どうも、しけたむです。
この記事では
- 「ド派手なものがとにかく好きだ。」
- 「身の回りの食器や器にはこだわっている。」
という人のために
バロック様式の特徴を分かりやすく画像付きでご紹介していきます。
バロック様式とは?
『キリスト昇架』 ルーベンス
バロックは16世紀末から17世紀初頭にかけてイタリアのローマ、マントヴァ、ヴェネツィア、フィレンツェで誕生し、ヨーロッパの大部分へと急速に広まった美術・文化の様式です。
古典様式を規範とした厳格な規則性を理想とする「静的」なルネサンス様式に対し、力強く有機的で迫力のある流動感を持ち、誇張された動きや凝った装飾のある「動的」な様式がバロックの特徴で、その影響は建築だけではなく、彫刻、絵画、文学、音楽などあらゆる芸術領域に及びました。
▲イタリア・ヴェネツィアにある『サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂』の祭壇上の彫刻『黒死病を追い払う天上の女王』(1670年)はバロック期の傑作。力強く動きのある彫刻は、バロック期の内外装を彩る装飾芸術として広く用いられた。
バロック様式の建築物では、イタリアを代表する彫刻家であり建築家のジャン・ロレンツォ・ベルニーニが設計したバチカンの『サン・ピエトロ(聖ピエトロ)広場』が代表的で、10年以上の歳月をかけて完成させました。
▲長さ340メートル、幅240メートルの楕円形の『サン・ピエトロ広場』は、17世紀のバロック様式を代表する彫刻家であり建築家のベルニーニによる設計。広場の周囲には列柱廊がぐるりと立ち並び、中央にはエジプトから運ばれたオベリスク(記念碑)がある。
ルネサンス期ではドームなどの「円形」という形が一般的に建築で使用されましたが、バロック期ではサン・ピエトロ広場で「楕円形(だえんけい)」という今まで見られなかった形が用いられました。
出典:しけたむ
▲サン・ピエトロ広場の噴水と奥に見えるのがサン・ピエトロ大聖堂
▲広場の左右にある列柱廊には、ドーリア式円柱284本と140体の聖人像が配されている。
ジャン・ロレンツォ・ベル二ーニは画家や劇作家としても才能を発揮し、歴代のローマ教皇に重用されて、ローマ全体を自らの作品で飾りました。
当時の人々より、
「ベル二ーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのために作られた」
とまで賞賛された、バロック芸術の巨匠です。
▲ジャン・ロレンツォ・ベルニーニはコーディネーターとしては知っておきたいバロック芸術の巨匠。古代遺跡が残る古き都ローマは彼の手によって、絢爛豪華な装飾にあふれる美の都に変貌した。人々は彼の作品を「芸術の奇跡」と絶賛し、今もローマ中にはベルニーニの作品であふれている。
出典:しけたむ
▲ローマ・ナヴォーナ広場にある『四大河の噴水』もベルニーニの代表作品。4つの大河はナイル川、ガンジス川、ドナウ川、ラプラタ川を擬人化し、表現している。
出典:しけたむ
▲『サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会』の前にある『ミネルバ・オベリスク』の象の台座もベルニーニの作品。オベリスク(記念碑)はエジプトからローマに運ばれた13本の内の1本。
イタリアから広まったバロックの時代は、フランスではルイ13−14世時代にあたります。
特にルイ14世時代に盛んだったので、バロック期のフランスの美術・文化様式を『ルイ14世様式』とも呼ばれます。
イギリスでは後期ジャコビアン様式とウィリアム・アンド・メアリー様式がバロック期に相当します。
以下より、それぞれの様式を覚えてゆきましょう。
フランスのバロック様式
ルイ14世様式
▲ルイ14世によって1682年に建てられた『ヴェルサイユ宮殿』はバロックの象徴的な建築
ルイ14世様式は、17世紀中頃〜18世紀初期、フランスのルイ14世が統治していた時代の美術・文化様式のことを指します。
イタリアのバロック様式の影響はルイ13世の頃からすでに受けていましたが、「太陽王」と称されたルイ14世のもとでよりド派手に、より豪華で重厚な印象となり、その絶頂期を迎えることとなります。
この時代のインテリア家具には、高級木材である黒檀(こくたん)の化粧張り、真鍮(黄銅)や象牙などを用いた象嵌(ぞうがん)(※)やブロンズの銀めっき、金、銀、べっ甲などの煌びやかで豪華絢爛な装飾が使用されました。
出典:THE MET
▲ヴェルサイユ宮殿の家具デザイナーであるアンドレ・シャルル・ブールによるキャビネット。黒檀の化粧張り、象嵌、ブロンズの金メッキなどの装飾が施されている。(1700年頃)
※象嵌(ぞうがん)とは
象は「かたどる」、嵌は「はめる」と言う意味で、
「一つの素材に異質の素材を嵌め込む」技法のこと。
地の素材(嵌め込まれる素材)には金属・木材・陶磁器などがあり、嵌め込む素材には地と異なる色や種類の木材や陶磁器などが用いられた。
象嵌のことを英語では「インレイ(inlay)」と呼ぶ。
出典:Anticstore
▲数種の木材が使用されたルイ14世時代の象嵌テーブル(17世紀後半)
ルイ14世様式の建築は『ヴェルサイユ宮殿』が最も代表的です。
ヴェルサイユ宮殿
出典:BFMTV
▲『ヴェルサイユ宮殿』のファサードは400メートルもあり、左右対称の構成。正面玄関はU字型に凹んだ位置にあり、宮殿の裏には大庭園が広がっている。
ヴェルサイユ宮殿は、1682年にフランス王ルイ14世(1638年 – 1715年)が建てたフランスの宮殿で、「ヴェルサイユ城」とも呼ばれています。
バロック建築の代表作で、豪華な建物と広大で美しい庭園で有名です。
出典:Good Fon
▲「王の庭師」といわれるアンドレ・ル・ノートル設計の平面幾何学式庭園。平地を幾何学的に切り分け、川や池・泉・運河を造り、植物を整然と配して装飾した。水なき土地に水を引くことは、王の力を誇示する狙いがあったと言われる。
1675年にはじまったヴェルサイユ宮殿の工事には約25,000人を動員し、7年の歳月をかけて1682年に完成させました。
宮殿の工事と同時に始まった噴水庭園の工事には宮殿工事以上の約36,000人を動員し、10km離れたセーヌ川にダムを作り水を引いてくるというとんでもないスケールの大工事だったそうで、噴水の存在がどれだけ重要であったのかが分かります。
出典:旅のアシアト
▲入口から階段を上って最初に目にする『王室礼拝堂』では、結婚式やミサなどが行われていた。ルイ16世の時代には、14歳だった王妃マリー・アントワネットとの結婚式もこの礼拝堂で行われた。
出典:Expatolife
▲宮殿のなかで最も壮麗な空間『鏡の回廊』は1684年に完成。73mもの大回廊の壁一面には当時非常に高価だった鏡が357枚も張り込まれている。天井はギャラリーとなっていて、宮廷画家シャルル・ル・ブラン(後述)による壮麗な30枚の絵画が並ぶ。
出典:HisouR
▲ヴェルサイユ宮殿のほぼ中心に位置する『王の寝室』は、王の生活の場であると同時に王の執務室であり、君主制の聖域でもあった。ルイ14世は1715年9月1日にこの寝室で息を引き取った。
▲『王妃の寝室』はルイ14世妃以来、歴代の王妃が使用した。最後にこの部屋を使用したのはマリー・アントワネットで、王妃はこの部屋で大半の時間を過ごし、人々の訪問を受けた。
ヴェルサイユ宮殿の完成から86年後の1768年、ルイ14世の曽孫であるルイ15世の時代に、ヴェルサイユ宮殿の大庭園を抜けた場所に『プチ・トリアノン』というロココ様式の装飾が施された離宮が建てられます。
このプチ・トリアノンはルイ15世の死後、ルイ16世の統治時代に当時19歳だった王妃マリー・アントワネットに私的な宮殿として与えられました。
▼マリー・アントワネットに与えられた離宮『プチ・トリアノン』はこちら▼
シャルル・ル・ブラン
出典:Wikipedia /シャルル・ル・ブラン
シャルル・ル・ブラン(1619 – 1690)は、フランスの画家、室内装飾家、美術理論家で、ルイ14世の第一画家としてヴェルサイユ宮殿、ルーヴル宮殿等の室内装飾を担当した人物です。
ブランはヴェルサイユ宮殿の室内装飾のデザインを行いながらも自ら絵画を描き続け、『鏡の回廊』での天井絵画など多くの部屋で彼の作品を見ることができます。
▲『鏡の回廊』の装飾や30枚にもおよぶ天井絵画もシャルル・ル・ブランによるもの
ゴブラン織の工場の設立運営にも関わり、17世紀のフランス美術・芸術界に強い影響を与えました。
ゴブラン織とは「フランスのゴブラン工場で製作されたタペストリー(タピスリー)のこと」を指すのですが、現在では広義で『タペストリー全体のこと』を指します。
出典:Apollo Magazine
▲シャルル・ル・ブランによるゴブラン織は高さ370cm、幅576cm。王立ゴブラン製作所を訪れた王に慌てふためく所員たちを描いた。『Louis XIV Visiting the Gobelins Factory』(1673年)
出典:Apppie
▲王と王妃が公的な食事の際に利用した『大会食の間』の壁面に掛けられた大きなゴブラン織
ル・ブランは、ゴブラン工場と彫刻・絵画アカデミーを通してフランスの工芸や美術界全体を支配し、フランスで製造されたあらゆる製品に豪華で強烈な個性を刻み込みました。
彼はルイ14世様式の生みの親とも言うべき人物であり、死後何世紀にも渡ってフランス人の趣味傾向に影響を与え続けたのです。
▲シャルル・ル・ブラン作『馬に乗るルイ14世』(17世期)
▼タペストリー、つづれ織りはこちらの記事からも▼
アンドレ・シャルル・ブール
出典:Sotheby’s/André-Charles Boulle
アンドレ・シャルル・ブール(1642 – 1732)はオランダ出身の家具職人で、インレイやマルケトリー(※)と呼ばれる卓越した技術を発揮しました。
※インレイとマルケトリー
■インレイ(inlay)は日本語で「象嵌(ぞうがん)」と呼ばれ
「一つの素材に異質の素材をはめ込む」技法のこと。
嵌め込む素材が「木」であれば木象嵌となり、「貝」であれば螺鈿(らでん)と呼ばれる。
■マルケトリー(Marquetry)は象嵌の一種で
「様々な色調の木材や異素材をはめ込み、花や鳥などの緻密な模様を描く」技法のこと。
16世紀初頭にベルギーの高級家具メーカーで開発され、17世紀半ば以降にフランスに本格的に輸入されると『ヴェルサイユ宮殿』やルイ14世の他の王立邸宅を飾るために用いられた。
出典:Anticstore
▲ウォルナット、真鍮、パールが使用されたマルケトリーの小物入れ(17世期;ベルギー)
ベルギーからフランスに輸入されたマルケトリーの技術は、アンドレ・シャルル・ブールによって高められると
「フランスのすべてのキャビネットメーカーの中で最も注目に値する人物」
とまで言われ、ルイ14世からの熱いオファーにより『ヴェルサイユ宮殿』の家具を担当することになります。
ブールは象牙、ベっこう、金、銀、銅、真鍮(しんちゅう)などをふんだんに使ったド派手な家具を多く設計し、華麗なデザインのブールの家具は「バロック様式の象徴」とも呼ばれました。
▲象嵌が施されたキャビネット。そのデザインにはシノワズリ(中国趣味)の影響が感じられる。
出典:P.clostermann
▲大理石の天板と煌びやかなブロンズの金メッキに彫金が施されたチェスト
イギリスのバロック様式
後期ジャコビアン様式
▲1680-1702年頃の後期ジャコビアン様式のイギリスの応接室。壁面や家具にはルイ14世様式の華やかな装飾の影響が見られる。
バロックの時代は、イギリスでは後期ジャコビアン様式からウィリアム・アンド・メアリー様式(後述)に相当します。
ジャコビアン様式とはジェームズ1世の統治時代(1603-1625)から、彼の息子のチャールズ1世の統治時代(1625−1649)を中心とした17世紀初頭から中ごろの建築様式です。
ジャコビアン様式の前のエリザベス様式との連続性が強く、直線的なゴシックのデザインと、ルネサンスの古典主義的な華美なデザインのミックスというような特徴を持ちます。
出典:Britannica
▲イギリスのマナーハウス(荘園領主の邸宅)のインテリアに基づいて再現された、代表的なジャコビアン様式の応接室と寝室のモデル。(1930-1940;シカゴ美術館)
ジャコビアン様式は、イギリスのルネサンスからバロックへの過渡期とも言える様式でもあり、ルネサンスの時代のジャコビアン様式を「初期ジャコビアン様式」、バロック時代のジャコビアン様式を「後期ジャコビアン様式」と分けられることもあります。
そのためジャコビアン様式の家具は、初期はルネサンスの影響を受けた「エリザベス様式」の特徴を持っていて、後期には「バロック様式」の影響が加わっています。
▼初期ジャコビアン様式の特徴はこちらから▼
ジャコビアン様式はのちに植民地時代のアメリカへと伝えられると、コロニアル様式(アーリーアメリカン様式)の家具の手本ともなりました。
▼ジャコビアン様式が影響を与えたコロニアル様式はこちら!▼
ウィリアム・アンド・メアリー様式
▲ウィリアム・アンド・メアリー様式のインテリアにはウォルナット材が好まれた。
ウィリアム・アンド・メアリー様式とは、オランダ総督のウィリアム3世とその妻であるイギリス女王メアリー2世の共同統治時代(1689-1702年)に流行した様式のことを指します。
なぜ夫婦で統治するようになったかの経緯をざっくり説明すると、ジャコビアン様式が流行していた時代にイギリスを治めていた「チャールズ1世」、その息子「ジェームズ2世」の娘である「メアリー2世」がオランダ総督の「ウィリアム3世」の元へ嫁いだのち、メアリー2世の父・ジェームズ2世が失脚した為、メアリー2世が王位を継ぐことになります。
しかし、すでにオランダ総督ウィリアム3世の元へ嫁いでいたメアリー2世の強い希望で、夫のウィリアム3世とともにイギリスの王位についた、というのが共同統治までの流れです。
(ちなみにオランダ総督・ウィリアム3世はイギリス王家の血をしっかり継いでいます。)
▲ウィリアム3世とメアリー2世の肖像画。イギリス史上、平等の権力による「共同統治」が君主に認められた唯一の時代だった。ウィリアム3世は両性愛者で、男性の愛人の存在に苦しめられたというメアリー2世の記述が残っている。また身長はメアリー2世の方が高かった。
オランダ出身のウィリアム3世がオランダから優秀な家具職人を連れて来たことにより、オランダだけでなく、フランスやイタリアなどの周辺国の技術がイギリスへ伝わりました。
ウィリアム・アンド・メアリー様式は、ヨーロッパ諸国だけでなく中国の影響も受けた様式で、ウォルナット材を多用した女性的で上品な装飾デザインや、背板の長い椅子などがその代表例と言われています。
家具の脚元には「ベルフット」と呼ばれる釣鐘型の装飾や、ぐるぐるとねじられた「ねじり脚」、脚同士をクロスで繋ぐ「ストレッチャー」とも呼ばれる「貫(ぬき)」が使用されているのもウィリアム・アンド・メアリー様式の特徴の1つです。
ねじり脚
出典:ツインアンティークス
ウィリアム・アンド・メアリー様式の特徴としては、家具の脚にジャコビアン様式にも見られるねじり脚(バーリーシュガーツイスト)が施されていたり、、、
▼ねじり脚は前回記事にて詳しく紹介しています▼
ベルフット、トランペットレッグ
出典:LEVY
▲ウォルナット材を使用した「トランペットレッグ」のサイドテーブル(1725年頃)
釣鐘(つりがね)型の「ベルフット」やトランペット型の「トランペットレッグ」という装飾なんかも考案されて、
出典:DOYLE
▲釣鐘型の「ベルフット」が使用されたウィリアムアンドメアリー様式のサイドテーブル
ストレッチャー(貫)
出典:SUSAN SILVER
脚同士をクロスで繋ぐ貫(ぬき)(英語でストレッチャー)もウィリアム・アンド・メアリー様式の特徴の1つです。
ストレッチャーには装飾としてだけではなく、脚がしなるのを防ぎ家具自体の安定性を高める効果もありました。
バロック様式の工芸品
ヴェネツィア(ベネチア)ガラス
出典:Original MURANO GLASS
バロックの時代には、ガラス器の工芸品の産地としてヴェネツィア(ベネチア)が興隆しました。
このヴェネツィアで作られるガラス器をヴェネツィアガラス(ベネチアン・グラス)と呼びます。
ヴェネツィアガラスは鉛を含まないソーダ石灰を使用する事が特徴で、コバルトやマンガンなどの鉱物を混ぜることで様々な色合いを表現することが出来ます。
混ぜる鉱物により硬度が変化し、赤色のガラスが最も硬度が高いです。
▲ヴェネツィアガラス製作の様子。空気を送り込みながら温度を自在に変化させる。
ヴェネツィアガラスは高い装飾性も特徴で、基本的な製法はソーダガラスを使用した吹きガラスですが、空中で吹くことにより極薄に吹き上げる技法や、ガラスを細ーく引き伸ばして竜や花や鳥などをモチーフにした複雑な装飾を施す技法など、「軽業師(かるわざし)の妙技」と呼ばれる高度なテクニックが用いられています。
マヨリカ陶器
出典:Christie’s
▲1600年に作られたマヨリカ陶器のプレート『A DERUTA MAIOLICA CHARGER』
陶器の分野では14〜16世紀にスペインのマヨルカ島から、イタリアに輸入されて完成されたマヨリカ(マヨルカ、マジョルカ)陶器が盛んになりました。
白地に鮮やかな彩色を施し、歴史上の光景や伝説的光景を描いたものが多く見られます。
マジョリカ焼、マヨルカ焼、マリョルカ焼、マジョルカ焼など、呼ばれ方は様々です。
出典:AUCTIONN FR
▲1530−1550年頃に作られたマヨリカ陶器のプレート『PLAT EN MAJOLIQUE DE DERUTA』
デルフト陶器
出典:Unseen Beauty
デルフト陶器は、オランダのデルフトとその近辺の街で16世紀から生産されている陶器で日本では「デルフト焼き」とも呼ばれます。
白色の釉薬を下地にして、スズ釉薬を用いて絵付けされる陶器で、どこか中国的な雰囲気を感じさせる陶器です。
17世紀になると東インド会社(※1)が中国から大量の磁器をオランダに輸入しました。
(※1:イギリスやオランダで設立された、アジア地域との貿易を特権的に行う貿易会社)
この中国磁器の優れた品質と独特の色合いや精密な絵付けが、当時のデルフトの陶器職人に大きな影響を与えたと言われています。
▲東インド会社によってヨーロッパへ輸入された中国磁器(1635−1645頃)
ところが中国の皇帝が1620年に死去すると、ヨーロッパへの中国磁器の輸出が止まってしまったのです。
大人気だった中国磁器が入ってこなくなってしまったヨーロッパの人々はとても困りました。
そこでオランダの陶工職人たちは、
「仕方ねえ、とりあえず俺たちで中国磁器のデザインパクって作ろうぜ。」
という発想になり、次第に中国磁器の模倣があちこちで行われるようになりました。
しかし、中国磁器の製造工程をヨーロッパの職人たちは見たことが無かったので、作陶には大変試行錯誤し、長い時間をかけてようやく「デルフト・ブルー」と呼ばれる青い模様のデルフト陶器が生み出されたのです。
出典:Bijenkorf
▲17世紀後半に作陶されたデルフト陶器の花瓶。中国風の絵付けが施されている。
日本の佐賀県有田町などで生産された磁器「伊万里焼(いまりやき)(※)」の影響も受けたデルフト陶器は、それまでの西洋的な陶器とは異なり、また中国磁器とも違った世界観を確立し、人気を得ました。
※伊万里焼(いまりやき)とは
伊万里焼とは佐賀県の伊万里港から積み出された磁器のことで、有田焼や唐津(からつ)焼などの総称。
17世紀、中国からヨーロッパへの磁器の輸出がストップした際、オランダから日本へ
「中国磁器と同じ様な磁器作って送ってよ」
という依頼があったので、伊万里焼をヨーロッパ人好みの中国磁器を見本にして輸出したところ、ヨーロッパで非常に高い評価を得た。
ちなみに、骨董品などで耳にすることのある「古い伊万里」という意味の「古伊万里(こいまり)」は、江戸時代につくられた伊万里焼のこと。
出典:THE MET
▲江戸時代、伊万里港からオランダへ輸出された古伊万里『Dish with Parasol Ladies』(1735−1740)
ナンタルカのまとめ
■バロック様式とは
バロック様式は16世紀末から17世紀初頭にかけてイタリアで誕生し、ヨーロッパへと広まった美術・文化の様式。豪華さを競うような、華麗で華美な装飾が特徴的でルネサンスの厳格な規則性を離れ、有機的な流動感と力強さを強調した。代表的な建築ではベルニーニが設計したバチカンの『(①)』が代表的で、10年以上の歳月をかけて完成された。
■フランスのバロック様式
フランスではルイ13世〜14世時代がバロック期にあたり、特にルイ14世時代の様式は(①)ともいう。代表的な建築では、広大な庭園でも有名な(②)があり、室内装飾を担当した画家の(③)や家具を担当した(④)が一世を風靡した。
■イギリスのバロック様式
イギリスのバロック期の様式は(①)から(②)に相当する。(②)はオランダ出身の国王ウィリアム3世がオランダから優秀な家具職人を連れて来たことにより、家具の形や装飾が女性的で上品、重厚なスタイルが多く見られるようになった。家具の装飾としてバーリーシュガーツイストとも呼ばれる(③)やトランペット型や釣鐘型の挽物装飾が用いられた。
■ヨーロッパのガラス器と陶器
バロック時代にはガラス器の工芸品の産地として(①)が隆盛した。また、陶器では14〜16世紀にスペインからイタリアに移入されて完成された(②)が盛んになった後、17世紀にオランダの(③)が盛んになった。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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