どうも、しけたむです。
この記事では
- 「ポストモダンという言葉は聞いたことがあるけど、意味は分からない!」
- 「メンフィスについては聞いたことすらないよ!」
という皆様に向けて、
ポストモダン、メンフィスとはなんぞや?について、分かりやすく画像で解説します。
ポストモダンとは?
出典:Casa Brutus
▲建築家「隈研吾(くまけんご)」によるポストモダン建築『M2ビル』(1991年)。古代ギリシャの巨大なイオニア式オーダーを中央に、右側に古典様式をモチーフとした建物、左側に近代的なガラス張りの建築が組み合わされたビル。自動車メーカー関連会社だったが、2003年に斎場(東京メモリードホール)としてリニューアル。外装はそのままに内部の改修が行われて現在に至る。
「バブル建築」とも揶揄(やゆ)される、周囲の景観を良くも悪くも無視したエキセントリックな建物がかつて人気を博し、あちこちで建てられました。
それは1975~1995年頃のこと、バブル景気も後押しして、日本だけではなく世界中で作られた奇抜でコストのかかる装飾的な建築がいわゆる『ポストモダン建築』です。
出典:Archdaily
▲ アメリカの建築家フィリップ・ジョンソンによる『AT&Tビル』(1984年)は、ニューヨーク州マンハッタンを代表するポストモダン建築。構造としても機能としても無意味な装飾をデザインすることは、今までの合理的で機能主義的だった近代モダニズム建築には見られないものだった。
▼フィリップ・ジョンソンによるポストモダン建築はこちらから!▼
モダンってなに?
はい、そもそもまず「モダン」という言葉についてですが、
「近代的な」という意味があることを覚えておいてください。
「モダン」=「近代的な」
出典:Flicker
▲モダニズム建築の代表とも言えるル・コルビュジエの『サヴォア邸』(1931年)
▼モダニズム建築の代表、ル・コルビュジエはこちらから▼
では「モダン(近代)」と位置付けされる時代とは、具体的にどのような年代を指すのでしょう?
世界史で用いられる一般的な年表では、以下のような5つの時代に分ける事ができます。
・古代(紀元前〜476年)・・・西ローマ帝国滅亡まで
・中世(476年〜1453年)・・東ローマ帝国滅亡まで
・近世(1453年〜1789年)・・・市民革命(フランス革命)まで
・近代(1789年〜1992年)・・・欧州連合(EU)の発足まで
・現代(1992年〜)
この時代区分は世界の中心的存在だったヨーロッパの出来事を軸とした区分ですが、アジア諸国や中東、アメリカなど地域や国ごとにその認識は異なります。
たとえば、アジアにおける「近代」の時代定義はこのような感じです。
中国の近代・・・アヘン戦争(1839年)~中華人民共和国建国(1949年)まで
日本の近代・・・明治維新(1868年)~太平洋戦争終結(1945年)まで
ポストモダンのはじまり
まず「ポスト」という言葉は、ラテン語で「〜の後」という意味があり、
「〜の前」という意味を持つ「プレ」という言葉の反対にあたります。
つまり「モダン(近代)」を時代の流れで見ると、
・プレモダン(前近代)
・モダン(近代)
・ポストモダン(後期近代、脱近代、モダニズム以降)
このようになります。
近代から脱却することを目標としたことから、ポストモダンのことを「脱近代主義(だつきんだいしゅぎ)」とも呼びます。
モダニズム建築は鉄やガラス、コンクリートなどの工業製品を使った「合理的な建築物」のことで、過去の様式であるルネサンスやバロック、ロココなどの装飾性のある建築やインテリアを「野暮ったい」と否定したことから生まれました。
20世期に活躍したドイツの建築家「ミース・ファン・デル・ローエ」は
「Less is more. (少ないほど豊かである)」
というモダニズムの考え方をひとことで現した言葉を残しています。
出典:Pinterest
▲ミース・ファン・デル・ローエがバルセロナ万国博覧会で設計した『バルセロナ・パヴィリオン』(1929年)は、鉄とガラスと石で構成された無駄な装飾の無いモダニズム建築。
▼巨匠ミース・ファン・デル・ローエはこちらから▼
しかし時代は流れ、今度はモダニズムが否定される側に回ります。
モダニズム建築が流行し、多くの建築家がル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエの建築を真似たことを
「街には鉄と石とガラスで出来た、なんとも無機質な箱が立ち並んでる。国も、歴史も、風土も、個性も何も無い無味乾燥な街並みだ。」
と非難する声が出てきたのです。
出典:ニュータウンスケッチ
▲ドイツの建築家「ヴァルター・グロピウス」が建設した住宅地『トーテン・エステート』(1928年)は、深刻な住宅不足を解消するため、シンプルな立方体で合理的に設計されている。
アメリカの建築家「ロバート・ヴェンチューリ」はモダニズム建築を
「Less is bore. (少ないことは退屈だ)」
というミース・ファン・デル・ローエの言葉をもじって痛烈にディスりました。
▲アメリカの有名な建築家「ロバート・ヴェンチューリ」は妻と二人三脚で活動し、1991年にはプリツカー賞を受賞している。日本では「Less is bore」の言葉を残したことで有名。
こうして「モダニズムなんて、味気ない」という声は世界中に広がり、モダニズム建築が否定していた装飾性や象徴性が強く支持されるようになり、ポストモダンの扉が開かれました。
出典:AD
▲カナダ出身の建築家「フランク・ゲーリー」によるポストモダン建築『シャット/デイ/モージョー広告代理店ビルディング』(1991年)
メンフィス
家具の分野では、前回の記事でも紹介したイタリアンデザイナー「エットレ・ソットサス」が主宰し、日本人の倉俣史朗(くらまたしろう)や磯崎新(いそざきあらた)も所属していた多国籍なポストモダンデザイナー集団『メンフィス』が有名です。
▲メンフィスの初期メンバーらの集合写真、右奥がエットレ・ソットサス。この4畳半の畳が敷かれたユニークなボクシングリングの形をしたベッドは、日本人のメンフィスメンバー梅田正徳(うめだまさのり)のポストモダン作品『TAWARAYA RING』(1981年)
▼メンフィスメンバー倉俣史朗はこちらでご紹介▼
▼メンフィスメンバー磯崎新はこちらでご紹介▼
エットレ・ソットサスは1980年12月16日の夜、若いデザイナーや建築家らが彼の自宅に集まって酒を飲んでいた際にデザイナーグループ「メンフィス」を結成し、各々のデザイン作品を持ち寄って1981年の2月に再会することを約束しました。
「メンフィス」の名は、古代エジプトの都市「メンフィス」と、結成の夜にソットサスの家でたまたまかかっていたアメリカ人のミュージシャン「ボブ・ディラン」の曲『Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again』に由来します。
翌1981年9月の世界の家具デザインの祭典「ミラノ・サローネ」でのメンフィスの展示は高く評価され、世界に衝撃を与えました。
出典:El pais
▲イタリアンデザイナーで建築家でもあるメンフィス主催者「エットレ・ソットサス」(1917年 – 2007年)は、ジオ・ポンティらと戦後イタリアンデザインの評価を高めた人物の1人。
メンフィスのデザインは見たまんま、明るく鮮やか、ポップで刺激的なカラーリングを多用し、デザインも複雑で有機的です。
それまでの箱型で黒や茶色など暗い色を基調としていたヨーロッパの家具デザインとはあまりにも対照的な色とデザインで、賛否両論を巻き起こしたのでした。
出典:ART NEWS
▲メンフィスメンバーたちがデザインして持ち寄った数々の家具や照明。写真右奥に見えるデスクは日本人デザイナー倉俣史朗の作品。
イタリアを中心に世界の建築やデザイン業界に大きな影響を及ぼしましたが、同時に「装飾的で奇抜過ぎ」という批判を浴びつつ、ソットサスが建築の仕事で忙しくなったこともあり、1988年に解散しました。
ポストモダンの終焉と現代の建築
好景気でイケイケだった1980年代の東京にも世界中からポストモダンデザインが押し寄せて溢れましたが、約10年後の1990年代になると東京だけでなく世界ではあっという間にポストモダンブームが終了しました。
世界的な建築コンペでもミニマル(最小限の装飾)な設計案の優勝が目立ち始め、1990年代以降の建築の潮流はモダニズムの見直しが行われたほか、徹底的に不必要な部分を削ぎ落とし、素材の質を活かした最小限のデザインである「ミニマリズム」が世界で流行します。
▲ポルトガルの建築家によるミニマリズム住宅『The Gafarim House』(2016年)
出典:IGNANT
▲スペインの建築家アルベルト・カンポ・バエサによるメキシコに建てられたミニマリズム建築の別荘
ポストモダンに見られた装飾的な建築は『脱構築主義建築(デコンストラクション)』などのより過剰で複雑な建築であるポストモダン建築の一派となって現在も残っています。
出典:現代研究ブログ
▲カナダのポストモダン建築家「フランク・ゲーリー」がスペインに建設した『ビルバオ・グッゲンハイム美術館』(1997年)は現代建築で最も称賛される作品のひとつ。戦闘機の設計などに使用されるCADシステムを用いて構造計算され、チタニウムで出来た外観には平らな面がどこにも無い。
出典:yatzer
▲イギリスの建築家「ザハ・ハディッド(ハディド)」により設計された、アゼルバイジャンの首都バクーにある複合施設『ヘイダル・アリエフ・センター』(2012年)
ナンタルカのまとめ
■ポストモダンとは
ポストモダンはかつてポストモダニズムと呼ばれ、近代(=モダン)から脱却することを目標に、1975年〜1995年頃にかけて流行した思想運動である。広義には近代のあと(=ポスト)に続くと考えられている時代とその傾向を指す言葉で(①)とも言われる。
■ポストモダン建築
ポストモダン建築は、装飾を排して「禁欲的な四角い箱」とも評されるモダニズム建築に対する反動として現れた装飾性や過剰性などを特徴とする建築のことである。(①)年代がポストモダンの全盛期で、とくに日本では「バブル景気」とも呼ばれた好景気に多く建てられたため「(②)」と揶揄されたが、バブル崩壊後の1990年代になるとあっという間にブームが過ぎ去った。
■メンフィス
家具の分野ではイタリアンデザイナー(①)が多国籍なポストモダンデザイナー集団『メンフィス』を結成して一世を風靡した。日本からは(②)や磯崎新らが参加していた。
■ポストモダン後
1990年代以降の建築の潮流はモダニズムの見直しが行われ、徹底的に不必要な部分を削ぎ落とし、素材の質を活かした最小限のデザインである(①)が世界で流行した。ポストモダンに見られた装飾的な建築は(②)などのより過剰で複雑な建築であるポストモダン建築の一派となって現在も残っている。
お疲れ様でした。
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では、次回もお楽しみに。
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