どうも、しけたむです。
この記事では
- 「イタリアのポンペイ遺跡に興味がある。」
- 「ド派手な家具よりも、古くて落ち着いたデザインの家具が好きだ。」
という方々に向けて、
ネオクラシズム(新古典主義)の特徴を分かりやすく画像で解説します。
ネオクラシズム(新古典主義)とは?
出典:しけたむ
▲イタリアのポンペイ遺跡は1748年に発見された
18世紀中期以降、バロック様式やロココ様式に見られた過剰ともいえる豪華絢爛、ド派手な装飾や表現の流行への反発があったり、イタリアのポンペイで古代ローマ時代の遺跡が発掘されたことがあったりで、ルネサンスの時代のように再び古典的な様式への評価が高まりました。
この再び訪れた古典主義の流行を『ネオクラシズム(新古典主義)』と呼びます。
フランスでは国王ルイ16世の統治している時代にあたる為、『ルイ16世様式』と呼ばれ、イギリスでは国王ジョージ1世から4世まで続くジョージアン期にあたる為、『ジョージアン様式』と呼ばれます。
▲ロンドン西部にある『オスタレー邸』はネオクラシズムの代表建築のひとつ
ネオクラシズムの特徴は、シンメトリック(左右対称)で直線的なデザインです。
古典的な様式への回帰を目指す様式であった為、ギリシャ・ローマ時代の古典的な装飾モチーフが随所に用いられているのもネオクラシズムの特徴です
▼古典様式を忘れてしまったら、こちらの記事から復習!▼
フランスのネオクラシズム(ルイ16世様式)
プチ・トリアノン
▲『プチ・トリアノン』の西側ファサード
フランスのネオクラシズム(ルイ16世様式)を代表する建築は、ヴェルサイユ宮殿内の庭園にある離宮の一つ、プチ・トリアノンです。
プチ・トリアノンは、ルイ16世の王妃である『マリー・アントワネット』の私的な宮殿として有名で、「小トリアノン宮殿」とも呼ばれています。
出典:Flicker
▲プチ・トリアノン宮殿の大理石を使用した豪華なエントランスホール。2階の壁面にはフェスツーン(後述)の装飾が見える。
プチトリアノンがマリー・アントワネットの私的な所有物となる以前、もともとこの建物はルイ16世のお爺様である、ルイ15世が自分の愛人である『マダム・ド・ポンパドゥール(ポンパドゥール夫人)』のために建設された建物でした。
▲その美貌でルイ15世を虜にしたポンパドゥール侯爵夫人『ジャンヌ=アントワネット・ポワソン』(1721−1764年)は、王の愛人たるその立場を利用してフランスの政治に強く干渉し、ベッドの上でフランスの政治を牛耳った「影の実力者」である。
しかし1762年から1768年のプチ・トリアノン建設中、ポンパドゥール夫人は42歳の若さで亡くなってしまった為、ルイ15世が新しい愛人である『マダム・デュ・バリー』にこの完成したばかりのプチ・トリアノン宮殿を与えたのです。
▲洋裁店で働いていた『マリ=ジャンヌ・ベキュー』(1743−1793年)は、デュ・バリー子爵の目に止まると貴婦人のような生活と引き換えに、子爵が連れてくる男性とベッドを共にして社交界をのし上がった。貴族の血筋では無いことと娼婦をしていたことで『マリー・アントワネット』に嫌われていた。
その後、1774年にフランス国王に即位した20歳のルイ16世(ルイ15世の孫)が、このプチ・トリアノンと周辺の庭園を19歳の『マリー・アントワネット王妃』に、彼女の私的な所有物として与えた、という流れです。
▲『マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ・ド・アプスブール=ロレーヌ』(1755-1793年)は、フランス国王ルイ16世の王妃。浪費癖と無思慮な行動で民衆の反感を買い、フランス革命の際に国外逃亡を企てたが失敗し、革命の敵としてギロチン処刑された。
プチ・トリアノンの外観は「ルイ16世様式」ですが、内装は「ルイ15世様式(ロココ様式)」が一部に見られます。
これはプチ・トリアノンが18世紀前半のルイ15世様式(ロココ様式)から、18世紀中頃以降のルイ16世様式への移行期における建築であったため、それぞれの様式を持ち合わせた建築となった、と言われています。
出典:Flickr
▲『プチ・トリアノン』のサロン。金色のフェスツーン装飾が施された豪華ながらも可愛らしいインテリアとなっている。
▲『プチ・トリアノン』のダイニングルーム。壁に飾られている大きな4枚の絵画には神話に登場する神々が描かれていて、食事に関連する「狩猟」「収穫」「釣り」などをテーマとしている。
ジャン・アンリ・リーズネル
出典:Wikimedia commons
ジャン・アンリ・リーズネル(1734-1806)とは、ドイツ出身のルイ16世様式を代表する家具職人です。
パリで家具製作の修行を積み、1768年に家具職人マスターの称号を獲得しています。
マリ―・アントワネットはジャン・アンリ・リーズネルの家具が大のお気に入りで、いくつもの家具を製作させました。
出典:APOLLO
▲ジャンの1770年頃の作品『Roll Top Desk』
出典:APOLLO
▲ジャンの1782年頃の作品『Chest-of-Drawers』
出典:THE MET
▲正面の鮮やかな化粧板には、日本の17世期の漆器の小片が再利用されている(1783年)
このコンモード(いわゆるタンス)は、1783年にマリー・アントワネットがコレクションしていた日本から輸入された漆器などを収納するため注文されたものです。
艶のある黒漆に金を施し、光沢のある黒檀(こくたん)の地に、写実的な花が組み合わされた花綱と花冠をモチーフとする見事な金銅の飾り金具が、眩しいほどに映えています。
フェスツーン
出典:Newel Antiques
フェスツーンとはルイ16世様式に見られる花綱飾りの装飾のことで、2点の間に花や木の実・果実・グリーンやリボンなどをつなげて飾られます。
ヨーロッパでは建築装飾だけでなく、家具や陶器などのデザインのモチーフとしても幅広く使用されています。
出典:Sydney Living Museums
▲柱に彫刻された木の実などを含んだフェスツーン
ちなみに世界で一番古い花飾りは、花や葉を結んで紐状にするガーランドと呼ばれます。
古代ローマでは、このガーランドで飾られた石棺が見つかっています。
▲ガーランドの装飾が施された古代ローマ時代の大理石の棺
ガーランドを輪にしたものがクリスマスでお馴染みのリース(花輪)です。
このリースを頭にかぶると「サークレット(花冠)」と呼ばれ古代ギリシャ・ローマで一般的になっていきました。
ルネッサンス時代、ガーランドは豪華になり花・葉以外に果実・木の実・リボンで飾られフェスタ(祭り)にふさわしい飾りとなります。
さらにこのフェスタから「フェスツーン(花綱)」という言葉が生まれたと言われています。
▲『プチ・トリアノン』のエントランス階段の壁面に飾られたフェスツーン
イギリスのネオクラシズム(ジョージアン様式)
ネオクラシズム(新古典主義)は、イギリスではジョージアン様式がこの時代にあたります。
ジョージアン様式は、最初の4人の国王ジョージ1世、2世、3世、4世の治世(1714~1830)に行われた建築・工芸の様式です。
期間が100年余にわたるため、ジョージアン様式の中でも古典主義や異国趣味など、インテリアの流行にさまざまな変化が見られました。
ルネサンス期に活躍したイタリアの建築家「アンドレア・パラッディオ」による『パラッディオ様式(パッラーディオ様式)』もこの時代に再び脚光を浴びて、イギリス建築に取り入れられました。
出典:TATLER
▲イギリスのノーフォークにあるカントリーハウス(貴族の邸宅)『ホートン・ホール』(18世紀初頭)には、パラディアン・モチーフやジャイアントオーダー、装飾多めのペディメントなどのパッラーディオ様式からの強い影響が見られる。
▼パッラーディオ様式って何だっけ?ならこちらから▼
この時代の建築・インテリアでは
・ロバート・アダム(アダム様式)
・ジョージ・ヘップルホワイト(ヘップルホワイト様式)
・トーマス・シェラトン(シェラトン様式)
という3人の著名作家が台頭し、それぞれの様式を確立しました。
アダム様式
出典:Regency History
▲アダム 兄弟の中心的存在であった次兄のロバート・アダム
アダム様式とは、18世紀後期のイギリスにおける建築やインテリア、その関連工芸の表現様式です。
建築家でデザイナーのアダム兄弟が確立したもので、別で建築家となっていた長兄のジョンを除く、次兄のロバート・アダムと弟のジェームズ・アダム、末弟のウィリアム・アダムで構成され、次兄であるロバート・アダムが中心的存在でした。
アダム兄弟の活躍時期が国王ジョージ1世から4世まで続くジョージアン期(1714-1830)の中期に当たるので「ミッド・ジョージアン様式」とも呼ばれます。
直線的な外観や明るい色調、精細華麗な装飾を持つ独自の洗練様式を展開して人気を博し、インテリアだけでなく建築にも大きな影響を与えました。
出典:Pinterest
▲ロンドンにある『ケンウッド・ハウス』はロバート・アダムが16年の月日をかけて内装を手掛けた
その女性的で洗練されたエレガンスなロバート・アダムが生み出す装飾や家具は『イギリスのルイ16世様式』とも呼ばれます。
代表作はロンドンにある『オスタレー邸』、イングランド北部のリーズにある『ヘアウッド(ハーウッド)・ハウス』、ロンドンにある『ケンウッド・ハウス』の室内装飾で、いずれも 1760年代および 70年代の作です。
オスタレー邸
出典:Wikipedia
オスタレー邸(オスタリーハウス)は、エリザベス1世の金庫番かつアドバイザーでもあったトーマス・グレシャムによって1576年に建てられました。
エリザベス女王も訪れたという記録が残るオスタレー邸は、18世紀になってから銀行家でロンドン市長も務めたというフランシス・チャイルドの手に渡ります。
出典:Pooky
▲『オスタレー邸』のエントランス前に立つイオニア式オーダー
1761年、フランシス・チャイルドは、当時イギリスで最もファッショナブルな建築家の1人として名を馳せていた「ロバート・アダム」を雇い、オスタレー邸の大規模リフォームを行い、現在の姿となりました。
出典:Pooky
▲壁面にタペストリーが張られた『タペストリールーム』
室内はモールディング(壁と天井、壁と床などの間の縁や隅に施す意匠)で飾られ、さらに壁にはモールディングで長方形を作り、その中に絵画を飾ったり、花輪や月桂樹、楽器などの彫り物で飾られました。
出典:Pinterest
▲天井と壁面に白いモールディングが施された『オスタレー邸』のエントランス
出典:Pooky
▲白いモールディングとパステルカラーで彩られたダイニングルーム
ヘアウッド・ハウス
出典:Pinterest
▲広大な敷地の中に立つヘアウッド・ハウス
ヘアウッド・ハウス(ハーウッド・ハウス)は、ロンドンとエディンバラの中間辺りのリーズという街の外れにある1000エーカー、約120万坪(東京ドーム約85個分!)の庭園の中に佇む豪邸です。
この豪邸の建設は政治家でもあり軍人のラッセル男爵が1759年、パッラーディオ様式の建築家「ジョン・カー」に依頼して始まり、内装を依頼されたロバート・アダムが建物の一部にも手を加えて、1772年に完成しました。
▼パッラーディオ様式って何なん?て方はこちらから▼
出典:Harewood house
▲アダムは『ヘアウッド・ハウス』のエントランスを長居する場所ではなく前室と捉えた。
▲『ヘアウッド・ハウス』内にある図書館。精巧な天井やパステルカラーはアダムの典型的な装飾。
内装のほとんどはロバート・アダムの設計によるもので、『ヘアウッド・ハウス』は彼の傑作の一つです。
パステルカラーを使用した配色や細部まで作り込まれた意匠からは、アダムの並々ならぬインテリア装飾へのこだわりが感じられます。
出典:The Culture Concept Circle
▲『ヘアウッド・ハウス』内にあるベッドルーム
出典:The Culture Concept Circle
▲ベッドルームの傍に置かれたトーマス・チッペンデールによるデザインの家具
ヘアウッド・ハウスの家具は18世紀を代表する家具デザイナー「トーマス・チッペンデール」によって手掛けられています。
▼トーマス・チッペンデールっ何なん?ならこちらから▼
アダム様式の家具
出典:Incollect
▲ロバート・アダムがデザインした椅子。背中にはメダリオン、脚は溝彫りが施されている。
アダム様式の椅子は背中のデザインが「メダリオン(卵形)」や「竪琴(たてごと)」のデザインとなっていること、脚には「溝彫り(フルーティング)」が施されていることが特徴です。
出典:Pooky
▲オスタレー邸に置かれているアダムの椅子。背中が竪琴のデザインとなっている。
出典:The Spruce Crafts
▲溝彫り(フルーティング)の装飾が施された脚
溝彫り(フルーティング)は、古代ギリシャ・ローマ時代のオーダーを彷彿とさせるような一定間隔で溝が彫られた直線的で細い脚となっていて、ロココ期に流行した装飾であるカブリオールレッグはすっかり見られなくなりました。
出典:THE MET
▲溝彫りされた脚を持つサイドテーブル『Side table』(1780年)
▼グロテスク模様とは?ならこちらから▼
ヘップルホワイト様式
出典:House Appeal
▲シールドバックと呼ばれる盾(シールド)をデザインモチーフとしたチェア
ジョージ・ヘップルホワイトは1727年頃にイギリスで生まれた家具デザイナーで、高級家具のデザイン、及び製作を行なった人物です。
ヘップルホワイトの家具は、新古典主義の建築家ロバート・アダムの作風から強い影響を受けていて、より実用性のある大量生産可能な家具を次々と考案しました。
出典:Pinterest
▲ヘップルホワイトの家具のスケッチ
美しく安価なヘップルホワイト様式の家具は労働者階級を中心に大流行。
ハート型(ハートバック)や盾型(シールドバック)の背もたれをもつ椅子が代表作となり、ほかにもフラワー、フルーツ、シェル(貝殻)などさまざまなデザインを生み出しました。
ロバート・アダムが作る家具のような脚の装飾「溝彫り(フルーティング)」は無く、「四角形の先細りの脚」が特徴となっています。
出典:Pinterest
▲背中にハート型のデザインを持つヘップルホワイトの椅子。脚は溝彫りではない。
シェラトン様式
出典:Lynn Byrne
シェラトン様式とは、1751年生まれのイギリスの家具デザイナー、トーマス・シェラトンが創案した家具の様式です。
1751年にイングランドのストック=オン=ティーズに生まれたシェラトンは、地元の家具メーカーに弟子入りすると、39歳まで働いた後ロンドンへ上京しました。
ロンドンではプロの家具コンサルタントとしてビジネスを行い、家具デザイナーとして頭角を現します。
シェラトンは1790年ごろから『家具設計図集』、『家具辞典』、『家具製造家と室内装飾家の設計図集』などの家具関連書籍を相次いで出版すると、多くの家具メーカーが彼の本を参考にして、やがてイギリスだけでなくアメリカのインテリア業界にも影響を与えることとなりました。
出典:National Galleries of Scotland
▲家具のデッサン集『The Cabinet Maker’s and Upholsterer’s DrawingBook』(1793年)
シェラトンの家具デザインには、壺・ばら・ベルフラワー(キキョウ科の鐘に似た花)などのモチーフが使用され、象嵌(ぞうがん)(※)という工芸技法が見られました。
※象嵌(ぞうがん)とは
象は「かたどる」、嵌は「はめる」と言う意味で、
「一つの素材に異質の素材を嵌め込む」技法のこと。
地の素材には金属・木材・陶磁などがあり、嵌め込む素材には金、銀、貝、地と異なる色や種類の木や陶磁などが用いられた。
象嵌のことを英語では「インレイ(inlay)」と呼ぶ。
▲縁取りのような象嵌が施されたシェラトンのサイドテーブル
出典:NICHOLAS WELLS
▲シェラトンのデザインにはアダム様式やヘップルホワイト様式の影響が見られる
出典:THE MET
▲トーマス・シェラトンがデザインしたアームチェア
ナンタルカのまとめ
■ネオクラシズムの建築と装飾の特徴
(1)古代ローマの遺跡ポンペイ発掘などの影響で、18世器中期以降のヨーロッパはルネッサンス以来再び古典的な造形が復活した。この潮流をネオクラシズム、または(①)といい、フランスでは(②)が相当する。イギリスでは国王ジョージ1世から4世まで続くジョージアン期にあたる為、(③)とも呼ばれます。
(2)フランスのネオクラシズムを代表する建築は、ヴェルサイユ宮殿内の庭園にある離宮の一つ、(①)があり、ルイ16世の王妃である(②)の私的な宮殿として有名である。ヴェルサイユ宮殿には(②)のお気に入りの家具職人である(③)が製作した家具が置かれた。
(3)ネオクラシズムの建築や家具には、花や木の実・果実・グリーンやリボンなどをつなげて飾られる花綱飾りの装飾である(①)が用いられた。
■イギリスのネオクラシズム
イギリスでは国王ジョージ1世〜4世の治世の間に優れた家具職人たちが現れた。女性的で洗練されたエレガンスな(①)が生み出す装飾や家具は「イギリスのルイ16世様式」とも呼ばれ、代表作にはロンドンの(②)、イングランド北部リーズにある(③)がある。ハート型や盾型の背もたれをもつ椅子が代表作で、円形の浮き彫り、花と貝殻文様、果実文様などにデザインの特徴がみられる(④)や、『家具設計図集』などの家具関連書籍を立て続けに出版し、イギリスだけでなくアメリカのインテリア業界にも影響を与えた(⑤)もそれぞれの様式を確立した。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
わからないことやお気づきのことがあれば、ご連絡いただけますと嬉しいです。
▼次回、アンピール様式のインテリアはこちらから!▼