こんにちは、しけたむです。
この記事では
- 「家具の名前って、たくさんあり過ぎてなかなか覚えられない。」
- 「イタリアの家具デザイナーについて最低限語れるようになりたい。」
という皆様に向けて、
これだけは知っておきたい、有名なイタリアンモダンのデザイナーのジオ・ポンティとヴィコ・マジストレッティについて分かりやすく画像で解説します。
イタリアン・モダンとは?
出典:CASSINA IXC
▲イタリアン・モダンデザイナーのジオ・ポンティがデザインした『スーパーレジェーラ』
イタリアン・モダンとは、戦後から1970年代頃にイタリアで生み出されたデザインスタイルのことで、それらを取り入れた家具や照明、絵画などを総称する言葉でもあります。
イタリアン・モダンの特徴には、「大胆な発想のデザイン」やモノトーンや赤・黄色・青などの非常に強い色を使った「鮮やかなカラーリング」、そして「シンプルで無駄がなく機能的であるフォルム」が挙げられます。
出典:デザイナーズ家具の世界
▲ヴィコ・マジストレッティがデザインした『セレーネチェア』はFRP (繊維強化プラスチック)という新しい素材を使用した発色の良いカラーリングが特徴
イタリアモダンを代表するデザイナーは、ジオ・ポンティ、ヴィコ・マジストレッティ、マリオ・ベリーニ、アキーレ・カスティリオーニなどがいます。
▼マリオ・ベリーニとアキーレ・カスティリオーニはこちら▼
イタリアの家具ブランドでは日本でもおなじみの、『Cassina(カッシーナ)』、『B&B italia(ビーアンドビーイタリア)』、『arflex(アルフレックス)』などが有名です。
出典:B&B italia
▲『B&B Italia』は1966年に起業家の「ピエロ・アンブロジオ・ブスネリ」により創立されたイタリアの家具ブランド。マリオ・ベリーニや深澤直人などの建築家やデザイナーとコラボし、革新的な技術とアイディアで瞬く間にトップブランドへと成長した。
Gio Ponti(ジオ・ポンティ)
出典:ELLE
ジオ・ポンティ (1891年 – 1979年)はイタリアの建築家、家具デザイナーで、建築・デザイン雑誌の『domus(ドムス)』を創刊したことでも知られています。
1891年、ミラノに生まれたポンティは30歳でミラノ工科大学建築学部を卒業して、ミラノで他の建築家と共同で事務所を立ち上げ、翌年の1923年からイタリアの陶磁器メーカー『リチャード・ジノリ』でアートディレクターを務めました。
出典:GINORI1735
▲ジオ・ポンティは『リチャード・ジノリ』(※)のデザイナーとして1923年より7年間活躍し、その時にデザインされた「Gio Ponti(ジオ・ポンティ)」シリーズは現在でも多くのコレクターがいる。
※GINORI 1735(リチャード・ジノリ)とは
1735年、鉱物学に詳しかったトスカーナ大公国(北イタリアの小国家)の「カルロ・ジノリ侯爵」が、ドイツのマイセンの窯に匹敵する陶磁器をイタリアにも作りたいと考え、自ら土や発色の研究をして窯を創設。
1896年、ミラノのリチャード製陶社と合併して『リチャード・ジノリ』となり、さらに1956年にラヴェーノのイタリア陶磁器会社と合併するとイタリア最大の陶磁器メーカーとなる。
2013年、リチャード・ジノリはGUCCI(グッチ)に買収され、グッチの子会社『GRG S.r.l.(グッチリチャードジノリ)』となり、2020年、リチャード・ジノリは『GINORI 1735』という新しいブランド名に変更して、新たな展開を見せている。
ジノリ最古の代表作「ベッキオホワイト」やトスカーナのとある貴族の為に造られた「イタリアンフルーツ」は不朽の名作といわれる。
出典:GINORI 1735
▲『Ginori 1735』の白地に青紫のプラムを中心にフルーツや小花を絶妙なバランスで散らした人気シリーズ「Itarian fruit(イタリアンフルーツ)」
1928年、37歳のジオ・ポンティは建築雑誌『domus』を創刊して、初代編集長を務めました。
出典:まるさんかくしかく
▲ドムスは現在も刊行が続けられていて、建築およびデザインの分野に対して絶大な影響を与え続けている。『domus No.338』(1958年)
1961年から1963年にかけミラノ工科大学建築学部教授を務め、1979年に88歳で亡くなりました。
ジオ・ポンティの代表作には、1951年発表の椅子『スーパーレジェーラ』、建築の分野ではミラノの超高層建築『ピレリ・ビル』、アメリカの『デンバー美術館北館』などがあります。
▲イタリア・ミラノに建てられた『ピレリ・ビル』(1960年)は、60年前に建てられたとは思えないような近代的なデザイン。1966年までヨーロッパで最も高いビルだった。
SUPER LEGGERA(スーパーレジェーラ)
出典:Cassina-ixc
スーパーレジェーラとはジオ・ポンティにより1951年にデザインされ、何度も試作を繰り返しながらイタリアの家具メーカー『Cassina(カッシーナ)』より1957年に発売されたチェアです。
スーパーレジェーラとは「超軽量」を意味する言葉であり、その重さはなんとたったの1,700グラムという、こどもが指一本で持ち上げることが出来る軽さでした。
出典:klat
▲発売当時、軽さをアピールするために子供が指一本で持ち上げている様子を写した広告写真
軽量ながら、トネリコという粘り気のある堅牢な木材を使用することにより耐久性を確保して、「軽くて丈夫」というデザイン性と機能性を両立させた、まさにジオ・ポンティの芸術作品とも呼べる傑作となりました。
シート部分に張られている「籐(とう)」(※)は、現在では貴重な技術とされる手作業での編み込みがされています。
チェアフレームを組み立てた状態で工場から籐編み職人の工房まで配送し、シート部分の籐をフレームに編み込んだ後、再び工場へ戻すという手間のかかる工程を経て、ひとつひとつ丁寧に作られているのです。
出典:D-plus stock
▲スーパーレジェーラのシートの藤の編み込みは、機械生産では行えない緻密な作業。脚は三角形になっていて、その一辺は18mmしかないという細さ。
※籐(とう)とは
籐は、広義にはヤシ科トウ亜科の植物のうち、つる性の茎を伸ばす植物の総称(約600種類)で、英名では「ラタン」という。
籐の繊維は植物中で最長かつ最強ともいわれ、家具の材料として人気が高い。
出典:Landmark
▲籐の茎は樹木に比べて成長が早く5~10年で家具などに使用できる大きさに成長するため、地球にやさしいエコ素材として注目されている。
Vico Magistretti(ヴィコ・マジストレッティ)
▲ミラノの著名な建築家の家に生まれたヴィコ・マジストレッティは「悪いデザインに言い訳はない」という自身の哲学を貫いた。
ヴィコ・マジストレッティ(1920年 – 2006年)は、家具デザイナーおよび建築家として知られるイタリアの工業デザイナーで、戦後の復興に努めてイタリアンモダンデザインの基盤を作った巨匠です。
ヴィコ・マジストレッティは1920年にイタリアのミラノで生まれ、建築家の息子として育つとミラノ工科大学に進学し建築を学びました。
出典:Fondazione pini
▲ヴィコ・マジストレッティ(右)と建築家の父ピア・ジュリオ・マジストレッティ(左)
しかし第二次世界大戦中の1943年、23歳のマジストレッティはドイツへの軍事的な国外追放を避けるために兵役中にイタリアを離れ、スイスに移ります。
スイスではイタリアの有名な建築家で家具デザイナーでもある「エルネスト・ネイサン・ロジャース」から強い影響を受けました。
出典:Domus
▲エルネスト・ロジャースはプリツカー賞を受賞した建築家『リチャード・ロジャース』のいとこでイタリアで活躍した偉大な建築家。
マジストレッティは1945年にミラノに戻るとミラノ工科大学を卒業し、父親が所有する建築会社で働き始めました。
▲ヴィコ・マジストレッティ(右)と建築家の父ピア・ジュリオ・マジストレッティ(左)
1950年代になると父親の建築会社から離れて家具や照明のデザイン分野に本格的に移ると、1960年代にはイタリアの家具ブランド『Artemide(アルテミデ)』や照明ブランド『OLUCE(オルーチェ)』といった世界の主要メーカーとのコラボレーションを開始しました。
現在、マジストレッティがデザインした家具や照明作品はヨーロッパ、アメリカ、日本の最も重要な国際美術館で展示され、12点もの作品がニューヨーク近代美術館(MoMa)などのさまざまな常設展示博物館で目にすることができます。
CARIMATE(カリマテチェア)
出典:Fritz hansen
カリマテ(カリマーテ)チェアは、ヴィコ・マジストレッティ が1959年にイタリア北西部のロンバルディア州のカリマーテにあるゴルフクラブのためにデザインされたチェアでCassina(カッシーナ)から販売されました。
現在はデンマークの家具メーカー『FRITZ HANSEN(フリッツ・ハンセン)』にて製作されていて、ヴィコ・マジストレッティに敬意を表し、当時デザインされた赤と黒のオリジナルカラーのみが販売されています。
カリマテチェアの発売当時、イギリスの新聞社『ガーディアン』に
「マジストレッティの最初の大成功は、カッシーナが製造した世界的に有名な『カリマテチェア』だ。滑らかなラインとポップアートのような真っ赤なフレーム、スカンジナビアデザインの要素を持ち合わせた傑作だ。」
と大々的に紹介され、チェアは何年もの間ベストセラーとなりました。
出典:Fritz hansen
カリマテチェアのシートには天然素材である「藁(わら)」が当時使用されていましたが、現在は欧州産のGMO(遺伝子組み換え原材料)フリーの「亜麻(あま)」(※)が使用されていて、110メートルもの長さの紐が手作業で張られています。
※亜麻(あま)とは
中央アジア原産のアマ科の一年生植物で、繊維から糸・織物を作ることができる。
この亜麻の繊維を原料とした織物の総称を「亜麻布(あまぬの)」といい「リネン」とも呼ばれる。
日本ではリネンのことを「麻(あさ)」と呼ぶ場合が多いが、そもそも麻とは「植物に含まれている繊維の総称」のことであるので、間違った理解をしないように注意。
また長い歴史の中で、リネンが使用されていなくても布製品のことを総称して「リネン」と呼ばれるようになり、ベッドシーツや枕カバー、タオル、パジャマなどを「ベットリネン」、テーブルクロス、ナプキンなどを「テーブルリネン」という。
ちなみに、亜麻の種子を「亜麻仁(あまに)」と言い、亜麻仁油が取れる。
出典:スロウ日和
▲薄く茶色がかった色味は亜麻本来の色。リネンは古代エジプト時代から交易品として登場し、ミイラを巻くための布やイエス・キリストの遺体を包んだ布にもリネンが使用された。
マジストレッティはデザイン当初、濃厚な黒または赤のラッカーの2色のみを指定したため、カラーバリエーションは現在でもこの2色のみです。
出典:Fritz hansen
SELENE(セレーネチェア)
出典:MoMA
▲前後の脚の幅が違う(前脚が狭く後脚が広い)ため、スタッキングが可能
セレーネチェアは、ヴィコ・マジストレッティが1969年にデザインしたチェアで、イタリアの照明ブランド『Artemide (アルテミデ)』より発表された作品です。
当時では新素材であったFRP(繊維強化プラスチック)を使用して、座面や背もたれ、脚が一体化した構造で作られていることに大きな特徴があります。
しかし圧縮成形のプラスチックを使用すると、ヒビが入ってしまったり、割れてしまうなどの強度に対する課題がありましたが、背もたれと後脚の交差する部分を「S字にひねる」事によって、この強度における技術的な課題をクリアすることができました。
▲脚をくるんとS字型に湾曲させることによりプラスチック素材でも強度を高めている。
プラスチック製の椅子には様々な名作チェアがありますが、セレーネチェアはイタリアンモダンデザインを代表する「プラスチックチェアの傑作」として特に有名です。
この椅子の高い評価は、MoMAの永久コレクションに選定されていることからも分かります。
Atollo(アトーロ)
出典:MAAKET
Atollo(アトーロ)は1977年にヴィコ・マジストレッティによって設計され、イタリアンモダンを代表する照明ブランド『OLUCE (オールーチェ)』から販売された照明です。
それまでの照明の概念を覆し、ベッドサイドランプ、デスクランプ、フロアランプと様々な使い方のできるアトーロは、長年にわたって「ランプ」のデザインの原型となり、1979年に『コンパッソドーロ賞(※)』を受賞しました。
※コンパッソドーロ賞とは
イタリア語で「金のコンパス」を意味する言葉で、1954年にジオ・ポンティが発案したイタリアンデザインの向上を目的とした工業デザイン賞の名前です。
優れたデザインに対して3年に1度贈られ 、コンパッソ・ドーロ賞はある意味世界一の栄誉といっても過言ではないほどの最高の賞です。
出典:MAAKET
▲アトーロは本体に金属素材を使用した「メタルタイプ」と全体が優しく発光する「ガラスタイプ」がある。上の写真はガラスタイプでサイズは3サイズから選べる。
照明を構成する幾何学的形状の「円柱」、「円錐」、「半球」は、装飾的であると同時に不可欠な機能を生み出し、流行とは関係のない永遠のデザインは、今ではイタリアだけではなく世界中のランプとしてのアイコンとなっています。
ナンタルカのまとめ
■ジオ・ポンティ
ジオ・ポンティ はイタリアの建築家、家具デザイナーで、建築・デザイン雑誌(①)を創刊したことでも知られている。代表作には、超軽量の木製椅子である(②)がある。
■ヴィコ・マジストレッティ
ヴィコ・マジストレッティは家具デザイナーおよび建築家として知られるイタリアの工業デザイナーで、アルテミデやオルーチェといった世界の主要メーカーとのコラボレーションを行った。代表作には1959年にイタリア北西部のロンバルディア州のカリマーテにあるゴルフクラブのためにデザインされた(①)や、1969年に当時では新素材であったFRPの一体成形で作られた(②)、1977年にオルーチェから販売された照明でコンパッソドーロ賞を受賞した(③)などがある。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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では、次回もお楽しみに!
▼次回、マリオ・ベリーニとアキーレ・カスティリオーニ▼