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【飛鳥・奈良時代のインテリア】大社造や神明造の特徴とは?代表建築や家具を画像で解説

広隆寺 弥勒菩薩

 

こんにちは、しけたむです。

この記事では

  • 「やっぱり古いものに興味がある!」
  • 「寺社仏閣が大好きで、御朱印集めてます。」

という方々へ向けて、

日本古来の神社建築や飛鳥・奈良時代の暮らしや建築について、分かりやすく写真付きで解説していきます。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
神社って静かで和むし、お昼寝にはちょうどいいんにゃよ〜。とっても奥の深い神社建築、あとは飛鳥・奈良時代がどんな時代だったかを、画像で確認しながらみていくにゃ!

 

 

神社建築とは?

 

神社建築(じんじゃけんちく)とは「神々を祀(まつ)るための建築」で、神様が祀られている「本殿(ほんでん)」や参拝をするための建物で本殿の前に建てられた「拝殿(はいでん)」、神社の内と外を分ける境界として建てられる「鳥居(とりい)」などで構成されています。

 

神社建築の起源は日本神話に登場するのみで具体的な年代については不明ですが、おそくとも古墳時代には存在したと考えられています。

また、その神社建築が成立したのは7世紀後半ごろとされ、その原型は日本で最古の3つの神社建築様式から成ります。

■日本で最古の神社建築様式

・出雲大社の大社造

・伊勢神宮の神明造

・住吉大社の住吉造

 

出雲大社の大社造(たいしゃづくり)

出雲大社 本殿出典:Discover Japan

▲『大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)』が祀られている国宝の出雲大社本殿(1744年再建)

 

出雲大社(いずもたいしゃ・いずもおおやしろ)は島根県にある神社です。

 

現在の出雲大社の本殿は1744年に建替られたもので、高さはおよそ24mと神社としては破格の大きさです。

 

建て替えられる前の本殿の創建年は不明で、はるか古代に日本神話で伝承されるのみとなりますが、3本の大木を鉄輪で束ねて1本の柱として、なんと現在の本殿の2倍の高さである48mもの巨大な本殿であったと伝えられています。

出雲大社 本殿出典:國學院大学

▲古代出雲歴史博物館にある平安時代の出雲大社本殿模型。現在よりも遥かに巨大だった。

 

出雲大社 柱 出土出典:國學院大学

▲平成12年には境内より古代の本殿の柱が3本束ねの姿で発掘された。柱は杉の木で直径は約1.4m、3本束ねると直径約3mにも及ぶ。

 

出雲大社は大社造(たいしゃづくり)という最古の神社建築様式で建てられています。

 

大社造の屋根のかたちは切妻造(きりづまづくり)、建物の入り口は妻入(つまいり)となっていて、遺構は島根県内出雲大社神魂(かもす)神社の2つしか残っていません。

大社造出典:神社のいろは

▲一般的な切妻造、妻入の神社建築の例

 

切妻造とは屋根のかたちの形式のことで、本を開いてひっくり返して被せたようなかたちの屋根です。

 

妻入とは開いた本の下(底)側(妻側)に入り口があるような建築構造のことです。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
現存してる大社造でイッチバン古いのは、島根県松江市にある神魂神社(かもすじんじゃ)の本殿にゃ!現存する社殿は、安土桃山時代の1583年に作られたんにゃー

 

神魂神社出典:御朱印のじかん

▲創建は平安時代とも言われる日本最古の大社造の国宝『神魂神社』(写真は1583年再建のもの)

 

伊勢神宮の神明造(しんめいづくり)

伊勢神宮出典:じゃらんNET

▲伊勢神宮の外宮『豊受大神宮(とようけだいじんぐう)』は神明造の代表だが、伊勢神宮と同じ建築様式を使用することを明治新政府によって禁止されたため、伊勢神宮の内宮『皇大神宮(こうたいじんぐう)』と共に『唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)』と呼ばれる。

 

伊勢神宮(いせじんぐう)は三重県にある神社で、正式名称は伊勢という地名を外した『神宮(じんぐう)』です。

 

「伊勢神宮」というのは通称で、日本全国にある他の神宮と区別するためにこのように呼ばれています。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
伊勢神宮は全ての神社の頂点に位置する神社の中の神社として、親しみを込めて「お伊勢さん」とか、「大神宮さん」って呼ばれることもありますにゃあ〜

 

伊勢神宮には天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る皇大神宮(こうたいじんぐう)と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の二つの神宮があります。

 

一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれ、正式な創建年については出雲大社と同様に不明で、伊勢神宮も日本神話にて伝承が語られているのみとなります。

皇大神宮 内宮出典:Pinterest

▲内宮の中心となる『皇大神宮』では、日本人の大御祖神である天照大御神をお祀りしている

 

伊勢神宮に代表される神明造(しんめいづくり)は、出雲大社に代表される大社造と共に、もっとも古い神社建築様式とされています。

 

神明造の特徴は、奥行きより幅が大きく、これは古代の高床式倉庫から発展し穀物の代わりに神宝を納めるように変化したからだと考えられています。

神明造出典:神社のいろは

▲神明造の特徴である平入とは、屋根の流れ方向(平方向)に入口のある建物のこと

 

また、神明造りの屋根のかたちは大社造と同様の切妻造(きりづまづくり)、建物の入り口は入(ひらいり)となっています。

平入とは、妻入りが被せた本の下(底)側としたら、平入は本の横側平側から入るイメージで、大社造と比べると神明造の屋根はハードカバーの本のように真っ直ぐで、大社造の屋根はソフトカバーの本のように曲線が特徴です。

 

また、伊勢神宮と同様の神社建築を建てることを明治新政府によって禁止されたため、伊勢神宮の内宮と外宮は『唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)』とも呼ばれます。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
大相撲の両国国技館で、天井から吊られている屋根は神明造にゃ!

 

両国国技館 神明造出典:Twitter

▲1931(昭和6)年に神明造に変わって今に至る『両国国技館』の屋根

 

住吉大社の住吉造(すみよしづくり)

住吉大社 本殿出典:建築探訪

▲現在の住吉大社の社殿は1810年に造営され、1953年に国宝に指定された

 

住吉大社(すみよしたいしゃ)は大阪市住吉区にある神社で、海の神を祭神とし、古くは古墳時代から外交上の要港の住吉津・難波津と関係して、航海の神・港の神として祀られた神社です。

 

住吉大社の社殿は、住吉造(すみよしづくり)と称される古代日本の神社建築様式で国宝に指定されているほか、敷地内の多くの建物が国の重要文化財に指定されています。

住吉大社 本殿出典:住吉大社

▲住吉大社は第一本営から第四本営の4棟の本殿から成る。4棟は西にある海に向かって建てられていて、海の神4柱がそれぞれ1柱ずつ祀られている。

 

住吉造は、伊勢神宮に代表される神明造や出雲大社に代表される大社造と共に神社建築の最古の様式とされます。

 

住吉造の屋根のかたちは切妻造(きりづまづくり)、建物の入り口は入(つまいり)となっているところは大社造と似ていますが、屋根には反りが無く、直線的になっています。

住吉大社 幣殿出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

▲室内は正面から見て、手前が外陣(げじん)、奥が内陣(ないじん)という二間に分かれている

 

住吉大社 幣殿出典:建築探訪

▲赤い建物の本殿の前にはそれぞれ「幣殿(へいでん)」という建物が付設されていて、祭事を行う場所として1810年に造営された

 

ナンタルカ
ナンタルカ
大社造、神明造は高床式だけど、それらと比べると住吉造の床の高さはやや低めにゃ

 

 

飛鳥時代とは?

広隆寺 弥勒菩薩出典:Ninjaya.com

▲飛鳥文化は538年ごろの百済からの仏教伝来によって花開いた文化。仏教と共に多くの仏像も伝えられた。代表的な広隆寺の『弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう)』6−7世紀ごろ)

 

飛鳥時代(あすかじだい)とは、飛鳥(現在の奈良県)に存在した政治都市「飛鳥京(あすかきょう、あすかのみや)」が置かれていた592年から、710年平城京へ遷都されるまでの118年間を指します。

 

ちなみに飛鳥時代は古墳時代の末期と時期が重なっています。

(古墳時代は3世紀後半〜7世紀ごろまで)

古墳時代 飛鳥時代出典:岡山県古代吉備文化財センター

▲旧石器時代から飛鳥時代までの縦線が斜めに入っている時代は、前後の時代の明確な区切りがなく、文化や生活が混在している時代があったということ。

 

飛鳥時代は、蘇我(そが)氏という有力豪族が権力を奮ったり、聖徳太子が摂政となったり、中国に小野妹子(おののいもこ)遣隋使(けんずいし)として派遣して国交開始したり、短い期間の間に大きな事件や変化の起きた時代でした。

 

法隆寺(ほうりゅうじ)(後述)などの有名建築の建設が行われたのもこの時代です。

 

また、飛鳥時代には朝鮮や中国の影響を受けて飛鳥文化が花開きました。

飛鳥文化(あすかぶんか)とは

女性天皇である推古天皇を頂点として大和を中心に栄えた仏教文化

一般に仏教が渡来した538年ごろから645年の大化の改新までの時期をいう。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
それでは特に有名な飛鳥時代の建築物、『法隆寺の五重塔』をご紹介しますにゃあ〜 

 

法隆寺

法隆寺出典:carstay

▲法隆寺の金堂(左)と五重塔(右)は現存する世界最古の木造建築物群で世界遺産に登録されている

 

法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県にある聖徳太子ゆかりの寺院であり、「斑鳩寺(いかるがでら)」とも呼ばれ、女性天皇である推古天皇により、607年ごろに創建されたと伝えられています。

 

法隆寺の境内の広さは約18万7千平方メートルにも及び、金堂、五重塔を中心とする『西院伽藍(さいいんがらん)』と、住職の居室である「夢殿」を中心とした『東院伽藍』に大きく分けられます。

 

西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物群として世界遺産に登録されています。

 

また、法隆寺の五重塔の建築方法は他に見られない独特なもので、古の技術を今に伝える貴重な建築物です。

法隆寺 五重塔出典:ニッポン旅マガジン

▲31.5mもの高さを誇る五重塔は、法隆寺のシンボル。上へ向かうにつれて屋根が小さくなり、安定感を生み出す。塔を支える心柱や木組みの構造は、地震の揺れをやわらげる効果があり、スカイツリーなど現代の建築物にもその技術が応用されている。 

 

 

奈良時代とは?

東大寺 大仏 奈良時代出典:ニッポン旅マガジン

▲奈良の大仏と呼ばれ親しまれている、東大寺の『盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)』743年に聖武天皇により鋳造されたもので、現在は国宝に指定されている。

 

奈良時代(ならじだい)は、710年に平城京(現在の奈良市)に都が置かれた時代で、794年に平安京に都が移されるまでの時代を指します。

 

東大寺の大仏に代表されるように、日本仏教による鎮護国家を目指して天平文化(てんぴょうぶんか)が花開いた時代として有名です。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
天平文化は簡単にいうと「奈良時代の文化」という意味ですにゃ。建築だと『東大寺』とかの仏教建築や、文学だと『万葉集(まんようしゅう)』という和歌集などが天平文化の作品ですにゃあ〜

 

平城京には碁盤の目のような大通りが造られ、飛鳥に建てられた大寺院は次々と平城京へ移転され、聖武天皇によって東大寺などの仏教建築が続々と建立されました。

 

東大寺

出典:まっぷるトラベルガイド/東大寺 大仏殿

▲8世期に建てられた東大寺の『大仏殿(金堂)』。現存する大仏殿は江戸時代の再建のもの。

 

東大寺(とうだいじ)は、8世紀前半に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺であり、「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊としています。

 

奈良時代の東大寺には、大仏殿(金堂)のほか、南大門や推定高さ70m以上ある七重塔などの様々な寺院建築群が整備されていましたが、中世以降の兵火や台風などにより多くの建物が焼失、倒壊しています。

奈良の大仏も修復を行いながら今日に至りますが建立当時の姿はすでに無く、台座などの一部に建立当時の部分を残すのみです。

現存する大仏殿は、江戸時代中期(1709年)に規模縮小して再建されたものです。

 

また、東大寺は1998年に『古都奈良の文化財』の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

 

正倉院

正倉院 校倉造出典:美術手帖

▲聖武天皇ゆかりの品や天平文化の美術工芸品を所蔵していた『正倉院』

 

正倉院(しょうそういん)756年ごろ建立された、東大寺大仏殿の北北西に位置する校倉造(あぜくらづくり)という建築様式で建てられた大規模な正倉(公的な施設の倉庫のこと)です。

 

聖武天皇ゆかりの品をはじめとする、天平文化を彩った多数の美術工芸品を収蔵していた建物で、1997年に国宝に指定され、翌1998年には『古都奈良の文化財』の一部として、東大寺と共にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

 

正倉院出典:正倉院展キッズサイト

▲正倉の床下には横10列、奥行き4列の「礎石」が敷かれ、その上に立つ巨大な丸柱で建物を支えている。内部は北倉・中倉・南倉に分かれた3室が2階建てになっていて、中倉と南倉の間には厚い板で壁が張ってある。これは建設当時は北倉と南倉の二棟のみで、中倉は壁も床も無い吹き放しの構造だったのを、後に壁と床を張り中倉としたとされている。

 

正倉は床下の柱の高さ約2.5メートルもある高床式倉庫であり、壁には窓の無い校倉造(あぜくらづくり)という建築様式で建てられています。

 

校倉造とは古代から近世にかけての日本で建てられた伝統的な倉庫の建築様式で、主に寺院や神社において宝物や経典などの貴重品を納める倉庫として用いられました。

 

校木(あぜき)と呼ばれる木材を井桁(いげた:木で『井』の字に組み上げることに積み上げた外壁が特徴です。

校倉造 正倉院出典:コトバンク

▲校倉造は「校木」と呼ばれる三角材、または角材の角を平らに削り落とした材が積まれる。建設に釘が使用されないことから、俗に「釘無し堂」とも呼ばれた。

 

校倉造には有名な俗説があって、「外気の湿度が高い時には校木が膨張して外部の湿気が入るのを防ぎ、逆に外気が乾燥している時は木材が収縮して材と材の間に隙間ができて庫内に風を通すので、倉庫内の湿度環境を一定に保ち、宝物の保存に役立った」というものです。

しかし実際には重い屋根の荷重がかかる校木が伸縮する余地はなく、この説は誤った説として現在は否定されています

 

正倉院の宝物が良い状態で保管されたのは多重の箱に収められていたことで湿度の「急変」が避けられたことによる部分が大きいと解釈されています。

正倉院出典:『はつかいち』ぶらり

▲厳島神社にある校倉造の宝物庫。校木を井桁(木で『井』の字に組むこと)に組んだ造り。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
正倉院のトビラは、宮内庁の職員さんでも勝手に開けることはできないにゃ。開けるには天皇の許可を取らないといけないんですにゃあ〜 

 

 

飛鳥・奈良時代のインテリアエレメント

連子窓(れんじまど)

連子窓 法隆寺出典:Letuce’s room

▲法隆寺の西院伽藍にある回廊の連子窓。縦に入っている菱形の木の桟は連子子(れんじこ)と言う。

 

連子窓(れんじまど)は、縦や横方向に一定の間隔をおいて菱形の細長い木材である連子子(れんじこ)をはめ込んだ窓のことです。

採光、通風、防犯を目的としており、寺院や神社で用いられることが多く、日本では法隆寺を初め、様々な建築に見られます。

 

茶室では竹格子をはめた窓のことも『連子窓』と呼ばれます。

 

▼茶室のインテリアはこちらの記事からどうぞ▼

千利休 茶室 インテリア
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胡床(こしょう)・床几(しょうぎ)

 

胡床(こしょう)出典:精選版 日本国語大辞典

 

胡床(こしょう、あぐら)とは、中国北方にある「胡国」という国から古墳時代に日本へ伝えられた一人用の折りたたみ式の腰掛けで、平安時代以降からは床几(しょうぎ)と呼ばれるようになります。

 

中国では古代から日本と同じように椅子を使わずに床に直接座る習慣がありましたが、胡国から胡床が中国にまず伝来し、宮廷から戦場まで広く普及しました。

その後、椅子の使用が普及しても胡床は携帯用座具として重宝されつづけます。

 

日本では古くは古墳時代の埴輪にも見られるほか、さまざまな文献で胡床が散見されます。

腰掛け用として儀式に用いられたり、後世には武家が野戦時に用いるほか、鷹狩りでも利用されました。

竹中半兵衛 胡座 床几出典:Wikimedia Commons

▲戦国時代の肖像画では胡床(床几)がよく描かれている『竹中重治(半兵衛)肖像画』

 

ナンタルカ
ナンタルカ
現代でも「胡床」と「床几」のどちらの名称も使われていて、神社や神前式の結婚式とかでも見かけますにゃあ〜

 

唐櫃(からびつ)

唐櫃 正倉院 出典:東京国立博物館

▲正倉院に所蔵されていた奈良時代の唐櫃『密陀絵唐櫃(正倉院模造)』(W973×D560×H465mm )

 

唐櫃(からびつ)とは蓋が上に開く大型の収納具で、比較的貴重な物を収めるための収納箱です。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
小型の収納具は「箱」と呼ばれたにゃ。ひとりでは運べない大型の収納具は「櫃(ひつ)」って呼んで使い分けたんですにゃあ〜

 

唐櫃には4本、もしくは6本の脚が付いていて、宝物・衣服・文書・武具などの内容物を湿気から守る効果があります。

木地で仕上げただけのもの、朱塗りや漆塗りのもの、蒔絵(まきえ)螺鈿(らでん)で装飾を施されたものなどがありました。

 

正倉院の宝物はこの唐櫃で丁寧に保管されていたことにより、長い期間でも湿気による影響を最小限に抑えて、朽ちずに現代まで保管することが出来たと言われています。

 

▼唐櫃、蒔絵、螺鈿についてはこちらの記事でも詳しくご紹介!▼

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また、脚が付いていない櫃は唐櫃に対して倭櫃(やまとびつ)と呼ばれます。

 

和櫃(やまとびつ)

和櫃出典:羽曳野市

 

和櫃(やまとびつ、わびつ)は、蓋が上に開く大型の収納具で、脚がないものです。

脚が付いたものを唐櫃(からびつ)と言い、付かないものは和櫃に分類されます。

 

ナンタルカ
ナンタルカ
歴史の中で使われてきたインテリアエレメントは、ただ暗記しようとすると大変だにゃ!歴史の枠組みをざっくりと理解して、「こんな時代に使われたんだな」っていうのをイメージしながら覚えるんだにゃー!

 

ナンタルカのまとめ

ナンタルカのまとめ

 

ナンタルカ
ナンタルカ
今回の記事で絶対におさえておきたいポイントですにゃ!

 

まとめ小テスト

 

■日本で最古の神社建築様式

日本で最古の神社建築には、切妻造で妻入となっている(①)、切妻造で平入となっている(②)、(①)と同じ切妻造で妻入となっているが屋根に反りが無く、直線的になっている(③)がある。

回答を見る
①大社造 ②神明造 ③住吉造

 

■飛鳥時代

飛鳥時代の代表的建築物である(①)は、奈良県にある聖徳太子ゆかりの寺院。推古天皇により607年ごろに創建され、世界遺産に登録されている。

回答を見る
①法隆寺

 

■奈良時代

奈良時代の代表的建築物である(①)は756年ごろに建立された大規模な高床式倉庫で、校木と呼ばれる木材を井桁に積み上げた外壁が特徴的な(②)という建築様式で建てられている。

回答を見る
①正倉院 ②校倉造

 

■飛鳥・奈良時代のインテリアエレメント

この時代のインテリアエレメントには、縦や横方向に一定の間隔をおいて菱形の細長い木材をはめ込んだ窓である(①)、一人用の折りたたみ式の腰掛けで平安時代以降から床几と呼ばれた(②)、蓋が上に開く大型の脚付きの収納具で、比較的貴重な物を収めるための収納箱である(③)が用いられた。

回答を見る
①連子窓 ②胡床 ③唐櫃

 

お疲れ様でした。

ここまでご覧いただき有り難うございました。

わかりにくい所や、ご質問などあればお問い合わせよりご連絡ください。

 

以上、終わります!

 

▼次回、平安時代のインテリアはこちらから!▼

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