こんにちは、しけたむです。
この記事では
- 「世界で活躍した日本人の家具デザイナーについてもっともっと知りたい。」
- 「和室にも違和感なく置ける様なデザインの椅子がほしい。」
とお悶えの皆様に向けて、
世界で活躍した有名な日本のモダンデザイナー豊口克平、新居猛を画像で解説します。
▼前編、柳宗理はこちらから!▼
▼中編、剣持勇はこちらから!▼
豊口克平(とよぐちかつへい)
豊口克平の経歴
出典:長野の家具
豊口克平(とよぐちかつへい)(1905年(明治38年) – 1991年(平成3年))とは昭和・平成期の日本を代表するインダストリアルデザイナーで、日本インダストリアルデザイナー協会と日本インテリアデザイナー協会の名誉理事となったインテリア業界の重鎮中の重鎮です。
豊口克平は1905年に秋田県秋田市に生まれ、東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)工芸図案科を卒業した後、高等工芸の講師だった建築家「蔵田周忠(くらたちかただ)」のもとで1928年に『型而(けいじ)工房』というグループを組織します。
出展:つれづれ可喜庵
▲卒業生たちと型而工房を組織した高等工芸の講師「蔵田周忠(くらたちかただ)」
型而工房は当時日本デザイン界が関心を寄せていた『ドイツ工作連盟』や『バウハウス』の思想を強く受けて「合理的で機能的なデザインの実践」を目指していて、住宅建築から家具、台所設備に至るまで暮らしに関するほとんどの分野を研究の対象としていて、実製作も手がけました。
出典:monomono
▲形而工房で製作された椅子(初号1935年・武蔵野美術大学美術館図書館所蔵)
▼蔵田周忠、型而工房について詳しくはこちらから▼
豊口克平は家具のデザインで人間工学の考えをいち早く取り入れ、日本人の体格や生活習慣をリサーチして「新時代の日本人のための家具」を提案しました。
その後、1933年〜1959年に商工省の「工芸指導所(こうげいしどうしょ)」に入所して、ドイツの建築家ブルーノ・タウトや剣持勇(けんもちいさむ)らと高度経済成長期の日本のモダンデザイン発展のために尽力します。
出典:データ検索サイト
▲左から2番目が剣持勇、右から7番目が豊口克平、中央でポケットに手を入れている外国人がブルーノ・タウト。
▼くどいようですが工芸指導所もこちらから!▼
1959年に工芸指導所を退所した豊口克平は、54歳でフリーランスとなって「豊口デザイン研究所」を設立、同時に武蔵野美大工芸工業デザイン学科主任教授に迎えられて、退職するまで後進の指導にあたりました。
豊口克平の代表作品
スポークチェア
出典:天童木工
スポークチェアは豊口克平によってデザインされ、1963年に山形県天童市の家具メーカー『天童木工(てんどうもっこう)』より発表されたチェアで、横幅が81cmもある楕円形をした大きな座面と、細い丸棒(スポーク)を並べた背が特徴のチェアです。
楕円形の座面は足を投げ出してもよし、あぐらをかいてもよし、の日本の床に座る生活に対応した設計となっています。
出典:monomono
▲13本のスポークが背中を優しく包み、くつろぐのにちょうど良い角度になっている
座面の裏側にある楕円形のフレームは、天童木工が得意とする成形合板の技術「エンドレス成形」によって作られていて、熟練の技で継ぎ目の無い楕円形の成形を可能にする、天童木工ならではの成形技術です。
またお気付きの方も多いかとは思いますが、このスポークチェアはイギリスの伝統的なチェアである「ウィンザーチェア」を手本にしています。
出典:smow.com
▲ウィンザーチェアは17世紀後半からロンドンの職人たちによって作られ、一般市民に広く使われた「庶民の椅子」。実用性と経済性そして造形性にも優れ、現代にも通じる椅子デザインの原点の一つと言われている。
▼アメリカで最も有名と言われているウィンザーチェアはこちらから▼
スポークチェアのもう一つの特徴は座面の「低さ」で、一般的なソファなどは座面高さ40cm前後が一般的ですが、スポークチェアは高さ34cmと低く、家の中で靴を脱いで裸足で暮らす日本人がゆったりと座るのに最適な高さに設計されています。
和室で使用しても畳に座った人と視線の差が少なく、また太めの脚は先端が丸まっていて畳やカーペットが傷まないような配慮がされてることにも注目です。
新居猛(にいたけし)
新居猛の経歴
出典:NychairX
新居 猛(にいたけし)(1920年(大正9年) – 2007年(平成19年))とは日本を代表する家具デザイナーで、日本インテリアデザイナー協会名誉会長となった人物です。
1920年(大正9年)に徳島県徳島市の剣道具や柔道着の製造会社の三代目として生まれた新居猛は、祖父が古物商を営んでいたこともあり骨董品などに触れて育ちました。
また剣道具・柔道着の製造が行われている傍らで、布にチャコペンで印を付けるなど家の手伝いをしながら、縫製の技術を身につけていったようです。
ところが戦後、GHQの政策である武道禁止令により柔道・剣道が禁止となり家業の商売ができなくなってしまった新居猛は、県の職業補導所の木工コースに入って家具づくりを学びます。
29歳になる頃には友人とともに「便利堂(べんりどう)」と名付けた木工所を開業し、 家具や建具の修理・修繕を行うなど小回りの利く便利屋さんのような仕事で日銭を稼ぐようになっていました。
1950年代後半、高度経済成長期に突入した日本では海外のデザインに目が向けられるようになり、 各国のインテリア展示会が百貨店などで開催されるようになります。
インテリア展示会に出品されていたデンマークの家具メーカー『Fritz Hansen(フリッツ・ハンセン)』社の『AXチェア』を見にいった新居猛は
「なんで椅子がこんな高いん?」
という疑問を持ち、どうしたらもっと安くて座り心地の良い椅子が作れるかという新たな椅子の開発にのめり込むようになります。
出典:Bukowskis
▲日本ではまだ目新しかった北欧家具『AXチェア』。デザインはピーター・ヴィッツ & オルラ・モルガード・ニールセンというデンマーク人のデザイナーコンビによるもの。
1969年(昭和44年)、49歳の新居猛は「有限会社ニーファニチア」を設立し代表取締に就任すると、翌年に代表作である『Nychair(ニーチェアX)』を発表しました。
新居猛の代表作品
NychairX(ニーチェアエックス)
出典:MAGMOE
Nychair (ニーチェアエックス)とは新居猛によってデザインされ、1970年に「有限会社ニーファニチア」より発売された折り畳みチェアで、2013年以降からは名古屋市にある家具メーカー「株式会社 藤栄(ふじえい)」にて製造・販売されています。
X型に組まれたスチールフレーム(現在はステンレスに変更)と木製の肘掛け、キャンバス地のシートを4本のネジで固定するだけで完成し、安定したゆったりとした座り心地です。
出典:NychairX
▲ニーチェアオットマンを使えばこんな具合に極上のリラックス感を味わえる
折り畳んだ時に自立するのもニーチェアエックスの特徴のひとつです。
「ニーチェアエックス」の名付け親であり監修を行なった北欧デザイン研究の第一人者で武蔵野美術大学名誉教授の島崎信(しまざきまこと)は良い椅子の条件として、「座りやすい」、「丈夫」、「軽い」、「価格が妥当」、「フォルムが美しいこと」という5つを挙げ、ニーチェアエックスがこれら全てを兼ね備えた椅子であると評価しました。
出典:PRTIMES
▲折りたたんだニーチェアエックスは後部に付いている紐で開かないようにまとめておくことができる
発売から4年が経った1974年(昭和49年)、ニーチェアエックスはニューヨーク近代美術館(MoMA)にて永久収蔵が認められるという偉業を果たし、発売から50年以上が経った現在では100万脚以上の出荷を誇る大ベストセラー商品となったのです。
かつて北欧家具「AXチェア」を見て新居猛が語った、
「もっと安くて座り心地の良い椅子を作る。みんなに愛されるカレーのような存在の椅子だ。」
という誓いを、ニーチェアエックスで果たしたのでした。
ナンタルカのまとめ
■豊口克平とは
豊口克平は日本インダストリアルデザイナー協会と日本インテリアデザイナー協会の名誉理事となったインテリア業界の重鎮中の重鎮で、若き日には高等工芸の講師だった蔵田周忠のもとで1928年に(①)を組織し、その後は仙台の(②)でブルーノ・タウトや(③)らと高度経済成長期の日本のモダンデザイン発展のために尽力した。代表作には天童木工から発表された、継ぎ目の無い成形合板の技術を使った(④)がある。
■新居猛とは
新居猛は日本を代表する家具デザイナーで、日本インテリアデザイナー協会名誉会長となった人物。代表作にはX型に組まれたスチールフレーム(現在はステンレスに変更)と木製の肘掛け、キャンバス地のシートを4本のネジで固定するだけで完成する(①)がある。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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では、次回もお楽しみに。
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