どうも、しけたむです!
この記事では
- 「東ヨーロッパから西アジアにかけてのオリエンタルな雰囲気のインテリアや建築に興味がある。」
- 「ビザンチン文化と聞いても、まったくピンとこない。」
という皆様へ向けて
ローマ帝国分裂後の世界のインテリアについて画像付きで解説していきます。
ビザンチン文化の特徴
▲トルコ共和国のイスタンブールにあるモスク『ハギア・ソフィア(アヤソフィア)大聖堂』(537年)
4世期末の395年、キリスト教を採用した強大なローマ帝国は東西に分裂(※)し、東ローマ帝国と西ローマ帝国が誕生しました。
(※ゲルマン人という北ヨーロッパから来た民族が、フン族という中国方面から来た強敵に追われてローマ帝国の領土内に逃げ込んできて大混乱に陥った為。『ゲルマン人の大移動』)
出典:旅をする記
▲分裂したローマ帝国は西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂。それぞれの位置は大体このあたり。
その後、東ローマ帝国は「ビザンチン帝国」、または「ビザンツ帝国」とも呼ばれ、ササン朝ペルシャなど西アジアの文化をどんどん取り入れて独特なビザンチン文化を形成しました。
▼分裂までのローマ帝国はこちらの記事にて▼
ペンデンティブドーム
出典:Hubpages
▲6世期に完成したトルコの『ハギア・ソフィア(アヤソフィア)大聖堂』のペンデンティブドーム
ビザンチン文化の建築の特徴は、なんと言ってもペンデンティブドームです。
ペンデンティブは日本語では穹隅(きゅうぐう)と呼ばれ、大きなドームの上に小さなドームが乗っているかのような見た目の建築で使用される構造のことです。
球形のドームを正方形の部屋の上に置いたりするために必要な建築構造で、「ペンデンティブ」とは下の大きなドームの球面の三角形の部分を指します。
出典:Greelane
▲ペンデンティブは上の小さなドームを支えている下のドームの球面の三角形の部分
ペンデンティブドームは、上部のドームの重量を下部のドームの先細りになっている部分から四方の柱へ加重を分散させることによって大空間を可能にしています。
出典:HLAB /ペンデンティブドーム
ドームの足元には、ほとんど垂直加重のみしかかからないため、開口部が多く設置でき、内部に光を取り入れることができるとされています。
代表的な建築は、トルコのイスタンブールにある『ハギア・ソフィア(アヤソフィア)大聖堂』(532年建築)です。
出典:Arkeofili
▲『ハギア・ソフィア大聖堂』のペンデンティブドーム。この斬新な構造の強度は実は不十分で、地震によるドームの崩落、外部からの補強追加など完成当時とは異なる見た目となってしまっている。
『ハギア・ソフィア大聖堂』はドームのある建造物として世界最大級の規模を誇るモスク(イスラム教の礼拝堂)で、1985年に「イスタンブール歴史地区」として世界遺産(文化遺産)に登録されたビザンチン建築の最高傑作と称されています。
もともとは4世紀に建立されたキリスト教の聖堂でしたが、オスマン帝国の征服後にイスラム教のモスクとして改修され、壁に描かれていたイエス・キリストなどのキリスト教に関わる装飾は漆喰で塗りつぶされるなど隠されてしまいました。
イタリアのヴェネツィアにある『サン・マルコ寺院』もペンデンティブドームを有するビザンチン建築を代表する建築です。
出典:Pokke
▲計5つのドームを有する『サン・マルコ寺院』の外観。多くの彫刻が施されているファサードは後世に増築された。
『サン・マルコ寺院』は、ヴェネツィアで最も有名な大聖堂です。
ヴェネツィアの商人が828年にアレキサンドリア(エジプト)から持ち帰った聖マルコ(※)の遺体(聖遺骸)を祀るために建設されました。
※聖マルコとは
キリストの十二弟子を助けた人物として知られていて、聖マルコのようにキリストに関わる人物の遺体や遺品は、聖遺骸(聖遺物)として崇敬の対象となっている。
建設と焼失を繰り返したサン・マルコ寺院でしたが、現存する建物は1063年頃に起工し1090年頃に完成されたもので、その後900年にわたって建て増しや改修が行われて現在に至ります。
出典:Pinterest
▲『サン・マルコ寺院』のペンデンティブドームや壁面は、金色のモザイクタイルで覆われている。
教会建築の建築形式(プラン)
東西に分裂したローマ帝国は、東ローマ帝国と西ローマ帝国でそれぞれ教会建築を発展させました。
東ローマ帝国では、『集中式』と呼ばれる正方形や円形、ギリシャ十字形の平面形状をした教会建築が多く、
西ローマ帝国では、『バシリカ式』と呼ばれる入り口から奥に長い長方形、ラテン十字形の平面形状をした教会建築が多く建築されました。
出典:旅をする記
▲ラテン十字は長い部分が入り口側(西側)、短い部分が祭壇側(東側)となる
東ローマ帝国の集中式教会
東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の教会建築には正方形や円形、ギリシャ十字形の平面形状を基本とする『集中式』と呼ばれる建築形式が多く採用されました。
祭壇の近くに信者たちが集まっている(集中している)形式です。
出典:旅をする記
集中式の教会建築はバシリカ式の教会建築と比べて古くから造られていて、古代ローマの円形神殿がモデルとなっています。
出典:Budget Places.com
▲イタリアにある『ヘラクレス・ウィクトール神殿』は紀元前2世紀頃、古代ローマ時代に建てられた円形神殿。12世紀になると、キリスト教会として転用された。
バシリカ式は「手前から奥へ」という奥まで長く歩かせる水平構成なのですが、集中式は「地面から空へ」という垂直構成のため、ドームが多用されるという違いがあります。
イスタンブールにある『ハギア・ソフィア(アヤソフィア)大聖堂』をはじめ、ビザンチン建築の多くは集中式プランが採用されています。
出典:旅をする記
▲『ハギア・ソフィア(アヤソフィア)大聖堂』は集中式プランの典型
出典:Flicker
▲『ハギア・ソフィア(アヤソフィア)大聖堂』の立面図と正方形となっている平面図
ヴェネチアの『サン・マルコ寺院』は、ギリシャ十字形を使用した集中式プランが採用されています。
▲『サン・マルコ寺院』の西側ファサード。5つのドームが十字に並んでいるのが分かる。この西側(正面)ファサードは、サン・マルコ寺院の完成後に増改築して付け足されている為、寺院中央がビサンチン建築、ファサードはロマネスク建築となっている。
出典:MIT
▲『サン・マルコ寺院』の平面図。寺院中央はドームを中心にギリシャ十字形となっている。図面下側が西側(正面)ファサードであり、後に増改築で付け足されれているのが分かる。(建築当時の壁は黒い部分、のちに増築された部分は異なる色で描かれている。)
▼ロマネスクって何だっけ?てかたはこちらから▼
西ローマ帝国のバシリカ式教会
いっぽう、西ローマ帝国の教会建築には入り口から奥に向かって長い長方形、ラテン十字形の平面形状を基本とする『バシリカ式』と呼ばれる建築形式が多く採用されました。
キリスト教の教会では祭壇のあるアプス(※)を「東側」に置くため、入り口は必ず「西側」となり、東西に長い平面形状となります。
(※アプスとは教会の最も奥にある半円形、多角形に窪んでいるスペースのことで、祭壇や司教座が置かれました。)
出典:旅をする記
バシリカ式の「バシリカ」とは、古代ローマの集会場である『バシリカ』の特徴を継承した長方形の平面形状を持つ建築様式のことです。
出典:ermakevagus
▲古代ローマの集会場『バシリカ・アエミリア』の想像図。紀元前34年にローマに建設された。
バシリカは、中央通路である「身廊(しんろう)」の両側に、太く大きな柱である「列柱(れっちゅう)」が立てられ、列柱の外側に「側廊(そくろう)」、正面奥に祭壇の置かれている半円形に窪んだ「アピス(後陣:ごじん)」を持つ平面構成となっています。
▲身廊の上部天井は一段高くなっている事が多い。4世紀頃建設されたローマの『サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂』
バシリカ式の平面形状は、後に交差廊(身廊と袖廊が十字架のように交差している廊下)を加え、東西に細長い十字形である『ラテン十字形』を基本とする形式が多く造られるようになりました。
出典:旅をする記
後の時代、ロマネスク建築、ゴシック建築やルネサンス建築でも、多くの教会堂の基本構成はバシリカ式が採用されています。
出典:ThoughtCo
▲フランスのシャルトルにある『シャルトル大聖堂』(12世紀創建)
出典:Duomo milano
▲イタリアのミラノにある『ミラノ大聖堂(ドゥオモ)』(16世紀創建)
モザイク装飾
出典:Medium
▲イスタンブールのアヤソフィアにあるモザイク画『デイシス(嘆願)』(1260年頃)
モザイクとは、小片を寄せ合わせ埋め込んで、絵や模様を表現する装飾美術の技法のことです。
石、陶磁器、ガラス、貝殻、木などが使用され、建築物の床や壁面、あるいは工芸品の装飾のために施されました。
モザイクの技法を使用して絵画を描くことは、紀元前4世紀頃から見られました。
▲古代ローマ時代のポンペイから出土した『Cave canem”(犬に注意)』と書かれたモザイク
宮殿やヴィラ(別荘)の床面を飾るモザイクは北アフリカを含む地中海沿岸部全域で流行し、4世紀末にはキリスト教徒が建築したバシリカ(教会堂)で、床や壁面の装飾にモザイクが使用されました。
キリスト教のモザイク装飾の最も偉大なものは東ローマ帝国の時代に花開き、首都コンスタンティノポリスをはじめ、イタリア支配の拠点都市ラヴェンナやシチリア島の領土でもモザイクの傑作が大聖堂を飾りました。
出典:smarthistory
▲イスタンブールの『ハギア・ソフィア大聖堂(アヤソフィア)』にあるモザイク画『デイシス』(1260年頃)は、それまでのモザイク画に比べてキリストの顔が立体的に描かれているのが特徴。また南窓(正面から見て左)から入る光を効果的に利用するような工夫が成されているなど、ビザンティン美術の最高傑作とされる。
出典:Medium
▲『デイシス』の拡大図。南側(正面から見て左側)の窓から入る光を受けて、キリストがそこに実在するかのように右側に影を落として描かれている。また光の反射を計算し、貝殻模様、渦巻模様など場所によりモザイクの貼り方に変化を出している。
特にイタリアの都市ラヴェンナには「モザイクの首都」とも呼ばれるほど多くの遺産が残り、モザイクの研究や教育もさかんです。
出典:sheshegoes
▲ラヴェンナにある『サン・ヴィターレ聖堂』は、6世紀前半に建てられたビザンティン建築の聖堂。所狭しとモザイクで装飾されたアプス(後陣:ごじん)。
▼モザイクについては前回の記事内でも紹介しています▼
マクスミニアヌス(マクシミニアヌス)の司教座
出典:Wikiwand
家具については象牙彫刻を施した「マクスミニアヌスの司教座」が有名で、6世紀頃に製作されました。
象牙で彫られたパネルが全体に取り付けられていて、内部は木製になっています。
当時の皇帝であるユスティニアヌス帝がラヴェンナのマクシミアヌス大司教に贈ったもので、儀式などの際に用いられました。
ナンタルカのまとめ
■ビザンチン文化の建築
ビザンチン文化の建築の特徴は日本語で穹隅とも呼ばれる(①)で、大きなドームの上に小さなドームが乗っているかのような見た目のドームが特徴的である。このドームが用いられている代表的な建築は、イスタンブールの(②)がある。
■教会建築の建築様式
東西に分裂したローマ帝国は、東ローマ帝国と西ローマ帝国でそれぞれ教会建築を発展させた。東ローマ帝国では(①)と呼ばれる正方形や円形、(②)十字形の平面形状をした教会建築が多く、西ローマ帝国では(③)と呼ばれる入り口から奥に長い長方形、(④)十字形の平面形状をした教会建築が多く建築された。
■モザイク装飾
キリスト教のモザイク装飾の最も偉大なものは東ローマ帝国の時代に花開き、首都コンスタンティノポリスをはじめ、様々な大聖堂でモザイクが飾られた。特にイタリアの都市(①)は「モザイクの首都」とも呼ばれるほど多くの遺産が残り、モザイクの研究や教育もさかんである。
■ビザンチン文化の家具
ビザンチン文化の家具については象牙彫刻を施した(①)が有名で、6世紀頃に製作された。象牙で彫られたパネルが全体に取り付けられていて、内部は木製になっている。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
わからないことや分かりにくい箇所があれば、ぜひお問い合わせよりご連絡ください。
次回もお楽しみに!
▼次回、イスラム文化のインテリアはこちら!▼