。
しかし遡(さかのぼ)ること平安時代、寝殿造で「障子」と言うと、戸や衝立(ついた)て、襖(ふすま)などの屛障具(へいしょうぐ)一般のことを指していました。
付書院の板の下には収納が設けられることもあり、硯(すずり)・筆・文鎮(ぶんちん)などの文房具が収納されました。
付書院の起源は、鎌倉時代に「書院」と呼ばれた寺院の居間兼書斎に付設するように張り出して設置されていた「読み書きをする場所」にまで遡(さかのぼ)ります。
この書院から張り出して設置された「読み書きをする場所」には机が置かれ、「出文机(だしふづくえ)」と呼ばれました。
出典:精選版 日本国語大辞典
▲書院から張り出すようにして設けられていた『出文机(だしふづくえ)』
「書院に付設された出文机」は時代の流れとともに、ただの「書院」と略して呼ばれるようになります。
これでは「居間」という意味の「書院」という言葉と混同してややこしいので「付書院(つけしょいん)」と呼ばれるようになり、こうして付書院は書院造の座敷飾りのひとつとなったのです。
ちなみに付書院の壁が外側に張り出しておらず、板が付いていない付書院のことを
「平書院(ひらしょいん)」といいます。
出典:精選版 日本国語大辞典/平書院
▲明かり障子のみが取り付けられていて、机が無い平書院
「付書院」と「平書院」のことを、総称して「書院」と呼びます。
「書院」と言う言葉はいろんな意味がありややこしいですが、
- 書斎のある居間
- 座敷飾りの構成要素「付書院」や「平書院」の総称としての意味
- 座敷飾りを備えた部屋や建物自体のこと
という意味を持っています。
京都市左京区にある銀閣寺として有名な慈照寺(じしょうじ)は、最古の座敷飾りを持つ部屋「同仁斎(どうじんさい)」のある『東求堂(とうぐどう)』と、銀閣と呼ばれる『観音堂(かんのんどう)』などから成っています。
出典:Fraxinus2
▲京都にある『慈照寺』の地図。赤い部分が銀閣と呼ばれる『観音堂』で、5の場所が国宝に指定されている『東求堂』。東求堂内には最古の座敷飾りを持つ部屋「同仁斎」がある。
東求堂にある同仁斎(どうじんさい)という4畳半の書院は、付書院や違い棚の座敷飾りのある最古の部屋と言われてます。
出典:Pinterest /慈照寺 東求堂 同仁斎
▲慈照寺『東求堂同仁斎』の書院
出典:LINEトラベル /東求堂同仁斎
▲1486年に建立された東求堂は書院造の源流となっている
帳台構(ちょうだいがまえ)
出典:フトコロタイムズ
▲名古屋城本丸御殿にある帳台構(写真右)
一般的に床の間から向かって右側に設置された扉の座敷飾りを帳台構(ちょうだいがまえ)といい、「納戸構え(なんどがまえ)」とも呼ばれます。
帳台構は、もともとは寝殿造に起源を持つ設備で、寝殿造におけるベッドルームである塗籠(ぬりごめ)への入り口が装飾化されたものです。
▲名古屋城本丸御殿にある帳台構を正面から
帳台構は敷居(しきい)を畳より一段上げ、鴨居(かもい)を長押(なげし)より一段低く設けた区画に、美しい装飾が施された4枚の襖絵を入れます。
中央の二枚は左右に引き分けることができますが、外側の二枚は嵌(は)め殺しとなっていて、開きません。
出典:世界遺産 元離宮二条城
▲かなり大規模な書院造にしか帳台構はみられなかった『二条城二の丸御殿』
このような大きな広間では、身分の違いを表すために偉い人が座っている場所は1段高くなっています。
この1段高くなった間を上段(じょうだん)の間といい、頂戴構はこの上段の間に設置されています。
書院造の建具
書院造では各種の建具が建て付けとなり、寝殿造で用いられた蔀戸(しとみど)に代わって、平安時代後期からは遣戸(やりど)という板付きの引き戸が用いられるようになりました。
▼覚えていますか?蔀戸(しとみど)▼
鎌倉時代後期に入ると、遣戸が発達して引き違い戸(違い遣戸ともいう)が見られるようになりました。
明かり障子も鎌倉から南北朝時代に盛んに用いられており、書院造の代表的な建具です。
また、桃山時代に入ると建物の外周には、現代でも馴染みのある雨戸(あまど)が登場します。
遣戸(やりど)
遣戸とは「左右に開閉する板張りの引き戸の総称」のことです。
初めて登場したのは平安時代に遡りますが、室町時代以降は書院造に多用されます。
引き違いの遣戸のことは「違い遣戸(ちがいやりど)」とも呼ばれました。
遣戸の表裏に桟(さん)と呼ばれる横長の木材を、等間隔に並べて取り付けた下図のような遣戸は「舞良戸(まいらど)」と呼ばれます。
出典:精選版 日本国語大辞典
舞良戸(まいらど)
▲高野山金剛峰寺にある舞良戸(写真右)
舞良戸(まいらど)とは、書院造の建物に用いられた建具で遣戸の1種です。
戸の表裏に桟(さん)と呼ばれる木材を横に狭い間隔で取り付けて強度を出した作りとなっていて、現代の寺社仏閣の建築物でもこのような遣戸を目にすることが出来ます。
出典:精選版 日本国語大辞典 /舞良戸
書院造の天井
現代では室内に天井を張っているのは一般的ですが、寝殿造ではまだ天井は張られていませんでした。
出典:北道倶楽部
▲寝殿造に平らな天井が張られたのは後期のこと。それまでは室内で見上げると、屋根を支えている「垂木(たるき)」や「桁(けた)」、「梁(はり)」が丸見え状態だった。
平安時代も後期になると、現代でも見られるような平らな天井である「平天井(ひらてんじょう)」や、タテヨコに細い木を格子状に組んだ天井が見られるようになりました。
出典:奈良・春日大社
▲奈良県・春日大社の幣殿(へいでん)には、平安時代後期の寝殿造の建築様式が用いられている。この天井は格天井(後述)の一種「小組格天井(こぐみごうてんじょう)」で、細かい格子が入っているのが特徴。
竿縁天井(さおぶちてんじょう)
出典:木の店さんもく
▲壁と天井のつなぎ目に「回り縁」という材をぐるりと部屋の四方に取り付け、その上に竿縁を架けて、さらにその上に天井板を乗せているという構造の「竿縁天井」
竿縁天井(さおぶちてんじょう)は、日本建築で最も一般的な天井の一種です。
部屋の天井の四隅にぐるりとめぐらせた「回り縁・廻り縁(まわりぶち)」に「竿縁(さおぶち)」と呼ばれる細い横木を30−60cm間隔に渡し、竿縁の上に天井板を乗せます。
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
茶室や数寄屋造りでは、細い丸太や竹を竿縁として用いることもあります。
▼茶室のインテリアはこちらから!▼
▼数寄屋造りのインテリアはこちらから!▼
天井板に使用される樹種には木目の美しい杉が多く、屋久(やく)杉(鹿児島県)、神代(じんだい)杉(宮崎県)、秋田杉(秋田県)などは特に美麗な木目で珍重されています。
出典:杉の舎
▲左が屋久杉の年輪で、右が植林した杉の年輪。比べてみると、屋久杉のほうがはるかに木目が密で、複雑であることがわかる。
格天井(ごうてんじょう)
出典:茶室を学ぶ
格天井(ごうてんじょう)は、格子状に組んだ木の上に天井板を張った天井です。
高級な書院造りや寺社仏閣などの面積の広い空間で見られる天井で、一般住宅ではあまり見られません。
格天井は、格縁(ごうぶち)天井ともいわれます。
出典:世界遺産 元離宮二条城
▲二条城二の丸御殿『黒書院三の間』には、煌びやかに装飾された格天井を見ることができる
出典:オーカツの格天井
ちなみに上の写真で天井と建具の間にある装飾を欄間(らんま)といいます。
明かり取りとして、風の通り道として、お部屋で焚いたお香の香りを建物に行き渡らせるため、など様々な機能があります。
欄間は、遡(さかのぼ)ること奈良時代ごろから寺社建築において採光を確保するために用いられたと考えられていて、後に貴族の住宅建築や書院造にも用いられるようになり、江戸時代以降には一般住宅にも採り入れられました。
出典:ぶつえいどう
▲欄間にはシンプルなものから緻密な彫刻が彫られたものまで種類はさまざま。現代では古民家などで使用されていた欄間は廃棄せず保存されることが多く、高値で取引されている。
折上格天井(おりあげごうてんじょう)
出典:フトコロタイムズ/名古屋城本丸御殿
折上格天井(おりあげごうてんじょう)とは、格天井の中央部を折り上げてさらに1段高くした天井のこと。
天井の四周部分(天井と壁のつなぎ部分)が曲線上に折り上げられています。
名古屋城の『本丸御殿』や二条城の『二の丸御殿』のように、絵画、装飾文様で飾られることもあります。
出典:世界遺産 元離宮二条城
▲二条城二の丸御殿の天井。写真手前が格天井、写真奥が折り上げ格天井となっている。
木割(きわり)という設計手法
出典:Gooブログ/木割り
書院造での建築には木割(きわり)という設計手法が用いられました。
これは柱の「見付け寸法(みつけ寸法)」、つまり「柱を正面から見たときの幅(長さ)」を基準として、建築を構成する様々な寸法を決めていく設計手法です。
例えば
「廊下の幅は、柱8.5本分の寸法にしよう!」
→柱の太さが12cmなら、廊下の幅は 12cm×8.5本 で 102cm!!
「階段の1段の高さは、柱2本分の寸法で!」
→柱の太さが11cmなら、階段の1段の高さは 11cm×2本 で 22cm!!
ということです。
柱の太さ、つまり見付け寸法が基準なので、それが何本分かというように設計を行います。
木割は現代のモデュラーコーディネーション(※)という設計手法に通じています。
※モデュラーコーディネーションとは
建築部材、設備から設計、施工などの建築生産の全体にわたり、基本単位となる寸法の基準(モデュール・モジュール)を決めて、構造材・家具・設備などがモデュールで割り付けられた位置に納まるようにすること。
▼モデュラーコーディネーションはコチラの記事でご紹介!▼
▼畳割りはコチラの記事でご紹介!▼
ナンタルカのまとめ
■書院造の構成要素とは
(1)書院とは、座敷の壁面に設けられた掛け軸や生け花を観賞するための場所である(①)と、2枚の棚板を左右から互い違いに吊った棚(②)、座敷から外へ張り出した部分を設けて机のように作った(③)などを総称した(④)を備えた部屋や建物のことで、書院を中心に構成された住宅様式を『(⑤)』という。
(2)銀閣寺として有名な(①)にある(②)が日本最古の書院造といわれ、国宝に指定されている。
■書院造の建具
書院造では各種建具が建て付けとなり、平安時代の後期からは板張りの引き戸の総称である(①)が用いられる様になり、細い横桟を入れて頑丈にした(②)などが生まれた。
■書院造の天井
部屋の天井の四隅にぐるりとめぐらせた「回り縁・廻り縁」に「(①)」と呼ばれる細い横木を30−60cm間隔に渡して天井板を乗せたのが「(①)天井」である。
格子状に組んだ木の上に天井板を張った(②)天井や、中央部を折り上げてさらに1段高くした(③)天井は、格式の高い書院造で使用された。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
わからないことがあれば、お問い合わせからご連絡いただけると嬉しいです。
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