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【日本のモダンデザイン・前編】柳宗理に剣持勇!世界で活躍した日本のモダンデザイナーたちの家具や特徴を画像で徹底解説します!【世界のインテリアの歴史㉓】

天童木工 バタフライスツール

 

 

こんにちは、しけたむです。

 

 

この記事では

 

 

  • 「世界で活躍した日本人の家具デザイナーについてざっくり知りたい。」
  • 「暗記が苦手でデザイナーの名前と家具が一致しない。」

 

 

とお考えの皆様に向けて

 

 

世界で活躍した有名な日本のモダンデザイナー柳宗理、剣持勇について分かりやすく画像つきでご紹介していきます。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
いよいよ日本の有名デザイナーシリーズですにゃ!きっとあなたが見たことがある家具もあると思いますにゃ。ここでしっかり覚えてほしいにゃあ〜

 

 

 

 

 

 

 

柳宗理(やなぎそうり)

柳宗理 出典:Nanban

 

柳 宗理1915年 – 2011年)は20世紀に活動した日本のインダストリアルデザイナーで、戦後日本のインダストリアルデザインの確立と発展における最大の功労者と言われる人物です。

 

 

 

柳宗理と書いて「やなぎそうり」で活動していましたが、本名は「やなぎむねみち」と読みます。

 

 

 

 

1915年(大正4年)、 東京都原宿に民芸運動を起こした思想家柳宗悦(やなぎむねよし)の長男として生まれました。

民芸運動出典:Discover Japan

▲ 民藝運動に欠かせなかった実業家たち。右から3人目のヒゲのおじさまが柳宗理の父「柳宗悦」

 

 

▼覚えていますか?柳宗悦の民芸運動▼

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1934年、19歳の宗理は東京美術学校洋画科に入学し、ドイツのヴァイマル(ワイマール)にある美術学校『バウハウス』で日本人としてはじめて学んだ人物「水谷武彦」の講義を受けてル・コルビュジェの存在を知り、デザインに関心を持つようになったそうです。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
当時の宗理くんは、まだまだお父さんの民芸運動での活動にはこれっぽっちも興味が無かったんですにゃあ〜

 

 

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25歳で東京美術学校洋画科を卒業した宗理は、ル・コルビュジェの建築事務所で学んだ日本人建築家坂倉順三の建築事務所に入所します。

 

 

 

 

 

坂倉順三先生の尽力もあって、1940年に日本の工芸指導のために来日することになったフランスの建築家でありデザイナーのシャルロット・ペリアンの日本視察に同行させてもらえることになった宗理は、ペリアンのアシスタントを行いながら日本各地の伝統工芸に触れました。

坂倉順三 シャルロット・ペリアン出典:楽しい年金生活

▲坂倉順三(右)とシャルロット・ペリアン(左)はル・コルビュジェの建築事務所の同僚だった。ペリアンの日本行きが決まったのも順三先生の計らいがあったからこそ。

 

 

シャルロット・ペリアンが日本の工芸を称賛する光景を見て、宗理自身も民芸への理解を深めて、インダストリアルデザインへの道へ進むことを決めました。

 

 

 

 

1943年の太平洋戦争中、宗理は陸軍の報道班員(※)として南方戦線の激戦の地フィリピンへ渡ります。

※報道班員とは

陸・海軍の報道部いずれかに強制的に動員された、著名な画家・文筆家・カメラマン、そして新聞・通信記者などで構成された戦場の様子を伝える人のこと。

国民の戦意を高揚させるため、虚偽の報道も数知れなかった。

 

 

終戦後は工業デザインの研究に着手し、1950年には「柳工業デザイン研究会」を開設します。

柳宗理 柳工業デザイン研究所出典:YANAGI DESIGN

▲「柳工業デザイン研究会」では食器や家具などの日用品をはじめ、橋や建造物、グラフィック等、人々の生活に関わるあらゆるもののデザインを行った。現在では教育活動やデザインの啓蒙、普及活動が定期的に行われている。

 

 

 

1952年に日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)の設立に参加し、1957年に傑作バタフライスツールや白磁器などのデザインが国際美術展覧会「ミラノ・トリエンナーレ」で金賞を獲得するなど世界的な評価を得ました。

日本インダストリアルデザイナー協会 JIDA出典:日本インダストリアルデザイナー協会

▲1952年、『日本インダストリアルデザイナー協会』はインダストリアルデザインの向上と発展を目指して25名のメンバーで創立された。(柳宗理は前列右から2番目) 2021年には『日本インダストリアルデザイン協会』に改称され、新たなスタートを切った。

 

柳宗理 金沢美術工芸大学産業美術学科出典:有野光次の気分はバリアフリー

▲1955年、金沢美術工芸大学産業美術学科の教授に就任した柳宗理。当時の同僚たち(宗理は前列中央)

 

 

 

 

柳宗理が生み出した作品たちは、洋食器、ガス湯沸器から、1964年の東京オリンピックと1970年の札幌冬季オリンピックのデザインまで広範囲に及んで、機能性を美と調和させたデザインで世界の注目を集めます。

東京オリンピック 聖火トーチ 柳宗理出典:Wikimedia commons

▲1964年の東京オリンピックで使用された聖火トーチ。聖火台や水泳競技場の座席なども柳宗理がデザインした。

 

野毛山動物園 柳宗理出典:Wikimedia commons

▲横浜市野毛山動物園の各種案内板や吊り橋も柳宗理デザイン(1970年)

 

柳宗理 横浜市営地下鉄出典:Wikimedia commons

▲横浜市営地下鉄のベンチ、水飲み場、レリーフなどの諸設備が柳宗理によるデザインということはあまり知られていない(1973年)

 

 

1980年にはイタリア在住のデザイナーでさえも推薦がなければ開催が困難とされている「ミラノ市近代美術館」でデザイナー初の個展を開き、世界に認められた数少ない日本人デザイナーとなりました。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
柳宗理の手掛けた作品は多すぎてとても紹介できないにゃ!こちらから見れますので、興味があればぜひどうぞにゃあ〜

 

 

エレファントスツール

エレファントスツール 柳宗理 出典:HLD

 

Elephant Stool(エレファントスツール)は、柳宗理が自分のアトリエで使う為の丈夫で安定性のある工作用椅子として1954年に発表し、東京にある家具メーカー『株式会社寿商店(現在は株式会社コトブキ)』によって制作されたスツールです。

 

 

 

 

 

狭いアトリエでも使いやすいように、軽量かつコンパクトでスタッキングできる(積み重ねられる)デザインとなっていて、当時はエレファントスツールという名称ではなく「スタッキングスツール」というシンプルな名称でした。

 

 

 

 

 

エレファントスツールはその名の通り、象の脚のようなユニークな形状から別名「象脚スツール」とも呼ばれ、世界初の完全一体成型のプラスチックスツールとして、後世のデザイン界に大きな影響を与えました。

 

 

 

 

 

しかし1954年の発売当時はプラスチックは使われておらず、チャールズ&レイ・イームズ夫妻が好んで使用した『FRP(Fiber Reinforced Plastics)』というガラス繊維で補強したプラスチックが使用されていました。

エレファントスツール スタッキング出典:柳宗理デザイン研究所

▲FRP製のエレファントスツール。1960年にミラノトリエンナーレに出展されたり、1970年には大阪万博のパビリオンで使用されたりと活躍は多岐にわたった。

 

 

▼FRPとイームズ夫妻はこちらで紹介しています▼

チャールズ&レイ・イームズ
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エレファントスツールはその後廃盤となってしまいましたが、2000年から2002年の間にイギリスの家具メーカー『habitat(ハビタ)』にてデザイナーのトム・ディクソンのプロデュースにより「yanagi stool」という名称で一時的に復刻しました。

トム・ディクソン出典:Domus Academy

『Tom Dixon.(トム ディクソン)』はデザイナーの「トム・ディクソン」が主宰するイギリスのライフスタイルブランド。 トム・ディクソンは2000年に大英勲章を受勲し、2014年にはフランスの家具展示会『メゾン・エ・オブジェ』のデザイナー・オブ・イヤーに選ばれるなどヨーロッパで最も著名なデザイナーの一人。 独創的なアート作品に近い斬新なプロダクトが特徴で、 MoMAの永久コレクションにも選定されている。

 

 

2度の廃盤の後、デザイン誕生から50年を迎えた2004年にスイスの家具メーカーVitra(ヴィトラ)からポリプロピレン素材で再び復刻します。

 

 

 

 

 

ここではじめて「エレファントスツール」という名称がつけられ、カジュアルにどこでも使える万能なスツールとしての機能性と飽きのこない愛らしいデザインで、今でも世界中のファンを魅了し続けています。

エレファントスツール Vitra出典:HLD

▲エレファントスツールはサイドテーブルとしてもちょうど良いサイズ

 

ナンタルカ
ナンタルカ
Vitraからは柳宗理の家具以外にも、チャールズ・レイ&イームズ、イサム・ノグチなど有名なデザイナー家具を販売しているんですにゃ!興味ある方はこちらから見て欲しいにゃあ〜

 

 

バタフライスツール

バタフライスツール 柳宗理

出典:柳工業デザイン研究室

 

バタフライスツールは1956年に柳宗理が発表したスツールで、2枚のプライウッドを金属の棒で連結したシンプルな構造で、蝶(バタフライ)が羽を広げたような曲線を描く形が特徴です。

 

 

 

 

合板に曲げを加えることで強度が増すという点に着目した宗理は、座面と脚とが一体化した2枚の合板を金具で繋ぐというバタフライスツールの形を思いつきます。

 

 

 

 

 

1954年に仙台の『工芸指導所』で成形合板を研究していた技術者の指導のもと、日本で初めて成形合板を実用化した山形県にある家具メーカー天童木工(てんどうもっこう)が製造を行い、3年近くの歳月をかけてバタフライスツールは完成しました。

 

 

▼シャルロット・ペリアンもかつて訪れた『工芸指導所』はこちらから▼

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バタフライスツールは発表の翌年の1957年、第11回「ミラノ・トリエンナーレ」で金賞を受賞し、さらに1958年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)のパーマネントコレクション(永久所蔵品)に選定されました。

バタフライスツール 出典:Vanilla

▲成形合板の美しいカーブは2本のボルトと1本の真鍮ステーだけで留められている。成形合板に使用されているメープル材は時間経過と共に色味の変化も楽しめる。(右:新品、左:17年使用)

 

 

 

バタフライスツールは天童木工と、1999年からはスイスの家具メーカー『Vitra(ヴィトラ)』でも制作されています。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
2枚の成形合板が互いに支え合うデザインだから、結婚のお祝いの品として選ばれることも多いらしいにゃあ〜

 

柳宗理出典:柳工業デザイン研究会

 

 

1940年に来日したシャルロット・ペリアンに感化され、父である柳宗悦の『民芸(藝)』を受け入れることを決めた柳宗理。

 

 

 

 

ペリアンは若き日の宗理に、日本の伝統を学ぶことの重要性を教えました。

 

 

 

 

父・宗悦は、宗理のデザインの仕事には無関心でしたがバタフライ・スツールには少しだけ関心を示したそうです。

 

 

 

 

宗理は、周囲からは父に反抗する「ならずもの」だと思われていましたが、1978年には父が初代会長を務めた『日本民藝協会』の3代目会長を引き受け、

 

「自分こそが父の最大の理解者だ!」

 

と語りました。

 

 

 

 

柳宗理は2011年に亡くなるまで用の美(実用性の中に美しさがある)という理念を主張し続け、父の柳宗悦が唱えた民藝運動の「日本の名もなき民衆の手仕事によって生み出された生活道具にこそ美の源泉がある」を自身のデザインによって体現しました。

 

 

 

剣持勇(けんもちいさむ)

剣持勇出典:Pen online

 

剣持 勇(1912年 – 1971年)とは日本を代表するインテリアデザイナーで、第二次世界大戦後に柳宗理らと共にジャパニーズモダンと呼ばれるデザインの礎を創ったと言われる人物です。

 

 

 

 

乳酸菌飲料として知らない人はいないであろう「ヤクルト」や「ジョア」の容器をデザインしたのが剣持勇というのは、あまり知られていません。

剣持勇 ヤクルト ジョア出典:Twitter

▲持ちやすい上に頑丈で、中に入れられる飲料が65ml (ヤクルト)となるよう緻密に計算し、デザインされた容器。ヤクルトレディの皆さんも軽くなって喜んだらしい。

 

 

 

剣持勇は1912年に東京に生まれ、20歳で東京高等工芸学校木材工芸科(現・千葉大学工学部デザイン学科)を卒業し、卒業後は仙台にある工芸指導所に入り技師となりました。

剣持勇 若かりし日出典:データ検索サイト

▲笑顔が眩しい剣持勇さん。東京高等工芸学校時代(写真右)と工芸指導所時代(写真左)

 

 

▼何度もくどいようですが『工芸指導所』はこちらから▼

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工芸指導所では来日していたドイツの建築家ブルーノ・タウトに師事をして、椅子に求められる機能性の研究を行ないました。

剣持勇 ブルーノ・タウト出典:データ検索サイト

▲左から2番目が剣持勇(要拡大)。中央でポケットに手を入れている外国人がブルーノ・タウト。

 

 

▼ブルーノ・タウトについてはこちらの記事でご紹介▼

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1950年には、仕事の為に来日していたアメリカの彫刻家でデザイナーのイサム・ノグチと出会います。

イサム・ノグチ出典:クーリエ・ジャポン

▲1950年に来日したノグチ・イサムは銀座三越で個展を開き、その時に建築家である丹下健三、谷口吉郎、アントニン・レーモンドらと知り合いになった。翌年に再来日し、当時の岐阜市長の依頼で岐阜提灯をモチーフにした「あかり (Akari)」という照明シリーズをデザインする。

 

 

▼ミッドセンチュリーのデザイナー「イサム・ノグチ」はこちらから▼

ダイヤモンドチェア
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二人の「イサム」はすぐに意気投合し、イサム・ノグチの友人でもある丹下健三指揮のもと、イサム・ノグチがスケッチを描き、剣持勇が製図を行い、日本の伝統的な素材である竹を使用した『Bamboo chair』をデザインしました。

 

剣持勇 ノグチ・イサム出典:Sumally

▲二人のイサムは家具デザインを通して、日本家具の伝統文化とモダニズムスタイルを統合した新しい日本モダンスタイルを開拓した

 

 

イサム・ノグチ 剣持勇出典:Museum Noguchi

▲イサム・ノグチ(左)とちょっと恥ずかしそうにしている剣持勇(右)(1950年)

 

 

 

1952年、剣持勇は柳宗理やプロダクトデザイナー渡辺力(わたなべりき)ら25名の内の1人として『日本インダストリアルデザイナー協会(※)に参加します。

(※柳宗理の項目で紹介しています)

 

 

 

 

 

また、同年の1952年にはイサム・ノグチの紹介でチャールズ&レイ・イームズ夫妻と直接会うことができるアポイントを取り付け、戦後間もない時期でありながらアメリカへ視察出張に向かいました。

剣持勇 チャールズ&レイ・イームズ 出典:Esoteric Survey

▲剣持勇とチャールズ&レイ・イームズ、イームズ夫妻の自宅にて

 

 

▼チャールズ&レイ・イームズ夫妻についてはこちらから▼

チャールズ&レイ・イームズ
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出張とはいえアメリカに渡ったことで日本国内からは痛烈な批判も浴びた剣持勇でしたが、日本のモダンデザインを世界レベルへ上げるため、他国から良い点を取り入れつつ、日本特有のデザインや素材を活かした「ものづくり」との融合を願った剣持勇は、多くの収穫を得て日本に帰国しました。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
アメリカでの剣持勇はハングリー精神旺盛で、ミース・ファン・デル・ローエやマルセル・ブロイヤーなどの建築家・デザイナーたちにも会って、ミッドセンチュリーのデザインんについて学んだんだにゃ!行動力ほんとすごいですにゃ!

 

 

 

1955年、帰国した剣持勇は自身の個人事務所である『剣持勇デザイン研究所』を設立し、後の代表作のひとつであるスタッキングスツール(202)をデザインしました。

 

 

 

スタッキングスツール

スタッキングスツール 剣持勇出典:TABROOM

 

1955年に剣持勇によってデザインされたスタッキングスツールは、1958年に秋田県にある『秋田木工株式会社』より202という品番で販売が開始されました。

 

 

 

 

当時、高度経済成長期に突入して、団地などの集合住宅が立ち並びはじめた日本の居住スペースは決して広くはありませんでした。

 

 

 

 

 

そのような都市生活向けの家具として設計され、省スペース化を実現するため「かなり狭い範囲でのスタッキング」が可能になっています。

秋田木工 202 剣持勇出典:TABROOM

▲202のデザインの特徴である美しい曲線は曲木の技法によるもの。軽くて子供でも簡単に持ち上げることができる。

 

 

2013年に「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞したスタッキングスツール「202」は発売から60年以上が経ち、累計125万脚を超える大ベストセラー商品として、現在も販売されています。

 

 

ナンタルカ
ナンタルカ
秋田木工からは新進気鋭のデザイナー佐藤オオキさんも曲木技術を活かしたチェアをデザインして販売しているんですにゃあ〜

 

 

ラウンジチェア

ラウンジチェア 剣持勇出典:YMK長岡

 

ラウンジチェアとは1960年に剣持勇が「ホテルニュージャパン」のラウンジ用で使用するチェアとしてデザインし、新潟県にある藤家具メーカー『YMK長岡』によって製造されました。

 

 

 

 

 

当時、日本は1964年の東京オリンピックを控え、世界中のゲストを迎え入れるべく高速道路や宿泊施設などの建設ラッシュが続いていました。

 

 

 

 

 

「ホテルニュージャパン(現在は廃業)」も外国客を迎えるホテルとして東京都千代田区に建設され、内装を剣持勇が担当することになります。

出典:水谷幹治

▲ホテルニュージャパンの経営者である横井英樹は、日本人ラッパーZEEBRAの祖父にあたる

 

 

いくつかデザインされた家具の内、ラウンジ用としてデザインされたチェアがそのまま「ラウンジチェア」と命名されました。

ラウンジチェア 剣持勇  出典:TABROOM

▲現在も少し大ぶりサイズの『C-3160』(右)と小ぶりな『C-3150』(左)という2つの品番で販売されている。体の大きい欧米人でもゆったり座れるようにワイドが広くなっているという親切設計。

 

 

 

日本の伝統的な素材である「藤」を使用して繊細に編み込むことにより日本らしさと技術力の高さを世界に向けてアピールし、1964年に日本の家具デザインとしては初めてMoMAのパーマネントコレクション(永久所蔵品)に選定されました

 

ナンタルカ
ナンタルカ
新潟県にある藤家具メーカー「YMK長岡」さんは、バラエティー豊かな藤家具製品で有名な会社ですにゃ。気になる方はこちらからどうぞですにゃあ〜

 

 

 

柏戸イス

 

剣持勇 柏戸イス出典:天童木工

 

柏戸(かしわど)イスとは剣持勇が1961年にデザインした重厚な木製椅子で、山形の家具メーカー『天童木工(てんどうもっこう)』より製品化されました。

 

 

 

 

柏戸イスはもともと丹下健三が設計した「熱海ガーデンホテル」のロビー用の椅子としてデザインされましたが、その後山形県出身の第47代横綱「柏戸関」に横綱昇進を記念して贈られたことから柏戸イスという名称が定着しました。

 

 

 

 

 

杉の木の根元部分の荒々しい木目を選び、ひとつひとつ手作業でブロック状に積み重ねて削り出しています。表面は「うづくり加工」と呼ばれる、木目を浮き立たせる加工を施して、手触りをよくしています。

柏戸イス 剣持勇出典:URBAN RESERCH

▲柏戸イスの座面部分に丁寧にうづくり仕上げを施す天童木工の職人。この繊細な手仕事は機械には真似できない。

 

 

 

 

剣持勇は、いつしか「世界のケンモチ」と呼ばれ、その後もさまざまな建築や航空機「ボーイング747」のインテリアや乳酸菌飲料「ヤクルト」、「ジョア」の容器デザインを行うなど活躍をしましたが、1971年に東京都新宿区の「剣持デザイン研究所」二階所長室にてガス自殺により亡くなってしまいます。

 

一説ではうつ病を患っていたそうです。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
日本のモダンデザインの将来をいつも考えていた剣持さんは、グッドデザイン賞で有名なグッドデザイン運動を推進していたんですにゃ。今の日本デザインがあるのは剣持さんのおかげですにゃあ〜・・・

 

 

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お疲れ様でした!

 

 

ここまで読んで頂きありがとうございます。

 

 

分かりにくい点やお気づきのことがあれば、メールでご連絡頂けましたら幸いです。

 

 

では、次回もお楽しみに。

 

 

 

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