どうも、しけたむです。
この記事では
- 「ルネサンスという言葉は聞いたことがあるけど、説明はできない。」
- 「そもそもルネッサンスって芸人のネタだと思ってた。」
という人のために
ルネサンス様式の特徴を分かりやすく画像で解説します。
ルネサンス様式とは?
出典:Smartravel
▲ルネサンス期のイタリアの画家サンドロ・ボッティチェッリの作品『ヴィーナスの誕生』(1483年)
ルネサンス(Renaissance)は「ルネッサンス」とも呼ばれ、「再生」や「復活」を意味するフランス語です。
ギリシャやローマ時代の古典様式の文化を復興しようとする文化運動、及び芸術様式のことで、14世紀にイタリアのフィレンツェで始まり、15−16世紀に最盛期を迎え、西欧各国に広まりました。
ルネサンスは類稀なる天才的芸術家を輩出した時代で、ミケランジェロの『ダビデ像』などの彫刻や、
出典:Japanese class
▲身の丈5.17メートルという巨大な大理石の石像『ダビデ像』(1501-1504)
レオナルド・ダ・ヴィンチによる『モナ・リザ』や『最後の晩餐』などの絵画が有名です。
▲ミラノにある修道院の食堂に描かれたもので、ほとんどの作品が未完とも言われるレオナルドの絵画の中で、数少ない完成した作品の一つ『最後の晩餐』(1495−1498)
▼ギリシャとローマの古典様式についてはこちら▼
ルネサンスの装飾の特徴と代表的建築
ルネサンスの建築は古典建築で用いられたオーダーやシンメトリー(左右対象)構成が重視され、外観は直線的で水平線が強調されたデザインとなっています。
水平線の強調と階層の区分にはコーニスが用いられました。
コーニスは上下階の仕切りに用いる横架材で、シンメトリーと水平線が強調されます。
また、コーニスは建物を雨水から保護するために突出しています。
出典:Drawer Pro
▲コーニスはイタリア語で水平の出っ張りを意味する「cornice(コルニーチェ)」に由来する。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
▲巨大なドームが特徴的な大聖堂は、フィレンツェのシンボルとなっている。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、「フィレンツェ大聖堂」という通称で呼ばれるイタリアのフィレンツェにあるキリスト教・カトリックの教会です。
ルネサンス期に建築された代表的な建築物で、1296年の着工から1436年の竣工まで140年以上をかけて建設されました。
建築期間が長かった為、ルネサンス期最初の建築家であるフィリッポ・ブルネレスキをはじめ、数多くの建築家たちが建築に携わっています。
▲フィリッポ・ブルネレスキ(1377 – 1446年)は、イタリアの金細工師、彫刻家、そしてルネサンス最初の建築家で、フィレンツェ大聖堂ではドームの設計を担当した。彼は冗談や悪ふざけで他者をからかうことを楽しんだが、発想鋭く聡明であった。 遠近法(えんきんほう)を発明したことでも有名。
また、2つの時代の建築様式が混在した建築物となっているのが特徴的で、イタリアにおける晩期ゴシック建築および初期ルネサンス建築(1400年〜1475年頃)の特徴が各所に現れています。
出典:OPERA DI SANTA MARIA DEL FIORE /フィレンツェ大聖堂
▲外装には白、緑、ピンクの大理石が使用されている。天に向かって高く伸びたファサードやバラ窓、トレーサリーの装飾や尖頭アーチはゴシック様式の特徴。
出典:PICTOREM
▲身廊の尖頭アーチは後期ゴシック期に造られた
出典:Culture Trip
▲大聖堂のドームは初期ルネッサンスの代表的な特徴の一つ
▼ゴシック様式の特徴はこちらから再確認!▼
テンピエット
出典:GEOS NEWS
▲16本のオーダーやドームなどの古典建築の要素が盛り込まれた外観
テンピエットとは『サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会』の中庭にある小さな礼拝堂で、1502年頃にルネサンス期を代表する建築家であるドナト・ブラマンテが建築し、盛期ルネサンス建築(1475年〜1527年頃)の最高傑作と言われています。
▲ドナト・ブラマンテ(1444 – 1514年)はイタリアの盛期ルネサンスを代表する建築家で、以後の古典建築に絶大なる影響を及ぼした。後世の建築家たちから「優れた建築を生んだ最初の建築家」、「古代の建築を蘇らせた人物」などと評された。
ブラマンテはテンピエットの設計について古代の劇場を参考にして設計したといわれていて、テンピエットはその後のドーム建築の基本になりました。
出典:LINE/Tempietto
▲テンピエットの内部は彫刻で飾られ、床には美しいモザイクタイルが敷かれている。
ローマの『サン・ピエトロ大聖堂(後述)』や、『アメリカ合衆国議会議事堂』などのドームもテンピエットを参考にして建設されました。
出典:トラベルブック
▲18世期に建築された『アメリカ合衆国議会議事堂』はテンピエットを参考にして造られた。
■ドームとドゥオモの違い
ドーム(Dome)は英語で、「半球形の丸屋根、丸天井、丸屋根状態のもの」を指す。
ドゥオーモ(Duomo)はイタリア語で、「町の一番重要な教会」を指す。
どちらの言葉も、もともとはラテン語の「Domus(ドムス )」という「家」を意味する言葉から由来していて、それがイタリアで「ドゥオーモ 」が「神の家=教会」を指すようになった。
また、イタリアでは「丸屋根」のことを「クーポラ(cupola)」と言うことから、ドームと同じ意味として使われている。
サン・ピエトロ大聖堂(聖ピエトロ寺院)
▲『サン・ピエトロ大聖堂』のファサードには、2階分の高さを持つオーダーである「ジャイアント・オーダー」が使用されている。古典建築には見られなかった新しい要素が加わっているのも大きな特徴のひとつである。
サン・ピエトロ大聖堂は、バチカン市国にあるカトリック教会の総本山で、「聖ペテロ大聖堂」、「聖ピエトロ寺院」と表記されることもあります。
16世紀初期の盛期ルネサンスに建築がスタートし、後期ルネサンスを超え、17世紀初期のバロック期に完成しました。
このように大聖堂は100年以上の長い年月を掛けて建築された為、
①ブラマンテ、ラファエロらによるオーダーやドームなどの古典様式を規範とした盛期ルネサンスの要素
②ミケランジェロによる2階分以上の高さのあるジャイアント・オーダーなど、古典建築では見られなかった後期ルネサンスの要素
③ベルニーニによる大聖堂内外の建築や装飾にみられるバロック期の要素
・・・という3つの要素を持ち合わせた壮大な建築となっています。
▼後期ルネサンスについてはこちらから▼
▼バロックについてはこちらから▼
現在のサン・ピエトロ大聖堂は1626年に竣工された2代目で、初代の大聖堂はその遥か昔の4世紀ごろに創建されていました。
▲建て替え前の初代サン・ピエトロ大聖堂の復元図(15世期頃作成)
1499年に当時のローマ教皇が、老朽化が激しく、側壁が崩れ、今にも落ちそうな屋根の初代大聖堂を見て、まずは改修を行うことを思い立ちました。
そして1505年頃、 ローマ教皇ユリウス2世によっていよいよ改修の決定が行われましたが、計画がどんどん膨らんで最終的には全面的に建て替える壮大な計画になります。
設計コンペによってテンピエットを建築した建築家であるドナト・ブラマンテが主任建築家に選ばれ、1506年から着工がスタート。
1510年には大聖堂のドームを支持する4つのアーチが完成し、工事は順調に進んでいました。
・・・が、ここで大きな問題が!!
工事を始めたローマ教皇ユリウス2世は1512年、建築家のブラマンテは1514年にそれぞれ他界してしまい、サン・ピエトロ大聖堂の工事現場には4本の柱とアーチだけが残された状態になってしまったのです。
▲ローマ教皇ユリウス2世の死に加え、ブラマンテ逝去の後、大聖堂の工事は大混乱に陥った。『ドナト・ブラマンテの肖像画』(1769年)
次のローマ教皇レオ10世はブラマンテの後任の主任建築家に、画家であり建築家のラファエロ・サンティを指名しました。
ラファエロはブラマンテの同郷の後輩でもあり、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに「盛期ルネサンスの三大巨匠」と呼ばれる天才的芸術家でした。
出典:Ado
▲ラファエロ・サンティ(1483 – 1520年)は、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家であり建築家。大規模な工房を経営していたラファエロは、37歳という若さで病死したとは考えられないほどに多数の作品を制作した。
新たな建築担当者がラファエロに決まり、大聖堂の工事を再スタートしようとしていた矢先、ローマ教皇レオ10世は、
「ブラマンテが計画していた集中式プランって、なんかミサ(儀式)やりにくそうだよな。変更したほうが良くね?」
・・・などブラマンテが設計したプランの欠点を指摘し始めました。
ラファエロは依頼主であるローマ教皇レオ10世の要望に従い、ブラマンテが計画していた『集中式』プランから、ラテン十字形の身廊を備える古典的な『バシリカ式』プランへの設計変更を余儀なくされました。
▼集中式、バシリカ式の教会建築についてはこちら▼
・・・しかし、ここで再び大きな問題が発生!!
1520年、設計変更を行っている最中のラファエロが病によって急逝、翌年にはローマ教皇レオ10世も相次いで亡くなってしまったのです・・・。
その後、ローマが侵略されたり財政不足になったりと様々な問題により、大聖堂の建設はなかなか進みませんでした。
1532-1536年にローマを訪れたオランダ人画家が残した、当時の大聖堂のスケッチが現在に残されています。
このスケッチによると、ドームを支える柱と架けられたヴォールト以外の主要構造部分はほとんど工事が進んでいない上に、長らく放置されたために雑草が生えているなど酷い状況でした。
▲1532−1536年ごろのサン・ピエトロ大聖堂の荒れ果てた工事現場のスケッチ
ラファエロの死から26年もの歳月が経った1546年ごろ、ついに三大巨匠の最後の一人であるミケランジェロに白羽の矢が立ち、後任の主任建築家に選ばれます。
このとき彼はすでに71歳と高齢でしたが、超人的な能力でこの計画を押し進め、工事の規模自体を縮小するなどしてコストを切り詰め、さらに造営工事の進捗を促しました。
▲ルネサンスの三大巨匠最後のひとり『ミケランジェロ・ブオナローティ』(1475 – 1564年)は、西洋美術史上のあらゆる分野に大きな影響を与えた芸術家。現在でも人類史上、最高の芸術家の一人に数えられている。
ミケランジェロは無給で晩年の17年間を大聖堂建築に捧げ、彼の没年である1564年に、工事は大聖堂のドーム建造の手前あたりまで到達したのです。
ミケランジェロの死後、戦争などの影響で工事は一時停滞したものの、ドームは1588年から1590年にかけて昼夜を問わず工事が進められて架けられ、ドーム最上部の頂塔(ちょうとう:ドームのてっぺん)は1593年に完成しました。
▲サン・ピエトロ大聖堂のドームと、ドームのてっぺんに見えるのが「ランタン」と呼ばれる明かり採りになっている頂塔。
▲灯りで照らされるドームとランタン
1598年にはサン・ピエトロ大聖堂の内装も着工し、紆余曲折ありましたが1615年ごろにようやく完成に至ります。
出典:Flickr
▲大聖堂の中央身廊は最大高さ46メートル。教会建築としては世界最大の大きさを誇る。
ルネサンス期に建て替えがスタートしたサン・ピエトロ大聖堂でしたが、工事が終わってみると時代はすでにバロック期となっていました。
その為、ルネッサンス様式だけでなくバロックで見られる建築の特徴も随所に見られ、そのひとつに、サン・ピエトロ大聖堂の前に立ち並ぶ列柱廊(れっちゅうろう)と噴水が美しい『サン・ピエトロ広場』があります。
ルネサンス期ではドームなどの「円形」という形が一般的に建築で使用されましたが、バロック期ではサン・ピエトロ広場で「楕円形(だえんけい)」という今まで見られなかった形が用いられました。
▲サン・ピエトロ大聖堂の屋上から見る『サン・ピエトロ広場』にぐるりと立ち並ぶ列柱廊と中央にあるオベリスク(記念碑)、その両脇の噴水。
この広場は、バロック期の建築家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニという新たな天才による設計により、1656-67年に建設されることになります。
▼新たな天才ベルニーニの活躍は次回記事で!▼
パラッツォ
出典:Feel Florence /パラッツォ・メディチ
▲『パラッツォ・メディチ』の外観。一般的なパラッツォは3〜4層構造が主流だった。
当時の富豪が住む住宅、宮殿のことはイタリア語で「パラッツォ」と呼ばれ、1444~1459年にフィレンツェに建設された『メディチ家の邸宅(パラッツォ・メディチ)』が有名です。
パラッツォには基本的には優雅な「中庭」があり、外観は石材の凹凸を際立たせるような荒々しくて強い表情を持ったモニュメントとしての性質が強い建築が多いです。
出典:abstrART/Palazzo Medici
▲コリント式オーダーに囲まれた『パラッツォ・メディチ』の中庭
出典:Firenze Card
▲『パラッツォ・メディチ』のファサードは3層構成になっており、上階に行くほど繊細な表現になる。また水平線を強調するためのコーニスが使用されている。
ヴィラ
出典:Rome guide tours
▲ローマ郊外のティボリに造られたエステ家別荘
ヴィラ(villa)とは富豪が所有していた別荘のことです。
ルネサンス期のヴィラは、一般には季節を楽しむ別荘として都市からあまり遠くない場所に建てられました。
特に有名なヴィラは、ローマ郊外にあるチボリ(ティヴォリ)にあるエステ家所有の巨大ヴィラです。
▲パイプオルガンの自動演奏装置の付いた『オルガンの噴水』(1566−1571年)は、高い位置に溜めた水をパイプに通すことで水が10m以上吹き上がることに成功し、完成当時は噴水の革命といわれた。
後期ルネサンス期の代表的な庭園であり、イタリアで一番美しい噴水庭園として称えられているエステ家のヴィラには、4.5ヘクタールという巨大な敷地に無数の彫刻と500基以上の噴水が並び、2001年にはユネスコの世界遺産に登録されています。
ルネサンスの家具や装飾
ダンテスカ
出典:THE MET
▲ルネサンス期に使用されていた現存する貴重なダンテスカ。エルムと呼ばれる木が使用されていて座面と背中はレザー張り、木は象嵌細工で装飾されている(16世紀)
13−14世紀のフィレンツェ出身の詩人でもあり文学者であるダンテ・アリギエーリが愛用したことからその名が付けられたダンテスカ。
古典様式(古代ローマ)に影響を受けたデザインで、折りたたみ式のようなデザインでその見た目から間違いやすいですが、ダンテスカは折りたたみ式の椅子ではありません。
ダンテスカは重量があり持ち運びには不向きだったので、持ち運び椅子にはサボナローラが使用されました。
上流階級の人々が社交場で使用したと考えられています。
▲1655年にオランダの画家バルトロメウス・ファン・デル・ヘルストによって描かれた絵画の中のダンテスカ(左の男が座っている椅子)
サボナローラ
出典:THE MET
▲座面のテキスタイルは15世紀当時のもので、その他全ては19世紀に作り直されている。
サボナローラ(サヴォナローラ)は、ダンテスカと同じような折りたたみ式のチェアで脚が「桟(さん:細長い木で連続して組まれているもの)」になっているのが特徴です。
中央のジョイントで交差する湾曲したフレームのために「X(エックス)チェア」または「はさみチェア」とも呼ばれることがあります。
ダンテスカに比べると軽量な作りとなっていて、当時のサボナローラの背もたれと座席はベルベット、シルク、または革で装飾され、しばしば刺繡が施されていました。
サボナローラの素材には主に木が使用されましたが、青銅、または鉄で作ることもあったそうです。
出典:THE MET
▲背中の板を取り外すことによって折りたたむことができる
ちなみにサボナローラという名称は、かつてフィレンツェを救ったイタリア人の修道士『ジローラモ・サボナローラ』が使用していたことに由来しています。
スガベルロ
出典:THEMET
▲ウォルナット材で作られたスガベルロ(16世紀後半)
スガベルロ(Sgabello)は「スガベッロ」とも呼ばれ、イタリア語で「丸椅子」を意味するちょっと奇妙なカタチをした椅子です。
スガベルロの特徴は背もたれと板状になった脚部に装飾性に富んだ彫刻が施されていることで、座面が六角形や八角形になっているもの、座面の下が収納になっているものなどもありました。
座面の下が収納になっている椅子は、もともと中世の収納箱が腰掛け椅子へと発展したと考えられています。
出典:THE MET
▲ストレッチャー(背もたれ)の無いスガベルロは、スツールとしてだけでなくサイドテーブルとしても用いられた(16世紀頃)
スガベルロは社交場に置かれたのはもちろん、その装飾性の高さから富裕層の邸宅の玄関、廊下などにも好んで取り入れられました。
出典:WahooArt
▲1653年にオランダの画家バルトロメウス・ファン・デル・ヘルストによって描かれた絵画の中のスガベルロ(中央の男が座っている椅子)
カッサパンカ
カッサパンカは宮殿や屋敷など富裕層によって用いられた長椅子で、豪華な彫刻が施されたデザインが特徴的です。
カッサパンカ(cassapanca)という名称は、イタリア語の収納という意味の「カッソーネ」とベンチという意味の「パンカ」が語源となっていて、その名の通り座面になったフタを開くと収納になっています。
出典:THE MET
▲カッサパンカのデザインは椅子と異なりほぼ全てが1点もので、まさに家具作家が魂を込めた芸術品であった。ウォルナット材を用いられることが多かった為、火災などによる焼失で当時のまま現代に残るものは少ない『Cassapanca』(16世紀頃)
カッソーネ
カッソーネは14~16世紀のイタリアで製作された婚礼用収納家具で、伝統的に2セット作られて、それぞれに新郎と新婦の家紋が描かれているのが特徴です。
カッソーネは家族の富の象徴と見なされていて、家庭用家具の中で最も貴重なものであったため、収納家具の外側には浮彫や象嵌細工(ぞうがんざいく)(※)などが施され、彫刻や豪華で美しい絵で飾られました。
(※金属・陶磁器・牙(きば)・木材などに模様を刻み込んで、そこに金属や木材その他の異素材をはめ込んだもの。)
出典:THE MET
▲オスマン帝国とビザンチン軍の戦いが描かれたカッソーネ(1461年)
タピスリー
出典:THE MET
▲ルネサンス期の画家ベルナールト・ファン・オルレイによる『The Last Supper』(1525−1528)
タピスリーとは「タペストリー」とも呼ばれ、麻・ウール・絹などを用いて、絵や模様を織り出したつづれ織り(※)のことです。
(※横糸だけで模様を表現した織物のこと。)
しかし東洋で織り出されたつづれ織りとはサイズ、用途、材料、様式などは異なり、このタピスリーは壁掛け装飾品として使用されました。
出典:THE MET
▲後期ルネサンス期の画家ペリーノ・デル・ヴァーガによる『Jupiter and Juno』(1532−1535)
まるで絵画のようなタピスリーは、1枚が完成するまでに3年を要する作品もあるという大変に高価な代物でした。
ナンタルカのまとめ
■ルネサンスの装飾の特徴と代表的建築
(1)ルネサンスの建築は古典建築で用いられたオーダーやシンメトリー構成が重視され、外観は直線的で水平線が強調されたデザインとなっている。水平線の強調と階層の区分には(①)が用いられた。代表的な建築には(②)という通称で知られるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂があり、ルネサンス期の代表的な建築家である(③)をはじめ、建築期間が長かった為、数多くの建築家たちが建築に携わっている。
(2)『サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会』の中庭にある小さな礼拝堂(①)は、1502年頃にルネサンス期を代表する建築家である(②)が建築し、盛期ルネサンス建築の最高傑作とうたわれた。(③)はバチカン市国にあるカトリック教会の総本山で、16世紀初旬に建築が開始されると(②)や『盛期ルネサンスの三大巨匠』といわれている天才的芸術家のラファエロ、(④)も設計に参加し、17世紀初旬に完成するという壮大な建築となった。
(3)ルネサンス期の富豪が住む住宅、宮殿を(①)と呼び、1444~59年にフィレンツェに建設された(②)が有名。富豪が所有していた別荘は(③)と呼ばれ、特に有名なローマのチボリにあるエステ家所有の(③)は、「イタリア一美しい噴水庭園」として称えられている。
■ルネサンス期の家具
ルネサンス期の家具は古典的な装飾が施され、シンメトリーを重視した配置が多くなった。椅子ではダンテが愛用したと言われる(①)や、高僧の名前に由来する(②)、八角形の座面と特徴的な足をもつ(③)、(④)と呼ばれる長椅子が代表的である。収納家具にはウォルナット材が好んで用いられ、婚礼家具では(⑤)が、室内装飾品としては(⑥)が流行した。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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