こんにちは、しけたむです!
この記事では「柱割と畳割の違いがよく分からない」、「畳の敷き方に正解ってあるの?」という悩める皆様に向けて、常識的に知っておきたい畳について分かりやすく画像付きで解説していきます。
- 「柱割と畳割の違いがよく分からない。」
- 「畳の敷き方に正解ってあるの?」
畳割と柱割とは?
畳の大きさ
出典:伊藤たたみ店
あなたのお住まいに畳はありますか?
ある不動産会社が2018年に「新築住宅を建てた全国の男女1,000人」を対象に行ったアンケート調査では、80%以上が和室を導入したと答えているという結果が出ています。
日本の住まいではまだまだ畳のある和室が好まれていることが窺(うかが)え知れますね。
どうやらナンタルカも、自宅に畳を敷きたいと考え中の様です。
まずは一緒に畳の大きさについて学びましょう。
(※:1間(いっけん)とは、古くから日本で使われてきた「尺貫法(しゃっかんほう)」と呼ばれる長さの単位のこと。1間は6尺(しゃく)で、1尺はメ−トル法で約303mmとされているので、1間だと約1,820mmに換算される。)
・・・このように、畳の大きさは決して一定では無く、いくつかの規定寸法があります。
さかのぼること室町時代、畳のサイズに統一された規定寸法などは無く、作り手によって様々な寸法が用いられていました。
畳の規格寸法は安土・桃山時代の頃に京都で考え出されたと言われていて、慶長13年(1608年)の資料に「京間(きょうま)」という語が初めて登場します。
江戸時代に住宅の建築戸数が増えてくると建築資材を決まった寸法でつくること(規格化)が進んで畳の規格寸法が次第に普及していきましたが、関東地方では「江戸間(えどま)」が、次いで東海地方では「中京間(ちゅうきょうま)」が考案され、地域によって畳の規格寸法に違いが生じました。
出典:伊藤たたみ店
▲「京間>中京間>江戸間」の順に小さくなる。京間は西日本で広く用いられ「関西間(かんさいま)」、「本間(ほんま)」とも呼ばれた。江戸間は長い辺が5尺8寸であることから「五八間(ごはちま)」、また「関東間(かんとうま)」や「田舎間(いなかま)」とも。中京間は横縦の大きさが3尺×6尺だったことから「三六間(さぶろくま)」とも呼ばれる。
出典:みんなの知識
▲江戸時代の畳職人が描かれた書物で、「京間」と「田舎間」の畳の寸法の違いが記載されている。「彩画職人部類(さいがしょくにんぶるい)」(1770年)
戦後になると鉄筋コンクリート構造の集合住宅で畳が用いられるようになり、さらに小さな畳の規格寸法である「団地間(だんちま)」が登場し、畳の寸法は多様化しました。
出典:OPEN HOUSE
▲畳の種類を6畳の広さで並べると、こんなにも広さに違いが出る。団地間は「公団間(こうだんま)」とも呼ばれ、最も小さい。
畳割と柱割
出典:前田伸治+暮らし十職
江戸時代には京都を中心に『畳割(たたみわり)』という設計手法が考案されました。
畳割とは、畳の大きさと配置(畳の置き方)に合わせて柱と柱の間隔を決めていく設計手法です。
「まず最初に畳ありき」で畳の位置を決めた後、畳の周囲に柱の位置が決められているので、敷いてある畳の大きさが全て同じサイズで畳をどこに敷き変えてもぴったりと納まります。
出典:前田伸治+暮らし十職
▲畳割の畳の大きさは全て同じ。柱と柱の間隔は毎回調整されるため異なる。近畿地方を中心に普及した設計手法。
畳割のように柱と柱の間隔を畳の大きさを基準にして「柱の内側から内側までの寸法(内法:うちのり)」で決める設計方法は『内法制(うちのりせい)』ともいいます。
一方、江戸では『柱割(はしらわり)』という設計手法が考案されました。
柱割とは、畳割とは逆に柱と柱の「芯(中心)」の間隔に合わせて畳の大きさを決めていく設計手法です。
「まず最初に柱ありき」で、柱と柱の芯の間隔を「6尺(1,820mm)」という寸法の倍数で柱を立てる位置が決められるので、関西の「京間(1,910mm)」では大き過ぎて敷き込むことができません。
出典:伊藤たたみ店
▲上記の柱割のケースでは、柱と柱の芯の間で畳を敷くことができる寸法は「5尺8寸(1,760mm)」まで。京間の大きさは「6尺3寸(1,910mm)」なので、柱割ではサイズが全く合わない。
そこで柱割にちょうどよいサイズ(5尺8寸)の「江戸間(関東間)」という畳が作り出されました。
出典:伊藤たたみ店
▲京間と江戸間の大きさは、並べてみるとその大きさの違いがよくわかる
しかし、柱と柱の「芯」までの間隔は「6尺」の倍数と決まっていたため、柱の太さ(大きさ)が変わると江戸間を使ってもぴったりと敷き込めないケースが発生するので、その場合は畳の大きさをさらに小さくするなどの微調整をして敷き込む必要があります。
畳の大きさを1枚1枚微調整している場合は畳を別の場所に敷き変えることはできず、敷き込む位置が決まってしまうということなります。
出典:前田伸治+暮らし十職
▲柱割の柱と柱の芯の間隔は6尺という寸法の倍数で一定だが、畳の大きさは柱の大きさ(太さ)によって毎回調整されるためそれぞれ異なる。江戸を中心に全国で普及した設計手法。
現代ではこの「柱割」を基準とする建て方が主流となっています。
「畳割」で使用されていた「京間」も、現代では「柱割」で用いられることもあり、その場合は1間の長さを6尺5寸にして柱を配置して、6尺3寸の京間を敷き込みます。
柱割のように柱と柱の間隔を「柱の中心から中心までの寸法」で決める設計方法は『心々制・真々制(しんしんせい)』ともいいます。
そのとおり、1間の長さは時代とともに変化しています。
さかのぼること戦国時代、農民たちの納税額を所有している田畑の面積によって決めるため、全国の田畑を測量した「太閤検地(たいこうけんち)」が戦国武将「豊臣秀吉」によって行われました。
出典:ADEAC
太閤検地での田畑の測量による長さの基準単位は「町、丁(ちょう)」が用いられました。
町(丁)という基準単位を「1間(けん)」に換算すると、
60町(丁) = 1間 = 6尺3寸 = 1,910㎜
となり、この寸法を用いることを全国で統一させました。
京都で誕生した「京間」のサイズは、この6尺3寸(1,910mm)という寸法を基準としていたというわけです。
ところが時は流れて江戸時代、検地の基準の見直しが行われ、
1間 = 6尺 = 1,820㎜
と改変されたのです。
これは徳川幕府による増税のためでした。
畳の敷き方の種類
祝儀敷きと不祝儀敷き
あなたは畳の敷き方って意識して見たことってありますか?
実は畳の敷き方にも、ちゃんと意味があるんです!
まず「畳の敷き方」のことを「畳敷様(たたみしきよう)」といいます。
畳敷様は、一般的な吉(縁起のいい)敷き方の「祝儀敷き(しゅうぎじき・しゅくぎじき)」と凶(演技の悪い)の敷き方で葬儀などで敷き変えられた「不祝儀敷き(ふしゅうぎじき・ふしゅくぎじき)」に分けられます。
祝儀敷きは、「畳と畳の合わせ目がT字型」になるように敷き、床の間手前の畳を「長手方向が床の間と平行」になるように敷きます。
出典:生活110番
不祝儀敷きは、「畳の角が十字型」になるように「凶事があった際に祝儀敷きから敷き変える」敷き方です。
出典:尾道の宿しーそー
▲大広間は横一列に敷くのが一般的で、これは不祝儀敷きではない
ナンタルカのまとめ
■畳の大きさ
畳の規格寸法には、京都発祥で6尺3寸の(①)と、関東地方で広まった5尺8寸の(②)、東海地方では6尺の(③)がある。
■畳割と柱割
畳割は(①)とも呼ばれ、畳の寸法を基準として柱の間隔を決めていく設計手法であるのに対し、柱割は(②)とも呼ばれ、柱と柱の「芯(中心)」の間隔に合わせて畳の大きさを決めていく設計手法である。
■畳の敷き方
畳の敷き方には、葬儀など縁起の悪いときの敷き方で畳の角が十字になるように同じ方向に並べる(①)と、一般的な畳の敷き方で畳の角がT字型となるように並べる(②)がある。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
わからないことや分かりにくい箇所があれば、ぜひお問い合わせよりご連絡ください。
▼次回、江戸時代の家具と照明、工芸品はこちら▼