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【昭和〜現代のインテリア・後編】昭和の高度経済成長期を支えた建築家と代表作品はこの6人を画像で覚えよう【日本のインテリアの歴史⑪】

丹下健三 

 

 

こんにちは、しけたむです!

 

この記事では

 

 

  • 「昭和を代表する建築家が覚えられないんです。」
  • 「インテリアコーディネーターとして、有名な建築家の代表作くらい言えるようになりたい。」

 

 

という方々に向けて、

 

昭和初期から高度経済成長期を支えた偉大な建築家たちについて画像で解説していきます。

 

 

とりあえずインテリアコーディネーター試験では、この範囲だけ覚えればOKです!

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
インテリア試験や建築士試験ではテキストで名前だけ覚えても使える知識にはなりませんし、すぐに忘れてしまいますにゃ。ストーリーで覚えれば暗記も楽だし、人にも教えられるくらいの知識がつきますにゃあ〜

 

 

 

 

 

高度経済成長期の有名な建築家

 

 

高度経済成長期に入ると日本建築業界は好況になり、偉大な建築家が数多く現れました。

 

日本を代表する建築家は、コーディネーターとして必ず覚えておきたいところです。

 

 

前川國男(まえかわくにお)

前川國男出典:有名人の墓巡り

 

前川國男(1905年 – 1986年)は新潟県出身の日本を代表する建築家、デザイナーで、ル・コルビュジェ(コルビジェ)アントニン・レーモンドのもとで学び、日本におけるモダニズム建築の第一人者として建築界をリードしてきた人物です。

 

 

 

 

1905年 (明治38年)、前川は新潟県新潟市に内務省土木技師の息子として生まれました。昭和3年に23歳で東京帝国大学工学部建築学科を卒業すると、花の都パリへ向かいル・コルビュジエの建築事務所に入所します。

出典:HOUZZ

▲ル・コルビュジェの下には2年ほどしか居なかったが、コルビュジェが来日した際は前川の事務所に寄るなど二人の関係は生涯続いた。(1951年にイギリスで行われた建築国際会議『CIAM会議』に参加するために、会場に向かう列車に乗っている前川とル・コルビュジエ)

 

 

▼前川國男の偉大な師匠『ル・コルビュジェ』はこちらの記事からチェック▼

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前川はル・コルビュジェに弟子入りした初の日本人となり、この建築事務所では後に日本へやってくる建築家でありデザイナーのシャルロット・ペリアンと親交を深めました。

 

 

▼シャルロット・ペリアンは前回の記事でも登場します▼

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1930年 (昭和5年) 、25歳になった前川は建築家の坂倉準三と入れ代わるように帰国し、東京にあるアントニン・レーモンドの建築事務所に入所しました。

出典:HOUZZ

▲アントニン・レーモンド(後列中央)と建築事務所の同僚たち。前川は前列右から3番目、後列左から3番目には建築家、デザイナーとして有名な『ジョージ・ナカシマ』がいる。

 

 

▼ジョージ・ナカシマはこちらの記事にて紹介しています▼

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1935年 (昭和10年) には、東京・銀座に念願の個人事務所を開設しますが、その後日本は戦争に突入し、1945年 (昭和20年)に太平洋戦争下の空襲で事務所は焼失してしまい、前川國男は目黒の自宅を事務所にして活動を続けます

 

 

 

前川國男邸

前川國男 自邸出典:Wikimedia Commons

▲シンメトリーにデザインされた和風住宅。外壁は目立たないようあえて黒く塗られている。

 

 

前川國男邸は品川区上大崎に1942年(昭和17)に建てられた住宅で、戦時体制下で木材をはじめあらゆる建築資材の入手が困難な時期になんとか竣工しました。

 

 

 

 

外観は大きな切妻屋根が特徴の和風住宅で、内部は吹き抜けのあるリビングを中心に書斎・寝室を配したシンプルな間取りになっています。

前川國男 自邸 リビング 前川國男 自邸 リビング2 前川國男 自邸 キッチン
前川國男 自邸 書斎出典:TOKYO VINTAGE MANSION

▲室内は戦時中に建てられたとは思えないほどモダンな内装になっている

 

 

解体されたのちは東京・小金井市にある『江戸東京たてもの園』に寄贈・再建され、現在も敷地内に保存されて誰でも気軽に見学することができます。

 

 

 

 

戦後の前川國男は、1986年に81歳で亡くなるまで日本全国で建築活動に従事しました。

 

 

 

 

彼の主要作品は山ほどありますが、、、

 

神奈川県立音楽堂・図書館(1954)、岡山県庁(1955)、京都会館(1960)、岡山県総合文化センター(1961)、埼玉会館(1966)、埼玉県立博物館(1971)、東京海上火災保険会社本社ビル(1973)、東京都美術館(1975)、熊本県立美術館(1976)、山梨県立美術館(1978)、宮城県美術館(1981)、新潟市美術館(1985)・・・など公共建築を多く手がけました。

東京文化会館 前川國男出典:PRTIMES

▲東京・上野公園の一角にあるコンクリート打ちっぱなしの大きな軒が特徴の『東京文化会館』(1961)は、第3回BCS賞、DOCOMOMO選出、日本建築学会賞作品賞など実績多数。

 

 

前川國男は日本のモダニズム建築の先掛けとなり、同じく世界的な建築家である丹下健三(たんげけんぞう)(後述)木村俊彦を前川國男の建築事務所を育て上げ、日本の建築家に絶大なる影響を与えました。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
前川國男の弟さんの前川春雄は24代目の日本銀行総裁なんですにゃ。昭和という時代を兄弟で活躍していたんですにゃあ〜

 

 

吉村順三(よしむらじゅんぞう)

吉村順三出典:Pinterest /Takeshi yoshimura

 

 

吉村順三(1908年 – 1997年)は東京都出身の建築家で、アントニン・レーモンド事務所で近代モダニズム建築を学び、レーモンドには日本建築について教えた人物です。

 

日本の伝統建築とモダンな生活様式を融合した住空間を数多く手がけました。

 

 

 

 

東京の呉服商の家に生まれた吉村は、1931年に東京美術学校建築家を卒業し、アントニン・レーモンド(レイモンド)の事務所に勤務しました。

 

 

 

 

 

ちなみに前川國男も師事したアントニン・レイモンドとは、チェコ出身の建築家でフランク・ロイド・ライトの弟子として『旧帝国ホテル(ライト館)』の建設の際に来日した建築家です。

アントニン・レーモンド出展:AMC

▲増沢洵、前川國男、ジョージ・ナカシマなどの建築家もアントニン・レーモンドに学んだ

 

 

▼旧帝国ホテル本館についてはこちらでご紹介▼

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吉村順三は数多くの建築家を育て、皇居の新宮殿の建設にも関わりました。

 

 

 

宮内庁は皇居新宮殿の設計において前川國男、丹下健三を含む10名を候補者として選出し、吉村順三が設計者として選ばれます。

 

 

 

 

しかし、基本設計まで行っていた吉村順三は途中で宮内省と意見が対立して辞任し、その後の実施設計は臨時皇居造営部が行なって1968年に竣工しました。

皇居 宮殿 吉村順三出典:大林組

▲設計図は未公開だが、当初の吉村順三の基本設計から大きく変更されたと言われる『新宮殿』(1968)

 

 

 

吉村順三のその他の代表作として、

 

国際文化会館住宅(1955)、自邸・南台町の家(1957)、軽井沢の山荘(1962年)、ポカンティコヒルの家(1974)のほか、八ヶ岳高原音楽堂(1988)・・・などがあります。

軽井沢の別荘 吉村順三出典:けんちく探訪

▲吉村山荘とも呼ばれる『軽井沢の別荘』(1962)は1階がコンクリートのピロティ、2階の居室は水平横長の窓とコルビュジェの建築理念を感じさせる佇まい。外壁には杉板が貼られている。

 

 

 

丹下健三(たんげけんぞう)

丹下健三 出典:文春オンライン

 

 

丹下健三(1913年 – 2005年)は言わずと知れた東京都庁舎を設計した建築家として有名で、「世界のタンゲ」と呼ばれるなど日本人建築家として最も早く海外でも活躍して、認知された人物のひとりです。

 

 

 

 

1913年(大正2年)に大阪府堺市に生まれた丹下は、住友銀行社員だった父の転勤によって生後まもなく中国の漢口へ移住し、数年後さらに上海のイギリス租界に移り住みました。

 

 

 

 

7歳ごろに父の出身地である愛媛県今治市に家族で移住し、高校生になった丹下は図書室で見た外国雑誌のル・コルビュジェの記事に感銘を受け建築家を志します

 

 

 

 

20〜21歳で東京帝国大学建築科の受験に2度失敗してしまった丹下は、徴兵逃れのため日本大学芸術学部映画学科に入学しましたがほとんど登校せずに本を読み漁り、名曲喫茶で友人と語り合い、バーによく出没していたそうです。

(同時期の日大芸術学部には映画監督の黒澤明がいたとする資料もあり。)

 

 

 

 

その後、無事に東京帝国大学(現・東京大学)工学部建築科に入学し、1938年に卒業すると前川國男建築設計事務所に入所しました。

丹下健三 前川國男出典:kenzotange100

▲前川國男建築設計事務所の同僚たちと。丹下さんは写真左。

 

 

1941年(昭和16年)、28歳で東京帝国大学大学院に入学した前川は、5年後の大学院修了後には同大学の建築科助教授に就任して「丹下研究室」を作ります。

 

 

 

 

丹下研究室では磯崎新(いそざきあらた)(後述)黒川紀章(くろかわきしょう)(後述)槇文彦(まきふみひこ)、建築家谷口吉郎の息子の谷口吉生(たにぐちよしお)などが丹下に建築を学び、後に世界的建築家として活躍していくことになります。

 

 

 

 

第二次世界大戦後、日本の復興期から高度経済成長期にかけて多くの国家プロジェクトを手がけてきた丹下健三を語らずして、日本の建築を語ることはできません。

 

 

 

広島平和記念資料館本館(旧広島平和会館原爆記念陳列館)

丹下健三 広島平和記念資料館出典:丹下都市建築設計

 

 

広島平和記念資料館は広島市中区の博物館で「原爆資料館」とも呼ばれます。

 

 

 

 

1955年に竣工した資料館は慰霊碑や広場、原爆ドームと共に意図的に一直線上に並べられていて、ピロティや縦型ルーバーの奥に見える水平横長の窓などからは、ル・コルビュジェの影響が感じ取れます。

 

 

 

 

本館以外にも平和公園や東側にある東館、西側にある広島国際会議場も丹下健三が手掛けています。

広島国際会議場 丹下健三出典:丹下都市建築設計

▲中央が『広島平和記念資料館本館』、向かって右手側が『東館』、左手側が『広島国際会議場』

 

 

 

国立代々木競技場

国立代々木競技場出典:JPN.ARCHITECTURE.com

 

国立代々木競技場は1964年に竣工した東京都渋谷区にあるスポーツ施設で、丹下の代表的作品として有名な建築です。

 

 

 

大きな特徴として、観客を競技に集中させるため内部に柱を持たずに、天井は吊られているような構造となっています。

 

 

 

 

この天井に地震や台風等の災害時でも問題が生じないように油圧ダンパー(制震ダンパー)で屋根の振動を抑える構造を採用していますが、このような油圧ダンパーを制震目的で採用した建物は国立代々木競技場が日本初となりました。

 

 

 

フジテレビ本社ビル(FCGビル)

フジテレビ本社ビル出典:Wikimedia commons

 

フジテレビ本社ビルは東京都港区台場にあるビルで、現在の正式名称はFCGビル(Fujisankei Communications Group) と言います。

 

 

 

 

1996年に竣工したフジテレビ本社ビルは丹下健三都市建築研究所が担当し、丹下健三が手掛けた巨大プロジェクトの中で最後に直接指揮をとった建築物となりました。

 

 

 

 

2棟のビルの間にそびえる球体は直径32メートルあり、腐食の心配がないチタンで作られています。また、建物の縦横の比率はハイビジョンテレビの画面の縦横の比率と同じ16:9としているなど、遊びごころの見える建築となっています。

 

 

 

 

その他の主要作品は、

 

旧東京都庁舎(1957)、香川県庁舎(1958)、東京カテドラル聖マリア大聖堂(1964)、日本万国博覧会マスタープラン(1970)、ナイジェリア新首都都心計画(1979)、新東京都庁舎(1991)・・・

 

など膨大です。

 

 

菊竹清訓(きくたけきよのり)

菊竹清訓(きくたけきよのり)出典:古谷誠章研究室

 

 

菊竹清訓(1928年 – 2011年)は福岡県出身の建築家です。

 

 

 

1928年に福岡県久留米市に生まれた菊竹は、1944年に早稲田大学専門部工科建築学科入学し、在学中に様々なコンペに応募していくつも受賞するなど、学生時代から才能の片鱗を現していました。

 

 

 

 

1950年に早稲田大学理工学部建築学科卒業後、竹中工務店へ入社。

1952年に村野・森建築建築設計事務所を経て、1953年に自身の事務所を開設しました。

 

 

 

 

黒川紀章(後述)らとともに建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築の創造を図ろうとする『メタボリズム』を提唱します。

 

 

 

 

このメタボリズムとは、

 

『建築は永久的なものでは無いから、人間が新陳代謝し続けるように、建築も新しいものを常に作り続けよう

 

というような考えです。

 

 

 

 

2000年にはユーゴスラヴィア・ビエンナーレにて

今世紀を創った世界建築家100人」に選ばれています。

 

 

 

 

特に有名なのは、1958年に建築された菊作のデビュー作でもある自邸『スカイハウス』で、明快な構成と完成度の高さで注目を集めました。

 

 

 

スカイハウス

スカイハウス 外観出展:白石建設株式会社

▲『スカイハウス』の外観。4枚の鉄筋コンクリートに壁柱によって居住スペースを浮かせている。

 

 

スカイハウス は1958年、東京都文京区に建てられた菊竹清訓の代表的な作品です。

 

 

 

1辺10メートルの正方形の居住空間を、各辺の中央に位置する4本の鉄筋コンクリートの壁柱で、地上から5mの空中に持ち上げた構造を持っています。

 

 

 

 

居住空間には仕切り壁はなく、その四周はぐるりと廊下となっており、キッチン、浴室、収納等が交換可能に取り付けられています。

スカイハウス リビング出展:白石建設株式会社

▲RC造により壁の無いリビング。この考えはル・コルビュジェのドミノシステムによるもの

 

 

居住階の下部にはピロティがあり、家族構成の変化に応じて増築が可能になっていて実際にこの方式で子供部屋の増築が行われました。

これは菊竹の唱える『メタボリズム』を体現したものとなっています。

スカイハウス リビング出典:LIXIL

▲スカイハウス のリビング 全景。天井が緩やかな勾配の寄棟屋根になっているのがわかる。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
日本における優れた近代建築だけが選ばれる『DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築』に選定されてますにゃ。同潤会アパートは第一号として、こちらに選定されてるんですにゃあー

 

 

磯崎新(いそざきあらた)

磯崎新出典:日経XTech

 

 

磯崎新(1931年 – )は大分県出身の建築家で、丹下健三に師事して住宅建築、公共建築を問わず、世界中で活躍しました。

 

 

 

 

1931年に磯崎家の長男として生まれた磯崎は、1954年の23歳の時に東京大学工学部建築学科を卒業し、1960年に丹下健三研究室で黒川紀章らとともに『東京計画1960』に関わります。

『東京計画1960』は、1961年に建築家・丹下健三が発表した東京の都市構造に関する改革の提案のこと。

同計画では、高度成長期の急激な人口増加に対して都市構造が耐えきれなくなるとして、新たに都心から東京湾を超えて木更津方面へと延びる都市構造を提案しました。

丹下研究室の若いメンバーの画期的なアイデアを取り入れた『東京計画1960』の提案は、非常に密度が濃く群を抜いた内容となっていて、丹下による都市デザインの最高峰と高い評価を得ています。

 

東京計画1960 丹下健三出典:zeitgeist

▲『東京計画1960』の模型を眺める丹下健三。海上都市が東京湾に浮かんでいる。

 

黒川紀章 磯崎新 東京計画1960出典:丹下都市建築設計

▲丹下研究室で作られた『東京計画1960』の模型。海上都市のアイディアについては菊竹清訓も提案を行っていた。

 

 

1963年、磯崎が32歳の時に丹下健三研究室(都市建築設計研究所)を退職し、磯崎新アトリエを設立しました。

 

 

 

 

 

1980年、磯崎が50歳になる頃にはイタリアのデザイナー「エットレ・ソットサス」からの誘いで、ポストモダンデザイナー集団メンフィスに参加し、1981年には家具の国際展示会「ミラノサローネ」にメンフィス・グループとして出展しています。

メンフィス 磯崎新 ポストモダン出典:MEMPHIS

▲1981年のミラノサローネに出展された磯崎新デザインによるかなりエキセントリックなキャビネット『Fuji』(1981年)は、上部が取り外し可能なミラーに、下部は扉付きの収納になっている。

 

 

▼磯崎新が参加したメンフィスって何?▼

メンフィス ポストモダン 倉俣史朗
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その後はいくつもの建築を手掛け、東京都庁舎コンペの際には師匠である丹下健三とも争いました。東京大学やハーバード大学の客員教授も務め、国際コンペの審査員としても活躍しています。

 

 

 

 

磯崎新の主要作品は、

 

大分県医師会館 (1963) 、群馬県立近代美術館 (74)、北九州市立美術館 (74)、北九州市立図書館 (74)、古典様式を用いてポスト・モダン建築として注目を集めたつくばセンタービル (83)、水戸芸術館 (90)・・・などがあります。

大分県立大分図書館出典:tjapan

『大分県立大分図書館』は1966年に竣工した磯崎の初期作品。日本建築学会作品賞を受賞。1995年に閉館するが、改装され複合文化施設「アートプラザ」となる。3Fには磯崎の建築模型や資料の展示スペースもあり。

 

つくばセンタービル出典:DESIGN MAGAZINE

『つくばセンタービル』は茨城県つくば市にあるビルで1983年に竣工し、日本のポストモダン建築の代表的な作品とされる。磯崎の得意とする幾何学的なデザインを多用するほかポストモダンの特徴である装飾や遊びを入れたデザインが際立つ作品。

 

 

近年ではロサンゼルス近代美術館 (86) ,バルセロナのサンジョルディ・スポーツ・パレス (90) など国際的な活動も多めです。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
2019年には、建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞を受賞したのは記憶にもまだ新しいニュースですにゃあ〜

 

 

黒川紀章(くろかわきしょう)

黒川紀章出典:日経XTech

 

 

黒川紀章(1934年 – 2007年)は愛知県出身の建築家で、本名は「くろかわのりあき」です。

 

 

 

1934年(昭和9年)に愛知県に生まれた黒川は、23歳で1957年京都大学工学部建築学科を卒業し、在学中は西山夘三(にしやまうぞう)の元で学びました。

 

 

▼にしやまうぞう?ってなったらこちらから!▼

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卒業後は東京大学大学院工学研究科の建築学専攻修士課程へ進学し、在学中に丹下健三の研究室で指導を受けます。

 

 

 

 

黒川は東大在学中に「株式会社黒川紀章建築都市設計事務所」を設立し、1964年(昭和39年)に東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程単位取得退学すると、1969年(昭和44年)には「株式会社アーバンデザインコンサルタント」「社会工学研究所」を設立するという実業家としての一面をみせました。

 

 

 

 

 

1959年(昭和34年)に建築理論『メタボリズム』を菊竹清訓らと提唱して、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を提案しました。(内容は菊竹清訓の項目で紹介しています。)

 

 

 

 

 

メタボリズムに基づいた増築・取替えの可能な建築として中銀カプセルタワービル(1972年)などの作品があります。

 

 

中銀カプセルタワービル

中銀カプセルタワービル出典:ミライノシテン

 

中銀カプセルタワービルは1972年に黒川紀章によって設計され、世界で初めて実用化されたキューブを積み上げたようなデザインのカプセル型の集合住宅(マンション)です。

 

 

 

 

黒川の初期の代表作であると共に、メタボリズムの代表的な作品です。
それぞれの部屋が独立されていて部屋(カプセル)ごとに交換することも技術的には可能な設計としていたのですが、実際には一部のカプセルのみを交換することが非常に困難であることなどから、残念ながら現在に至るまで一度も交換されたことはありません(汗)。

中銀カプセルタワービル出典:Timeout

▲解体後、埼玉県立近代美術館に展示されるカプセル

 

鳥の巣箱を積み重ねたような(海外からの旅行者は「ドラム式洗濯機を積み重ねたような」と表現するそう)特異な外観は、ユニット製のマンションであることの機能をダイレクトに表現し、そのメタボリズムの設計思想を明確に表現したデザイン性は高く評価されています。

 

 

 

 

また「ビジネスマンのセカンドハウス兼オフィス」として想定された内装は、ベッド、エアコン、冷蔵庫、テレビ、収納などが作りつけで完備されていますが、洗濯機などはありません。

中銀カプセルタワービル 室内出典:Timeout

▲2021年に管理組合で敷地売却が決定され、建物は取り壊れることに。カプセルはバラバラにできる特徴を利用してマンスリーホテルなどへの利用など、今後の再利用方法が検討されている。

 

 

 

 

その他の代表作としては、

 

国立民族学博物館(1977)、国立文楽劇場(1984)、クアラルンプール新国際空港(1998)、ゴッホ美術館新館(1999)、国立新美術館(2006)・・・などがあります。

国立新美術館 黒川紀章出典:一休レストラン

『国立新美術館』は六本木にある美術館で2007年に竣工した。日本最大規模でこれまで最大とされていた大塚国際美術館の約1.5倍もの大きさがある。館内にはミュージアムショップ・レストラン・カフェなどが併設されていてデートには最適。黒川の最後の美術館作品となった。

 

 

晩年の黒川紀章は政治活動に足を踏み入れ、2007年に東京都知事選挙、参院選に立候補していずれも落選してしまいますが、出馬をきっかけに注目を集めてフジテレビの『SMAP×SMAP』などのバラエティ番組へ出演するようになりました。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
昭和の高度経済成長期を支えた建築家はたくさんいますが、インテリアコーディネーター試験の範囲なら今回の記事の内容だけわかっていればOKですにゃあ〜

 

 

 

 

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お疲れ様でした。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

わからないことや分かりにくい箇所があれば、ぜひお問い合わせよりご連絡ください!

次回もお楽しみに!

 

 

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