こんにちは、しけたむです。
この記事では
- 「ル・コルビュジエの代表作品について知りたい。」
- 「サヴォア邸って外観は見たことあるけど、室内はどうなっているの?」
という方々に向けて
現代建築の巨匠『ル・コルビュジエ 』について、分かりやすく画像でご紹介していきます。
ル・コルビュジエ(コルビュジェ)とは?
出典:linternaute
建築やインテリアに興味が無い人でも、おそらく一度は耳にしたことがあるであろう現代建築の神様、ル・コルビュジエ(コルビュジェ)(1887年 – 1965年)は、スイスで生まれ、フランスで活躍した建築家です。
本名はシャルル=エドゥアール・ジャヌレ=グリで「ル・コルビュジエ」は雑誌編集者をしている頃のペンネームということはあまり知られていません。
モダニズム建築の巨匠といわれ、特にフランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」として呼ばれたり、ヴァルター・グロピウスを加えて「四大巨匠」と呼ばれることもあります。
▼フランク・ロイド・ライトはこちらから▼
▼ミース・ファン・デル・ローエとヴァルター・グロピウス▼
コルビュジエは時計の文字盤職人の父親の次男として1887年に生まれ、家業である時計職人の道を進むつもりで、地元の装飾美術学校で彫金と彫刻を学びました。
▲台座の上に座る2歳のル・コルビュジエと彼の家族。中央は兄のアルバート(1889年)
しかし当時、時計産業は斜陽化しつつあったことと、さらにコルビュジエは視力が非常に弱く、精密な加工を必要とする時計職人としては重大なハンデを背負っていたため、別の道へ進むこととなりました。
1908年、コルビュジエが21歳の時にパリへ行き、鉄筋コンクリート建築の先駆者であるオーギュスト・ペレの建築事務所で2年ほど、1910年にはドイツ工作連盟の中心人物であったペーター・ベーレンスの事務所に1年ほど籍を置き、短期間でしたが実際の現場で建築を学びました。
出典:Medium
▲若かりし日(23歳)のル・コルビュジエ
▼コルビュジェの建築の先生、ベーレンスについてはコチラ▼
ドミノシステム
出典:afasia
▲ドミノシステムを表現したドローイング(1914)
1911年から約半年をかけてベルリンから東欧、トルコ、ギリシャ、イタリアを巡る東方への旅(グランドツアー)へ出たコルビュジエ。
旅から戻って美術学校で教師となったコルビュジエは、1914年に鉄筋コンクリート造(※)による住宅建設方法である『ドミノシステム』を発表します。
※鉄筋コンクリート造とは
圧縮力には強いけど引張力(ひっぱりりょく)には弱い「コンクリート」を、引張力に強い「鉄筋」で補強した構造のこと。
耐久性、耐火性、強度に優れ、経済性にも富む構造として中高層建築で多く採用されている。
鉄筋コンクリート造の英語表記『Reinforced Concrete』を略して「RC造(あーるしーぞう)」と呼ばれる。
出典:楽待
▲鉄筋コンクリートの仕組み図
西洋では、石積みやレンガ積みによる建築方法である組積造(そせきぞう)による建築方法が伝統的でしたが、天井を頑丈に支えるために多くの「壁」が必要になります。
組積造では窓は大きく取れずに室内は暗くなるし、間取りも制限されるし、積み上げるのに時間もかかるし、品質も安定しません。
▲組積造は壁で天井を支えているため、窓がどうしても小さくなる。イギリス『リーパー教会』(12−13世期)
しかしドミノシステムは、
■「スラブ(床や天井などの平らな面)」
■「柱」
■「階段」
さえ「鉄筋コンクリート」で堅牢に造れば、窓を大きくすることだってできるし自由な設計プランが可能になるという考え方です。
さらに鉄筋コンクリートによるドミノシステムは、世界中のどこにでも住宅を安価に安定した品質で大量生産することを可能にしました。
▲ドミノシステムは戦争で破壊された家をすばやく再建するための簡単な解決策を提供することを目的として、1914年にル・コルビュジエによって提唱された。
▲ドイツの建築家とロンドンのAAスクールの学生が、2014年のヴェネツィアビエンナーレ国際建築展で作成したル・コルビュジエのドミノシステムの実物大モデル
ドミノシステムは、その後10年以上にわたりル・コルビュジエの設計手法の基礎をなしました。
新しい建築の5つの要点(近代建築の5原則)
▲当時の『新しい建築の5つの要点』スケッチ。左ページが『ピロティ』、右ページが『水平横長の窓』についての記述。
1922年、ル・コルビュジエは、かつてオーギュスト・ペレの建築事務所で共に働いていた従兄弟のピエール・ジャンヌレと共に事務所を構えました。
1923年には自身で創刊した雑誌『レスプリ・ヌーヴォー』に掲載された自らの記事をまとめた著作『建築をめざして』を発表し、この著作の中の「住宅は住むための機械である(machines à habiter)」という言葉は、コルビュジエの建築思想を表したもので、後の近代建築家たちに大きな影響を与えました。
ドミノシステムを通して住宅を「住むための機械」と捉えたコルビュジエは、1926年にピエール・ジャンヌレと共に『新しい建築の五つの要点』を主張します。
『新しい建築の五つの要点』は「近代建築の五原則」とも呼ばれ、後の近代建築の発達に圧倒的な影響を与えることとなりました。
【新しい建築の五つの要点(近代建築の五原則)】
①ピロティ(1階部分の壁を無くし、吹き放ちにする)
②自由な平面(構造のための壁を考えることなく自由に部屋を配置できる)
③自由な立面(建物の外観を壁に邪魔されずに自由にデザインできる)
④水平横長の窓(水平に連続した大きな窓として、明るい光で空間を満たす)
⑤屋上庭園(伝統的な屋根の代わりに、屋上を庭として活用する)
サヴォア邸
出典:Flicker
サヴォア邸とは、ル・コルビュジエが設計したフランス、パリ郊外のポワシーにある近代建築の住宅で、ピエール・サヴォア夫妻の別荘として1928年に設計開始し、1931年に竣工しました。
20世紀の住宅の最高作品の一つであり、フランスの歴史的建築物に指定されています。
サヴォア邸では「ピロティ」、「自由な平面」、「自由な立面」、「水平横長の窓」、「屋上庭園」からなる新しい建築の五つの要点(近代建築の五原則)のすべてが、高い完成度で実現されています。
▲サヴォア邸の「ピロティ」と「水平横長の窓」
出典:Flicker
▲サヴォア邸のリビングを外から。すぐ上は近代建築の五原則のひとつ「屋上庭園」がある。
出典:Flicker
▲緩やかなスロープで上下階を連続的に繋いでいる。
出典:Flicker
▲サヴォア邸のリビングルーム。屋根を柱が支えている為、壁の無い「自由な平面」が実現している。
ル・コルビュジエは家具においても優れたデザインを数多く残し、サヴォア邸には傑作と呼ばれるチェアが多数置かれています。
LC1(スリングチェア)
出典:MoMA
LC1(スリングチェア)とは、スイスで生まれてフランスで活躍した建築家であるル・コルビュジエと、彼の従兄弟のピエール・ジャンヌレ、コルビュジエの弟子であるシャルロット・ペリアンとの共同デザインによって制作されたスチールパイプ製の椅子です。
「Le Corbusier(ル・コルビュジエ)」の名前の頭文字をとって命名された『LC1』は、「住宅は住むための機械である」というコルビュジェの建築理念を体現したかのような装飾を排して機能性が追求されたデザインとなっています。
出典:indas
▲背もたれが姿勢に応じて動くのが特徴で、アームはフレームに厚革を掛けただけのシンプルな構造となっている。
20世紀に作られた椅子の中でマスターピース(傑作)のひとつに数えられる名品中の名品である『LC1』は、イタリアの家具メーカー『Cassina(カッシーナ)』にて取り扱いされています。
LC4(シェーズロング)
LC4(シェーズロング)とは、LC1(スリングチェア)と同様に、ル・コルビュジエと、彼の従兄弟のピエール・ジャンヌレとコルビュジェの弟子であるシャルロット・ペリアンとの共同デザインによって制作されました。
1929年にパリの美術展覧会「サロン・ドートンヌ」で発表され、「休養の為の機械」とル・コルビュジエが呼んだ寝椅子です。
体の線に合わせて綿密にデザインされた背のカーブと、弓形のパイプをずらすことによって寝る角度を自由に変えられることで、至福の座り心地をもたらします。
出典:CGarchitect
▲日本では『Cassina ixc.(カッシーナ・イクスシー)』にて取り扱っている。寝る角度の変更は手動で行う。
独創的かつ革新的でありながら優美なボディラインを持つこの作品は、80年以上経った現在でも「世界一有名な寝椅子」といわれており、20世紀を代表するマスターピースのひとつです。
LC2(グランコンフォール)
出典:Mila shop
LC2(グランコンフォール)は英語読みで「グランドコンフォート」とも呼ばれ、ル・コルビュジエと、彼の従兄弟のピエール・ジャンヌレとコルビュジエの弟子であるシャルロット・ペリアンとの共同デザインによって、1928年に制作されました。
グランコンフォール、つまり「大いなる快適」と名付けられたこの作品は、ル・コルビジエの代名詞ともなっており、またデザインソファを語る上でも必須のアイテムとなっています。
最小の構成で最大の快適性を実現することを目的としてデザインされたソファで、スチールパイプのフレームに背、座、アームのクッションを落とし込んでいくという簡単な構造ながら、永く愛され続けている不屈の名作です。
出典:Cassina ixc.
▲ニューヨーク近代美術館(MoMA)にも所蔵されているLC2は、1人掛けから3人掛けとオットマンのサイズバリエーションがあり、張り地も各種レザーやファブリックから選ぶことができる。
モデュロール
ル・コルビュジエは独自の美の基準である『モデュロール』という寸法体系を設計に用いています。
モデュロールとは、コルビュジエが「人体の寸法(約183cm=コルビュジェの身長)」と「黄金比(※)」から作った、建築物の基準寸法の数列のことです。
※黄金比(おうごんひ)とは
古代ギリシャで発見された、最も安定し、美しい比率「1:1.618」のことで「神の比」とも呼ばれる。
黄金比は芸術や建築の分野にも応用され、古代ギリシャの『パルテノン神殿』や『ミロのビーナス』、パリの『エトワール凱旋門』などにも、黄金比が用いられている。
長方形の短辺と長辺に黄金比が用いられた長方形は「黄金長方形」と呼び、身近な使用例には名刺やクレジットカードなどがある。
出典:株式会社アーティス
▲黄金長方形から正方形を取って切り離すと、残った図形は再び黄金長方形となる。この角の点を滑らかにつないでいくと渦巻き状の螺旋を描くが、これを「黄金螺旋(おうごんらせん)」と呼ぶ。
モデュロールは、フランス語の「module(モジュール:寸法)」と「Section d’or(セクション・ドール:黄金分割)」という言葉から作ったル・コルビュジエによる造語で、人が立って片手を上げた時の指先までの高さ(ヨーロッパ型のモデュロールでは226cm)を黄金比を使って各所の寸法を割り出すという方式です。
これだけ聞くとなんだか訳わかりませんが、とにかくこのモデュロールを使うと人間が腰掛けやすい椅子の高さや快適なソファの奥行き、通りやすい廊下の幅や、登りやすい階段の高さなどを求めることが出来て、住みやすい快適な住宅を設計することが可能になる、ということなのです。
▲ル・コルビュジエとモデュロール
▼丹下健三って誰なん?となったらこちらから▼
▼モデュロールはこちらでさらに詳しく解説しています▼
終わりに
出典:前川建築設計事務所
▲ル・コルビュジエと日本を代表する建築家・前川國男(写真中央左)
ル・コルビュジエは1965年の78歳の時に、南フランスで海水浴中に心臓発作で亡くなりました。
19世期からの近代合理主義をモダニズムデザインという新しい美学へと昇華させたコルビュジエ。
彼の思想は、事務所に所属していた弟子である坂倉準三(さかくらじゅんぞう)、前川國男(まえかわくにお)らへと引き継がれ、彼らは日本のモダニズム建築の先掛けとなり、丹下健三などの日本の建築家に大きく影響を与えました。
▼前川國男はこちらの記事でご紹介▼
上野にある『国立西洋美術館』がコルビュジエの日本で唯一の作品です。
出典:e-tix
▲前川國男・坂倉準三・吉阪隆正が実施設計・監理に協力し完成した国立西洋美術館(1959年)
ナンタルカのまとめ
■ル・コルビュジエとは
近代の建築・住宅デザインに最も影響を与えたル・コルビュジエは、住宅を「住むための機械」と捉え、5ヶ条からなる(①)の理論に基づき、様々な合理的システムを提案した。鉄筋コンクリート造による住宅建設方法である(②)もその1つである。
■ル・コルビュジエの代表作
ル・コルビュジエの代表作には、1階部分の壁を無くし、吹き放ちにした(①)があることで有名な(②)がある。(③)の窓、自由な平面、自由な立面、(④)というコルビュジエが提唱する5つの要点がすべて網羅されている。
■ル・コルビュジエの家具
家具では従兄弟のピエール・ジャンヌレと、自身の門下生である(①)と共作して優れた作品を残した。背もたれが姿勢に応じて動くのが特徴で、フレームに厚革を掛けただけのシンプルな構造の(②)や、1929年のサロン・ドートンヌで発表され「休養の為の機械」と呼ばれた寝椅子(③)、スチールパイプのフレームに背、座、アームのクッションを落とし込み「大いなる快適」と言う意味を持つ(④)がある。
お疲れ様でした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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では、次回もお楽しみに!
▼次回、フランク・ロイド・ライトの記事はこちら▼