こんにちは、しけたむです。
この記事では
- 「ミッドセンチュリーの有名なデザイナーについて学びたい。」
- 「椅子を買うならイームズのチェアが良い。」
という方々に向けて
絶対に覚えておきたいミッドセンチュリーのアメリカン・デザイナーを分かりやすく画像で解説します。
ミッドセンチュリーのアメリカン・デザイナーたち
出典:Manhattan home design
▲1961年の『PLAY BOY』7月号の特集記事で掲載されたミッドセンチュリーのデザイナーたち。ジョージ・ネルソン(左端)、エーロ・サーリネン(中央左)、ハリー・ベルトイア(中央右)、チャールズ・イームズ(右から2番目)
1945年、長く続いた第二次世界大戦が終結します。
アメリカ合衆国は戦勝国かつ本土を戦場としなかった国であり、当時の世界経済の半分、生産能力と機械施設においては半分以上を保有する世界一の強豪国となりました。
軍需産業が生み出した「プライウッド(※1)」を成形した合板である「成形合板(せいけいごうはん)」や、「FRP(※2)」などの戦争に使用された新しい技術は、チャールズ・イームズ、エーロ・サーリネンらアメリカのデザイナーたちによって、一般的に家具に利用されるようになりました。
※1:プライウッド(Plywood)とは
合板(ごうはん)のこと。
合板とは薄くスライスした単板(ベニヤ)を奇数枚重ね、接着した木質材料のこと。
木目がそれぞれ直角となるように重ねて接着することにより頑丈となり、歪みや反りが出にくいのが特長。
特に加工を施し、曲面に成型加工したものを「成型合板(せいけいごうはん)」という。
出典:日清グループ
▲合板とは、丸太を薄くスライスしたベニヤの木目が交差するように奇数枚貼り合わせた板のこと。
出典:OPENERS
▲成形合板は、単板(ベニヤ)を奇数枚重ねてホットプレス機で加圧成形することで、座・背面の形など多種多様なデザインを製造することができる。
出典:shopstyle
▲成形合板が使用された『プライウッド ラウンジチェア ウッドレッグ LCW』(チャールズ&レイ・イームズ)
※2:FRP(Fiber-Reinforced Plastics)とは
「繊維強化プラスチック」のことで、「FRP」は「Fiber(繊維)でReinforced(強化した)Plastics(プラスチック)」の略語。
割れやすいプラスチックにガラス繊維を混入させることで、軽量で強度の高いプラスチックになる。
出典:アーロンチェアの庄交堂
▲『シェルチェア』はチャールズ&レイ・イームズにより、FRPを用いた革新的な大量生産方法を用いて製作された。
第二次世界大戦後、帰還兵たちが家庭を持ち、住宅と家具の需要が増えていったアメリカ国内でこれらの技術を利用した家具は広く受け入れられていきました。
1950年代を中心に、1940~1960年代にデザインされた家具やインテリア、建築物などを総称して『ミッドセンチュリー』と呼びます。
また、ミッドセンチュリーは「この時代自体を指す言葉」としても使われています。
①チャールズ&レイ・イームズ
出典:Eames office
▲チャールズ・イームズと妻のレイ・イームズ
チャールズ・イームズ(チャールズ・オーモンド・イームズ Jr)は、1907年生まれのアメリカ合衆国のデザイナーで、建築家、そして映像作家でもあります。
妻のレイ・カイザー(イームズ)と共に、成形合板やFRP、金属といった素材を用いて、20世紀における工業製品のデザインに大きな影響を与える作品を残しました。
チャールズは12歳の時、写真を趣味にしていた父親が遺した機材を使い写真撮影を始めます。
出典:Eames Office
▲幼少期のチャールズ・イームズとペットと思われるワンちゃんと一緒に
14歳になると、高校へ通いながら放課後や週末にレイクリード・スチール社で製図工見習いとして勤め、設計や製図の技術を身につけました。
出典:Eames Office
▲レイクリード・スチール社でのチャールズ・イームズ(1920年)
18歳になるとミズーリ州・セントルイスにあるセントルイス・ワシントン大学建築学科へ進むのですが、研究課題として建築家の『フランク・ロイド・ライト』を取り上げることを教授らに提案し、近代建築に過度に熱をあげ過ぎたことが原因で、退学となってしまったそうです。
出典:Eames Office
▲ワシントン大学在学中のイームズ(左端)と友人たち
▼イームズが熱中したフランク・ロイド・ライトはこちら▼
チャールズは大学在学中に最初の妻であるキャサリン・ウォーマンと出会い、22歳で結婚します。
この前後でチャールズは、セントルイスにあった設計事務所に就職して設計の経験を積んでいました。
新婚旅行でヨーロッパを訪れて多くのモダニズム建築に触れたチャールズでしたが、アメリカへの帰国後に待っていたのは、世界恐慌の影響でほとんど仕事の無い現実でした。
そんな厳しい状況の中、チャールズは23歳の時に建築設計事務所を開設します。
1935年、チャールズが28歳の時に設計したアメリカ・アーカンソー州の『聖メリーズ教会』が「アーキテクチュアル・フォーラム」という建築雑誌に取り上げられ、それを見た建築家のエリエル・サーリネン(エーロ・サーリネンの父親)がチャールズに手紙を送ったことで二人の交流が始まりました。
出典:Eames house
▲チャールズ・イームズが28歳の時に設計した『聖メリーズ教会』(アーカンソー州:1935年)
エリエル・サーリネンはチャールズの人生に多大な影響を与えた人物で、彼の息子のエーロ・サーリネンとはよきパートナーとなり、また無二の親友ともなりました。
出典:Knoll
▲若き日のチャールズ・イームズ(左)とエーロ・サーリネン(右)
▼エーロ・サーリネンは次回の記事でご紹介▼
1936年、チャールズが29歳の時にエリエルの招待で、イームズは妻子と共にミシガンへ引っ越し「クランブルック美術学院」に奨学生として入学しました。
(この「クランブルック美術学院」では、のちの妻となるレイ・イームズや同じデザイナーのハリー・ベルトイア、ニューヨークの家具メーカー『Knoll(ノル)』のフローレンス・ノルらに出会います。)
出典:Cranbrook
▲クランブルック美術学院でのチャールズ・イームス(中央)と学友たち(1939年)
後年、チャールズは同校でインダストリアルデザイン学科長として教壇に立ち、教鞭を振るうことになります。
1940年、チャールズが33歳の時にエーロ・サーリネンとともに、MOMA(ニューヨーク近代美術館)主催の「住宅家具のオーガニックデザイン」コンペに応募しました。
出典:名作家具とデザインの話
▲6部門中2部門でグランプリを受賞したチャールズ・イームズの展示ブース
チャールズとエーロ・サーリネンの作品は、フィンランドの建築家でありデザイナーの「アルヴァ・アアルト」が確立させた成形合板の新技術を見事に利用し、3次元の立体曲線によって背面と座面、肘掛けを継ぎ目なしで繋いだデザインで、6部門中2部門でグランプリを獲得します。
出典:Thisismedia
▲アルヴァ・アアルト( 1898年 – 1976年)は、フィンランドが生んだ20世紀を代表する世界的な建築家でありデザイナー。その活動は建築から家具、ガラス食器、絵画と多岐にわたる。家具はフィンランドの家具メーカー『Artek(アルテック)』から販売されている。
▲アルヴァ・アアルトは1924年から成形合板の開発を進めると、1932年に『41 アームチェア パイミオ』を完成させ、家具デザインの歴史に衝撃と革命をもたらした。
コンパクトで快適な読書用として開発された「オーガニック チェア」は、「住宅家具のオーガニックデザイン」コンペの一環として、チャールズ・イームズとエーロ・サーリネンによってデザインされました。
出典:Vitra
▲座面が高めの「オーガニック カンファレンス」(左)と、読書用チェアの「オーガニックチェア」(右)
1941年、チャールズが34歳の時に妻のキャサリンと離婚し、クランブルック美術学院に勤務する同僚のレイ・カイザー(レイ・チャールズ)と再婚します。
同年、チャールズはクランブルック美術学院の教職を辞し、その後の生涯にわたる活動拠点となるロサンゼルスへ移り、アメリカの映画製作会社『MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー社)』の美術部に勤めながら、成形合板を使った家具の大量生産に取り組み始めます。
その取り組みは家具だけにとどまらず、彫刻作品、骨折時に使う添え木や担架、飛行機の部品にまでおよび、中でも脚用の添え木「レッグ・スプリント」が海軍で採用されると第2次世界大戦終了までの間にのべ15万本以上も製造され、レッグ・スプリントはイームズの手がけた最初の大量生産品となりました。
出典:名作家具とデザインの話
▲レッグ・スプリントは強度が高い上に軽く、成形合板は骨折時の添木として理想的な素材だった。
▼イームズといろいろモメたベルトイアの記事はこちら▼
成形合板を使った製品の大量生産の実現に努める一方で、1942年からはロサンゼルスで発行されていた芸術雑誌『arts & architecture(アーツ&アーキテクチャー)』の編集に加わり、レイ・イームズが表紙のデザイン(※)を手掛けました。
(※1948年以降は、イームズの家具を製造しているアメリカの家具メーカー『Herman Miller(ハーマンミラー)』に掲載されているイームズ家具広告の大部分もレイ・イームズが自らデザインしていた。)
出典:Eames office
▲1942年9月号の『アーツ&アーキテクチャー』の表紙。レイは26回もの表紙デザインに携わった。
プライウッドチェアDCW、LCW
▲成形合板が使用されているダイニングチェア『DCW』(1945)
1945年 第二次世界大戦が終わり、チャールズとレイは今までひそかにデザインしていた家具の発表をニューヨークで行います。
この時に『プライウッドチェアDCW、LCW』が披露されました。
DCWは「Dining Chair Wood」、LCWは「Lounge Chair Wood」の略語です。
▲プライウッドチェアLCWはDCWに比べて座面が低く、背板に体重を預けられる設計になっている。
チャールズとレイが自ら開発した成型合板製造機「カザムマシーン」で試行錯誤して完成させた椅子で、有機的で複雑な曲面を製作する成型技術によって身体にフィットする美しいカーブを実現しました。
背と座を繋ぐ木の脚部との組み合わせが、座ったときの快適さだけでなく、なんとも魅力的なフォルムをつくりあげています。
出典:MAAKET
▲プライウッドチェアDCW、LCWの材質にはホワイトアッシュ、エボニー(バーチ材)、ウォールナットなどがあり、木目の豊かなバーチ材に塗装を施したレッド色もある。
プライウッドチェアDCM、LCM
▲1946年の発売当時、座面の形状から「ポテトチップチェア」とも呼ばれたDCM
プライウッドチェアDCWとLCWが発表された翌年の1946年、立て続けに発表されたチェアが『プライウッドチェアDCM、LCM』で、それぞれ脚部がスチールとなっており、DCMは「Dining Chair Metal」、LCMは「Lounge Chair Metal」の略称となっています。
適度にしなりのある成形合板の特性に加え、スチール製の脚部には天然ゴム製のショックマウントが装着されていて、このショックマウントが身体を預けた際に衝撃を吸収し、ラウンジチェアならではの快適な座り心地を実現します。
出典:Artsy
▲『LCM』の背面。座面と脚部の接触箇所に、天然ゴム製のショックマウントが装着されている。
一見木製の固いイメージがするダイニングチェアですが、想像以上に座り心地も快適で長時間でも疲れにくい仕様になっています。
出典:dwell
▲シンプルなデザインのプライウッドチェアDCMは、どんなインテリアにもしっくりハマる。
イームズハウス(ケーススタディハウス No.8)
出典:Matt Reardon
▲ロサンゼルスのサンタモニカにあるイームズハウス。現在はチャールズのお孫さんが暮らしている。
1949年、イームズ夫妻は「アーツ&アーキテクチャー」の雑誌企画である『ケーススタディハウスプログラム』に参加し、自邸である『No.8』を手掛けました。
ロサンゼルスのサンタモニカ近郊の太平洋を見下ろす崖の上に建てられたイームズ邸は、建築費を抑えるため、鉄骨から内装材に至る部材の全てが、アメリカ国内で流通していた既製品によって構成されています。
▲ケーススタディハウス8として有名になったイームズハウスは、雑誌企画「ケーススタディハウスプログラム」の一環として建てられた約20戸の住宅の内の1つでした。
イームズハウスは工業化時代の新しい建築のあり方を示すものとして、記念碑的な位置付けをされています。
出典:Casa BRUTUS
▲1951年の茶会の様子は写真に残されており、イームズのデザインしたミニテーブルを日本の膳のように用いてすき焼きがふるまわれた。
▼イサム・ノグチって誰なん?て方はこちらから▼
シェルチェア、シェルアームチェア
▲1950年にハーマンミラー社から販売されたシェルチェア。写真は若かりし日のチャールズ。
シェルチェアは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が主催した「ローコスト家具デザイン国際コンペ」のためにデザインされた、紛れもなく「世界一有名な椅子」です。
1948年にイームズ夫妻はこのコンペに出品するため、もともと金属製のシェルチェアを作ろうとしていたようなのですが、なかなかうまくいかなかった際に、「FRP」と呼ばれるガラス繊維で補強したプラスチック素材に出会います。
金属よりも軽く、丈夫でローコストな素材であるFRPを使用して、シェルアームチェア(※)を完成させました。
(※シェルチェアはアームチェアがまず誕生し、その後アームレスチェアが製作された。)
出典:MoMA
▲1949年にMoMAのコンペで発表されたイームズシェルアームチェア。脚には様々なバリエーションが考案されていた。
1950年の発売当時、シェルチェアは北欧の木の家具に比べてはるかに安価なデザイナーズ家具として、90年代初頭まで多くの住宅や公共施設で使われました。
しかし90年代に入ると、廃棄やリサイクルに手間がかかるFRPは環境に悪影響を及ぼすという考えから製造中止に追い込まれてしまいました。
数年後、シェルチェアはリサイクルしやすい「ポリプロピレン」というプラスチックの一種を使用して再登場します。
さらに現在では環境に負担の少ないFRPが開発され、ハーマンミラーから購入が可能です。
▲シェルチェア、シェルアームチェアのバリエーションは多岐にわたる。
ワイヤーチェア(DKR)
出典:g1950
▲ワイヤーチェアのアイディアは、服の型紙をつくるトルソーなどから着想を得たとも言われている。
ワイヤーチェア(DKR)は、シェルチェアがそのまま金属製になったようなデザインが特徴で、1951年に発表されました。
DKRとは「Dining height K-wire shell Rod wire base」の略称です。
スチールワイヤーで製作デザインされたこの椅子の特徴は、スチールの使用を最小限に抑え、実際の重さだけで無く見た目としても軽量にして、大量生産を行えるように出来る限り価格が低くなるようにしました。
イームズ夫妻の初期段階から変わらないコンセプトでもある「最高のデザインを多くの人に最低価格で販売する」が体現されているチェアです。
出典:Vanilla
▲視線が透過するワイヤーチェアは、複数脚並べても圧迫感が無い。
ラウンジチェア&オットマン(ELC)
▲発売当時の価格は約400ドル。フォードの新車が約600ドルだったので、今と変わらず一般家庭には手の出ない富裕層向けのチェアだったと言える。
ラウンジチェア&オットマンは1956年に発売されたチェアで、正式名称である「Eames Lounge Chair」の頭文字をとって「ELC」とも表記されます。
イームズ夫妻が座り心地の良いチェアについて思い描いたとき、「一塁手のミットのように温かく包み込むような外見にしたい」ということから、重厚なレザーを使用したまさに包まれるようなデザインのチェアとなりました。
ラウンジチェア&オットマンは、イームズ夫妻が全米のテレビ番組『HOME(ホーム)』に出演した際に初めて紹介され、たちまちイームズ夫妻とこのチェアは有名になります。
有名人となったイームズの家具はますます飛ぶように売れるようになりましたが、それでもなお夫妻は、丁寧な仕事と手作りのディテールにこだわり続けました。
出典:dazeen
▲チェアの座面や背もたれには、座る者を包み込むかのように成形合板が使用されている。レザーや本体のカラーはいくつかのバリエーションから選択可能。
現在、成形合板とレザーを組み合わせたこのラウンジチェア&オットマンは、ミッドセンチュリーを象徴するアイコン的な家具となっています。
アルミナムグループチェア
出典:MAAKET
アルミナムグループチェアは、1958年にイームズ夫妻によってデザインされたチェアで、もともとはエーロ・サーリネンが自身の設計した『アーウィン・ミラー邸』の屋外に上質なアウトドアチェアを置きたいと考え、イームズ夫妻にデザインを依頼したものです。
▲アルミナムグループチェアは、もともと屋外用のラウンジチェアとしてデザインされた。
イームズ夫妻は、チェアの脚やフレームにはアルミダイキャスト(※)を、シートには屋外使用に耐えうるよう防水性能のある合成繊維のメッシュ素材を採用してアルミナムグループチェアを完成させました。
※アルミダイキャストとは
アルミニウムを高温で溶かし、金型に流し込む鋳造法の一種。
溶けた金属を流し込んで成型するので、元となる金型次第で高精度で複雑な形状に対応できるのが特徴。
金型さえあれば大量生産が可能な為、コスト面でも有利である。
ダイキャストに用いられる素材のなかでもアルミニウムは軽量で、耐久性やリサイクル性、省エネ・省資源特性にも優れている。
▲アルミナムグループチェアは1958年にハーマンミラーから発売されると、その後何度も改良を繰り返され耐久性が向上された。
1969年、イームズ夫妻は当初のアルミナムグループチェアのデザインにクッションのついたモデルを追加し、現在ではキャスターや高さ調節機能の付いたオフィスチェアタイプも販売されています。
出典:gr shop
▲5スターベース(5本足)のキャスタータイプの『アルミナムグループマネジメントチェア』
出典:MAAKET
▲座り心地にこだわった高度なサポート性と柔軟性を兼ね備えた座面を持つ『アルミナムグループサイドチェア』(右)と、昇降機能などを追加した『アルミナムグループエグゼクティブチェア』(左)
終わりに
出典:trove-blog
チャールズ&レイ・イームズ事務所は、40年以上(1943-88年)にも渡り、カルフォルニア州ロサンゼルスで活動を続け、ドン・アルビソンやデボラ・サスマンといった有名なデザイナーを輩出しました。
チャールズ・イームズは、1978年8月21日、故郷セントルイスへの帰省中、心臓発作により71歳で息を引き取ります。
レイ・イームズが息を引き取ったのはそれからちょうど10年後、チャールズと同じ日付の1988年8月21日でした。
2人は現在、セントルイスの墓地に仲良く隣り同士で埋葬されています。
ナンタルカのまとめ
■ミッドセンチュリーのアメリカンデザイナーたち
積層合板を加圧加工した(①)や(②)と呼ばれる繊維強化プラスチックなどの戦争に使用された新しい技術は、チャールズ・イームズ、エーロ・サーリネンを始めとするアメリカのデザイナーたちによって一般的に家具へ使用されるようになった。戦後の1940~1960年代にデザインされた家具やインテリア、建築物などを総称して(③)と呼ぶ。
■チャールズ・イームズ
(1)チャールズ・イームズは(①)の開発した成形合板技術を利用し、(②)と共同でオーガニック チェアをデザインし「住宅家具のオーガニックデザイン」コンペでグランプリを獲得した。また脚用の添え木(③)は海軍で採用され、イームズの手がけた最初の大量生産品となった。
(2)1945年にチャールズとレイが開発したカザムマシーンを使って完成させた椅子(①)は、有機的で複雑な曲面を製作する成型技術によって身体にフィットする美しいカーブを実現した。その後、1950年にニューヨーク近代美術館(MoMA)が主催した「ローコスト家具デザイン国際コンペ」のためにデザインされた「世界一有名な椅子」とも呼ばれる(②)は、FRPと呼ばれるガラス繊維で補強したプラスチック素材で作られた。
(3)イームズの家具には傑作が多く、シェルチェアがそのまま金属製になったようなデザインの(①)、1956年に発売されたチェアで成形合板とレザーに包まれるかの様なデザインの(②)、チェアの脚やフレームにアルミダイキャストを使用し、シートに防水性能のある合成繊維のメッシュ素材を張った(③)が代表的である。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
分かりにくい点やお気づきのことがあれば、メールでご連絡頂けましたら幸いです。
では、次回もお楽しみに!
▼次回、ミッドセンチュリーデザイナー・中編はこちら!▼