こんにちは、しけたむです!
この記事では
- 「そういえば貴族や武士以外の一般人たちはどんな家に住んでいたの?」
- 「日本にあるいろいろな民家の形式について詳しく知りたい。」
という人のために
民家の歴史とインテリアについて、分かりやすく写真付きでご紹介していきます。
庶民の住居
出典:年中行事絵巻
▲平安時代末期の京都の町屋の様子を記した『年中行事絵巻』
平安時代頃の庶民の生活は、まだまだ古代のような竪穴住居(たてあなじゅうきょ)での生活が主流でした。
寝殿造(しんでんづくり)の住居で優雅な生活を送っていたのは貴族たちだけです。
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庶民の住宅に床座(ゆかざ:床に座る生活様式)を基本とする支配者層と同じような邸宅の影響が現れるのは、中世(鎌倉・室町時代あたり)以降のことです。
最も初期の庶民たちの床座の住居は、土間部分と床座部分が2分割された二室住居(にしつじゅうきょ)と呼ばれるものでした。
二室住居
出典:日本の旅
▲鎌倉時代から室町時代に存在した大規模集落の港町の復元(広島県福山市)
二室住居(にしつじゅうきょ)とは、丸太を穴を掘った地面に直接埋め込んで柱とした粗末な住居のことです。
出典:日本の旅
▲手前は船着場。奥には市場が見える。
掘立小屋の建物内部は『土間』という地面剥き出しのスペースがあり、ここが火を使う調理のスペースとなっていました。
今で言うと「入ってすぐキッチン!」と言うイメージです。
いや、キッチンなんて呼べるものではありませんでしたが、、、
出典:日本の旅
そして床座部分、つまり寝食をする場所。
草履や草鞋(わらじ)を脱いで、上がる場所ですね。
出典:日本の旅
『土間』部分と『床座』部分の2室しかないから、『二室住居』です。
広間型住居
出展:MATCHA
▲17世紀後期の広間型住宅『旧太田家住宅』。手前から土間、広間、奥には座敷と納戸がある。
二室住居は、江戸時代以降に広間型住居(ひろまがたじゅうきょ)への発展が見られました。
農家に見られる広い『土間』は農作業や炊事をする場として使われ、土間から奥に進むと、1段高くなったところに床が敷いてあり、暖房や調理場として利用された『囲炉裏(いろり)』のある『広間』と、奥の『座敷』、それに寝室として使っていた『納戸(なんど)』があります。
このような間取りの住居を『広間型住居』といいます。
▲広間型住居の間取り。丸い黒点は柱の位置を示す。
囲炉裏のある広間は家族みんなの生活の中心で、家事やだんらん、食事などの場として使われました。
囲炉裏のまわりに座る位置は決まっていて、家の主は座敷に近い奥の場所、若い女性は流しに近い場所と決められていましたし、大黒柱である主人の立場はかなり高かったのです。
また、座敷は接客の間として使われ、納戸は窓や出入り口を小さくして大切なものをしまったり、家族が寝る部屋としても使用されるのが一般的でした。
田の字型住居(四間取り住居)
出展:輝建設
▲奈良県にある国指定重要文化財『旧臼井家住宅』(18世紀初頭)
広間型住居がさらに発展し、田の字型住居(たのじがたじゅうきょ)が登場しました。
四間取り(よつまどり)住居とも呼ばれます。
広間部分が田の字に建具で仕切られ、多様な使い方に対応できるようになっています。
▲四角は柱の位置。このような大型の住居は特に農村部などで見られた。
玄関から入ると、奥の方まで通じる『土間』には『勝手(台所)』や『風呂』等の水廻りが隣接する屋内の作業場としての機能を持っていました。
土間と畳の部屋との間には、一段上がった『小上がり(こあがり)』の板場があり、そこから座敷に上がる事ができます。
出典:663highland
▲小上がりで履き物を脱いで、広間へ上がる。『旧臼井家住宅』(18世紀初頭)
『座敷』には『仏間』や『床の間(とこのま)』が設けられ、ここで冠婚葬祭の行事などが行われることもありました。
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『茶の間』は今で言う居間(リビング)のような部屋で、家族がだんらんをする部屋です。
地域によっては『厩(うまや:馬屋)』も隣接して、冬の間は家畜も一緒に生活していました。
都市の店舗併用住宅『町屋』
出典:三井広報委員会
▲江戸時代の日本橋。左右に軒を連ねるのは、現在の三越である三井越後屋(みついえちごや)である。『駿河町越後屋正月風景図』(1673年ごろ)
室町時代には京都の町衆(まちしゅう)、いわゆる商人が勢力を拡大して店舗併用住宅の町屋(まちや)が発達しました。
室町時代の町屋は板葺き(いたぶき)石置き屋根でまだ瓦などは見られません。
屋根の上の石は、屋根板が風で飛ばされないように重しとして乗せていました。
出典:絵巻三昧/石置板葺
江戸時代になると2階建ての町屋が増え、瓦屋根の家が多くなり、屋根には卯建(うだつ)をあげる家が登場します。
出典:関健一写真のページ/美濃市美濃町
▲美濃市美濃町にある酒屋の卯建
卯建とは自分の家と隣の家の間の屋根を少し持ち上げた部分のことで、火事の際に隣の家から延焼しにくいよう防火壁としての役割を持っていました。
しかしこの卯建、上げるため(作るため)にはそれなりの費用が必要だったことから裕福な家など限定のものだったのです。
江戸時代中期ごろになると、防火壁としての役割だけでなく装飾的な役割が強くなってゆきます。
▲岐阜県美濃市にある『卯建連棟家屋』は、江戸時代に建てられた町屋建築が5棟連続で残され当時の町並みが形成されている。屋根には町屋建築の特徴の一つである卯建が設けられている。
町屋建築は壁面は土壁で塗られ、入り口には暖簾(のれん)を下げるところもありました。
出典:時空を超えて
▲江戸の流行発信地・大伝馬町で軒を連ねていた木綿生地屋の店先を描いた春の一枚『大てんま町木綿店(名所江戸百景)』歌川広重
また、江戸では建物が密集していたこと、木造であったことからも、とにかく火事が多く、「火事と喧嘩は江戸の華(はな)」と言う言葉が残っているほどです。
▲1657年3月2日に発生し、江戸の大半を燃やし尽くした日本史上最大の大火災『明暦の大火』。3日間燃え続けた炎は江戸城天守を含む江戸の6割を焼き尽くし、3万から10万人の死者を出した。
建物の外壁には防火材でもある漆喰(しっくい)(※)で塗り込んだ塗屋造(ぬりやづくり)が奨励されました。
※漆喰とは
外壁や内装に使われる左官(土や漆喰をコテを使って壁に塗ること)材料で、水酸化カルシウム(消石灰)と炭酸カルシウムが主成分。
この成分はサンゴ礁のサンゴと同じもので、自然素材の代表とも言われます。
燃えない、調湿機能がある、など機能性もよく現代でも人気があります。
▲コテを使って漆喰を塗る左官職人
町屋建築は「町家」とも表記され、要は町にある住宅のことなんですが、商人の家(商家)を指すことが多いです。
出典:熈代勝覧
▲文化2年(1805年)の江戸日本橋を描いた絵巻『熈代勝覧(きだいしょうらん)』作者は不明。横に10メートル以上ある長大な絵巻で、日本橋通に連なる問屋街とそれを行き交う人物が克明に描かれる。
町屋は大通りに面して並んでおり、入り口が狭いですが奥に長い間取りになっているのが特徴的、裏通りには貧しい庶民の住宅が並んでいて、すでに貧富の差が顕著に町には現れています。
出典:LIFE BATON
▲京都の町屋の一般的な間取り図。右側の大通り側から庭に入ると玄関がある
こちらが町屋の一般的な間取りです。
履き物を脱がずに入れる通り庭から台所を通って奥へ抜ける部分と、店(ミセ)から奥の間へ続く部分との、2列平面プランとなっていました。
いろいろな民家のタイプ
近世に入ると庶民たちも経済力をつけて裕福になる庶民が現れました。
富を得た庶民たちは、彼らの住む土地や地方独特の民家を造るようになります。
曲屋(まがりや)
出典:盛岡手づくり村
▲岩手県にある茅葺き屋根の南部曲屋(なんぶまがりや)
曲がり屋(まがりや)は「曲屋」、「曲り屋」とも表記され、上空から見るとL字型の建物になっています。
母屋と厩(うまや:馬屋)がL字型に一体化したつくりとなっているのが特徴です。
出典:建物探訪記
▲母屋にある囲炉裏で焚いた火の熱が厩にも流れて冬の寒さから馬を守ることができる
岩手県にある『南部曲り屋(なんぶまがりや)』が有名です。
L字型の曲がり屋に対し、I字型の直線型の民家を直屋(すごや)といいます。
中門造(ちゅうもんづくり)
出典:東北の民家
▲秋田県にある旧吉尾家住宅の両中門造(18世紀末ごろ)
新潟県や秋田県に見られる中門造(ちゅうもんづくり)。
曲がり屋と形状は似ており、建物形状がL字型やU字型をしているものがあります。
どちらも似ていてややこしいかもしれませんが、違いは入り口の位置です。
中門造はLの字が伸びた先端に入口が付きますが、曲がり屋はLの字の内側側面に入口が付きます。
出典:閑古鳥旅行社
▲福島県南会津町にある、切妻造の中門の正面に玄関のある典型的な中門造。
本棟造(ほんむねづくり)
出典:木族の家
▲長野県東筑摩郡にある本棟造の住宅
本棟造(ほんむねづくり)は長野県に分布する民家の形式です。
明確な定義はありませんが、一般的な特徴には
- 切妻造り妻入り
- 緩い勾配の屋根
- 『雀脅し(すずめおどし)、雀踊り』と呼ばれる棟飾り
- 正方形の間取り
などがあります。
▼切り妻、妻入りってなんだっけ?ならこちらから!▼
雀脅しとは、本棟造りの屋根の一番高いところ付けられている特徴的な装飾のことです。
出典:4travel.jp
▲本棟造りの大きな特徴でもある雀おどし。付けられるようになった起源については明確ではない。
本棟造りの代表的な建造物としては、重要文化財にも指定されている『堀内家』や『馬場家』などが有名です。
出典:WAKWAK
▲長野県塩尻市にある江戸後期に建築された本棟造の住宅『堀内家』
▲1851年に建築された『馬場家』は長野県松本市にあり、見学も可能。
合掌造(がっしょうづくり)
出典:LINEトラベル
合掌造り(がっしょうづくり)とは、豪雪による建物への荷重を減らすため、屋根勾配を45度から60度とおもいっきり傾けた住宅様式です。
岐阜県にある白川郷(しらかわごう)は合掌造りの建物が集まる集落で、1995年にユネスコの世界文化遺産に登録されたことで一躍有名になりました。
ちなみにこの白川郷、建物はすべて南北の向きで建てられています。
これは周囲を山に囲まれた白川郷を吹き抜ける強風を南北に受け流して、風の抵抗を最小限に低減するとともに、屋根に当たる日照量を調節して夏涼しく、冬は保温されるようにするためなんだとか。
出典:スカイチケット
▲雪が積もりにくい急勾配の屋根。建物はほぼ全て南北に同じ方向を向いている。
合掌造りが日本の一般的な民家と大きく違うところは、屋根裏(小屋内)を積極的に作業場として利用しているところです。
幕末から昭和初期にかけ、白川郷では養蚕業(ようさんぎょう)が村の人々を支える基盤産業だったので、屋根裏の大空間を有効活用するため小屋内を2~4層に分け、蚕(かいこ)の飼育などを行う作業場として使用されていました。
出典:白川村役場
▲ 国指定重要文化財となっている和田家の屋根裏。養蚕業の作業場として積極的に利用された。
白川郷の合掌造りが広く知られ、各方面から注目をされるようになったのは、ドイツの著名な建築家であり建築学者であるブルーノ・タウトが、著書『日本美の再発見』で合掌造りについて記述したことがきっかけといわれています。
ブルーノ・タウトは著書の中で、
「合掌造り家屋は、建築学上合理的であり、かつ論理的である。」
と絶賛しました。
また、
「この風景は、日本的ではない。少なくとも私がこれまで一度も見たことのない景色。これはむしろスイスか、さもなければスイスの幻想だ!」
とも述べています。
このようなブルーノ・タウトの高い評価により、白川郷の合掌造りは世界中の人々の関心を集めるようになったのです。
(ちなみにブルーノ・タウトは1935年5月に白川郷を訪問しています。)
▼ブルーノ・タウトはこちらの記事でご紹介▼
大和棟(やまとむね)、高堀造(たかへいづくり)
出典:奈良大和路~悠~遊~
大和棟(やまとむね)は、高塀造(たかへいづくり)とも呼ばれる日本の民家建築のひとつです。
奈良県で見られ、切妻屋根の草葺きと屋根瓦が組み合わされている、なんとも変わった組み合わせの屋根が特徴的です。
白い漆喰壁と屋根の色のコントラストがとっても美しいですね。
屋根の一番高い棟の建物が母屋(主屋)になっています。
かぶと造
出典:愛しきものたち
かぶと造、兜造り(かぶとづくり)とは日本の民家における屋根形式の一つで、かつて日本の武士が用いた兜に似ていることから名付けられました。
関東西部から山梨県で見られ、基本的には寄棟造あるいは入母屋造(いりもやづくり)の屋根のうち、妻側の屋根を切り上げた形式となっています。
▲入母屋造とは、一番上の屋根が切妻造、下部においては寄棟造となる構造をもつ屋根のこと。西洋では見られず、東アジア特有の屋根形式。
珍しい例では妻側ではなく平側を切り上げた形式もあり、こちらは「平兜造(ひらかぶとづくり)」と呼ばれます。
出典:記録がかり
▲群馬県にある大型の養蚕農家『冨沢家』は国の重要文化財に指定されていて、平側の屋根が切り上げられた「平兜造」の形式をもつ貴重な建築。
白川郷と同じように江戸時代中期以降に盛んになった養蚕業を屋根裏の空間を利用して行っていたため、屋根裏に日光を届けて風が通る様するよう屋根を一部切り上げていました。
ナンタルカのまとめ
■庶民の住居
庶民の住宅に高床で床座を基本とする住宅が現れるのは中世以降のことで、最も初期の床座住居は土間部分と床座部分が2分割された(①)であり、その後広間型住居や四間取り住居とも呼ばれる(②)などに発展した。
■都市の住居
(1)室町時代には、京都の町衆(商人)勢力が拡大し、店舗併用住宅の(①)が発達した。当時の町屋には屋根の上に(②)を上げている家が見られた。江戸時代に入ると、江戸の町では家事が多く発生したため、外壁を漆喰で塗り込んだ(③)が奨励された。
(2)町屋建築は、間口が狭く奥に長い形式で、(①)から台所の土間へ抜ける部分と、(②)から奥座敷へと続く部分との2列平面プランが一般的だった。
■民家の形式
近世に入ると経済力をつける庶民も増え、地方独特の民家を造るようになった。岩手県のL字型の民家『(①)』や、新潟県・秋田県の中門造、長野県では雀脅しが付けられた(②)が、富山県・岐阜県では急勾配の屋根が特徴的な(③)などが有名である。
お疲れ様でした。
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