どうも、しけたむです。
この記事では
- 「少しだけルネサンスについて分かってきたけど、もっと知りたい。」
- 「フランスやイギリスのルネサンスって、どんな感じだったのかな?
という人のために
ルネサンス様式(後編)について、分かりやすく画像で解説します。
▼ルネサンス様式(前編)についてはこちらから▼
後期ルネサンス様式の特徴
マニエリスム
出典:Dai hasegawa
▲ヴェネツィアにあるジャイアント・オーダー(後述)が使用されたアンドレア・パラッディオの『サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂』(1610年)
マニエリスムとは、盛期ルネサンス(1450年〜1527年頃)とその次の時代様式であるバロック(16世紀末から17世紀初頭)の間にある「後期ルネサンス(1520年〜1600年頃)」に見られる芸術様式の一つで、イタリアを中心に全ヨーロッパに広がった芸術様式です。
後期ルネサンス期の若き芸術家たちは、
と天才たちの作品を目の当たりにして、やや諦めムードになっていました。
(※ルネサンス期の三代巨匠は、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロ)
そしてミケランジェロの弟子たちは、三大巨匠たちの芸術的手法(いわゆる建築や芸術のテクニックのようなもの)を「マニエラ」と呼び、模倣を繰り返すようになります。
その結果・・・マニエラを繰り返した若き建築家たちは、盛期ルネサンス様式の造形に少しずつ飽き始め(マンネリ化)、マニエラに極端な強調や歪曲が加えられるようになってきました。
マニエリスムが広まった後期ルネサンス期の代表的建築家には、アンドレア・パッラーディオ(パラッディオ)(1508−1580)がいます。
出典/CITAZIONI E FRASI CELEBRI
▲ブラマンテやラファエロから影響を受けたアンドレア・パッラーディオ
パッラーディオは、平面図や立面図などのを設計図書を使って空間を設計した最初の建築家で、それまでの彫刻家や絵描きたちの建築手法とは全く異なる点で「人類史上初のプロ建築家」とも言われています。
出典:ARCHEYES
▲パッラーディオが設計したヴィラ(貴族の邸宅)『ヴィラ・アルメリコ・カプラ(ヴィラ・ロトンダ)』の平面図と立面図(1570年)
アンドレア・パッラーディオは、2階の高さにまで達する巨大なオーダー『ジャイアント・オーダー(大オーダー)』(後述)の用い方や、神殿や公共建築のみに使用されていた『ペディメント』(後述)を一般住宅に導入するなど、一歩間違えれば奇異になりかねない大胆な手法を駆使しました。
このアンドレア・パッラーディオが、後期ルネサンス以降に流行させたマニエリスムを用いた建築様式を「パッラーディオ(パラディオ、パラディアン)様式」といい、パッラーディオ様式を用いた建築が「パッラーディオ建築」です。
ジャイアント・オーダー
▲パッラーディオが設計した建造物の中で最高傑作と言われるヴェネツィアの『レデントーレ教会』(1592年)は、ジャイアント・オーダーと普通サイズのオーダーが混在している
ジャイアント・オーダー(大オーダー)とは、建物の2階以上の階を貫く巨大なオーダーのことです。
古典建築でも大きなオーダーは使用されましたが、上層階の無い1階分の高さのオーダーでした。
出典:しけたむ
▲ローマ市内にある古代ローマの円形神殿『パンテオン』のコリント式オーダーは、1階分の高さを支えているのみでジャイアント・オーダーでは無い。
また、2層にまたがるジャイアント・オーダーを使用した建築には、小さなオーダーが併用されることがあり、アーケードや窓やドアの枠に使用されました。
▲大小オーダーが併用された『レデントーレ教会』のエントランス。よく見ると扉の装飾も含めて4種の大きさのオーダーが用いられている。
出典:note
▲ヴェネツィアのパッラーディオによる『サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂』のジャイアント・オーダーは台座の上に乗せられた特殊なデザイン。よく見ると小オーダーも併用されている。
ペディメント
出典:artblog /レデントーレ教会
▲ペディメントは西洋建築における切妻屋根の、妻側屋根下部と水平材に囲まれた三角形の部分。日本建築では「破風(はふ)」と呼ばれる。『レデントーレ教会』は大きなペディメントの下に小さなペディメントを配した今までに無かったデザインだった。
ペディメントは古代ギリシャの神殿建築が原型と考えられています。
神殿建築の正面に用いられ、緩やかな勾配と豊かな彫刻が特徴的でした。
▲アメリカ・テネシー州にある古代ギリシャ時代の『パルテノン神殿』の原寸大レプリカ。ペディメントの勾配は緩やかで豊かな彫刻で飾られていた。
▼古代ギリシャの様式はこちらから▼
中世に入るとほとんどペディメントは用いられませんでしたが、ルネサンス期になると「教会や公共施設」のファサードを強調させるために再び多用されるようになりました。
古典建築でのペディメントに比べると、ルネサンス期のペディメントは勾配がやや強くなったことと、彫刻による装飾が少なくなるという傾向がありました。
▲バチカン市国の『サン・ピエトロ大聖堂』の正面ファサードにもペディメントがある。
▼サン・ピエトロ大聖堂は前回の記事参照▼
後期ルネサンスになると、パッラーディオはこのペディメントに彫刻をふんだんに取り入れ、ペディメントの装飾がペディメントを壊して飛び出したかのような『ブロークンペディメント』を室内ドアの上に採用しました。
▲ パッラーディオが設計したヴィラ(貴族の邸宅)『ヴィラ・アルメリコ・カプラ(ヴィラ・ロトンダ)』の室内に取り付けられたブロークン・ペディメント
また、パッラーディオはペディメントを初めて一般住宅に採用した人物と言われています。
出典:Mario Ferrara
▲『ヴィラ・アルメリコ・カプラ(ヴィラ・ロトンダ)』のペディメント
古典様式を理解したうえで、ちょっとした遊びや新奇さを入れるのがマニエリスムでした。
パラディアン・モチーフ
出典:Pedestal
▲1614年にパッラーディオによって改築された公会堂『バシリカ・パラディーナ』。もともとは中世に建てられたゴシック建築だったが、改修工事により既存のゴシック建築の周囲をパラディアン・モチーフのアーケードでぐるりと囲む様に付設された。
アンドレア・パッラーディオが考案したパラディアン・モチーフとは、アーチとオーダーの組み合わせに、『2対(つい)の小さなオーダー』を使用してアーチを支えることにより、アーチの脇に開口部をつくり、開放的なアーケードを演出するモチーフのことです。
▲『バシリカ・パラディーナ』はアーチを支える2対の小さなオーダーにより、脇に小さな開口部を開けて全体の開放感を増している。
イタリアのヴィチェンツァにある中世のゴシック建築である公会堂『バシリカ・パラディアーナ』での改修工事計画では、当初は既存の建物の周囲にアーチとオーダーを使用した普通のアーケードを付設する予定でした。
しかし、普通のアーケードを建物の周囲に付設すると、既存のゴシック建築に明るさが届きにくくなり、閉鎖的で暗い空間になってしまう恐れがあります。
そこでパッラーディオは、アーチを小さなオーダー2本で支える設計とすることで、アーチの脇に開口部を設け、開放的な空間を実現しました。
出典:楽天ブログ
▲パッラーディオはアーチを2対の小さなオーダーで支え、その両脇に小さな開口部を空けることで開放的なアーケードとした。
パッラーディオ様式は19−20世期のヨーロッパで再び人気が再燃し、パラディアン・モチーフはさまざまなデザインで、多くの建築物に使われています。
これらは「パラディアン窓」、「セルリアーナ」、「セルリアン・モチーフ」、「ヴェネツィア風窓」とも呼ばれています。
▲ベルギーの首都ブリュッセルにある住宅『Maison du Pigeon(メゾンドゥピジョン)』(1852)
▲イングランド・ウィルトシャーにあるカントリーハウス『English Houses』(2002)
グロテスク
出典:TRANS.BIS
グロテスク (grotesque) とは、古代ローマを起源とする異様な人物や動植物等に曲線模様をあしらった美術様式や装飾、模様(文様)のことです。
絵画などの芸術分野においてはその表現が特に顕著で、誇張された肉づけ、ねじれた人体や植物、空想上の動物や派手な色彩などが見られました。
出典:The Public domain review
出典:The Public domain review
出典:The Public domain review
グロテスクの語源は、古代ローマの庭園にしばしば造られた「人工洞窟」や「地下墓所」を意味するイタリア語『grotta(グロッタ)』に由来します。
15世紀末、古代ローマのグロッタが発見され、そこには人、動物、植物などをモチーフとした壁面装飾が施されていて、自然法則や本来の大きさを無視して人から植物へ、さらには魚、動物へと連続して変化する奇妙な模様が見られました。
16世紀に盛期ルネサンスの三大巨匠「ラファエロ・サンティ」が、その奇妙な模様からインスピレーションを受けたデザインをローマ教皇の住居である『バチカン宮殿』の内装に取り入れ、これがグロッタで発見された古代美術から「グロテスク装飾(グロテスク文様)」と呼ばれるようになったそうです。
▲ラファエロが『バチカン宮殿』ロッジの回廊に描いたグロテスク装飾(1517-1518)ラファエロが復興させたグロテスク文様は「ラファエレスク文様」とも呼ばれる。
その後、グロテスクはマニエリスムが流行していた後期ルネサンスのイタリアで、絵画、室内装飾、織物や陶器などの装飾モチーフとして使われるようになり、16世紀以降にヨーロッパ全域に広まっていったのです。
出典:abstrART
▲フィレンツェにあるメディチ家の宮殿内に造られた人工洞窟『ブオタレンティのグロッタ』(1583−1588)
出典:Progetto
▲『ブオタレンティのグロッタ』内部には数々の彫刻とフレスコ画で飾られている
フランスのルネサンス様式
フランスでは、16世紀初期の国王フランソワ1世の統治時代(1515 – 1547年)がルネッサンス期にあたります。
フランソワ1世(1494 – 1547年)は、イタリアから芸術家を招いて積極的にルネサンス様式を取り入れ、優雅でエレガントなフランス独自のスタイルを作り上げました。
その結果、フランスの美術および芸術は重要な発展をみることとなり、その功績から「フランス・ルネサンスの父」とも呼ばれています。
フォンテーヌブロー宮殿
出典:OUI /フォンテーヌブロー宮殿
フォンテーヌブロー宮殿は、16世紀前半にフランス国王フランソワ1世によって建てられたルネサンスを代表するフランスで最も大きな宮殿です。
後の皇帝ナポレオン1世は
「これこそまさに王の宮殿なり!」
と賞賛し、愛してやまなかったといいます。
出典:AMAZON.IT
フォンテーヌブロー宮殿の内装や庭は、イタリアで流行していたマニエリスムを導入してフランス風に解釈しなおしたものです。
▲『フランソワ1世の回廊』にはグロテスク装飾やフレスコ画やスタッコという化粧漆喰が見られる。
16世紀のフランスにおけるマニエリスムを取り入れた室内装飾は「フォンテーヌブロー様式」と呼ばれることもあります。
有名な『ヴェルサイユ宮殿』に比べればやや華やかさは控え目なものの、アラベスクやグロテスクの装飾も取り入れられ、ルネサンスの美を追求した豪華絢爛な宮殿は見事というほかありません。
▲『皇后の寝室』は歴代の女王が使用した寝室でマリー・アントワネットも使用していた。
▼ヴェルサイユ宮殿はこちらからご紹介しています▼
カクトワール
カクトワール(caquetoire)はルネサンス期に流行した特徴的な椅子の一つです。
貴婦人たちが膨らんだスカートを履いたまま座ることができるよう、座面の前方が広がっている点が特徴です。
それにより、貴婦人たちは着飾ったまま座ることができ、おしゃべりを楽しんだので「おしゃべり椅子」とも呼ばれました。
イギリスのルネサンス様式
イギリスでもイタリアから波及したルネサンス様式の影響を色濃く受け、チューダー様式、エリザベス様式、初期ジャコビアン様式として独自の発展が見られました。
エリザベス様式
▲チューダー様式、エリザベス様式の室内には暖炉が頻繁に用いられた。アーチには「チューダーアーチ」と呼ばれるゴシック様式で見られた尖頭アーチを上から潰したようなアーチ(ドラクエのスライムみたいなアーチ)が流行した。
エリザベス様式(※)は、女王エリザベス1世の統治時代(1558 – 1603年)に流行したイギリスの建築様式です。
出典:オンライン美術館
▲エリザベス1世(1533年 – 1603年)はイングランドとアイルランドの女王で、チューダー(テューダー)朝の最後の君主。彼女の統治した時代はとくに「エリザベス朝」と呼ばれ、「イングランドの黄金期」と言われている。
エリザベス様式は「チューダー様式(※)」と「ジャコビアン様式(後述)」との間に挟まれた過渡的な様式で、ゴシック様式の直線的で実用性を重視したデザインと、ルネサンス様式の特徴が混ざり合った独自の様式として、教会建築よりも城館などの世俗建築の分野で発展しました。
※チューダー様式とは
イギリスのヘンリー7世からエリザベス1世にわたるチューダー王朝時代 (1485~1603) に興った美術、建築とその装飾様式のことで、エリザベス様式もこの様式に含まれることがある。
伝統的なゴシック様式にイタリア・ルネサンスの装飾的要素を加えた「後期ゴシックからルネサンス様式への過渡期の様式」で、垂直に伸びる線を基調とするデザイン(垂直様式)にゴシックのなごりがあり、細部の装飾にはルネサンスの影響がみえる。
▲15世紀末にイングランドに建造された王室の宮殿『ハットフィールド・ハウス』はエリザベス様式から初期ジャコビアン様式にかけての代表的建築で、エリザベス1世が生まれ育った場所として有名。エリザベス1世の亡き後、17世紀初頭に改築されて現在のカントリーハウス(貴族の邸宅)となった。
出典:DAVID OAKES
▲タピスリーやエリザベス1世の絵画で飾られた室内は、後期ゴシック様式の特徴を残しながらルネサンスの影響が見られる。黒と白の市松模様で張られた大理石はエリザベス様式で好まれたデザイン。
イングランドのウィルトシャーに存在するカントリー・ハウス『ロングリートハウス』もエリザベス様式の代表的建築のひとつです。
広大な敷地内には、アフリカ以外では世界初のサファリパークを有します。
出典:RETRIP
▲チューダー期からエリザベス期にかけて活躍したイギリスの建築家「ロバート・スミスソン」の設計による『ロングリートハウス』(1568-1580)
▲壁面と暖炉にはオーダーの装飾が施され、入り口にはアーチの装飾などルネッサンスの影響を受けている。暖炉の上部には半人半獣のグロテスク装飾が使われている。
出典:PINTEREST
▲大型のタピスリーが掛けられた『ロングリートハウス』の回廊
▲『ハードウィック・ホール(Hardwick Hall)』(1591-1597年)は、イギリス・ダービーシャーに建てられた後期エリザベス朝のマナーハウス。エリザベス女王の権力を表すために高価だったガラスがふんだんに使われていて、壁よりもガラスが多いと言われているほど。ちなみに映画『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』の撮影にも使用されている。
▲『ハードウィック・ホール』のダイニングルーム。壁面に張られたウォルナット材の装飾が上品で落ち着いた印象を与えている。暖炉に施された装飾が古典建築で用いられたイオニア式オーダーであることからルネサンスの影響が見て取れる。
チューダー様式からエリザベス様式にかけての住宅建築は、急勾配の切妻屋根や、柱・梁・筋交いなどを外部に露出したり、構造体そのものが装飾の一部になっていて(ハーフティンバー構造)、全体的に直線的なデザインという特徴があります。
出典:Flickr
▼ハーフティンバー構造はこちらからチェック!▼
ジャコビアン様式
出典:Britannica
▲ジャコビアン様式のインテリアはルネサンスの前の時代の様式であったゴシック様式をまだ引き継いでいた為、凝った彫刻が施された装飾や家具が多かった。
ジャコビアン様式は、イギリスの国王ジェームズ1世の統治時代(1603 − 1625年)に流行した建築・工芸の様式です。
▲ジェームズ1世(チャールズ・ジェームズ・ステュアート:1566 – 1625年)は、ステュアート朝のスコットランド、イングランド、アイルランドを束ねた王。イングランドとスコットランドの王位を初めて一身に兼ねた君主であり、各国との協調政策に尽力し「平和王」とも呼ばれた。
ひとつ前の時代の様式であるエリザベス様式との連続性が強く、直線的なゴシックのデザインと、ルネサンスの華美なデザインのミックスという特徴は継続しながらも、華美さはやや控えめになり、落ち着いた佇(たたず)まいを示すデザインが多く見られるようになっています。
ジャコビアン期の建築材料には、ルネッサンス様式で頻繁に使用されていた石材に代わってレンガが流行し、窓も小さな矩形(くけい:長方形のこと)のシンプルなデザインが好まれました。
▲ロンドンのウィルトシャーにある『チャールトン・ハウス』は、ジャコビアン様式らしいレンガ造り。エントランスには小さなオーダーと獣面のグロテスク装飾、コーニスによる水平線の強調とシンメトリー、ファサード中央は手前にせり出し強調するなど、ルネッサンスの特徴が随所に現れている。
出典:Londonist /Charlton House
▲『チャールトン・ハウス』の室内。ジャコビアン様式の室内装飾や家具にはウォルナット材を使われることが多かった。
チューダー様式からエリザベス様式、そしてジャコビアン様式は、ぱっと見では違いが分かりづらいことがあります。
これらの様式は、中世の教会建築に用いられたゴシック様式の影響が残っているため禁欲的で落ち着いた印象のインテリア様式となっていますが、時代が進むにつれて職人技術の高まりや海外からの影響も受けて、次第に装飾的な建築、デザイン様式へと向かいます。
イギリスのルネサンス様式の家具装飾
ジャコビアン期に入ると、家具職人たちの技術力向上から凝った装飾を持つ家具が広く製作されるようになりました。
様々な特徴的な装飾が誕生した時代で、現代でも人気の装飾を見てゆきましょう。
バルボスレッグ(メロンバルブ)
出典:Elijah Slocum
バルボスレッグとは、脚や柱の途中に装飾されるかぶら形(がた)の挽物(ひきもの:木を回転させて削る加工)です。
この挽物は英国の伝統的な装飾で、様々なデザインが存在します。
バルボスレッグの起源は古く、もともとはイギリスのゴシック様式の僧院の柱に使われていた球根のような形のデザインが始まりと言われています。
その後、球根型の脚に彫刻が施されるようになり、その豪華な装飾はデスク、サイドテーブル、ベッドなどの家具の装飾に用いられました。
出典:LAPADA
キャノピー(天蓋)
出典:Hever castle
ベッドの上には天蓋(てんがい)、英語では「キャノピー」と呼ばれる天井がついた大型の家具が流行しました。
もともと貴族たちがすむお城には「寝室」という概念がなく、貴族たちは大きな広間で生活をするのが当たり前でした。
ベッドも大きな広間に置かれておりそこで寝ていたので、自分の寝姿が使用人をはじめ多くの人に見られている状態です。
「これでは落ち着いて眠ることができないぞ!」
と登場したのが天蓋付きベッドです。
天蓋を利用しベッドの周りにカーテンを引くことで、寝姿を人に見られることなくゆっくりと休めるようになったといわれています。
出典:Archello
ねじり脚
出典:PInterest
ねじり脚は「ツイストレッグ」、「バーリーシュガーツイスト」とも呼ばれ、その見た目の通りクルクルとねじったようなデザインの装飾です。
もともとは後期ルネサンスに、優れた木工職人の多かったオランダやベルギー辺りの地域から発達したとされ、16世紀以降にフランスやスペインなどでも流行しました。
やがてイギリスにもねじり脚が伝わると、ジャコビアン様式の家具に多用されて爆発的に流行し、ねじり脚の代名詞的存在となりました。
出典:Pinterest
▲ねじり脚には、ねじれの強さや太さによってさまざまな種類がある。
ちなみにバーリーシュガーツイストの「バーリー」とは日本語で「大麦」のことで、大麦の糖分を使用した「ねじりアメ」というヨーロッパの伝統的なお菓子のデザインからインスピレーションを受けた家具職人が考案したと言われています。
出典:Handle
その後、ねじり脚は当時イギリスの植民地であったアメリカに渡り、コロニアル様式(アーリーアメリカン)や周辺国に影響を与えました。
▼コロニアル様式(アーリーアメリカン)はこちらから▼
ナンタルカのまとめ
■マンネリスムとグロテスク
(1)16世期に入るとルネッサンスは技巧主義に走り、古典様式に新奇さを加える傾向が生まれた。これを(①)という。ねじれた人体や植物、動物のモチーフを曲線模様でつなぎ合わせた(②)はこの時代に流行し、次の様式であるバロック様式への橋渡しとなった。
(2)後期ルネサンスの代表的な建築家に(①)がいる。(①)は、2階の高さにまで達する巨大なオーダー『②』の用い方や、神殿や公共建築のみに使用されていた『③』を一般住宅に導入するなど、一歩間違えれば奇異になりかねない大胆な手法を駆使した。
■フランスのルネサンス
フランスでは16世紀初期のフランソワ1世の時代にルネサンスが広まり、大きく膨らんだスカートを着用した女性を考慮して座面を台形とした椅子(①)が流行した。建築ではイタリアのマニエリスムを取り入れたフランスで最も大きな宮殿である(②)が代表的である。
■イギリスのルネサンス
イギリスではルネサンス様式は他の国よりも遅れて広まったが、女王エリザベス1世の治政時代の(①)は、イギリスのゴシック様式の直線的で実用性を重視したデザインと、イタリアのルネサンス様式の特徴がミックスされた独自の様式となっている。国王ジェームズ1世の時代に流行した建築・工芸の様式である(②)は、華美さはやや控えめになり、落ち着いた佇まいを示すデザインが多く見られるようになった。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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では、次回もお楽しみに!
▼次回、バロック様式のインテリアはこちらから!▼